飛び込むカラダは加速して、少女はカタチを変えてゆく。やがて世界と別れるために。

ハロースクール、バイバイ

[京都]2011年11月12日-14日アトリエ劇研(KYOTO EXPERIMENT2010フリンジ企画”HAPPLAY “参加)
[東京]2011年11月24日-28日シアターグリーンBASE THEATER(F/T公募プログラム参加)
撮影|飯田浩一

チラシより

『ハロースクール、バイバイ』は、もうずっと前から取り組みたかった作品。
この作品では、ずっと女子たちがバレーボールをし続ける。最期の一試合。汗だくになって。息を切らして。
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文化系男子の僕は運動がまるっきりダメで、でもそのことがコンプレックスだったとかはまるっきりなく、運動できる人たちはすげぇなぁとか気持ちいいなぁとか純粋に思っていた。太陽とか浴びて、ポカリとかうまそうに飲んでいる体育会系男子たちが、羨ましいんじゃなくて、単純に尊敬していた。僕にはないモノを彼らは持っていたから。僕にはそんな感じでポカリは飲めないし、僕は風邪引いて熱出した時にしかポカリは飲まないよ、とか。
いさぎよく自分は運動がダメってことを受け入れて、彼らの領域に入ることを諦め切っていた。だから、体育会系の彼らのことを、四季折々の風物詩みたいな感じで傍観していたんだな。彼らを見ていたら、時間の移り変わりがわかった。彼らが、何故に、それに必死になるのかは、やっぱりその本質は解ることはできなかったけど、彼らの姿はなんとなく好きだった。そういう学生時代、思い出しています、今。
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文化系だった僕は、さらに、体育会系女子に憧れを抱き、日焼けした彼女ら、豪快に笑う彼女らが眩しくて、たぶんそんな彼女らに、数回、恋をしたりもしたと思う。
ある季節、彼女たち、は、試合に負けて、学校に帰ってきた。たぶん彼女たちとはバレーボール部。例のごとく、僕はまた、彼女たちから少し離れた場所、で、帰ってきた彼女たちを見ていた。
たぶん彼女たちはその時、泣いていたと思う。なんで泣いていたのか。やっぱりちょっとまだその真意はわからない。負けたから?季節が終わるから?または、ホッとしたから?
とにかく僕は、そんな彼女たちに、なんの声もかけれなかった。いや、かけようともしなかったのかもしれない。ただただ彼女たちが泣いて学校に帰ってきた、その風景、を、眺めていた。眺めていることしか、僕にはできなかったから。
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僕らは今年の秋、といっても、もう冬に近いくらいの、秋。バレーボール部のお芝居をする。こんな僕が作るバレーボールの芝居だ。くだらないに違いない。体育会系の人たちが見たら、ふざけんなって感じかもしれない。

なんと言っても、この作品の中のバレーボールとは、球がない。実際に存在しない架空のボールを追って、役者さんたちは必死に試合をするのだ。(←このことを僕らは、エアーバレーボール、と呼ぶ。)実在しないボールを追う役者さんたちの姿は、ナメてるを通り越して、なんとも可愛らしいのである。

あともう言ってしまうが、この作品は、彼女たちのある一試合を描いた作品になるのだが、彼女たちはこの試合で、負ける。負けて彼女たちの部活漬けの生活は終わる。はずである。まだ台本ができてないからわからないが。

『ハロースクール、バイバイ』とは、まあ大雑把に言えば、女子たちが実在しないボールを追って、必死に戦い、負ける。っていう、これだけの話である。

つまり、バレーボールとか、試合に勝つとか負けるとかは、僕にはあんまり重要じゃないんだ。

重要なのは『身体』。とにかく『身体』が見たいんだ。彼女たちの、これからへ加速していく『身体』を。

学校に泣きながら帰ってきた彼女たちとの距離は、あの頃より縮むことはあるのかな。彼女たちが泣いていた真意は?
あの中にいた、あの人は、今、どうしているのか。
僕は、あの人の顔すら、もう忘れてしまった。

薄らぼやける記憶の断片を、考察して、繋ぎ合わせ、連続させて、女子たちの汗ばむうなじや、しょっぱくなったTシャツを、生っぽく浮かび上がらせたい。

役者さんたちをドロドロにして、賞味しちゃいたい。

だからこの興味がずっと前からあるから、

『ハロースクール、バイバイ』は、もうずっと前から取り組みたかった作品。

ただただ学校を眺めていたあの頃。止まっているあの頃の時間を、少しだけ進めれるように。

京都と東京。11月はもう寒いのかな。

8/8 藤田貴大

パンフレットより「ある速度と置いてきぼりの記憶」

最近思い出す、あの頃、あの建築物の中での生活、それはものすごい速度を帯びていて、だから色んな感情を当然、溢してきた、それを溢したまま、置いてきぼりにしてきたよね、その置いてきぼりの感情を、掬って、再生するのは困難だ、だってやっぱり一度は落としてしまったんだもん、落としてしまったモノの鮮度を、あの頃から今まで優しく保たれてこなかった腐りかけの感情を、再生するのは困難、そう考えるのは、こういう理由からだ。

再生とは、そう、二通りあると最近捉えていて、再生=再構築(reform)、と、再生=蘇生(regenerate)、僕は後者を今回やろうとしているし、役者さんたちにも促してきた。

つまり、演劇表現とは、やっぱり再生する作業(シーンを再生する、という意味で。)をしなければいけないんだけど、それって生身の人間がやるんだよね、それを、僕は何かを再生させる時に、組み立てる作業(ここを、reform、とする)は狙っていない、 狙っているのは、役者さんや僕の作品に関わってくる人、さらには、観客のみなさん、の頭の中で、なんらかのタイミングでニュキッと起き上がってくる感情(それを、regenerate、としよう。)、そこだ。

だから今回、僕は種蒔き(seeding)しかしないつもりです、何故ならば、あとは、発芽(germination)させるのは、僕じゃない気がしたから。

戻ろう、あの頃、あの建築物の中での生活、の話、置いてきぼりにしてきてしまった記憶、あの頃から今まで優しく保たれてこなかった腐りかけの感情、それを再生させるには。

再構築(reform)じゃ遅いんだ、僕らの急務は蘇生(regenerate)。

ここにしか、もうなんだか、未来が見れなくなったんだ。

11/3 藤田貴大

あらすじ

ある街の片隅。ある中学校。 女子バレーボール部員たち。 部活動最期の試合が始まる。
試合中、部員たちの脳内を、 幾つもの思い出が駆け巡る。 学校に入ってから、今まで。
取り巻く人間とのあれこれ。 でも、ただただ彼女たちは、 この試合の最中を生きてる。
入口から出口までの、最中。 永遠にも感じられる、最中。 一試合の、凝縮された時間。
彼女たちの体温と、風景を、 立体的に映した青春群像劇。

出演

伊野香織  荻原綾  河野愛
木下有佳理  斎藤章子  成田亜佑美
緑川史絵  尾野島慎太朗  波佐谷聡

スタッフ

作・演出
藤田貴大
舞台監督
森山香緒梨 加藤唯
照明
吉成陽子
照明オペ
明石伶子
音響
角田里枝
演出助手
舘巴絵
宣伝美術
本橋若子
制作
林香菜
舞台写真
飯田浩一

クレジット

共催
アトリエ劇研(京都公演)
フェスティバル/トーキョー(東京公演)