コドモたちのちぐはぐなカラダとココロ、それとすこしだけ、ミライ。

コドモもももも、森んなか

2011年2月1日-2月7日STスポット(坂上がりスカラシップ2010対象公演)
撮影|飯田浩一

パンフレットより「ながい一日のはじまりとおわりのその中身にただよう空気」

たとえば、自転車に乗れるようになって、ペダルを漕いで、移動できる距離が広がって、っていう頃、
たとえば、電車の切符が買えるようになって、乗り込んで、移動できる範囲が広がって、っていう頃、
たとえば、飛行機のチケットを手にいれて、どこか遠くの見たことない場所に飛べるようになった頃、
どんどんと広がっていく自分の、規模、が面白くって、どんどんとその、規模、を広げてこうって頃、

比例して、自転車からも、電車からも、飛行機からも、多くのモノを落としてしまった、僕は落下していくそれらに、手をのばすこともせず、声をかけることもせず、ただただそれらを眺めていた、どうしようもなく見過ごして、ここまで広がってきてしまったように思う。

まずはその落下物を拾うこと、それでそれらを繋げて、連続させること、を、たぶん僕は一年前の初演時には意識していたのは、よくわかった、でもそれだけでは足りないこともよくわかった、つまりその落下物を拾って並べることしかしてこなかった、だから今回のこれ、再演、は、その一つ一つを研磨すること、そこから始めた。

そう、言うならば、これはリサイクル(recycle)の作業だ、そのままの形体でもう一度使うリユース(reuse)の作業とは異なっていて、粉砕・溶解・分解の作業から始める、リサイクル、だ。

自転車からも、電車からも、飛行機からも、一度落下したそれら。
手をのばすこともせず、声をかけることもせず、ただただ眺めていたそれら。
一年前に一度、上演というカタチで、外に出して並べてしまった、それら。

それらをリサイクルするのは、やっぱり困難だったよ、火傷もしたし、何かが裂けた感覚もあるし、もう粉砕骨折気味。

しかも、そう、リサイクルしたって、誰かが何かが、不在、なんだ。

誰かが何かが不在の日常、を、これからも過ごすのであろう、誰かが誰なのか、何かがなんなのか、も、思い出すこともできずに。

だから僕はこの作品を、誰かがいなくなった、ながい一日に。ながい一日のはじまりとおわりのその中身にただよう空気、に、捧げようと思う。 それはもう、ある記憶に対して、祈る、ような気持ちでいる、からである。

1/25 藤田貴大

あらすじ

どこかの田舎街。幼い三姉妹。大人が作った街の片隅。
コドモたちは、自分たちだけの”住処”を作って遊んでいる。
幼少期から青年期までの数年間。居場所を求めて、壊された、コドモたちだけの話。

出演

青柳いづみ  伊野香織  荻原綾  北川裕子
斎藤章子  高山玲子  とみやまあゆみ
召田実子  吉田聡子  大石将弘(ままごと)
大島怜也(PLUSTIC PLASTICS)  尾野島慎太朗
波佐谷聡

スタッフ

作・演出
藤田貴大
舞台監督
森山香緒梨  加藤唯
照明
吉成陽子
照明オペ
明石伶子
音響
角田里枝
宣伝美術
本橋若子
制作
林 香菜
舞台写真
飯田浩一

クレジット

共催
坂あがりスカラシップ(急な坂スタジオ・のげシャーレ・STスポット)