「カタチノチガウ」Archive②/アフタートーク(ゲスト|穂村弘さん)

2015年3月25日

「カタチノチガウ」横浜美術館レクチャーホール
2015年2月11日18:30の回アフタートーク
ゲスト|穂村弘さん(歌人)

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藤田 穂村さんに観てもらうのは今日で2回目ですよね。ありがとうございます。
穂村 原宿でやったときとはずいぶん違いますね。
藤田 違いますね。冷蔵庫のくだりとかは、原宿ではなかった。
穂村 あと、片足で立ってる時間がすごく伸びてた。あれは、足をつけると怒られるんですか?
藤田 怒りますね。
穂村 すごい、観ていて緊張します。
藤田 穂村さんはいつもそういうことばっか観てますよね? 前も「ペットボトルが倒れるかどうか心配だった」って言ってましたよね。
穂村 そう。以前、息が切れるまで皆が走らされてる演出の作品があったんだけど、走っているところにペットボトルが置かれていて、「あれを倒すとどうなるんだろう?」と。
藤田 今回は結構、怒りポイントが多いですね。最初のシーンでドミノを倒してるんですけど、ドミノが最後までちゃんと倒れなかったら怒ります。
穂村 藤田さんは舞台上で、神のように細部まで言うじゃないですか。ちょっとしたタイミングについてもすごく厳密で。僕は全然怒れない人なんですよね。僕は物を書いてるんですけど、何を書くのかは書き出すまでわからないし、書いたあともあんまりわかってなかったりするんです。
藤田 え、そうなんですか?
穂村 そうそう。自分の言葉だけでもそんなあやふやなのに、舞台だと言葉もあるし、動きもあるし、光や音楽もあるし、もう全部じゃないですか。そのすべての細部にまで厳密にこだわってることがすごいなあ。
藤田 年を取るともうちょっと和らぐかなと思ったら、どんどんエスカレートして細かくなってきてますね(笑)。周りの皆はほんとに大変だなと思いますけど。
穂村 でも、そんなに厳密に指示を出せるほど、自分の作りたいものについて確信があるわけだよね。それが僕にとっては脅威で。それが本当にクリエイターというものなのだとすれば、自分はクリエイターじゃないな、と。だって、藤田君がコラボレーションした相手だと、今日マチ子さんも川上未映子さんも――名久井さんはブックデザイナーだからまたちょっと意識が違うかもしれないけど――皆、確固たるヴィジョンがあるでしょう?
藤田 そうですね。把握したいものとか規模っていうのはあると思います。
穂村 そうすると、ぶつかることもあるでしょう? でも、僕とやったときは全然ぶつからなかったよね?
藤田 それ、マームの中でちょっと話題になったんですよ。穂村さんとコラボレーションしたとき、穂村さんが稽古場に来てくれるんだけど、コラボレーションだから何か言ってくれるかなと思ってたら、穂村さんはずっとチョコ食べていて、それで帰るんです。それで「この人、何なんだろう?」とか、「『チョコを食べる』ってことでダメ出しをして帰ったのかな?」とか、そういう話になって。
穂村 ああ、チョコの食べ方で怒りを表現する? でも、自分が書く言葉だってよくわからないのに、演劇のことなんて全然わからなくて。でも、演劇をやる人って皆、自分が作りたい世界像が藤田君ほど厳密に見えて作ってるのかしら。
藤田 それはまったくわからないですね。演劇が不思議なのは、作り方とか考え方が全部違うんですよね。
穂村 それでも「演劇」っていうふうに括られるわけだよね。だから、今日の作品を観ていると、ダンスを観ているような気持ちになる時間もあるし、巨大な作品の一部を観ているような感覚にとらわれる時間もある。あと、原宿で観たのと同じタイトルの作品なんだけど、全然違うものを観ているような感覚にも襲われる。それが不思議だよね。

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藤田 今日は穂村さんに聞きたかったことがあって。たとえば言葉が持っているリズムもあれば、空間っていうものが持っている何かもあるし、身体的なこともある。そこにシチュエーションと時間があって演劇になるんだけど、それをどういうふうにバランスよく配置していくのかっていうことが、どうやら最近の僕のテーマでもあるんですよね。さっき穂村さんは「自分の書く言葉のこともわからない」と言ったけど、穂村さんのエッセイや短歌を読んでいると、把握してないようには思えないんですよね。
穂村 うまく言えないけど――たとえば今回の作品だと、まず『カタチノチガウ』ってタイトルに引っ掛かるよね。『カタチガチガウ』でも『カタチハチガウ』でもなく、『カタチノチガウ』。助詞が「ノ」だと、その下に何か名詞がくるはずなんですよ。それが省略された形のタイトルで、すごく不安定な日本語なわけ。藤田さんのタイトルは日本語として不安定であることが多くて、その不安定さに引き込まれるというか、その空白部分に何がくるのか考えさせられる。実際、「形の違う三姉妹」であるとか、「形の違う親指」であるとか、言葉を当てはめながら進行していくんだけど、最後に「形の違う子ども」というのが出てきますよね。ただ、実際には舞台に子どもは出てこないから、肝心の形が見えない。子どもの形が違うというのは未来に生きていくためのバージョン変化みたいなイメージだとすると、我々の今の形では駄目で、生き延びるためには別の形が必要なのかもしれないですよね。藤田さんが一生懸命その正解を示そうとしてるんだなと思って舞台を見つめるんだけど、そこには“さとこ”が手をつないでいるはずの子どもの姿はなくて不安になる。でも、その空白に引き付けられる。今回の作品では未来ってことも何度か語られるけど、そのテーマはどこからなんですか?
藤田 さっきの回で名久井さんとも話したんだけど、去年の秋に海外でツアーをしてたんですよ。そのときに、次にやる作品は実家の話じゃないなと思ったんです。今までは記憶器官のことをやりたくて繰り返すっていう演出をしてたんだけど、どうやらそれがちょっと違ってきてるなと思ったんですよね。僕は今年30歳になるんですけど、子どもがいたって変じゃない年齢じゃないですか。そのことを考えるのは怖いことだと思ってるんだけど、実家とか過去ってことを一旦ストップかけないと、その問題には向かえなかったんですよね。今回はそれが強いのかもしれないです。
穂村 今回はだいぶ違いますよね。舞台がどこなのか、よくわからない感じがする。三姉妹の名前が“いづみ”と“さとこ”と“ゆりこ”ではあるんだけど、外国みたいな感じもするし、お屋敷があってそこに劇場が流れてくるところからすると、あんまり日本って感じもしないですよね。これって設定はあるんですか?
藤田 僕の中で大前提としてあったのはイタリアの風景ですね。そこで本当に、「この中で生きていくことは不自然なことなのかもしれない」と思ったタイミングがあって。それは「死にたい」とかそういうことでは全然なくて、牧草が刈られたあとの広大な風景を見たときに「ここが舞台だ」と思ったんです。

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穂村 「生きることが我々の本来の形か」というのは非常に気になる問いかけなんだけど、それはどういうことなのかな。もしそれが本来ではないとしたら、死ななきゃいけないってこと?
藤田 でも、そこは答えが出ないですね。作品を作るとき、自分の中で答えがあるものに向かっていくのは本当に面白くないことだと思うんですよ。もっと考え中なことを作品にしたいなと思ってるんだけど、現時点の結論として言うと、生きてるからややこしくなっていくことってすごくあると思っていて。それは誰か一人が生きているからとかってことじゃなくて、人っていう大きな塊が生きていることによってややこしくなってるなということは、昔よりもずいぶん思うようになったんですよね。
穂村 そういうシリアスな重さがある一方で、振付がすごく可愛いよね。目が釘付けになる。あれは藤田君が振付をつけたの?
藤田 全部つけたんです。何であんなことになったんですかね?(笑)
穂村 すごく可愛い。いつまでも観てられる。
藤田 (手を重ねながら)これですか?
穂村 うん、合掌するやつも可愛い。あれは原宿のときは動きがバラバラだったのに、今日は完璧に揃ってたね。
藤田 あれはいちおう、「家政婦は見た」みたいなイメージで。壁越しにチラッと見てる妹たちっていう。
穂村 あ、そうなんだ? 仏教的なことなのかと思ってた。あと、こっちで“ゆりこ”がハンドル握ってて、“いづみ”がクルクルするやつも可愛かった。
藤田 あれは休憩中、僕が本当にああやって動いてたんです(笑)
穂村 あと――劇場が流れてくるのは、ムーミン?
藤田 そうなんですよ。最近ムーミンにはまってて、洪水で劇場が流れてくるのは『ムーミン谷の夏まつり』ですね。そこでムーミンのパパが、いなくなったムーミンのために演劇を作り始めるんです。
穂村 ムーミン、イタリアじゃないけどね。(メモを取り出しつつ)聞きたいことは一杯あるんだけど――“いづみ”はほぼ標準語でしゃべってるのに、「ドラゴンボールって知ってるー?」ってとこだけ訛るのは演出なの?
藤田 そうなんですよ。僕の劇は口伝なんだけど、何か「知ってるー?」ってとこは上がっちゃうんですよね。僕は弟と、ほんと何回もナメック星に行ってたんです。
穂村 あの「ドラゴンボールって知ってるー?」っていうのはすごく良くて、何回でも聴きたいんだけど、それが何でなのかはわからないんですよ。あれを訛らずに普通に言われると引き込まれないのに、なぜあの言い方だと引き込まれるのか。そこまで演出だとしたら恐ろしい。
藤田 初対面の“いづみ”と“さとこ”が最初に「え、1組?」「3組」とか話すのも、ほんとよくわかんないじゃないですか。「最初の会話、学年からじゃないんだ?」っていう(笑)。でも、子どもって余裕でそういうこと言いますよね。
穂村 僕は一人っ子だから、姉妹のことは全然わからないんですよ。でも、藤田さんもたしか弟さんしかいないはずなのに、堂々と姉妹のことを描いている。あれって多少は調査したりする?
藤田 いや、全然しないです。だから僕の想像でしかないんだけど、母親が姉妹だったんですよね。その様子を見て、小さい頃から比較はしてたんです。僕ら男兄弟とは違うな、と。うちの母親は正子でおばさんが直子、二人揃って「正直」なんですけど、その二人を見ていると、ちょっとケンカっぽくなるところや解決法も違うなと思っていた気はします。でも、それを参考にしてるわけってことではなくて、この三人が姉妹だったらってことを想像して作ってますね。