マームとジプシー
2021年10月15日-12月12日 全4会場
〔愛知〕2021年10月15日-17日/穂の国とよはし芸術劇場プラット アートスペース 〔新潟〕2021年10月23日・24日/妙高市文化ホール 〔香川〕2021年10月30日-31日/四国学院大学 ノトススタジオ 〔東京〕2021年12月9日-12日/LUMINE0
ここに立ち尽くし、うしろを振り向くと、この一年でもう会えなくなってしまったひとたちが、わたしを、わたしたちを見つめているような気がする。その眼差しを、声なき声を受信しながら、時間のうえに舞台と客席を配置した。ここで、待っている。もう会えないのはわかっているけれど、待っている。季節は巡った。その速度に抗うことはやっぱりできなかった。もういちど会えたなら、どう名前を呼ぼう。そのあと、なにを話そう。この"演劇"という営みのなかで、そのことばかりをかんがえている。
2021.10.12 藤田貴大
「BEACH」 石井亮介 川崎ゆり子 中村夏子 成田亜佑美 長谷川洋子 吉田聡子
「CYCLE」 小椋史子 猿渡遥 中島広隆 長谷川洋子 船津健太 吉田聡子
「DELAY」 石井亮介 荻原綾 川崎ゆり子 中村夏子 成田亜佑美 長谷川洋子
作・演出/藤田貴大 舞台監督/ 原口佳子(豊橋公演・東京公演) 鳥養友美(新潟公演・香川公演) 照明/小谷中直美 音響/召田実子 アシスタント/櫻井碧夏 シューズ/trippen 衣装/若林佐知子 ヘアメイク/大宝みゆき
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀
記録映像/宮田真理子
企画・制作/合同会社マームとジプシー、trippen
<豊橋公演> 主催/公益財団法人豊橋文化振興財団 公益社団法人全国公立文化施設協会文化庁 大規模かつ質の高い文化芸術活動を核とした アートキャラバン事業
<新潟公演> 主催/合同会社マームとジプシー 助成/芸術文化振興基金 共催/(公財)妙高文化振興事業団
<香川公演> 主催/四国学院大学 共催/丸亀市 産業文化部 文化課 協力/カルテット・オンライン 令和3年度 文化庁 大学における文化芸術推進事業
<東京公演> 主催/合同会社マームとジプシー 共催/LUMINE0 助成/ARTS for the future!
外部作品
2021年11月26日-28日
〔福島〕2021年11月26日-28日/いわき芸術文化交流館アリオス 大リハーサル室
長谷川洋子
作・演出/藤田貴大
舞台監督/熊木進 照明/南香織(合同会社 LICHT-ER) 映像/召田実子 衣装/swllow ヘアメイク/大宝みゆき
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀
主催/いわき芸術文化交流館アリオス 企画協力/合同会社マームとジプシー
コラボレーション
外部作品
2021年10月2日-3日 全1会場
〔長野〕2021年10月2日-3日/大町温泉郷・森林劇場
青柳いづみ 召田実子 佐々木美奈 川崎ゆり子 長江青 田中景子 大夏 夕夏
原文/minä perhonen「Letter」より 上演台本・演出/藤田貴大
舞台監督/大畑豪次郎 森山香緒梨 照明/南香織(合同会社LICHT-ER) 音響/東岳志(山食音) 音響部/能美亮士 西田彩香 映像/宮田真理子
スタイリング/遠藤リカ 衣装製作/武田久美子 衣装貸出・素材提供/ミナ ペルホネン 衣装進行/近藤勇樹 夏目麻有
ヘアメイク/赤間直幸
制作/林香菜 古閑詩織(合同会社マームとジプシー) 企画/合同会社マームとジプシー
主催/北アルプス国際芸術祭実行委員会
外部作品
2021年7月18日-9月5日 全12会場
「かがみ まど とびら」 〔埼玉〕2021年7月18日/彩の国さいたま芸術劇場 大ホール 〔茅ヶ崎〕2021年7月22日/茅ヶ崎市民文化会館 大ホール 〔北九州〕2021年7月27日/北九州芸術劇場 小劇場 〔大分〕2021年7月29日/iichiko総合文化センター iichikoグランシアタ 〔上田〕2021年8月1日/サントミューゼ 上田市交流文化芸術センター 大ホール 〔士別〕2021年8月5日/あさひサンライズホール こだまホール 〔中標津〕2021年8月8日/中標津町総合文化会館しるべっと 大ホール 〔札幌〕2021年8月10日-11日/札幌文化芸術劇場hitaru クリエイティブスタジオ
「めにみえない みみにしたい」 〔埼玉〕2021年7月17日/彩の国さいたま芸術劇場 大ホール 〔八王子〕2021年8月22日/八王子市芸術文化会館 いちょうホール 大ホール 〔豊橋〕2021年8月28日-29日/穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース 〔上田〕2021年9月5日/サントミューゼ 上田市交流文化芸術センター 大ホール (富山公演、新潟公演、いわき公演は中止)
伊野香織 川崎ゆり子 成田亜佑美 長谷川洋子
作・演出/藤田貴大 音楽/原田郁子 衣装 /suzuki takayki 照明 /南 香織(LICHT-ER) 音響/竹内和弥 映像 /召田実子 ヘアメイク/大宝みゆき 舞台監督 /須田雅子 舞台監督助手/久保大輔 照明部/阿久津未歩 小谷中直美 運搬 /マイド
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀 宣伝イラスト(めにみえない みみにしたい)/ ヒグチユウコ モデル(めにみえない みみにしたい 宣伝写真) iori
制作/松野 創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
企画制作/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー
ひび
2021年6月5日・6日 全1会場
〔東京〕2021年6月5日・6日/Ultra Super New
「Tahanan sa Luzon~ "pot-au-feu" edition」
CAST 近藤勇樹 櫻井碧夏 佐々木菫 猿渡遥 山中慶子 油井原成美
VOICE 小川沙希 斉藤暉 佐々木彩音 志村茉那美 須藤日奈子 高橋明日香 豊川弘恵 花井瑠奈 的場裕美 宮田真理子 山林真紀子 渡邊由佳梨
「TAHANAN」映像出演
[Tahanan sa Maynila] Phi Palmos, Brian Sy, Jam Binay, Lhorvie Nuevo, Sabrina Basilio, Xander Soriano
[Balay sa Visayas] Noel Pahayupan, Jerrey David Aguilar, Ron Matthews Espinosa, Arjay Babon, Onna Rhea Cabio Quizo, Hope Tinambacan
▶︎Performance◀︎ 「Tahanan sa Luzon~ "pot-au-feu" edition」 作/藤田貴大 演出/斉藤暉 衣装/近藤勇樹 照明/佐々木菫 映像提供/国際交流基金マニラ日本文化センター
▶︎Exhibition◀︎ 「P」 Basket/amime
「ひびにいる人たちを記録する」
ひび 梅崎彩世 小川沙希 近藤勇樹 斉藤暉 櫻井碧夏 佐々木彩音 佐々木菫 佐野明日奈 猿渡遥 志村茉那美 須藤日奈子 高橋明日香 豊川弘恵 花井瑠奈 的場裕美 宮田真理子 森崎花 山中慶子 山林真紀子 油井原成美 渡邊由佳梨
企画・制作/佐々木菫 的場裕美 山中慶子 山林真紀子 渡邊由佳梨 稽古場協力/急な坂スタジオ 助成/公益財団法人セゾン文化財団 主催/合同会社マームとジプシー
マームとジプシー
コラボレーション
ひび
2020年12月8日-13日
〔東京〕2020年12月8日-13日/LUMINE 0
部屋のなかにいながら、部屋より外を想像する。 2020.9.14 藤田貴大
<Performance> 「冬の扉」「治療、家の名はコスモス」 「ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜(short.ver)」 「animals」 青柳いづみ
「Room #301」 青柳いづみ 小椋史子 櫻井碧夏 船津健太 召田実子 油井原成美 <Exhibition> 「backyard」 小椋史子 船津健太 「apart」 青柳いづみ 荻原綾 成田亜佑美 辻本達也▶︎Performance◀︎ 「冬の扉」 Text:川上未映子 Direction:藤田貴大 Costume:malamute Shoes:trippen
「治療、家の名はコスモス」 Text:川上未映子 Direction:藤田貴大 Costume:YUKI FUJISAWA Shoes:trippen
穂村弘× マームとジプシー 「ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜」(short ver.) Text:穂村弘 Arrangement & Direction:藤田貴大
名久井直子× マームとジプシー 「Room #301」 Text & Arrangement:名久井直子 藤田貴大
「animals」 Text & Direction:藤田貴大 Costume:BOND 遠藤リカ Animals: amabro (村上美術株式会社) Music:じゃがいもハニー
▶︎Exhibition◀︎ 橋本倫史×マームとジプシー 「路上 on the street」ひび「P」 Basket:amime
trippen×マームとジプシー 「tsugime」
「apart」 Video editing:召田 実子 Graphic design:梅崎彩世 Music:じゃがいもハニー
宣伝イラスト/カシワイ デザイン/青柳いづみ 六月
舞台監督/原口佳子 照明/南香織(合同会社LICHT-ER) 映像/召田実子 ヘアメイク/Team Ikeda 音響協力/竹内和弥 衣装協力/若林佐知子(カタチ社) 山口千慧
企画制作・主催/合同会社マームとジプシー 共催/LUMINE 0
外部作品
2020年11月22日-23日/11月28日-29日
〔埼玉〕2020年11月22日-23日、11月28日-29日 /彩の国さいたま芸術劇場NINAGAWA STUDIO
伊野香織 川崎ゆり子 成田亜佑美 長谷川洋子
作・演出/藤田貴大 音楽/原田郁子 衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織 音響/竹内和弥 映像/召田実子 ヘアメイク/大宝みゆき 舞台監督/須田雅子 舞台監督助手/久保大輔 照明操作/小谷中直美 劇場技術/菅沼翔太
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀
協力 トロピカル ハンドネオン LICHT-ER
制作 松野 創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜(マームとジプシー) 古閑詩織(マームとジプシー)
公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 理事長/加藤容一 専務理事/山本好志 エグゼクティブ・プロデューサー・事業部長/渡辺 弘 劇場部長/岩品武顕 企画制作課長/濟木 亨 営業 鶴貝典久/松井 哲 票券 鈴木優子/本郷充子
助成 文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会企画制作 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー
マームとジプシー
2020年9月19日-10月4日 全3会場
〔豊岡〕2020年9月19日-21日/城崎国際アートセンター *豊岡演劇祭2020 参加 〔香川〕2020年9月26日-27日/四国学院大学 ノトススタジオ 〔東京〕2020年 10月2日-4日/小金井宮地楽器ホール 大ホール
荻原綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷聡 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 舞台監督/原口佳子 照明/小谷中直美 音響/竹内和弥(彩の国さいたま芸術劇場) 映像プラン/召田実子 映像オペレーター/宮田真理子 記録映像(豊岡・東京)/小西楓 記録/橋本倫史
ロゴデザイン/名久井直子
制作/林香菜 古閑詩織(合同会社マームとジプシー)
主催 〔豊岡・東京〕合同会社マームとジプシー 〔香川〕四国学院大学 共催 〔香川〕丸亀市 産業文化部文化課 提携 〔豊岡〕豊岡演劇祭実行委員会 助成 〔豊岡・東京〕J-LOD live コンテンツグローバル需要創出促進事業費補助金 〔香川〕令和2年度大学における文化芸術推進事業外部作品
2020年2月11日-27日
〔東京〕2020年2月11日-27日/東京芸術劇場プレイハウス *新型コロナウイルス感染拡大予防の観点より、2月28日以降の公演は中止となりました。
岡田トオル役/成河・渡辺大知 笠原メイ役/門脇麦 綿谷ノボル役/大貫勇輔 加納クレタ・マルタ役/徳永えり 赤坂シナモン役/松岡広大 岡田クミコ役/成田亜佑美 牛河役/さとうこうじ 間宮中尉役/吹越満 赤坂ナツメグ役/銀粉蝶 <ダンサー> 大宮大奨、加賀谷一肇、川合ロン、笹本龍史 東海林靖志、鈴木美奈子、西山友貴、皆川まゆむ (50音順) <演奏> 大友良英 イトケン 江川良子
原作/村上春樹 演出・振付・美術/インバル・ピント 脚本・演出/アミール・クリガー 脚本・演出/藤田貴大 音楽/大友良英 照明/ヨアン・ティボリ 音響/井上正弘 ヘアメイク/宮内宏明 通訳/鈴木なお 美術助手/大島広子 振付助手/皆川まゆむ 演出助手/西祐子 舞台監督/足立充章 主催/ホリプロ TOKYO FM 企画制作/ホリプロ
コラボレーション
外部作品
2020年1月10日
〔東京〕2020年1月10日/東京都現代美術館
青柳いづみ 川崎ゆり子 佐々木美奈 召田実子 田中景子 大夏 夕夏 色織
構成・演出/藤田貴大 衣装/遠藤リカ ヘアメイク/赤間直之( Koa Hole )
コラボレーション
外部作品
2019年12月6日
〔東京〕2019年12月6日/東京都現代美術館
青柳いづみ 川崎ゆり子 佐々木美奈 召田実子 長江青 大夏 夕夏 色織 塔子
構成・演出/藤田貴大 衣装/遠藤リカ ヘアメイク/赤間直之( Koa Hole )
ひび
2019年11月8日-10日
〔東京〕2019年11月8日-10日/VACANT
(映像出演含む) 乾真裕子 梅崎彩世 太田順子 小川沙希 小西 楓 近藤勇樹 斉藤 暉 櫻井碧夏 佐々木彩音 佐々木 菫 佐野明日奈 猿渡 遥 志村茉那美 須藤日奈子 高橋明日香 豊川弘恵 中村夏子 南風盛もえ 花井瑠奈 的場裕美 宮田真理子 森崎 花 山中慶子 山林真紀子 油井原成美 渡邊由佳梨
構成・演出/藤田貴大
主催・企画制作/マームとジプシー 協力/VACANT 助成/公益財団法人セゾン文化財団
マームとジプシー
海外公演
2019年10月25日-27日
〔中国〕2019年10月25日-27日/Studio Theatre of the Grand Theatre
荻原 綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/星野大輔(サウンドウィーズ) 映像/召田実子 舞台監督/熊木 進
照明オペレーター/平井奈菜子 映像オペレーター/宮田真理子
ロゴ(公演タイトル)デザイン/名久井直子 ツアーマネージャー・字幕オペレーター/門田美和 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
助成/国際交流基金
外部作品
2019年10月13日-10月15日
〔埼玉〕2019年10月13日-10月15日/彩の国さいたま芸術劇場大ホール
井上尊晶
蜷川幸雄様<さいたまゴールド・シアター> 石井菖子 石川佳代 宇畑 稔 大串三和子 小渕光世 葛西 弘 神尾冨美子 上村正子 北澤雅章 小林允子 佐藤禮子 重本惠津子 田内一子 髙橋 清 滝澤多江 竹居正武 谷川美枝 田村律子 ちの弘子 都村敏子 寺村耀子 遠山陽一 德納敬子 中野富吉 中村絹江 西尾嘉十 林田惠子 百元夏繪 宮田道代 森下竜一 渡邉杏奴
<さいたまネクスト・シアター> 周本絵梨香 鈴木彰紀 竪山隼太 手打隆盛 堀 源起 内田健司 中西 晶 平山 遼 續木淳平 阿部 輝 銀ゲンタ 鈴木真之介 髙橋英希
作/藤田貴大 演出/井上尊晶
美術/中越 司 照明/岩品武顕 音響/井上正弘 衣裳/紅林美帆 ヘアメイク/鎌田直樹 映像/召田実子 演出助手/塩原由香理 前原麻希 舞台監督/山田潤一
舞台監督助手/布田栄一 小池由里子 大畑豪次郎 須田雅子 齋藤亮介 ヘアメイク助手/岩田知世 田中順子 照明操作/菅沼翔太 小谷中直美 千坂 茜 石井大輔 田所輝一 音響操作/鹿野英之 奥山茂之 映像操作/小西 楓 大道具/金井大道具(宮崎惠一) 制作助手/飯嫁なな子
劇場舞台技術:八木 香 中村光成 堀田悠翔 市村嘉菜 伊能萌衣 齊藤 正 谷 肇 金子伸也 村松英利花
宣伝写真/蜷川実花 宣伝美術/柳沼博雅
協力/ニナガワカンパニ マームとジプシー オフィス新音 川口鑄物工業協同組合 河村鋳造所 スペース・ラボ パシフィックアートセンター ラッキースター
公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 理事長/竹内文則 専務理事/山本好志 エグゼクティブプロデューサー・事業部長/渡辺 弘 劇場部長/岩品武題 制作·営業担当グループリーダー/濟木 亨 営業/鶴貝典久 松井 哲 票券/本鄉充子 鈴木優子 制作/松野 創高木達也
主催・企画・製作 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
助成 文化厅文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会 文化庁 一般財団法人地域創造
外部作品
2019年10月11日-10月15日
〔埼玉〕2019年10月11日-10月15日/彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)
成田亜佑美 吉田聡子
構成・演出/藤田貴大
音響/竹内和弥(彩の国さいたま芸術劇場) 映像/召田実子 衣装/若林佐知子 ヘアメイク/赤間直幸( KoaHole ) 演出助手/小椋史子 猿渡 遥 山中慶子
映像操作/宮田真理子 照明操作/的場裕美 油井原成美
劇場舞台技術/彩の国さいたま芸術劇場技術スタッフ 衣装協力/trippen
協力/ニナガワカンパニー パシフィックアートセンター 福井花
制作/松野創 高木達也(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 理事長/竹内文則 専務理事/山本好志 エグゼクティブ・プロデューサー・事業部長/渡辺 弘 劇場部長/岩品武顕 制作・営業担当グループリーダー/濟木 亨 営業/鶴貝典久 松井 哲 票券/本郷充子 鈴木優子
企画制作 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー
主催 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
彩の国さいたま芸術劇場開館25周年記念
[参考文献] BGMはあたなまかせ(1982年、サンケイ出版) 千のナイフ、千の目(1993年、筑摩書房) 演出術(2002年、筑摩書房) 蜷川幸雄の稽古場から(2010年、ポプラ社) 演劇ほど面白いものはない非日常の世界へ (2012年、PHP研究所) 演劇の力(2013年、日本経済新聞出版社) 身体的物語論(2018年、徳間書店)
[写真提供(50音順・敬称略)] 愛知県芸術劇場 アクトシティ浜松 尼崎市総合文化センター アムステルダム市立劇場[アムステルダム] 岩手県民会館 上野学園ホール(広島県立文化芸術ホール) 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ[シンガポール] NPO法人アートネットワーク・ジャパン MBS LGアートセンター[ソウル] オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール) 沖縄コンベンションセンター KAAT神奈川芸術劇場 学校法人筑紫女学園 金沢歌劇座 川口総合文化センターリリア 北九州芸術劇場 近鉄アート館 彩の国さいたま芸術劇場 札幌市市民文化局文化部文化振興課 サンシャイン劇場 シアター・ロイヤル・ノッティンガム[ノッティンガム] シアター・ロイヤル・プリマス[プリマス] JMSアステールプラザ 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 静岡県護国神社 静岡市民文化会館 松竹株式会社 新宿区立新宿文化センター 世田谷パブリックシアター(撮影:細野晋司) 仙台銀行ホールイズミティ21(仙台市泉文化創造センター) 大本山増上寺 築地本願寺 TBS赤坂ACTシアター ディヴィッド・H・コーク劇場[ニューヨーク] 天王洲銀河劇場 東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館) 東京グローブ座 東京芸術劇場 東京文化会館 東宝株式会社 トークネットホール仙台(仙台市民会館) 所沢市民文化センターミューズ 鳥栖市民文化会館 とりぎん文化会館(鳥取県民文化会館)長久手市文化の家 長崎ブリックホール 中西紀恵 なら100年会館 日生劇場 ノルウェー国立劇場[オスロー] 花園神社 パリ日本文化会館[パリ] 姫路市文化センター 兵庫県立芸術文化センター 広島市文化交流会館広島文化学園HBGホール フェスティバルホール 藤田俊太郎 ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM) オペラハウス[ニューヨーク] Bunkamuraオーチャードホール Bunkamuraシアターコクーン ベイシア文化ホール(群馬県民会館) 北陸電力会館本多の森ホール 細野晋司 穂の国とよはし芸術劇場PLAT メディキット県民文化センター(宮崎県立芸術劇場) 森ノ宮ピロティホール やまぎんホール(山形県県民会館) YCC県民文化ホール(山梨県立県民文化ホール) ラブリーホール(河内長野市立文化会館) りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 レクザムホール(香川県県民ホール)
外部作品
2019年9月14日-9月15日
〔香川〕2019年9月14日-9月15日/四国学院大学ノトススタジオ
椙田航平 門田優花 小林明葉 田中まみ 大平峻世 川畑菜美 野久保弥恵 堀慎太郎 小﨑彰一 白井誠也 西原侑呂 三好樹里香
川崎ゆり子
構成・演出/藤田貴大 照明/藤本友惟 音響/長尾淳美 映像/召田実子 衣装/近藤勇樹 衣装助手/藤村佳澄 目黒眞子 演出部/北川叶未 髙橋祐菜 平石克昌 制作/稲垣真悠 川内桃子 山岡真大朗
協力 ノトスプロダクション シバイエンジン 阪本麻郁 仙石桂子 演劇コース制作部 SIPA
ノトススタジオ芸術監督/西村和宏
主催/四国学院大学
外部作品
2019年7月31日
〔京都〕2019年7月31日/春秋座(特設客席)
石川善朗 石田和子 石出茜音 上田てる葉 梅宮さおり 太田紀子 木之瀬雅貴 楠 海緒 桒原弘子 小原 藍 駒井彩乃 子安伸子 斉藤知子 佐藤拓道 島田幹大 高木啓斗 高谷清代美 高田晴菜 高見潤子 高柳寛子 田畔多實子 徳永愛子 仲野絵真 仲野静真 松坂かく 森川幸子 安田成穂 山田マリ 山村みどり
川崎ゆり子
構成・演出/藤田貴大
演出助手/猿渡 遥 福田香菜 舞台/原田香澄 照明/鈴木媛稀 大塚侑子 音響/田中脩揶 映像/召田実子 竹崎博人 宣伝美術/渡邊尚紀 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) 井原彩花
協力/2016年度「A-S」参加者有志 石田絵里香 四方いず美 四方みもり 谷川世奈 谷川あや子 中田貞代 西村瑞季 安田 晋
舞台芸術研究センター 制作/井出 亮 制作助手/後藤禎稀 河本 彩
技術監督/大田和司 舞台管理/三木智雅 照明管理/小山陽美 音響管理/才木美里
主催/京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 協力/合同会社マームとジプシー 助成/文化庁文化芸術振興費補助金 (劇場・音楽堂等機能強化推進事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会
外部作品
2019年7月13日-9月1日 全14会場
〔埼玉〕2019年7月13日-15日/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール 〔福岡〕2019年7月20 日/北九州芸術劇場 小劇場 〔沖縄〕2019年7月24 日/てんぶす那覇 ホール りっかりっか*フェスタ2019参加(沖縄公演) 〔京都〕2019年7月27 日/京都芸術劇場 春秋座 〔北海道〕2019年8月3日/富良野演劇工場(舞台上) 〔北海道〕2019年8月5日/あさひサンライズホール こだまホール(舞台上) 〔北海道〕2019年8月8日/だて歴史の杜カルチャーセンター 大ホール(舞台上) 〔北海道〕2019年8月10日/札幌文化芸術劇場 hitaru クリエイティブスタジオ 〔福岡〕2019年8月15 日/久留米シティプラザボックス 〔福岡〕2019年8月17 日/福岡市民会館 大ホール(舞台上) 〔熊本〕2019年8月20 日/熊本県立劇場 演劇ホール(舞台上) 〔埼玉〕2019年8月24 日/東松山市民文化センター ホール(舞台上) 〔東京〕2019年8月27 日/小金井 宮地楽器ホール 小ホール 〔東京〕2019年8月31 日-9月1日/東京芸術劇場 シアターイースト
本日は『めにみえない みみにしたい』公演にご来場いただき、誠にありがとうございます。
本作は、若い演劇人の中でもひと際注目を集める、マームとジプシーの藤田貴大さんによる子どもから大人まで楽しめる作品として、2018年4月に彩の国さいたま芸術劇場で初演されました。2年目となる今年は、さいたまを皮切りに、北海道から沖縄まで全国14都市での上演が実現しました。 原田郁子さんの音楽、suzukitakayukiの衣装に支えられながら、4人の俳優たちが演じる、森での不思議な出来事-。演劇ならではの生なまの魅力を存分に楽しみながら、子どもにとっては新しく、大人にとっては少し懐かしい、そんな時間を劇場でお過ごしいただければ幸いです。
最後になりましたが、本公演実現のためにご協力いただいた関係者の皆様に心より御礼を申しあげ、ご挨拶とさせていただきます。
主催者
伊野香織 川崎ゆり子 成田亜佑美 長谷川洋子
作・演出 /藤田貴大
音楽 /原田郁子 衣装 /suzuki takayaki 照明 /南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響 /竹内和弥(彩の国さいたま芸術劇場) 映像 /召田実子 ヘアメイク/大宝みゆき 舞台監督 /須田雅子(彩の国さいたま芸術劇場)
舞台監督助手/久保大輔 照明操作 /阿久津未歩(合同会社LICHT-ER)
運搬 /マイド 琉球通運
宣伝美術 /名久井直子 宣伝イラスト/ヒグチユウコ 宣伝写真/井上佐由紀 モデル(宣伝写真)/iori
協力(50音順) 飯塚なな子 さいたま市立与野西中学校 笹倉慎介 トロピカル LICHT-ER
制作 松野 創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
助成 <さいたま・富良野・士別・伊達・札幌 久留米・福岡・熊本・東松山> 一般社団法人全国モーターボート競走施行者協議会 一般財団法人地域創造 公共ホール演劇ネットワーク事業
<さいたま・北九州・那覇・京都・富良野 士別・伊達・札幌・久留米・福岡・熊本・東松山> 文化庁文化芸術振興費補助金 (劇場・音楽堂等機能強化推進事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会
企画制作 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー
主催 [さいたま] 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 [北九州] 公益財団法人北九州市芸術文化振興財団 [沖縄] 一般社団法人エーシーオー沖縄 [京都] 京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター [富良野] NPO法人ふらの演劇工房 [士別] ARCHあさひ [伊達] NPO法人伊達メセナ協会 [札幌] 公益財団法人北海道文化財団 札幌文化芸術劇場hitaru(札幌市芸術文化財団) [久留米] 久留米シティプラザ(久留米市) [福岡] 公益財団法人福岡市文化芸術振興財団 福岡市 [熊本] 公益財団法人熊本県立劇場 [東松山] 公益財団法人東松山文化まちづくり公社 [小金井] 小金井市民交流センター 指定管理者 こがねいしてぃ共同事業体 [池袋] 東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団) 東京都/アーツカウンシル東京 (公益財団法人東京都歴史文化財団)
マームとジプシー
コラボレーション
2019年6月25日-12月29日 全6会場
〔京都〕2019年6月25日/紫明会館 〔京都〕2019年6月26日-27日/恵文社一乗寺店 COTTAGE 〔三重〕2019年 6月28日/三重県文化会館 第2リハーサル室 〔長崎〕2019年 11月14日/長崎チトセピアホール 〔岩手〕2019年 12月25日/いわてアートサポートセンター風のスタジオ 〔東京〕2019年12月27日-29日/キチム
青柳いづみ
<日替わり出演者> 辻本達也(京都・三重) 尾野島慎太朗(長崎) 船津健太(岩手) 波佐谷 聡(東京/12月27日19:30の回) 近藤勇樹(東京/12月28日13:00の回) 斉藤 暉(東京/12月28日17:00の回) 中島広隆(東京/12月29日)
テキスト/穂村 弘 名久井直子 上演台本・演出/藤田貴大 映像/召田実子 照明(京都・三重)/佐々木 菫 映像オペレーター/小西 楓 宮田真理子 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) Other Member/辻 佳代
主催/合同会社マームとジプシー 助成/芸術文化振興基金
外部作品
2019年5月18日-6月2日 全3会場
〔埼玉〕2019年5月18日-26日 /彩の国さいたま芸術劇場大ホール 〔兵庫〕2019年5月29日/兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 〔豊橋〕2019年 6月1日-2日/穂の国とよはし芸術劇場プラット 主ホール
この町で。 なにを選ぶか。選ばないか。
どこかに。 光があたると、影ができる。
彼は言う。 「ただしさは、みえるか?」
柳楽優弥 井之脇 海 宮沢氷魚 青柳いづみ 菊池明明 佐々木美奈 石井亮介 尾野島慎太朗 中島広隆 辻本達也 波佐谷 聡 船津健太 山本直寛 内田健司(さいたまネクスト・シアター) 續木淳平(さいたまネクスト・シアター)
作・演出/藤田貴大
衣装/森永邦彦(アンリアレイジ) ヘアメイク/池田慎二( TeamIkeda ) 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER ) 音響/星野大輔(サウンドウィーズ) 映像/召田実子 擬闘/栗原直樹 舞台監督/大畑豪次郎
舞台部/森山香緒梨 丸山賢一 熊木 進 圓佛浩樹 照明部/江森由紀 菊池伸枝 音響部/今里 愛 野中祐里
衣装進行/若林佐知子 紅林美帆 ヘアメイク進行/古川昌子( TeamIkeda ) 衣装助手/佐藤杏奈 擬闘助手/西村 聡 大道具製作/金井大道具(花本 剛) 衣装製作/中西亜希子 赤見佳代 大高紀子 谷島冬美 近藤勇樹 運搬/マイド
彩の国さいたま芸術劇場技術スタッフ 機構操作/八木 香 野寺 誠 小池由里子 堀田悠翔 市村嘉菜 伊能萌衣 照明/菅沼翔太 大谷 護 小谷中直美 音響・映像/金子伸也 竹内和弥 鬼澤玲子 石部奈保子
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀 宣伝衣装/森永邦彦(アンリアレイジ) 宣伝ヘアメイク/池田慎二 宣伝映像/召田実子 撮影協力/デイ・ナイト 宣伝広報/る・ひまわり(金井智子)
制作/松野 創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)飯塚なな子
企画制作 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー
[埼玉公演]
主催/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
助成/文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・
[兵庫公演] 主催/兵庫県 兵庫県立芸術文化センター
[豊橋公演]
主催/公益財団法人豊橋文化振興財団
共催/豊橋市
助成/文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・
マームとジプシー
海外公演
2019年3月5日-7日
〔イタリア〕2019年3月5日-7日/Mila Pieralli Studio Theatre
荻原 綾 川崎ゆり子 成田亜佑美 波佐谷 聡 Andrea Falcone Giacomo Bogani Sara Fallani Camilla Bonacchi
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER ) 音響/星野大輔(サウンドウィーズ) 映像/召田実子 舞台監督/大畑豪次郎(彩の国さいたま芸術劇場)
ドキュメント/橋本倫史
制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) Luisa Zuffo 門田美和
主催/合同会社マームとジプシー Fondazione Fabbrica Europa FondazioneTeatro della Toscana Centro per la Sperimentazione e la Ricerca Teatrale
助成/平成31年度文化庁国際芸術交流支援事業 アーツカウンシル東京 公益財団法人セゾン文化財団
マームとジプシー
2019年2月9日-3月19日 全4会場
〔香川〕2019年2月9日-10日/四国学院大学ノトススタジオ 〔新潟〕2019年2月14日-16日/りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 スタジオA 〔福岡〕2019年3月15日-16日/イムズホール 〔熊本〕2019年3月18日-19日/早川倉庫
[ BEACH ] 石井亮介 川崎ゆり子 中村夏子 成田亜佑美 長谷川洋子 吉田聡子
[ BOOTS ] 石井亮介 荻原 綾 川崎ゆり子 中村夏子 成田亜佑美 長谷川洋子
作・演出/藤田貴大 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER ) 照明オペレート/平井奈菜子 映像/召田実子 舞台監督/原口佳子 舞台監督助手/北野ひかり
宣伝美術/ 名久井直子 宣伝写真/ 井上佐由紀
衣装協力/ Harriss HARRISSMENS メイク提供/THREE
制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
企画/trippen 合同会社マームとジプシー 主催/ [香川]四国学院大学 [新潟]公益財団法人新潟市芸術文化振興財団 [福岡]株式会社ランド [新潟・熊本]合同会社マームとジプシー 助成/ [香川]平成30年度大学における文化芸術推進事業 特別協力/[福岡]イムズ
マームとジプシー
〔東京〕2018年12月21日-29日/LUMINE0
BEACH
明け方の、ここはビーチ 空が白んできたくらいの うすい あわい 青色が きょうという日を、始めていく
CHAPTER 1/靴棚のなかのいくつかから、これを選んで。アスファルトに 熱が帯びていくのが、わかる はやく サイダーが飲みたい けれども もうすこしだけ我慢しよう
パラソルのした 色眼鏡の向こう ほんとうじゃない色 眠たいのはどうしてだろう 単調な波のリズムが、ここまで届いて
CHAPTER 3/現実をうやむやにして、持て余した時間を埋めるため。こうして 波を見つめていると 日々のいろんなことが どうでもよくなったりするのだろうか 日没のまえの、このかんじ
CHAPTER 4/桟橋のうえを、ふらふらと歩いていく。ビーチサンダルのことを フリップ・フロップス というらしい かかとのところが、パタパタする様子 音を あらわしている
外灯に照らされた 真夜中の、駐車場 一台だけ クルマが、停まっている あのなかに、だれかいるのだろうか
CHAPTER 6/ずっと向こうで、夏の花が音もなく揺れている。蝉の背中が割れるのも なので、透明な羽根も からだが色づいていくのも わたしは見たことがない 記憶にない
EPILOGUE /白く泡立った波打ち際を、裸足のまま。森から、どうしてか流れ着いた 流木のいくつか 何年も、何十年もかけて ここ このビーチに
BOOTS
そしてここは、森のなか どうしてか わたしは ここで だれかを 待っているのだった
季節は、おそらく冬だった 気温や 体温を 憶えているわけではない けれども、窓から射しこむひかりのかんじが
CHAPTER 2/みぎからひだりへ、まるで連続していく。そこには やっぱり速度が 速度が、伴っていたのだとおもう いつだって、わたしは だれよりも すこしうしろを
この部屋では 暖をとることができるのだけれど 凍えた ひとびとが かならずしも ここを、目指すわけではない
CHAPTER 4/足音はない。できれば、足跡も残さぬよう。鍵は いつからだろう ずっと、かけたままにしてある 箱のなかには、なにが はいっていたのだっけ
靴ひもを結んでいる時間は いつだって、視線は 手もとにあるけれど ほんとうは、ちがう場所のことを もしくは すこし先の未来のことを
CHAPTER 6/それは速いのか、遅いのか。いよいよ、残像だけが。こまかな部品が、組み合わさって できた このブーツならば では、じゃあ この世界は どういう風に、組み替えることが
かじかんだ この手を どこへ 添えようか たしかなのは わたしは現在 ブーツを履いている、ということ
2018年12月 21日-29日
[BOOTS] 石井亮介 荻原 綾 川崎ゆり子 中村夏子 成田亜佑美 長谷川洋子
[BEACH] 石井亮介 川崎ゆり子 中村夏子 成田亜佑美 長谷川洋子 吉田聡子
LUMINE0での公演期間中には2018年夏に発表したtrippenとの コラボレーションシリーズ「BEACH」も上演いたしました。
作・演出/藤田貴大 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER ) 照明オペレート/平井奈菜子 映像/召田実子 舞台監督/原口佳子
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/ 井上佐由紀 衣装協力/ Harriss HARRISSMENS メイク提供/THREE 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
企画/trippen 合同会社マームとジプシー 共催/株式会社ルミネ 主催/合同会社マームとジプシー
外部作品
2018年10月7日-11月24日 全5会場
〔東京〕2018年10月7日 -10月21日 /東京芸術劇場シアターイースト 〔上田〕2018年10月27日-10月28日/サントミューゼ 小ホール 〔三沢 〕2018年11月3日-11月4日/三沢市国際交流教育センター 〔札幌〕2018年11月7日-11月8日/札幌市教育文化会館 小ホール 〔フランス〕2018年11月21日-11月24日/パリ日本文化会館 (フェスティバル・ドートンヌ・パリ参加)
佐藤緋美 青柳いづみ 川崎ゆり子 佐々木美奈 召田実子 石井亮介 尾野島慎太朗 中島広隆 波佐谷 聡 辻本達也 船津健太 山本達久
<映像出演> 穂村 弘(歌人) 又吉直樹(芸人) 佐々木英明(詩人)
作/寺山修司 上演台本・演出/藤田貴大
衣裳/ミナ ペルホネン ヘアメイクデザイン/池田慎二( Team Ikeda ) ヘアメイク/赤間直幸( Team Ikeda ) 照明/南 香織(合同会社LIGHT-ER) 音響/星野大輔(サウンドウィーズ) 映像/召田実子 演出助手/小椋史子 舞台監督/森山香緒梨
イラストレーション/宇野亞喜良 宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀
スポット映像/宮所可奈(クリエイティブBe) 宣伝映像/松澤延拓 Web制作/伊藤 眸
照明部/阿久津未歩(合同会社LIGHT-ER) 音響部/今里 愛 横田和也 映像部/小西 楓 宮田真理子 演出部/丸山賢一 加藤 唯 衣裳部/若林佐知子
レコーディングエンジニア/Joe Talia 須藤俊明
制作/林 香菜(マームとジプシー) 制作進行/古閑詩織(マームとジプシー) 制作補助/福井 花
大道具製作/金井大道具 運搬/加藤運輸 稽古場/急な坂スタジオ 衣裳協力/コンバースフットウェア 協力/アノレ よしもとクリエイティブ・エージェンシー 辻 佳代
企画協力/テラヤマ・ワールド マームとジプシー 徳永京子 企画制作/東京芸術劇場 主催/東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都 /アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団) 助成/文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会 一般財団法人地域創造
もちろんぼくはその時代のことを身をもって知っているわけではないけれど、だけれど、想像してみたくなったのだった。演劇を、彼らはどういう風にして捉えていたのだろう、そして、彼らにとって路地とは?道ゆく人々を、特殊な窓をとおして見つめてみたときに思い浮かんだものがあったのだろう。時代から弾かれたひとたちはどこへ向かうのか。自分たちは、この国で、どうなのか。これでもかってくらい叩き込まれた敗北感と、それでもどうしたって納得がいかなかったこと。その両方をそのままのかたちで、つよい焦燥とともに、舞台に、路地に、現しつづけた彼らの姿を想像するに、ぼくはぼくらと無関係だとはおもわなかった。あのころの日本と現在の日本は、じゃあどうちがうのだろう。現在の、路地は?これはただの再現ではなく、現在の音と色と言葉が、これでもかってくらい練り込まれた、まったくあたらしい作品だとおもっている。しかし、あたらしいとは、なにを持って、あたらしいと云えるのか。あたらしい、というのは、じつは、もともとあるものがなくては、あたらしくないのではないか。もともとあった音を、色を、言葉を、切り刻んで、解体して。あたらしく、構築していく。現在として、構築していく。かつて、彼らがそうしたように、ぼくらも舞台のうえで、または路地で、さまざまなシーンをその場で、コラージュしていく。まさに、閃いたのは、色でいうと、銀色だった。銀世界に、音を、色を、言葉を置いていくイメージで。また、つくっていきたいと、おもっている。
コラボレーション
外部作品
2018年9月21日
〔東京〕2018年9月21日/WWW
演奏 石橋英子 ジム・オルーク ジョー・タリア 須藤俊明 波多野敦子 山本達久
出演 成田亜佑美
音楽/石橋英子 演出/藤田貴大 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER ) 映像/召田実子 音響/武田雅典
ひび
2018年9月7日-9日
〔神奈川〕2018年9月7日-9日/The CAVE
「人は魚に憧れてはいけないのか」森崎 花 瞼のない"魚"に憧れる少女、海の若者がいつか見た"あの景色"
卵から魚へ、鳥へそして私たちは── では、魚に憧れることは何を目指しているのか──
「レモンティーがおいしくなる前に」渡辺ひとみ わたしが1歳になった時、 お母さんがくれた「うさこちゃん」というぬいぐるみがあります。 みんなにこの話をすると、おなじように、 幼いころから一緒だというぬいぐるみたちがありました。
これは、わたしたちの、ここまでの時間と、 それをともにしてきた大切なものたちについて
「最終電車」的場裕美 最終電車がくるぎりぎりまで、 あなたとたわいもない話をしたり ひとりでどこかに行ってしまおうかと迷ったり
そんないつかのひびの話。
「鳴かずば」山林真紀子 昔話について考えてみた。 ひと言で昔話と言うけれど、物語は語り継がれ、 ひとびとは物語の中で生き続けている。時代を超えて生き続けること。 幾度となく再生される物語は、ただの繰り返しなのだろうか。 彼らはどこに向かって歩いていくのだろう。 そのどこか、に救いがあればいいなと思う。
「青い時間」宮田真理子 まるでとまったまま、けれどながれている、 今もどこかで、続いている ぎょうざのおじいちゃんと、おやまのおばあちゃんのこと
「世界の料理を食べる会」小川沙希 わたしたちは、きょうも世界の料理を食べる。 こうやって、わたしたちは、ここに居ながらにして、世界を旅する。 回り続ける円卓をみて、思い出すのは、彼女が転校生だったこと、 そして、きょうもまた、ここではない、どこかに、旅すること。
「あたらしい、ひび」藤田貴大 東京で暮らしている六人は、アルバイトをしながら生活をしていた。 あることがきっかけで、ひとりは地元にもどって、六人は五人になった。 けれども、それぞれの日々はなにも変わらず、 ただ時間は進んでいくのだった。
exhibition「窓」渡邊由佳梨 屋根の上に橙色のらっぱの花が咲いている、 ちりとりの蓋がひらく音とほうきの音がよるになると聞こえてくる。
朝になるとまたすこしだけ橙色の落ちた道を とおってゆくひとたちをここから見送って、 迷子になった生き物が鼻を鳴らすような声が聞こえると夕方がちかくて、 あとはただしずかな足音と橙色を片付ける音だけを カーテンの向こうでみている。
「人は魚に憧れてはいけないのか」 乾真裕子 太田順子 櫻井碧夏 豊川弘恵 中村夏子
「レモンティーがおいしくなる前に」 小川沙希 小川ごま 小西 楓 小西ひつじ 猿渡 遥 猿渡くま 宮田真理子 森崎 花 森崎ぱお 渡辺ひとみ 渡辺うさこ
「最終電車」 佐々木美奈 南風盛もえ 山林真紀子
「鳴かずば」 太田順子 櫻井碧夏 猿渡 遥 的場裕美
「青い時間」 乾真裕子 小西 楓 櫻井碧夏 豊川弘恵 中村夏子 山林真紀子 /佐野明日奈(映像出演)
「世界の料理を食べる会」 伊藤 眸 小西 楓 櫻井碧夏 佐々木美奈 南風盛もえ
「あたらしい、ひび」 ひび
「人は魚に憧れてはいけないのか」作・演出/森崎花 「レモンティーがおいしくなる前に」作・演出/渡辺ひとみ 「最終電車」作・演出/的場裕美 「鳴かずば」作・演出/山林真紀子 「青い時間」作・演出/ 宮田真理子 「世界の料理を食べる会」作・演出/小川沙希 「あたらしい、ひび」作・演出/藤田貴大
Other Member 梅崎彩世 近藤勇樹 高橋明日香 難波 有
主催・企画制作/マームとジプシー ひび
マームとジプシー
コラボレーション
2018年8月24日-9月2日
〔東京〕2018年8月24日-9月2日/VACANT
長谷川洋子 吉田聡子 川崎ゆり子 中村夏子 成田亜佑美 石井亮介
作・演出/藤田貴大 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 照明オペレート/齋藤 暉 佐々木 菫 油井原成美 映像/召田実子 舞台監督/原口佳子
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀
メイク提供/THREE 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) 協力/VACANT
企画/trippen 合同会社マームとジプシー
外部作品
2018年8月5日
〔新潟〕2018年8月5日/万代島多目的広場(屋外広場)
川崎ゆり子 猿渡 遥 ワークショップ参加者
作・演出/藤田貴大 衣装/近藤勇樹
主催/水と土の芸術祭2018実行委員会
外部作品
2018年7月16日-26日
〔東京〕2018年7月16日-26日/東京芸術劇場 プレイハウス
終わりのないはなしを、 なるべく言葉をいそがないように、 曖昧さを、おおく残しながら。
全体が滞りなく動きつづける、 まるで生命をつくるかんじで。 いま見えているものは、 じつはすべてではなくて。 むしろほとんどのものは、 見えていないのだった。 偶然、この場所に、 居合わすことができたひと。 つまり、この上演に、 立ち会うことができたひと。 しかし、この場所にきょうも、 ひとが集まったということは。 この場所に、いないひと。 この場所のことを、知ることもないひと。 この世界は動いている。 目に見えていることよりも、 どうやら、 見えていないことのほうが、 おおいということを知ったとき。 自分がつくるものは、 どこまで届くのか。 不安になったし、同時に、 諦めたくなかった。 動きつづける世界を。 おもわぬ方向へ、 転落していきそうな、 この世界を。どうしたら。 どうしたら、肯定できるか。 見えていないことのほうが、 おおいように。 ここにいないひとのほうが、 おおいことを。 こうして、知ってしまった。 幼いころ。 この場所には、 すなわち、劇場には、 すべてのことが詰まっていると、 信じて疑わなかった。 けれども、知ってしまった。 この場所に、劇場に。 無いものもあるのだ、と。 むしろ、 ここにないものたちによって。 世界は、 動かされているのかもしれない。 終わりのないはなしを、 なるべく言葉をいそがないように、 曖昧さを、おおく残しながら。 全体が滞りなく動きつづける、 まるで生命をつくるかんじで。 どこまで届くだろう。 どこまで飛べるだろう。 客席から見つめている。 舞台から見つめている。 何百。何千。 何万という、まなざしは。 もしくは、 ひとりっきりのまなざしは。 ひとりぼっちのまなざし。 どこまで届くだろう。 どこまで飛べるだろう。 肯定できるか。 生きながら、死にたくない。 それだけのこと。 生きてるあいだは、生きていたい。 現在。 記憶。 劇場。 漕ぎつづけていきたい。 名前のない世界へ向かって。2018.7.8 藤田貴大
宮沢氷魚 青柳いづみ 豊田エリー 川崎ゆり子 佐々木美奈 長谷川洋子 石井亮介 尾野島慎太朗 辻本達也 中島広隆 波佐谷 聡 船津健太 山本直寛 中嶋朋子
作・演出/藤田貴大 照明/富山貴之 音響/田鹿 充 映像/召田実子 衣裳/suzuki takayuki ヘアメイク/大宝みゆき 演出助手/山崎絵里佳 森崎 花 舞台監督/森山香緒梨
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀 スポット映像/松澤延拓 撮影協力/与那覇政之 大竹正悟 webインタビュー/川添史子 web制作/伊藤 眸
ヘアメイク部/aya watanabe 照明部/江森由紀 安江和希(ACoRD) 音響部/八城浩幸(artical-inc) 映像部/小西 楓 宮田真理子 演出部/加藤 唯 熊木 進 松本ゆい 丸山賢一 衣装部/若林佐知子
企画制作/東京芸術劇場 合同会社マームとジプシー 主催/東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団) 東京都 アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
外部作品
2018年4月29日-5月13日 全2会場
〔埼玉〕2018年4月29日-5月6日/ 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール 〔埼玉〕2018年5月12日-13日/ 吉川市民交流センターおあしす 多目的ホール
なにに触れても、それがほんとうなのかどうなのかわからなかった、あのころ。実像のないほんとうを追って、夜を、森を、旅していた。みんなが寝静まった夜、みつめていた天井。あたまのなかで、森をつくる。あの森を何度でも歩いて、自分とはなんなのか、探していた。いつしか、夜も、森も、自分のなかに現れなくなった。それはなぜだろう。具体的なもので溢れて、こういうかたちになり果ててしまった世界を、ほんとうだとおもいこんでしまったのだろうか。失われたものがあるとしたら、なにもかもが無限に広がっていた、あの風景。取り戻すことはできないかもしれない。やはり時間は、まえへすすんでいる。なので、あらためて、ここで、この場所で、夜という時間を、森という空間をつくってみたときに、自分はそこでなにと出会うのだろう。そう、期待しながら。
2018.4.19 藤田貴大
伊野香織 川崎ゆり子 成田亜佑美 長谷川洋子
作・演出/藤田貴大 音楽/原田郁子 衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 映像/召田実子 舞台監督/須田雅子(彩の国さいたま芸術劇場)
舞台監督助手/松下城支 レコーディングエンジニア/笹倉慎介
彩の国さいたま芸術劇場技術スタッフ 舞台部/圓佛浩樹 市村嘉菜 八木 香 照明部/菅沼翔太 阿部清二 小谷中直美 音響部/竹内和弥 鬼澤玲子 佐々木寛忠
宣伝美術/名久井直子 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)森崎 花 松野 創(彩の国さいたま芸術劇場)
外部作品
2018年3月24日-31日 全2会場
〔福島〕2018年3月24日-25日/白河文化交流館コミネス 大ホール 〔東京〕2018年3月29日-31日/東京芸術劇場 シアターイースト
ふくしまの中学生・高校生
作・演出/藤田貴大 音楽/大友良英 振付/酒井幸菜 写真・映像/石川直樹 衣装/suzuki takayuki
監修/平田オリザ 記録映像/高見沢功
舞台監督/熊木 進 音響/近藤祥昭(Gok Sound) 照明/富山貴之 映像/召田実子 衣装部/suzuki takayaki アシスタント/伊野香織 成田亜佑美 渡辺ひとみ
制作/有馬恵子 林 香菜(マームとジプシー)渡邊由佳梨 音響部/馬場友美 荻野創太 宣伝美術/佐々木 暁 音楽補佐/石川奎一郎(Gt)千﨑 玲(Dr) 舞台美術協力/福島県いわき総合高等学校
主催/福島県 共催/[東京]東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
コラボレーション
2018年1月31日−3月11日 全11会場
〔東京〕2018年1月31日-3日/WWW 〔宮城〕2018年2月6日/塩竈市杉村惇美術館 大講堂 〔長野〕2018年2月10日/まつもと市民芸術館 小ホール 〔福島〕2018年2月12日/LIVE STAGE PEAK ACTION 〔北海道〕2018年2月15日-16日/PROVO 〔神奈川〕2018年2月20日-21日/横浜市開港記念会館 講堂 〔山口〕2018年2月25日/山口情報芸術センター スタジオA 〔大阪〕2018年2月28日- 3月1日/味園ユニバース 〔熊本〕2018年3月4日/早川倉庫 〔沖縄〕2018年3月7日/水円 3月10日-11日/アトリエ銘苅ベース
起きてるとき以外は完全に眠っていたい 眠ってるとき以外は完全に起きていたい 四月だいすきな四月だった四月 四月もわたしを わたしも四月を みていた四月
悲しいことなんて何もないのに 悲しくなることなんてもう何もないのに 封筒に宛名書き、悲しい 直線がたくさんあって、悲しい 金色の産毛、まばたき、悲しい分厚い本も悲しいし、青柳いづみ
テキスト 川上未映子 「先端で、さすわさされるわそらええわ」 「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」 「夜の目硝子」「戦争花嫁」「治療、家の名はコスモス」 「冬の扉」「水瓶」「まえのひ」など
演出/藤田貴大
衣装/ 「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」ヒグチユウコ 「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」ANREALAGE 「戦争花嫁」suzuki takayuki 「治療、家の名はコスモス」overlace 「冬の扉」malamute 「水瓶」「夜の目硝子」l i r o t o
舞台監督/熊木 進 演出部/石井亮介 中島広隆 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/田鹿 充(東京 横浜 山口 大阪) 星野大輔(宮城 松本 福島 札幌 沖縄/サウンドウィーズ) 映像/召田実子 衣装部/若林佐知子 映像協力/ホンマタカシ 衣装協力/CASUCA
舞台協力 (大阪公演)/studio seedbox
宣伝美術/名久井直子 チラシイラスト/ヒグチユウコ キュメント「手紙」/橋本倫史
制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) 乾真裕子 梅崎彩世
主催/[横浜]NPO法人アートプラットフォーム(急な坂スタジオ) [山口]山口市文化振興財団
共催/[松本]一般財団法人松本市芸術文化振興財団 [横浜]横浜市文化観光局
助成/芸術文化振興基金 企画製作・主催/合同会社マームとジプシー
コラボレーション
2017年12月16日-24日
〔東京〕2017年12月16日-24日/VACANT
「あの日の午後」
四月のことだったとおもう。穂村さんといっしょに丘の上の公園でおにぎりを食べたあとに、ゆでたまごの殻を剥いていたとき、彼がぽつぽつ話し始めたのだった。普段なら、ぼくが質問したことに彼が答えるみたいなかんじでぼくらの会話というのは成立していたとおもっていたのだけれど、この日は違っていて、彼から話し始めた。彼の、お父さんのはなしだった。お母さんとのはなしは、以前にいろいろ聞いたことがあったけれど、お父さんのはなしは、あんまり聞いたことがなかったことに、このとき気がついた。彼のお父さんはこれまでマームとジプシーの公演を数回、観に来てくれていて、ぼくもその回数だけ挨拶をしたことがあった。もちろんくわしく、どういう人物なのか、だなんて知るわけもなかったわけだが、しかし、彼から話し始めた、そのはなしを聞いていくと、どんな人物なのか、徐々に興味が出てきたのだった。そして、それ以上に、彼はどうして、しかも、ゆでたまごの殻を剥いている最中に、ああいう表情で話し始めたのだろう。ぼくはなんにも質問していないのに。とても気になった。たまに、彼の目の奥は光る。ほんとうに光る。あのときも、光っていた。なにかあるのだろうとおもった。ゆでたまごを食べ終えて、丘の上の公園から、坂を下っていくときも、彼はお父さんのはなしをつづけた。はじめてマームとジプシーの作品を観たとき、俳優がおんなじ台詞を繰り返し発語したのを聞いて、なにかの間違いだとおもったらしい、とか。じつは株をしていた、とか。話しつづける彼の横顔は、それまで見たことのないような様子で、ぼくはすこし圧倒されていたのと同時に、このはなしの内容というより、彼のこのかんじを、冬に予定している共作で扱えないか、とかんがえはじめた。とうぜん、さかのぼるのだろうな、とおもった。彼は、父親を通して、自分がまだ生まれてもいなかった、ずっとまえのことにまで、手を伸ばそうとしているのかもしれない、と勝手ながらおもったから。あの日の午後に。青柳いづみ
藤田貴大 穂村 弘 名久井直子 協力/辻 聡 橋本倫史
マームとジプシー
2017年10月17日-22日
〔埼玉〕2017年10月17日-22日/彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)
「IL MIO TEMPO」への年月
初夏から晩夏へかけておこなったツアーが終わって、その数日後に、イタリアのみんなが、今年も日本に到着して、さっそくリハーサルが始まった。彼らと過ごしていると、いつにもまして、またたくまに、時間が過ぎ去っていってしまう感覚があって、それはなぜだろうとかんがえてみるけれど、具体的にはなんでなのかはわからない。ただ言えるのは、マームとジプシーに「いつもどおり」というものがあるとしたなら、彼らとつくる時間は、あきらかに、「いつもどおり」とはちがうものだとおもっている(そしてこれもこれで、まぎれもなく、マームとジプシーだとおもっている)。もしくは、あたらしい言葉をつくっているような気もする。しかもそれは、言葉であり、音でもあって、空間にはそれらが散りばめられている。彼らと過ごしていると、「いつもどおり」のマームとジプシーではつかうことのない感覚を張り巡らせているのがわかる。だからか、いつにもまして、いや、いつもとちがう速度で、この日々が過ぎ去っていくのをかんじてしまうのかもしれない。
すこしここまでのことを思い出してみようとおもう。
イタリアのみんなと、そして日本人の俳優たちと、数年間にわたって、この作品に取り組んできたわけだけれど、その経緯のことを。
***
2013年、マームとジプシーは、イタリアのフィレンツェにて、はじめての海外公演をおこなった。そのときに、Fabbrica Europaというフェスティバルのディレクターと「いつかイタリア人の俳優と仕事がしたい」というはなしをした。
それが、IL MIO TEMPOの始まりだった。
そういえば、このときに上演した『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』を、IL MIO TEMPOに出演することになるアンドレアは観にきてくれて、熱心に感想を伝えてくれたのを憶えている。たしか、故郷からフィレンツェへ出てきたときのことを話していたとおもう。
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2014年、マームとジプシーは、ボスニア、そして、イタリアの四都市を巡るツアーを、一ヶ月半かけて、おこなった。
そのすべての土地で、現地の俳優へ向けて、ワークショップをしてほしいと、これもまたFabbrica Europaのディレクターにオーダーされて、公演の合間にそれを実施した。
そこで出会ったのが、IL MIO TEMPOに出演する、アンドレア、ジャコモ、サラ、カミッラの4人。100人くらいのイタリアの俳優を見たのだけれど、帰国したあとに振り返ってみて、印象にのこっていることはもちろん、ぼくの作品に馴染んでいけそうだし、日本ではできないことに手を伸ばせるかどうかかんがえてみたときに、すんなり名前がでてきたのが、この4人だった。ぐうぜん、4人ともフィレンツェに住んでいて、年齢も、ぼくに近かった。
サラとカミッラ、ジャコモは、この年にマームとジプシーの作品(昨年にひきつづき『てんとてん~』)を、ポンテデーラにて、観てくれて、終演後のそれぞれの表情が焼きついていたのもあった。
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2015年、イタリアのポンテデーラにて、三週間、劇場に泊まりこんで、IL MIO TEMPOをつくりはじめた。日本から、成田亜佑美、波佐谷聡、川崎ゆり子、荻原綾の4人。それとイタリアで出会った4人と。まずは俳優にたいして、インタビューをおこなうところから立ち上げていった。
インタビューと並行して、それに基づくシーンを、とにかく大量につくっていって、その断片を、ホテルというシチュエーションに当てはめていくという作業。
ホテルという場所、および、そこに流れる時間と、演劇における上演時間、すなわち、観劇しに劇場へ足を運んで、終演後に劇場から去っていく、みたいなことをつなげてかんがえていたのだとおもう。そのことを、わたしの時間=IL MIO TEMPOと名付けてみるのはどうか、とタイトルをつけた。
具体的にリハーサルというかたちで始めたのは、これが初めて、ということもあり、いろんなハプニングはあったけれど、ほとんど眠らずに劇場に寝泊まり?したのもたのしかったし、なにより、イタリアのみんなが優しくて(ひとが優しいだなんて、あんまりおもったことがなかったことにも気づいた)、誰かが具合悪くなったら、花とか買ってくるほど優しくて(あんなに自然に、ひとがひとに花を渡せるんだと驚いた)、そういうひとつひとつはいつまでも忘れないとおもう、とおもえた。
***
2016年、彩の国さいたま芸術劇場にて、こんどはイタリアのみんなに日本に来てもらうということで、IL MIO TEMPOのリハーサルをおこなった。
さいごの何日間かは、ワークインプログレスというかたちで、本公演へ向けて、できている断片を、ぼくが話すことも交えつつ、発表した。
この年も、さまざまな行き違いによるハプニングの連続で、予算の問題、リハーサル期間が縮小したり、大変なことはたくさんあったけれど、再度確認できたことは、たしかなものだった。
というのは、これはぼくだけがおもっていることではないとおもうのだけれど、どうしてもリハーサルの一年目としては、イタリアと日本、ということで分かれてしまっていた部分が、ここで溶けあってきたかんじがあったとおもう。
そして同時に、イタリアの俳優と仕事ができていることが特別なのではなくて、この4人と出会って、つくっていることが特別なことであって、しかもそれが、IL MIO TEMPOなのだな、とゆっくりかんがえることができた。それは、どうにかかたちにしなくては、ともがいていた一年目とはまるでちがう取り組みだったようにおもう。
誰かを見送ったりとかは普段しないし、どちらかといえば、見送られるほうがおおい気がするけれど、飛行場へ、ふたたびイタリアへ帰るみんなを見送った。
一時的な時間を過ごしたあとに、見送る、見送られるという瞬間を迎える様子は、まるでホテルのようだと、重ねたりもした。
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そして、今年、2017年、
はじめて、公演というかたちで、「IL MIO TEMPO」を発表する。
こうして振り返ってみると、ぼく個人の流れのなかでは、五年という年月をかけて、手がけている作品で、できあがっていく様子の、一瞬一瞬を、すべて特別な時間だとおもって、目を凝らしながら、ながい時間をかけてかんがえた。
あたらしい言葉、そして、音が立ち上がろうとしている様子が目のまえにひろがっているのがうれしくて。また、これも過ぎ去っていくのだろうけれど、現在という時間に、ひとりひとりが集ったわけだから、また見送るまでのことを、かんがえつづけたい。
そうか、書いていて気づいたのは、見送る仕事をしているとも言えるのかもしれない、劇場にて。
2017.10.2 早朝 藤田貴大
荻原 綾 川崎ゆり子 成田亜佑美 波佐谷 聡 Andrea Falcone Giacomo Bogani Sara Fallani Camilla Bonacchi
照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 衣装/suzuki takayuki 映像/召田実子 舞台監督/熊木 進
宣伝ヴィジュアル/名久井直子 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) Other member/ 森崎花
主催/合同会社マームとジプシー 助成/文化庁
外部作品
2017年8月27日
〔北海道〕2017年8月27日/札幌コンサートホール Kitara
さっぽろコレクティブ
コンダクター/大友良英 演出協力/藤田貴大 プログラム・ディレクター/有馬恵子
マームとジプシー
2017年7月21日-9月10日 全3会場
〔埼玉〕2017年7月21日-22日/ 28日/ 29日/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール 〔北海道〕2017年8月19日/札幌市教育文化会館 大ホール特設ステージ 〔愛知〕2017年9月10日/穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
この旅を終えたあと、ぼくらはなにを想うだろう
2017.4.16 藤田貴大
おもえば、いつだって夜だった、たとえ朝がやってきたとしても、 それは時間がそうさせているだけであって、 夜であることに変わりはなかった。 たまに笑ったのだとしても、それは夜に笑ったにすぎない。 そうだ、夜だった、と我にかえって表情を失くすのだった。 さいきん、ますます夜は暗闇を増すばかり、 どうしたらこの暗闇から抜けることができるだろうか、 なんてかんがえるだけ無駄かもしれない、もはや。 だけれど、ひとは、どういうわけか、 夜明けを目指す、ということも知っているから、 だからなのだろう、ものを書くようになってから、ずっと、夜のこと。 つまり同時に、夜明けのことを、夢見るようにして、描いてきた。 あの静かな水辺のほとりにて、止まってしまっている時間がある。 駅にて、いまでも誰かを待っているひとがいる。 きょうも、この町から、この世界から、ひとがいなくなった。 祈っているのだとおもう、変わってほしい、と。 きのうときょうがちがったように、では、あしたは? やがて訪れる、ほんとうの朝を待っている。 無駄かもしれないし、完璧なんてあり得ないのもわかっている。 それでも待っている。死ぬまで待っている。 だから描いている、夜のこと。朝のこと。 果てるまで、描くのだとおもう。
2017.7.6 藤田貴大石井亮介 伊野香織 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 中島広隆 成田亜佑美 波佐谷 聡 長谷川洋子 船津健太 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/田鹿 充 映像/召田実子 舞台監督/森山香緒梨
演出部/加藤 唯 熊木 進 丸山賢一 照明部/阿久津未歩(合同会社LICHT-ER) 音響部/八城浩幸(株式会社 article) 衣装部/荻原 綾 演出アシスタント/小椋史子 大道具製作/金井大道具
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/細野晋司 インタビュー(特設サイト内)/橋本倫史 制作/松野創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) Other Member/小西 楓 佐々木美奈 猿渡 遥 辻本達也 豊川弘恵 若林佐知子 渡辺ひとみ
企画制作/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー 企画制作/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
マームとジプシー
〔埼玉〕2017年7月15日-9月17日 全6会場
〔埼玉〕2017年7月15日-17日/ 27日/29日/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール 〔長野〕2017年8月5日-6日/サントミューゼ 上田市交流文化芸術センター 大スタジオ 〔北海道〕2017年8月19日/札幌市教育文化会館 大ホール特設ステージ 〔福岡〕2017年9月2日-3日/北九州芸術劇場 小劇場 〔愛知〕2017年9月9日/穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース 〔兵庫〕2017年9月16日-17日/AI・HALL 伊丹市立演劇ホール
この旅を終えたあと、ぼくらはなにを想うだろう
2017.4.16 藤田貴大三年前にこの作品は一度、 故郷の北海道伊達市で、終わりを迎えたはずだった。 だけれどまたこうして取り組んでいるのは、この三年間で家という生命体そのものが、 現在という時間のなかでどう在ればよいのか、という問題が自分のなかで、 まるで変わってしまって、膨らみつづけていたからだろう。 現在という時間は想像できているだろうか。 あのころの食卓のこと。ひとりひとりの表情を。 家という生命体の内臓は、そこに住む家族だけではなくて、 そこにいたはずのひと、そこを通りすぎただけのひと、 そこに関わったすべてのひとたちの記憶だし、 そこで過ごした日々のことを思い出す、 その記憶器官における繰り返しも含まれている。 現在だからこそ、繰り返し思い出して、 扱わなくてはいけない気がしたのは、なんでだろう。 どうやらすぐそこまできてしまっていることがあるとして、 それによるこの不安は、なんなのだろう。 こんなにも繰り返し、思い出されることがあるのに、やがて老いて、 忘れてしまうかもしれない、あの家のことを想った。 ここに立ち帰って、また始めたいと想った。
2017.6.29 藤田貴大石井亮介 荻原 綾 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 斎藤章子 中島広隆 成田亜佑美 波佐谷 聡 長谷川洋子 船津健太 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 音楽/石橋英子
衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/田鹿 充 映像/召田実子 演出アシスタント/小椋史子 舞台監督/森山香緒梨
演出部/加藤 唯 熊木 進 丸山賢一 照明部/阿久津未歩(合同会社LICHT-ER) 音響部/八城浩幸(株式会社article) 衣装部/伊野香織 大道具製作/金井大道具
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/橋本倫史 インタビュー(特設サイト内)/橋本倫史 制作/松野 創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
Other Member/小西 楓 佐々木美奈 猿渡 遥 辻本達也 豊川弘恵 若林佐知子 渡辺ひとみ
企画制作/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー 主催/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
外部作品
2017年7月27日-30日
〔埼玉〕2017年7月27日-30日/彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)
本日は、藤田貴大ワークショップ公演Vol.2『ハロースクール、バイバイ』にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。
彩の国さいたま芸術劇場では、藤田貴大さんとともに地域の人々との演劇作品を創作しています。まずは2016年、20代から70代までの公募による25名で『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景』を上演致しました。続く本年は、埼玉県内在住の中学生から20歳までの12名の出演者とともに、「マームとジプシー」で2010年に発表し高く評価された『ハロースクール、バイバイ』をさいたまバージョンにリニューアルして創作に挑みました。
3ヶ月間、出演者ひとりひとりと向かい合い、丁寧な作業を積み重ねて生み出された“青春群像劇”にどうぞご期待ください。
最後になりましたが、本公演実現のためにご協力いただいた関係者の皆様に心より御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 理事長 竹内文則
とおくからみつめていたあのころは、もちろん自分が何者なのか、まだわからなかった。
演劇とかいう、なんなのかわからないし、周りにもうまく説明できない「謎のなにか」に一生懸命になっていたわけだから、クラスのなかでもたぶん圧倒的に浮いていたし、たとえばクラスのみんなが季節について、熱く語っているわけだけれど、その季節がみんなにとって、なにを意味するのか。わかっているつもりだけれど、根本的なところでは、つながる部分はなくて、やっぱり季節のことすらわかることができないのだ、とおもっていた。
とおくからきこえてくるあの声たち、なにがくやしくて、なにがうれしいのか。それだってわからなかった。あのころの演劇(いまの演劇とはすこしちがう)に、勝敗なんてなかったし、勝ったことも負けたこともなかったから、やっぱりわからない。わからないけれど、ただすこしだけわかることがあった。出会ったり、別れたり、ってやっぱりさみしいよね、みたいなこと。
涙をぬぐいながら、校舎に帰ってくる女子たちを、とおくからみつめていた。あれは負けたから、というだけではないのだとおもう。きっとあれは、そういう季節だったから、季節とはそうか、このことで、季節が彼女たちをそうさせているのか、みんなが語っていた季節のこと、若干だけれど、理解が増したのかもしれなかった、あの瞬間。同時に、たしかにざわついた奥底の感触があった。
あのざわつきはぼくにとって大切な「謎のなにか」と無関係ではなくて。つまりあの日のあの光景は、ぼくにとっては演劇だった。
いまもこうして、ここで出会ったみんなと、あのころの光景を重ねながら、演劇をつくっている。
夏が始まる季節だったのを憶えている。
2016.6.30 藤田貴大
宇田奈々絵 小島優衣 斉藤 暉 西原ひよ 坂井和美 佐久間文子 鶴井美羽 富田夏生 福田真由子 藤井さくら 森田渉吾 山崎和子
作・演出/藤田貴大 演出アシスタント/伊野香織 企画制作/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー 主催/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
マームとジプシー
2017年7月23日-9月13日 全5会場
〔埼玉〕2017年7月23日/ 24日/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール 〔長野〕2017年8月3日/サントミューゼ 上田市交流文化芸術センター 多目的ルーム 〔北海道〕2017年8月16日/札幌市教育文化会館 リハーサル室A 〔愛知〕2017年9月9日/穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース 〔兵庫〕2017年9月13日/AI・HALL 伊丹市立演劇ホール
この旅を終えたあと、ぼくらはなにを想うだろう
2017.4.16 藤田貴大
なんかわからないけど、ここ数年、たえまなく、 この作品と向き合ってきた気がするけれど、 なんでこの作業を選んできたかというのは、自分にとっても、まったくに不思議なことだ。 でもどうしてだろう、なにがしたい?と問われると、 あっこのはなし。と答えてきたのだった。 それはなんでだろう、あんまりかんがえて答えていないようにもおもうけれど、 でも直感として、この作業をしていなくてはいけない、と自分に課している部分もある。 30 代という時間をどうしたら生きていけるのか、なにをかんがえながら? あっこのはなしでつくっているトーンがなければ、ほかの作品も成りたたない。 ここで描かれているのは紛れもなく「現在」の自分であって、 「あのころ」の自分ではない。 「現在」と「あのころ」はつねに引っ張りあって、お互いを成立させている。 「現在」という時間のなかで、未来のイメージを膨らませながら、 同い年のあっこと並走していく、この作業。 この先もつづけていきたい、はやく続編をつくりたい、とおもうのは、 「現在」というものは、おもっていたよりずいぶんはやく、 未来へ向かっていて、そしてそのことにぼくは焦りをかんじているのだとおもう、 あっこのはなしという装置で、その速度にダイヤルを合わせて、まだ見ぬ未来に備えている。 「現在」を踏まえながら、備えている。
2017.7.4 藤田貴大石井亮介 伊野香織 小椋史子 斎藤章子 中島広隆 船津健太
作・演出/藤田貴大 音楽/UNAGICICA
照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/田鹿 充 映像/召田実子 衣装/荻原 綾 舞台監督/森山香緒梨
演出部/加藤 唯 熊木 進 丸山賢一 照明部/阿久津未歩(合同会社LICHT-ER) 音響部/八城浩幸(株式会社article)
宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/橋本倫史 インタビュー(特設サイト内)/橋本倫史 制作/松野 創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
Other Member/小西 楓 佐々木美奈 猿渡 遥 辻本達也 豊川弘恵 若林佐知子 渡辺ひとみ
企画制作/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー 主催/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
マームとジプシー
2017年7月7-9月8日 全4会場
〔埼玉〕2017年7月7日-9日・26日・30日/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール 〔北海道〕2017年8月20日/札幌市教育文化会館 大ホール特設ステージ 〔福岡〕2017年9月2日/北九州芸術劇場 小劇場 〔愛知〕2017年9月8日/穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
この旅を終えたあと、ぼくらはなにを想うだろう
2017.4.16 藤田貴大
じっさいにその作業をするのにかかる時間をつなぎあわせて、どういうヒカリを暗闇のなかにいれて、物事を、風景をみつめていたか、ということをあらためて取り組んでみてかんがえた。 おそらく、みえているものすべてが本物ではないことは、幼いころからわかっていた。では、本物はどこにあるのだろうか。右眼を塞いで、左眼だけで遠くのほうをみつめながら、そんなことを想っていた。ぼやけた画面のなかに、本物はあるのだろうか。しかも、自分のなかに埋めこまれているカメラだけが、カメラではない。町は、多種多様な複数のカメラによって構成されている。人間だけではないかもしれない。人間以外の動物からみる、物事は、風景はどういうものだろう。 日々、町のなかでは、いろんなものが失われている。そのひとつひとつにちいさいもおおきいもあるのだろうか。 あのころ、ヒダリメに映っていたものたちすべて、いまもあの土地でクラゲみたいに浮遊しているたくさんの魂のようなものたち、そしていつまでも愛おしいモモという存在。 あらためて取り組んでみて、こうして再会することができた。
2017.6.28 藤田貴大石井亮介 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 中島広隆 成田亜佑美 波佐谷 聡 吉田聡子 /山本達久
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/田鹿 充 映像/召田実子 演出アシスタント/小椋史子 舞台監督/森山香緒梨
演出部/加藤 唯 熊木 進 丸山賢一 照明部/阿久津未歩(合同会社LICHT-ER) 音響部/八城浩幸(株式会社article) 衣装部/伊野香織 荻原 綾 大道具製作/金井大道具 宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/三田村 亮 インタビュー(特設サイト内)/橋本倫史 制作/松野 創(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
Other Member/小西 楓 佐々木美奈 猿渡 遥 辻本達也 豊川弘恵 若林佐知子 渡辺ひとみ
企画制作/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 合同会社マームとジプシー 主催/公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
ひび
2017年6月7日-9日
〔東京〕2017年6月7日-9日/VACANT
伊藤 眸 乾真裕子 大野真代 小川沙希 小西 楓 近藤勇樹 佐々木美奈 猿渡 遥 高橋明日香 辻本達也 中村夏子 難波 有 的場裕美 宮田真理子 森崎 花 山口千慧 渡辺ひとみ 渡邊由佳梨
梅崎彩世 多田麻里子 伴 朱音 若林佐知子
作・演出/藤田貴大
主催/マームとジプシー
マームとジプシー
2017年5月3日-7日
〔東京〕2017年5月3日-7日/LUMINE0
言葉のない世界で、そしてそのなかで、ひとつひとつのことをどう終わらせていくのか。 だけれど、終わりはやっぱりなくて、すべて、それぞれ、どうしようもなく、生きている。 ひとりでどうこうできるわけではない、生命みたいなものと。 でも、自分次第で未来は動いていくのかもしれない。 誰かに託すのではなく、なにもかも、自分だけで。 まだ名前のなかったころのこと、相変わらず、思い出しながら。 いまは、ひたすら、つくっている。 終わりと、生命と。 内側と、外側。 記憶と、未来と。 現在、誰のせいでもなくて、誰のせいでもある、こんな世界。 自分だけで、なにをつくろうか。 まだまだ終わりじゃないとおもっている。 まだまだ生きているとおもっている。 つくっている。 そんな、すこしでも全体のことと、ここから拡がっていくものたちを、想像しながら。
2017.4.24 藤田貴大
青柳いづみ 尾野島慎太朗 佐藤拓道 谷田真緒 辻本達也 中島広隆 中村夏子 中村未来 船津健太 召田実子
舞台監督/森山香緒梨 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 映像/召田実子 衣装/若林佐知子 宣伝美術/名久井直子 宣伝写真/井上佐由紀 演出アシスタント/森崎 花 映像部/小西 楓 宮田真理子 演出部/猿渡 遥 衣装部/赤見佳代 井口さやか 鵜飼琴乃 遠藤宏美 岡崎瑞恵 近藤勇樹 疋田葉那 茂木智子 山口千慧 Other Member/伊藤 眸 乾真裕子 梅崎彩世 大野真代 小川沙希 佐々木美奈 高橋明日香 多田麻里子 難波 有 伴 朱音 的場裕美 渡辺ひとみ 渡邊由佳梨
制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) 主催/合同会社マームとジプシー
海外公演
2017年4月8日-9日
〔台湾〕 2017年4月8日-9日/高雄市立圖書館總館 小劇場
青柳いづみ 川崎ゆり子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/星野大輔(サウンドウィーズ) 映像/召田実子 舞台監督/熊木 進
ツアーマネージャー/門田美和 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
外部作品
2017年3月25日-4月2日 全2会場
〔いわき〕2017年3月25日-26日/いわき芸術文化交流館アリオス 小劇場 〔白河〕2017年4月1日-2日/白河文化芸術館コミネス 大ホール
タイムラインというタイトルと、そしてここで出会ったみんなと、かんがえつづけているわけだけれど、かんがえつづけていくことのむつかしさと、そしてそれが、未来にとって、どれだけ重要なことであるのか、ということを、これもまたかんがえつづけながら、過ごしている。未来をつくる、とはよく云うけれど、それはどうしたら、つくられていくのだろう。未来、というコトバ。途方もないようにもおもうけれど、ぼくは、ひとつひとつ、ひとりひとりを見つめて、そして耳を澄ましていく、それに尽きるというか、それをしないことには、未来はつくられていかないとおもう。みんなはやっぱり朝起きて、夜、眠りにつくまでのタイムラインを、住んでいる町で過ごしていた。なんの変哲もない一日かもしれない、なんともないたった一日のことかもしれない、けれども、これ以上に尊いものってあるだろうか。この、一日一日を、見守りたい。この、一日一日が、やがて未来をつくっていくのだから。記憶になって、薄れていく、この日々のことを、みんながたまに思い出して、帰ってこれるような、そういう時間が、舞台のうえでつくられていきますように。
藤田貴大
震災の年もずっと福島にいたけれど、あれから6年、今は、こういう形で福島の子どもたちと一緒に作品をつくれることが、ものすごく嬉しい。子どもたちは未来そのものだもん。どんな未来かなんて誰にもわからないけれど、でも、そこに大人として関われることが嬉しい。掛け値なしに、自分がこれまでつくってきた音楽の中でも最高のものがここから生まれてきていて、それは一緒に作っている中高校生のみんなやチームのみんながいなければできないもので、そんなことすべてがとっても嬉しいし、堂々と胸を張れる感じがしている。タイムライン、今年も素敵な作品になりそうだ。
大友良英
わたしにも彼らにも、ひとりひとりに朝はあって、それはいつもと同じかもしれないし思いもよらなかった朝かもしれない。そうやっていくつものタイムラインがそれぞれのスピードで流れている。それらは並行しながら、ときに交わり、そしてまた離れていく。<なんともない日々> は、かけがえのないものなのだと思う。彼らと過ごす時間の中で、そのことをより感じている。くだらないことに泣いて、笑って、ささいなことに喜び、ときに自分のちっぽけさを嘆く。ばかばかしくて、儚くて、たとえ宇宙の塵のような存在だとしても、この体を全うして生きている。
ここで出会った彼らと紡いできた『タイムライン』。大きなうねりの中に粒だつひとりひとりの姿をみつめてほしい。惜しみなく、生命が輝いている瞬間を。
酒井幸菜
二年目の春を迎えようとしている。十代の彼ら彼女らは、たった一年という歳月のあいだに、劇的に変わる。顔つきも雰囲気も考え方も変わる。高校を卒業してからの一年と、それ以前の一年はこんなにも違っただろうか、と自分の来し方を思わず振り返ってしまった。
そんな変わりゆく貴重な時期に立ち会えていることが嬉しい。その成長や変化を目の当たりにしていることに、喜びもするし緊張もする。だからこそ、みんなが投げる一瞬一瞬で変わっていく光の粒をどうにかして写真で受け止めようと、今日まで必死に併走してきたつもりだ。
彼ら彼女らの長い人生から考えたら、この出会いは瞬きほどの擦過にすぎないのかもしれない。けれど、輝きとは本来そういうものだろう。ほんのわずかな輝きも見逃さないように、そしていつかその光のすべてを思い出せるように、ぼくはこの公演を、目で、耳で、全身で受け止めたい。
石川直樹
今回、ご一緒させていただいて感じたことは、「会うたびに みんなが驚くほど変わっていくなぁ、、、」ということでした。私は、毎回のリハーサルには参加することは出来ませんでしたが、その数回の中でも、本当にみんなの見違えるような変化を感じることができました。
それぞれの方向に、それぞれの形で、、、、迷いながら、考えながら、いろいろなことを感じながら。本当に眩しくて、無限の可能性に満ちた みんなの姿。その姿を身近に見ることが出来て、本当に楽しかったです。
そんな みんなの変化にどこまでついていけるのか、、、、そこが、私にとっての一つのテーマでした。
衣装というものは、身体の一番近くに有って、みんなの気持ちに作用するものだと考えています。日々変化して、進化していくみんなの姿に、置いて行かれないように、、、、少しでも、みんながステージに自信を持って上がれるように、何か心の支えになってくれるように、、、そんなことを考えながら作っていく行為は、私にとっても本当に刺激的で、たくさんの事を考えさせてくれる素敵な出来事でした。
この公演が、出演するみんなにとっても、そこに関わるたくさんの方々にとっても、素晴らしい変化のきっかけになると、、、、既になっていると確信しています。
ご一緒させていただけたこと、心から嬉しく思っております。
本当に、本当にありがとうございます!!!
スズキタカユキ
ふくしまの中学生・高校生
作・演出/藤田貴大 音楽/大友良英 振付/酒井幸菜 写真・映像/石川直樹 衣装/suzuki takayuki 監修/平田オリザ 記録映像/高見沢 功 音響/近藤祥昭(GOK SOUND) 照明/富山貴之 映像補佐/召田実子 アシスタント/伊野香織 成田亜佑美 渡辺ひとみ 舞台監督/熊木 進
演出部/藤江理沙 吉成生子 音響部/松原加奈 映像部/小西 楓 宮田真理子
マームとジプシー
海外公演
2017年2月25日-3月19日 全3会場
〔韓国〕 2017年2月25日-26日/Mary Hall (Sogang University) 〔新潟〕 2017年3月2日-4日/りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 スタジオA 〔愛知〕 2017年3月18日-19日/穂の国とよはし芸術劇場 プラット・アートスペース
荻原 綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki
照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/星野大輔(サウンドウィーズ) 映像/召田実子 舞台監督/熊木 進
ツアーマネージャー/門田美和 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
外部作品
2017年2月16日-17日
吉田聡子
〔神奈川〕 2017年2月16日-17日/BankART Studio NYK 3F
振付/酒井幸菜 テキスト/藤田貴大 衣裳/若林佐知子 翻訳/門田美和
テクニカルスタッフ/召田実子 石井亮介 テクニカル統括/須藤崇規
制作協力/古閑詩織 林 香菜(マームとジプシー) 制作アシスタント/岡崎由実子 三竿文乃(フェスティバル/トーキョー) 制作/加藤弓奈
外部作品
2016年12月10日-21日
〔東京〕 2016年12月10日-21日/東京芸術劇場 プレイハウス
自分のなかにある、ある場所に、いくつになっても褪せることなく、18までのあの風景が広がっていて、そこには名前のない自分が、名前のない誰かが立ち尽くしている。 彼らはなにかに押しつぶされそうな表情をしているけれど、それでも限られた時間を、そしてあらかじめ決められたような空間を、全力で走っている。 現在のぼくは、それはなぜなのか、知っている。でもあのころのぼくは、それがなんなのか、なにもわかっていない。 なにもわかっていない彼らは、いつも立ち尽くしている。 森に、夜に、立ち尽くしている。 彼らのあいだには、壁が。 ありとあらゆる壁という壁が。 どうしたって戻りたくない、あのころに、たとえ戻れたのだとしても、ぼくは彼らになんの言葉もかけることができないだろう。 なにもわからずに、ただただ走っている彼らに。 なにが待っているのかもわからずに、ただただ走っている彼らに。 なんの言葉も。 だから描こうと、おもっている。 言葉とかじゃない、なにかを。 描いて、彼らをここで待っていたい。 彼らにとって現在は、未来。 ここで、待っていたい。
藤田貴大本日はシェイクスピア没後400年記念事業、藤田貴大演出「ロミオとジュリエット」にご来場いただき、誠にありがとうございます。藤田氏は自身が率いる演劇集団「マームとジプシー」で2007年より活動を開始し、4年後の26歳の時に演劇界の芥川賞である岸田國士賞を受賞しました。
東京芸術劇場では、2013年に「cocoon」(原作:今日マチ子)、2014年に「小指の思い出」(作:野田秀樹)、続く15年には「cocoon」を再演し沖縄での公演も行い、RooTS.3「書を捨てよ町へ出よう」(作:寺山修司)を上演しました。独特の台詞回し、同じシーンを繰り返しながら徐々に熱を帯びていくリフレインの手法など、自身の世界観をもって他者の言葉を再構築することで独自な世界を創り上げてきました。
この「ロミオとジュリエット」は古典作品への初の挑戦です。それは、「小指の思い出」の事前宣伝のレクチャーのときに、司会をしてくださった東京芸術劇場の運営委員であった演劇評論家の扇田昭彦氏(2015年5月没)と藤田氏の対談中に飛び出した一言「僕なら『ロミオとジュリエット』を逆再生して上演してみたい。」から始まっています。
ロミオとジュリエットの悲劇的な死から運命的な出会いに遡ることで、「偶然に好きになってしまった」若い二人の恋に迫ります。
最後になりましたが、本公演の実現にご協力を賜りましたすべての皆様に心より御礼を申し上げます。
東京芸術劇場
藤田貴大が作る『ロミオとジュリエット』
ロミオとジュリエットが出会って一目で恋に落ちてから非業の死を遂げるまで足掛けたった五日。無粋なことと承知の上で、その五日間の出来事を箇条書きふうにたどってみましょう。日曜の夜、キャピュレット家恒例の舞踏会で二人は出会い、結婚の約束を交わす(バルコニー・シーン)。有頂天のロミオはその足でロレンス神父の庵へ行き、司式を依頼。
月曜の朝九時、ジュリエットの乳母はロミオに会い、予定を聞く。午後、挙式。その帰り、ロミオは親友マキューシオとジュリエットの従兄ティボルトとの喧嘩を止めようとするが、マキューシオは致命傷を負わされ、死ぬ。激昂したロミオはティボルトを殺し、追放を言い渡される。悲嘆に暮れるジュリエット。キャピュレットは、パリス伯爵と娘との結婚を決める。この晩がロミオとジュリエットの初夜。
火曜の早朝、ロミオはヴェローナを出てマントヴァへ。父からパリスと結婚せよと言われたジュリエットは、ロレンス神父に助けを求める。神父は四十二時間仮死状態になる薬を渡す。世間には死んで葬儀を行ったと思わせ、霊廟での目覚めの時にロミオが迎えに行くとの計画。その晩ジュリエットは薬を飲む。
水曜の早朝、花婿が迎えに来るとジュリエットは「死んで」いる。結婚式は葬式に。
木曜の朝、マントヴァのロミオにジュリエットが死んだとの知らせ。夜、馬で霊廟に駆けつけたロミオはジュリエットのかたわらで毒薬をあおって死ぬ。目覚めたジュリエットは死んだロミオを見て絶望し、短剣で胸を突き、ロミオのあとを追う。
というわけです。まさにジェットコースターに乗ったような急転直下ですね。
こんな野暮ったい作業をしたわけはーー藤田貴大版『ロミオとジュリエット』がこうした出来事の流れを大胆に切ったりつなげたり、渦巻き状にしたり、行きつ戻りつさせるからで、もともとの直線を押さえておけば、それが楽しめるだろうとの親心(おせっかい?)。そして、藤田さん自身が「五日」ということを繰り返し言っているから。
ご承知のように藤田演劇の特徴は「繰り返し」です。それはこの『ロミオとジュリエット』でも存分に活かされています。
繰り返しという作業は、メンタルなものであれフィジカルなものであれ、「記憶」と深く結びついています。何かを繰り返し思うこと、繰り返し語ることは、ソフィ・カルの記憶アート(ととりあえず呼んでおきましょう)を持ち出すまでもなく、記銘・記憶・想起という心的かつ知的作業の土台ではないでしょうか。憶えておきたいこと、憶えなくてはならないこと、忘れたくないこと、忘れてはならないことを、人は繰り返し思い浮かべ、繰り返し口に出す。俳優が台詞を憶える作業がその極み。
ところで一度だけ、私は藤田版『ロミオとジュリエット』の稽古を見せてもらいました。胸を突かれました。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』というただでさえ純粋・純潔な恋の劇をさらに純化して「好きになってはいけない人を好きになってしまった心」を主人公にした劇になっていたからです。
このバージョンのいま一つの特徴は「連想」です。シェイクスピアの言葉のなかから、例えば「夢」を取り上げて、ある場面のある人物の台詞と別の場面の別の人物の「夢」を含む台詞とをつなげる。「夜」でつなげる。「薬」でつなげる。おかげでシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の深層を垣間見ることができます。
えー、『ロミオとジュリエット』ってこんなに「夢」って言葉が出てきたっけ!?と思った私は、『シェイクスピア・コンコーダンス(ある語がどの芝居のどこで使われているかが一目で分かる語彙集)』に当たってみました。びっくりしました。「夢(dream)」の出現頻度は『リチャード三世』の十九箇所(これもびっくりですが)に次いで二位の十五箇所という多さなのです。タイトルに「夢」がつく『夏の夜の夢』(十三)より多いのだから、またまたびっくり。
さて、今年ももう残りわずかですが、二〇一六年はシェイクスピア没後四〇〇年に当たります。そのあいだイギリスは言うに及ばず、世界の各地で、世界の各言語で『ロミオとジュリエット』は(もちろん『ハムレット』や『マクベス』も)いったいどのくらい繰り返し演じられてきたことでしょう。私たちは『ロミオとジュリエット』を忘れたくないのですね。
松岡和子(翻訳家・演劇評論家)
青柳いづみ あゆ子 石川路子 内堀律子 花衣 川崎ゆり子 菊池明明 小泉まき 後藤愛佳 西原ひよ 寺田みなみ 豊田エリー 中神 円 中村夏子 中村未来 丹羽咲絵 吉田聡子 石井亮介 尾野島慎太朗 中島広隆 波佐谷聡 船津健太 /山本達久
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子 上演台本・演出/藤田貴大 衣裳/大森伃佑子 音楽/石橋英子 須藤俊明 山本達久 ヘアメイク/池田慎二 照明/富山貴之 音響/田鹿 充 映像/召田実子 演出助手/吉中詩織 舞台監督/森山香緒梨 宣伝美術/名久井直子 宣伝イラスト/ヒグチユウコ
マームとジプシー
2016年10月12日-14日
〔埼玉〕 2016年10月12日-14日/彩の国さいたま芸術劇場 中稽古場 1
「IL MIO TEMPO」ということで、イタリアのみんなと、とても大切な時間を過ごしています。 2013年に初めて、イタリアのフィレンツェにて、マームとジプシーは公演しました。 そのときに、いつかイタリアのみなさんと作品をつくりたい、とそのときのフェスティバル・ディレクターに伝えたのが、「IL MIO TEMPO」の始まりです。 翌年、2014年にイタリアのツアーにて(メイナ、ポンテデーラ、フィレンツェ、アンコーナ、メッシーナ)、ぼくらは各地でワークショップを開催しました。 そこで出会った俳優たちのなかに、「IL MIO TEMPO」に出演することになる、アンドレア、ジャコモ、カミーラ、サラの四人がいました。 そして去年、2015年に再び訪れたポンテデーラにて、「IL MIO TEMPO」、つまり「わたしの時間」ということで、日本からは、荻原綾、川崎ゆり子、成田亜佑美、波佐谷聡の四人の俳優が出演することが決まって、具体的にひとつの作品をつくる作業に取りかかりました。 つまり今年、2016年は、この企画が動き始めてから四年目です。 こうしてじっくり時間をかけて、かんがえて、作業しつづけているわけですが、今年の「IL MIO TEMPO」は、イタリアのみんなを初めて日本に招いて、リハーサルしています。 会場は、八月から途切れることなく、マームとジプシーの活動を見守ってくれている、彩の国さいたま芸術劇場にて。今回も引きつづき、ご協力いただいています。 来年以降、公演としての予定もある「IL MIO TEMPO」です。もちろんのことですが、大切にしていこうとおもっている「時間」です。 今年は、ワーク・イン・プログレスということで、この作品が構築されていく過程を発表します。 合間に、ぼくがすこし、この企画について、話しながら進行していきたいとおもっています。 つくる、とは相変わらずかんがえていることなのだけれど、どうしてなのでしょう。 でもやっぱり、きょうも、つくっています。
2016.10.5 藤田貴大荻原 綾 川崎ゆり子 成田亜佑美 波佐谷聡 Andrea Falcone Giacomo Bogani Sara Fallani Camilla Bonacchi
作・演出/藤田貴大
マームとジプシー
2016年9月16日-19日
〔埼玉〕 2016年9月16日-19日/彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)
こうしてまた、あのころの風景を、 からだをとおしてかんがえてみた。 記憶という映像、が焼きついているのは、眼裏ではなくて、 脳裏なのだということ。 しかし記憶とは、とても不確かなものである。 どういう手触りだったか。 思い出そうとしても思い出せない場所に、 かすかに焼きついている、記憶。 記憶のなかにしか、もう存在しない、いくつかの、からだ。 こうして生き残って、 きょうもまた、つくっている。 生き残っているから、つくることができる。 つくったものも、やがて記憶になる。 映像が、眼球のなかにヒカリとして、そのスピードで映りこむ。 そしてそのスピードのまま、脳まで届いて、映像は。 記憶になる。 やがて、 記憶になるものを、つくっている。 だけれど、 ぼくは、その、記憶になるまえの、脳に届くまえの、 ヒカリの部分をつくりたいのだとおもう。 その部分のみを。 一瞬で消えてしまう、一度きりの部分のみにこだわって。 ありとあらゆる喪失に。 記憶になるまえの一瞬を。
2016.9.8 藤田貴大石井亮介 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 中島広隆 成田亜佑美 波佐谷 聡 吉田聡子 山本達久
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 音楽/山本逹久
照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/金子伸也(彩の国さいたま芸術劇場) 映像/召田実子 舞台監督/森山香緒梨 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) Other member/猿渡 遥 辻本達也 宣伝美術/柳沼博雅(GOAT) 協力/パシフィックアートセンター
外部作品
2016年8月25日-28日
〔埼玉〕 2016年8月25日-28日/彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)
22 歳のときに書いた作品が またこうしてあたらしい場所にて 出会ったひとたちとあらためて つくられていく様子を またこの渦のなかで 眺めていることができて それはそれは新鮮な体験だった。 *** このタイトルが思い浮んだ朝のこと。 憶えている。 とても眩しい朝だった。 *** ときに、日々は、突然に、変わってしまう。 でもやっぱり、日々は、日々だから、日々、いつもどおりに、 過ごしていくしかない。なにかを、だれかを、 失っても。過ごしていくしかない。 「ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ 或いは、泡ニナル、風景」 また朝が訪れる。電車に乗る。 いつもどおりがいつもどおりであるように、 祈る。 ふと、いなくなったひとのことを思い出す。
2016.8.22 藤田貴大本日は、ワークショップ公演『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ或いは、泡ニナル、風景』にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。今年2月に当劇場で上演したマームとジプシー公演『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『K と真夜中のほとりで』も記憶に新しい藤田貴大さんに、今夏新たに取り組んでいただいたのがこのワークショップ公演です。JR福知山線の脱線事故をモチーフに2008年に創作初演された
本作は、藤田作品の代名詞である「記憶」というテーマに初めて取り組んだ、マームとジプシー初期のターニングポイントともいえる作品です。373名のオーディション参加者から選ばれた、演劇未経験者を含む10 代から70代までの25名の出演者とともに生まれ変わる本作をどうぞご期待ください。最後になりましたが、本公演実現のためにご協力いただいた関係者の皆様に心より御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 理事長 竹内文則
新井秀幸 石川 優 植浦菜保子 大田恵里圭 太田順子 小川沙希 奥泉文子 花衣 北澤雅章 猿渡 遥 清水君子 銀ゲンタ 瀬都あく 竹田邦彦 田村律子 辻本達也 中尾僚太 中村未来 橋口勇輝 半田美樹 眞野里紗 光子 宮田道代 安川まり 山林真紀
作・演出/藤田貴大 照明/岩品武顕(彩の国さいたま芸術劇場) 音響/金子伸也(彩の国さいたま芸術劇場) 衣裳/ひび 映像/召田実子 アシスタント/成田亜佑美 舞台監督/大畑豪次郎(彩の国さいたま芸術劇場)
舞台監督助手/須田雅子(彩の国さいたま芸術劇場) 森山香緒梨 照明操作/菅沼翔太 斎藤温子(彩の国さいたま芸術劇場) 宣伝美術/柳沼博雅(GOAT)
制作/松野 創 高木達也(彩の国さいたま芸術劇場) 林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
外部作品
2016年7月30日-31日
〔京都〕 2016年7月30日-31日/京都芸術劇場 春秋座(京都造形大学内)
あらたにここで出会ったひとたちと、この作品をつくるということで、とてもたのしみにしているわけだけれど、だからこそあんまりひとりでつくろうとしないで、コンセプトだけをぼくは持っていくつもりで、あとは輪郭そのものを出会ったみんなと話しながら、そこでのエピソードを紡いで、それがゆくゆくは作品のなかのひとつの町として構築されていくその全体のことを『A-S』というタイトルでくくりたいし、均衡が保たれたものをつくりたいのではなくて、どこか歪であってもいいとおもっているから、ここでの作業がたぶんこれから先の自分にとって、重要なポイントになるのではないかと期待している。 個人的なはなしではあるが、ぼくが女性に生まれたとしたならば、「さやか」と命名されていたらしい。このことはずっとあたためていたことで、ここではじめてそのことを語ろうとしている。それくらいの体力をつかって、この夏を過ごしていきたい。
2016.4.21 藤田貴大
飯田一葉 今井菜江 大石貴也 木下朝実 小林千晴 佐藤拓道 四方いず美 四方みもり 白鳥達也 髙田大雅 谷田真緒 辻本達也 中澤 陽 中田貞代 西村瑞季 南風盛もえ 森 史佳 安田 晋 川崎ゆり子
プロジェクトチームメ ンバー 舞台監督助手/北野ひかり 福田香菜 映像補佐/志村茉那美 照明/香川由梨子 演出助手・衣装補佐/表 ゆき 衣装補佐/杉山絵美
制作/石田絵里香 牛嶋木南 草場祐実 とくらゆきこ 南光望美 日比野加奈 堀江香那 八木澤ちひろ 言葉/谷川世奈 貴羽るき 加藤菜月 企画/谷田あや子
スタッフ 作・演出/藤田貴大 映像/召田実子 衣装/suzukitakayuki 舞台監督/森山香緒梨
宣伝美術/溝邊尚紀 制作/井出 亮 根岸万依 竹宮華美 林 香菜(マームとジプシー)
マームとジプシー
2016年7月23日-8月4日
[京都) 2016年7月23日-8月4日/元・立誠小学校 0「水面にたゆたう」資料室 1「あのひのひかり」図書室 2「ずっとまえの家」音楽室 3「カタチノチガウ」 講堂
ひかりというコトバ。 これまでも、幾度も発してきたけれど、そのことについて。 この身体と空間で。 窓の先の景観と、記憶。
糸がたゆたいながら。 やがてその糸をたぐり寄せて、自分のどの部分に当てはめていくか。 彼女らは走っている。 いつかの夏と、現在も。
カタチノチガウ、三人は。 旅をしている。 内側と外側、できつつあるあらたな形成と共に。 未来を旅している。
1「あのひのひかり」 吉田聡子
2「ずっとまえの家」 青柳いづみ 青葉市子
3「カタチノチガウ」 青柳いづみ 川崎ゆり子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 舞台監督/熊木 進 演出部/石井亮介 照明/南 香織 阿久津未歩 (合同会社LICHT-ER) 音響/角田里枝 衣装/suzuki takayuki 美術協力/髙橋涼子 映像/召田実子 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) Other Member/鳥井由美子 小西 楓 猿渡 遥 森崎 花 若林佐知子 主催/合同会社マームとジプシー
コラボレーション
2016年7月1日-8月5日
〔京都〕2016年7月1日-8月5日/京都精華大学ギャラリーフロール
青柳いづみ
テキスト/川上未映子 演出/藤田貴大 映像/召田実子 Other Member/大野雅代 宮田真理子 森崎 花 企画/蘆田裕史(京都精華大学ポピュラーカルチャー学部教員)
マームとジプシー
2016年5月6日-8日
〔東京〕 2016年5月6日-8日/LUMINE0
春って季節はとてもやっかいなもので、今年もこの匂いが奥まで届いて、つーんとする。 あたらしい空間で、 あたらしい旅を始めようとしている。 日々はやっぱり、まえへまえへ進んでいくけれど、進んでいくだけでいいのだろうか。たまに立ち止まって、ゆっくり思い出したい。 お店に立ち寄ってゆっくり服を眺めたいとき、本をどうしても読みたいとき、音楽を聴かなくちゃやってられないとき。 まえへまえへ進んでいくだけの時間とは、ちがう時間を求めるとき。 その「とき」の、ひとつの「とき」が、マームとジプシーに立ち止まる「とき」でありますように。 劇場は、約束の場所。約束をしたひとが、ここで出会って、また別れる。 出会って、別れたひとたちは、 またそれぞれの日々になにを持って帰るのだろうか。 あたらしい空間で、 春って季節をつーんとかんじながら、この空間で、これからどんどん出会って、別れますように、と。祈りながら。 マームとジプシーは、あたらしい旅の支度をしている。
2016.4.23 藤田貴大荻原 綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 舞台監督/熊木 進 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/角田里枝 映像/召田実子 ツアーマネージャー/門田美和 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)梅村祥子
マームとジプシー
2016年5月2日-4日
〔東京〕 2016年5月2日-4日/LUMINE0
春って季節はとてもやっかいなもので、今年もこの匂いが奥まで届いて、つーんとする。 あたらしい空間で、 あたらしい旅を始めようとしている。 日々はやっぱり、まえへまえへ進んでいくけれど、進んでいくだけでいいのだろうか。たまに立ち止まって、ゆっくり思い出したい。 お店に立ち寄ってゆっくり服を眺めたいとき、本をどうしても読みたいとき、音楽を聴かなくちゃやってられないとき。 まえへまえへ進んでいくだけの時間とは、ちがう時間を求めるとき。 その「とき」の、ひとつの「とき」が、マームとジプシーに立ち止まる「とき」でありますように。 劇場は、約束の場所。約束をしたひとが、ここで出会って、また別れる。 出会って、別れたひとたちは、 またそれぞれの日々になにを持って帰るのだろうか。 あたらしい空間で、 春って季節をつーんとかんじながら、この空間で、これからどんどん出会って、別れますように、と。祈りながら。 マームとジプシーは、あたらしい旅の支度をしている。
2016.4.23 藤田貴大石井亮介 伊野香織 小椋史子 斎藤章子 中島広隆 船津健太
作・演出/藤田貴大 舞台監督/熊木 進 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/角田里枝 映像/召田実子 衣装/荻原 綾 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)梅村祥子
マームとジプシー
2016年4月28日-30日
〔東京〕2016年4月28日-30日/LUMINE0
春って季節はとてもやっかいなもので、今年もこの匂いが奥まで届いて、つーんとする。 あたらしい空間で、 あたらしい旅を始めようとしている。 日々はやっぱり、まえへまえへ進んでいくけれど、進んでいくだけでいいのだろうか。たまに立ち止まって、ゆっくり思い出したい。 お店に立ち寄ってゆっくり服を眺めたいとき、本をどうしても読みたいとき、音楽を聴かなくちゃやってられないとき。 まえへまえへ進んでいくだけの時間とは、ちがう時間を求めるとき。 その「とき」の、ひとつの「とき」が、マームとジプシーに立ち止まる「とき」でありますように。 劇場は、約束の場所。約束をしたひとが、ここで出会って、また別れる。 出会って、別れたひとたちは、 またそれぞれの日々になにを持って帰るのだろうか。 あたらしい空間で、 春って季節をつーんとかんじながら、この空間で、これからどんどん出会って、別れますように、と。祈りながら。 マームとジプシーは、あたらしい旅の支度をしている。
2016.4.23 藤田貴大青柳いづみ 川崎ゆり子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 舞台監督/熊木 進 照明/南 香織(合同会社LICHT-ER) 音響/角田里枝 映像(文字デザイン)/名久井直子 映像/召田実子 ツアーマネージャー/門田美和 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー) 梅村祥子
外部作品
2016年3月26日-4月3日 全2会場
〔福島〕2016年3月26日/福島県文化センター 〔福島〕2016年4月3日/いわき芸術文化交流館アリオス
「一回かぎりの時間。」
五月に出会って、もう三月だから、時間がすすむのって、まったくはやいものだ。あれから、身長がのびたり、顔つきがかわったり。すこ しずつ、声がでるようになったり、いろんなことを話してくれるようになったり。みんなと出会って、春が終わって。またこうして、春が始まった。およそ一年、みんなに耳を澄ませて、観察して。あっという間に、経ってしまった。そう、経ってしまった。こうやって、あっという間に、時間というものは経ってしまう。日々はあたかも繰り返されているようで、じつは繰り返されていない。巻き戻すことはできない、すす んでいくのみ。10代のみんなの想像以上に目まぐるしい、一回かぎりの時間。みんなの日常の、ほんの一片をこうやって共有できたこ と。とてもいい時間だった。
きょうのこの時間も、一回かぎり。いつかこの時間のこと、みんなは思い出すのだろうか。わからないけれど。
いとおしいみんながこれからも、一回かぎりの時間を大切に過ごしていけますように。
藤田貴大
「いくつものタイムラインたちへ」
小学校3年だった1968年からの10年間を僕は福島で過ごしていて、それは、どこにでもころがっているような平凡な思春期男子でもあり、ちょっぴり甘酸っぱい季節でもあり。ところが、そんなことは福島を出て何十年とたつうちに、これもまた、誰にでもあるように、すっかり霧の彼方の遠い遠い記憶になっていき・・・。そんな記憶の断片が、あの日以来、脳内をかき回されるかのように現れては消え、また現れ。
福島の中高校生たちと向き合って来た1年間は、かつてそこにいた自分と向き合ってきた1年間でもありました。彼ら彼女らは、過去の自分でもあり、同時に、自分には見ることの出来ない未来でもあり。「タイムライン」は一日の出来事としてつくられてはいるけれど、でも、僕にとっては遠い過去からずっと先の未来につづく、決して一本ではないいくつもの長い長いタイムラインのようにも思えて来ます。自分が生きることの出来る時間よりももっともっと先のタイムラインたち。みんなと出会うことでそんなタイムラインが見えたような気がしています。みんな、ありがとうね。
大友良英
「彼らの風景を眺めながら」
「目線を遠くに置く。3km先を見つめるイメージで」
「自分の立ち位置を〈景色=アングル〉で覚えて」
「動き出すときには背後の気配、それと空間の音に耳を澄まして」
〈振付け〉として、彼らの体に対して指示したこと。たぶん、結構難しいことを言っている。でも、彼らはそのことを素直にイメージして各々実践している。この作品では、気張らない彼らの体を大切にしたい。その体たちが、言葉と音と絡み合って〈ミュージカル〉になる。目の前で台詞が伝えられ、音が紡がれ、稽古場では出会えない彼らの日常の姿を写真と映像を通して垣間見てきた。いろんな朝、学校、帰り道、夜が凝縮された彼らのタイムラインを眺めながら、大人になった私はあの頃の自分の姿を想う。何にもない地面に地図を描いて、その上をとにかく歩いて、走って、出会って、別れて、眠りについて、また起きあがる。彼らにとってこの時間は、小さくても大きくてもきっと何かのきっかけになると願って。
酒井幸菜
「すぐそばにある未知」
ぼくが稽古に参加し始めてまもなく、中高生のみんなに「写ルンです」を渡し、一日のタイムラインを撮影してもらった。ルールは単純だ。ある日の一日を、起きてから寝るまで、一時間おきに撮ること。
携帯電話やデジカメでしか写真を撮ったことがない彼女たちにとって、その場で像を確認できないフィルムカメラを扱うのは、戸惑いでしかなかっただろう。しかし、あがってきた写真は、おとなの入り込む余地のない、まぎれもない彼女たちだけの世界が写っていた。
その写真を見て、もっと「知りたい」と思った。彼女たちの視線の先に、ぼくの知らない沃野が広がっている。そんな当たり前のことを小さな写真たちが教えてくれたのだ。
冬の一番寒い時期、日の出前に起き、家の前や駅で彼女たちを待った。学校が終わってから、暗い夜道を一緒に歩いた。学校の教室に入らせてもらい、授業や部活を見学した。雪の中、寒空の下、立ちのぼる朝日や月明りを浴びながら、ひたすら共に歩き、話し、併走した。
写真は時間を止めることができる。もう二度と戻ってこない“なんともない日々”のあの一瞬を留めておくことができる。風のような歌声に吹き上げられた写真たちが舞いおりるときに喚起されるであろう、何か。それに、ぼくは賭けている。
石川直樹
ふくしまの中学生・高校生
作・演出/藤田貴大 音楽/大友良英 振付/酒井幸菜 写真・映像/石川直樹 監修/平田オリザ 記録映像/高見沢 功 衣装/suzuki takayuki
音響/近藤祥昭(GOK SOUND) 照明/富山貴之 映像補佐/召田実子 アシスタント/伊野香織 成田亜佑美
演出部/鈴木沙織 音響部/松原加奈 舞台監督/熊木 進
制作/有馬恵子 林 香菜(マームとジプシー)
マームとジプシー
2016年2月18日-28日
〔埼玉〕 2016年2月18日-28日/彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
夜ってトーンで、待っている なぜまた、あの暗闇を描こうとおもったのか。「不在」をつよくかんじた、冬だった。待っているひとたちが、この劇場にはいた。 その様子を、こう眺めていると。また描きたくなった。あの夜。記憶のなかには、引き摺られてしまう、いくつかの出来事がある。これらもそのことを描いている。 ぼくの、誰かを失った記憶を、ぼくは、作品に吹き込もうと、必死だったのだとおもう、二十代。三十代に突入したのだけれど、冷めやらない記憶の不穏さと、それと、二十代のときには見えていなかった、未来って言葉。 落ち着くどころか、混乱させる要素が、年々、増していて困り果てている。よわよわしいヒカリを探して。「不在」の誰かを、暗闇のなかで待っている。 描くことを止めない。届かないところに、届かなくていい、と諦めたくない。届かないのはわかっている、でも届きたい気持ちもあるだろう。 夜はずっとつづいていくけれど、やっぱり朝は訪れる。その朝が、いつかほんとうの朝として、訪れてほしい。そんなことを、この年齢になっても変わらずにおもっている。
2016.2.16 早朝 藤田貴大本日は、マームとジプシー『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『K と真夜中のほとりで』にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。 『蜷の綿-Nina’ s Cotton-』の公演延期に伴い、マームとジプシーを主宰する藤田貴大さんが20 歳当時率いていた“荒縄ジャガー” で2006 年に発表した『夜、さよなら』、2009 年に初演したマームとジプシーの初期作品である『夜が明けないまま、朝』、2011 年に発表した代表作『K と真夜中のほとりで』、いずれも「夜」と「不在」をモチーフに描いた3作品を再構築し上演いたします。 そもそも2013 年夏、蜷川幸雄芸術監督が東京芸術劇場シアターイーストで上演された『cocoon』(2015 年の再演出で第23 回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞)を観劇して感銘を受けたことから藤田さんとの親密な交流が始まりました。2 年を経て、日本の現代演劇を牽引するマームとジプシーの作品を上演できますことを心より嬉しく思います。最後になりましたが、本公演の実現のためにご協力いただいた関係者の皆様に心より御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団 理事長 竹内文則
石井亮介 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 斎藤章子 中島広隆 成田亜佑美 長谷川洋子 波佐谷 聡 船津健太 吉田聡子
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 演出部/加藤 唯 丸山賢一 衣装/スズキタカユキ 高橋 愛 (suzuki takayuki) 照明/南 香織 (合同会社LICHT-ER) 音響/角田里枝 映像/召田実子 アシスタント/小椋史子 制作/林 香菜 (マームとジプシー) 古閑詩織
外部作品
2015年12月5日-27日
〔東京〕2015年12月5日ー27日/東京芸術劇場シアターイースト
村上虹郎 青柳いづみ 川崎ゆり子 斎藤章子 召田実子 吉田聡子 石井亮介 尾野島慎太朗 中島広隆 波佐谷 聡 船津健太 /山本達久(ドラマー)
[映像出演] 穂村 弘(歌人) 又吉直樹(芸人)作/ 寺山修司 上演台本・演出/藤田貴大
衣裳 /ミナ ぺルホネン 照明/南 香織 音響/角田里枝 ヘアメイク/金野睦美 演出助手/吉中詩織 舞台監督/森山香緒梨
宣伝写真/江森康之 宣伝美術/名久井直子
演出部/丸山賢一 加藤 唯 衣裳部/荻原 綾 映像プラン/召田実子 映像協力/須藤崇規 アシスタント/小椋史子
企画制作・主催/東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
海外公演
2015年10月26日-27日
〔イタリア〕2015年10月26日-27日/Teatro Era
荻原 綾 川崎ゆり子 成田亜佑美 波佐谷 聡 Andrea Falcone Giacomo Bogani Sara Fallani Camilla Bonacchi
作・演出/藤田貴大
海外公演
2015年9月8日-10日
〔中国〕2015年9月8日-10日/中国国家话剧院
青柳いづみ 川崎ゆり子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 舞台監督/熊木 進 照明/南 香織 音響/角田里枝 映像/召田実子 ツアーマネージャー/門田美和 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
海外公演
2015年8月28日-29日
〔ドイツ〕2015年8月28日-29日/Kölner Künstler Theater
荻原 綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/suzuki takayuki 舞台監督/熊木 進 照明/南 香織 音響/角田里枝 映像/召田実子 ツアーマネージャー/門田美和 制作/林 香菜 古閑詩織(マームとジプシー)
マームとジプシー
2015年6月27日-8月14日 全6会場
〔東京〕2015年6月27日-7月12日/東京芸術劇場シアターイースト 〔新潟〕2015年7月18日/りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 劇場 〔愛知〕2015年7月25日-26日/穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース 〔沖縄〕2015年8月1-2日/ちゃたんニライセンター カナイホール 〔山口〕2015年8月8-9日/山口情報芸術センタースタジオA 〔神奈川〕2015年8月14日/杜のホールはしもと ホール
二年前。 終わらなかったことがあった。 あれからずっと、かんがえていた。 あの夏のこと。 それから、近い未来のこと。 また走らなくてはいけない。 海まで。 なにがあったって。 振り返らずに、走らなくてはいけない。 終わったって、終わらない。 このテーマは、終わらない。 それでも、走らなくてはいけない。 鉛色の夏に向かって。 現在として旅をする。
2015.4.20 藤田貴大こ 、くーーーーーーん くーーーん くーーん ん ん 、、、 70年後の わたしたちは 彼女たちに 出逢う オーロラのように 揺れながら 何層にも 織り重なる 繭 いのち、のち、、いのち、、のち、、、いのち、、、、、の、ち、、、 いっせーのせ って声 きこえる? 託された未来は そう 今 誰かの歌う声、きこえる 2015年 夏 わたしも 走りぬけようとおもう どこへ? 海へ? わからない けれど つづく ならば できるだけ
原田郁子「cocoon」を描いてからずいぶん時間が経った。物語は手を離れた。たぶんわたしのことなんて忘れられていくだろう。ずっと前に死んだ女の子たちみたいに。でも、距離ができるほど、そのぶんだけ、わたしは遠くに飛べるのだ。遠い昔のことを、ここに語ること、それを等距離の未来から眺めていようと思う。 たくさんの人たちの、わたしのものがたり、になりますように。
今日マチ子あたらしい『cocoon』をつくっていく日々のなかで、彼がこの舞台に存在しているのを想像するようになった。 つくっていきたい音のなかに彼がいた。 膨らみつづけたこの想像を実現したいとおもった。 それは彼とぼくとの作業がまだ終わっていないことを意味した。 『cocoon』というプロジェクトが終わらなかったように、彼との作業も終わっていない。 『cocoon』という作品のなかに漂う、なにか。 ときには残酷で、ときにはすべてを包むような、なにか。 女子たちが砂のうえを走りつづける。 それをいっしょに見つめたい。 空間、そのものへの取り組みついて、また彼とかんがえたい。 そう、つよくおもった。 二年前の自分では届かなかったところに、手を伸ばしたい。 『cocoon』は手を伸ばしつづけなくちゃいけない。 そのためには、想像を止めちゃいけない。 ときどき、 あいかわらず、 立ち止まって、 振りかえってしまうけれど。 それでもやっぱり、 この先にある、あたらしい場所に向かって。 走らなくてはいけない。 現在、アタマのなかに浮かんだことはすべてカタチにしたい。 だって、現在ほどの未来はないのだから。 2015.5.18 日づけは、19日の深夜
藤田貴大終わらなかったことに取り組んでいる。 日々のなかでこのことが鳴りやまないでいた。 だからいま、またつくっている。 不安は。 ちゃくちゃくとふえていった。 そうとおくない、未来。 いや、または。 現在という、未来。 誰が、想像していただろう? 息がきこえてくる。 肌がこすれて、はじける。 つないだ手をはなさないでいる。 あらがえない時代を、走っていく。 無限のひとりひとりが溶けこんだ、おおきなひとつ。 その内側で。 脈打つもの。 なみのおと。しおのにおい。 このひとつが、奥底までとどいて。 ずっとつづいていってほしい。 途絶えることなく、想像は。 なにもかもを越えていってほしい。
2015.6.17 藤田貴大生きている人たちが戦争について語る。 たくさんの考え方がある。がやがやがやがや。 教室のように、とりとめのない騒がしさのなか、 黙りこくっていた死者が、思わず口を挟む瞬間がやってくるのではないか。 そんなふうに考えている。 死んでしまった女の子たちが、もういちどおしゃべりにやってくるように。 何度も何度も幕はあがる。 これからやってくる、女の子のために。
今日マチ子ここに居るすべての人の先代が、ひとり、ふたり、さんにん、よにん、、、数えきれないほど、生まれて、生きて、子をつくり、死んでいった。それは教科書やインターネットには載っていない、家族という集団のなかで紡がれてきた、それぞれの歴史。おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいばあちゃんたちが、幾多の戦火をくぐりぬけ、必死で繋いでこなかったら、いまのじぶんは居ない。いのちの記録は、この身体にだけ残っている。そのことを思うと、cocoonという物語を生きる、彼女の、彼の、走り方、しぐさ、声のトーン、笑い方、歌声、息づかいが、、、愛おしくてたまらなくなる。70年前といまが結びつく先は、どこだろう。永いながい時間を想いながら。あたらしい夏を迎える。
原田郁子(クラムボン)
青柳いづみ 菊池明明 青葉市子 小川沙希 花衣 川崎ゆり子 小泉まき 西原ひよ 高田静流 中嶋祥子 難波 有 長谷川洋子 伴 朱音 吉田聡子 コロスケ 石井亮介 尾野島慎太朗 中島広隆 波佐谷 聡
飴屋法水
原作/今日マチ子「cocoon」(秋田書店) 演出/藤田貴大 音楽/原田郁子
音/zAk 照明/富山貴之(東京/ 山口) 南 香織( 新潟/ 豊橋/ 沖縄/ 相模原) 映像/召田実子 衣裳/高橋 愛 (suzuki takayuki) ヘアメイク/金野睦美 アシスタント/小椋史子 西島亜紀 音響部/田鹿 充 岩谷啓士郎 衣装部/荻原 綾 演出部/加藤 唯 丸山賢一 舞台監督/森山香緒梨
制作進行/林 香菜(マームとジプシー)古閑詩織 鳥井由美子(沖縄公演) 宣伝美術/川名 潤(PriGraphics) 絵/今日マチ子 特別協力/急な坂スタジオ
企画制作/合同会社マームとジプシー 東京芸術劇場 りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 穂の国とよはし芸術劇場 山口情報芸術センター 杜のホールはしもと
主催/東京芸術劇場 りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 穂の国とよはし芸術劇場 山口情報芸術センター 杜のホールはしもと
助成/一般社団法人全国モーターボート競走施行者協議会 一般財団法人地域創造 平成27 年度文化庁劇場・音楽堂等活性化事業
マームとジプシー
コラボレーション
2015年4月16日-7月28日 全7会場
〔愛知〕2015年4月16日/穂の国とよはし芸術劇場PLATアートスペース 〔新潟〕2015年4月17日/りゅーとぴあ スタジオA 〔神奈川〕2015年4月27日/杜のホールはしもと 多目的室 〔東京〕2015年4月28日/東京芸術劇場シアターウエスト 〔沖縄〕2015年4月30日/パン屋 水円 〔山口〕2015年5月3日/山口情報芸術センタースタジオA 〔沖縄〕2015年7月28日/ガンガラーの谷ケイブカフェ
ぼくらは、またあたらしく生まれるために、 音を探しに旅しようとおもったのだった。
藤田貴大原田郁子(演奏) 青柳いづみ
飴屋法水(ケイブカフェ公演のみ)原作/今日マチ子 作・演出/藤田貴大
助成/公益財団法人セゾン文化財団 芸術文化振興基金
マームとジプシー
2015年4月3日-12日
〔神奈川〕 2015年4月3日-12日/神奈川芸術劇場KAAT大スタジオ
ぼく自身の幼少期。左目の視力が極端に落ちていた時期がありました。その左目から見つめていた、半透明な世界。よく遊んでいた、空き地。機関車が真ん中に置かれていた、空き地。あそこにいた、おんなのこ。濁っていたり、透きとおっていたりする歪な断片を、まったく新たな構造を用いて、重ね合わせながら描いていきます。
ぼくが日頃、とてもリスペクトしていて、影響を受けているみなさんも招いて、多角的に。視覚と記憶、そして浮かび上がる未来について。セッションしながら、かんがえています。
マームとジプシーとして、かなり挑戦的な作品になるでしょう。それほどにこの作品にて、ぼくら自身の、いままでとこれから、ってことで見つめ直して。そしてしっかりと繋げていきたいとおもっているのです。
2015.2.22 藤田貴大
左眼からみつめていた、濁った世界があった。 ヒカリが眼球のなかの壁にあたる。 眼球のなかの暗闇。 視界の片隅には、ちいさなおんなのこが映っていた。 あれからずっと、影みたいに。 おんなのこは、ぼくにつきまとっている。 記憶の風景を反転させて。 まだ見たことがない。 これから見ることができるかどうかもわからない。 未来の風景を。 この作業の果てに、見ることができるか。 おんなのこに、また出会えるか。 そんなことをかんがえながら、ゆっくりと作業をすすめている。 これは、あのころのぼくを解剖する作業だ。 2015.3.20 北海道伊達市にて。 藤田貴大
石井亮介 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 中島広隆 波佐谷 聡 吉田聡子 藤田貴大
[ゲスト] Kan Sano(ピアニスト) スズキタカユキ(ファッションデザイナー) ホンマタカシ(写真家) 山本達久(ドラマー)作・演出/藤田貴大 衣装/スズキタカユキ(suzuki takayuki) 舞台監督/森山香緒梨 音響/角田里枝 映像/召田実子 照明/富山貴之 照明オペレーター/久津美太地
助成/公益財団法人セゾン文化財団 芸術文化振興基金 提携/神奈川芸術劇場KAAT チラシデザイン/吉田聡子 制作/林 香菜(マームとジプシー)マームとジプシー
〔東京〕2015年1月15-18月
〔神奈川〕2015年2月9日-13日
〔東京〕2015年2月19日-20日
2015年1月15(木)-1月18月(日)VACANT 2015年2月9日(月)-13日(金)横浜美術館レクチャーホール 2015年2月19日(木)-20日(金)VACANT
昨夜、書き終えて、月曜日の、今日は祝日らしいから、穏やかな朝である。
去年の秋に、おおきな作品をつくった。おおきな作品というのは、一言ではむつかしいけれど、ぼくとしてはおおきな作品だった。
おおきな作品をつくってみて、そこでしか得ることができない快感もあったし、空間として、時間として、やはり自分はあたらしいリズムとか、さらには、生きるとか死ぬとかいう感触を操作しながら、おおきくてもいろんなことを試すことができるのだと確信した。
しかし同時に、あの作品をつくってしまった代償のようなはね返りも、想像以上におおきかった。あれに至るまでの、ぼくたちの流れ。いろんなサイズで大切にしてきた音。記憶。それを、ある意味で断ち切っていないだろうか。しかもぼくはあの作品を日本に置いて、海外ツアーに出てしまったから、自分の目で、あの作品の最後を見届けることができなかった。はじめて、マームとジプシーはふたつに分かれて活動した。日本でおおきな作品を守るメンバーと、海外であたらしい土地を目指すメンバー。ぼく自身もバラバラのまま、どっちつかずのカラダを引きずって海外へ発った。なんとも形容できない、おおきくて得体の知れない塊のようなものが、重くのしかかったまま。
旅をした。
そう、ぼくらは旅を続けた。
見知らぬ風景のなかを旅していくなかで、おぼつかない意識で。日本に残してきたものをアタマでぐるぐるさせながら。ぽつぽつ綴っていたのが、この作品である。
記憶を扱ってきた、ぼくとして、マームとジプシーとして、この次は。きっと、未来を描くだろう。
未来としての作品には、この三人が出演してほしかった。そしてそれが叶った。
日本って、未来って、そこに生きるコドモって。
やっぱりどうやら、カタチノチガウ、コドモたちが、今日もまた産まれて、未来に放り出されている。
穏やかな朝を、どうか。
2015年1月12日 朝。
藤田貴大
去年のイタリアでのツアーで目にした、まるで枯れきった広大な風景。
なにもかもが、生きていないような。生きていることのほうが不自然なのかもしれない、とおもうくらい。眺めていると、そんな気分になる風景だった。
ぼくはいままで、ぼくの記憶のなかで見つめていた風景について。描いてきたようにおもう。しかし記憶の風景に留まっていては手を伸ばせないことがあることを知った。それは去年のことだった。
コドモをのこして、死んでしまったひとがいた。彼女は去年の、夏になる前の、春の終わりに死んでしまったのだけれど。彼女はとにかく、コドモをのこして、死んでしまった。
こんなにも頼りない未来に、コドモをのこして、死んでしまった。
見知らぬ土地の、枯れきった風景が問うてくることと。彼女のことが重なって。
なんとなく書いているうちに。
これは記憶ではない。
記憶では手の伸ばせない。
頼りない未来を。
頼りない未来を、いま。
ぼくは想像しているのだ。と、気がついた。
カタチノチガウ、コドモたちは。そんな未来を。ぼくらがこうしてしまったこんな未来を。行くしかない。
ヒカリをでも、
どうしても、見せたい。
どうしたって、見せたい。
いつもよりも、つよめに想う。
ヒカリを。ヒカリを。ヒカリを。
そんな二月。
まぎれもなく、ここは日本。
2015.2.5
藤田貴大
Children in “different shape” and their undependable future ahead
In Italy last year, I saw a vast landscape of dried and withered trees.
Nothing looked lively there. Feeling overwhelmed, I was wondering if living is rather unnatural. It was the kind of scenery that makes you feel that way.
I think I have been always writing about the landscape I saw and stayed in my memory. But I realized there are some sceneries I can’t reach out the same way. It had happened last year.
There was someone who passed away, leaving her children behind. She died before summer last year. It was the end of spring when she passed away leaving her children.
She left her children in such an undependable future and died.
Her death and what the dried and withered foreign land appealed to me overlapped. I realized while I was writing.
This is not some kind of memory. That’s why I am not able to reach out.
Undependable future.
The undependable future is what I currently imagine.
Children in different shape must live in the future we have already built this way.
Even so I want to show them some light. I really want to do that somehow for them.
I have this desire stronger than ever.
Light. Light. Light.
It is now in February.
Here is indisputably Japan.
2015.2.5
Takahiro Fujita
一月に、青柳いづみのカラダを壊してしまった。
じつは、そのまえにも、吉田聡子も壊れてしまっていた。
この作品は、さんにんのカラダを通して、現在のぼくとして、また世界を把握していく作業だった。
だからこそ、壊れたときに。
その、カラダとしての旅が終わってしまう気がして。あんなに悔しかったことはなかった。ぼくの作品が中断されるなんて、そんな日が来るだなんて想像したこともなかった。
カラダは、旅は、まだまだ当たり前につづくとおもっていたのだ。
中断された翌日、ぼくはあるひとに会いに行った。
あるひととは、蜷川幸雄だ。彼はぼくに会うなり、こう言った。
「いのちは有限なのだと、ここにきてやっとわかったよ」
ぼくも有限、ぼくの作品も有限。そもそも、舞台は一回かぎり。つねに一回かぎりに、ぼくらは生きる。
空間として、やり残したことがある。
VACANTのみなさんに、感謝。
素晴らしい空間をいつも、ありがとうございます。
やり残したこと、きちんと空間として決着すること、でも終わらないこと。上演が終わったあと、ずっとずっとつづいていくこと。たとえ有限でも、ずっと。
カタチノチガウコドモとして、カラダは旅をつづける。
2015.2.18 朝
藤田貴大
青柳いづみ 川崎ゆり子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 衣装/スズキカユキ (suzuki takayuki) 舞台監督/森山香緒梨 音響/角田里枝 映像/召田実子 照明/荻原綾 照明協力(横浜公演)/ 富山貴之 チラシデザイン/吉田聡子 映像(文字デザイン)/名久井直子 字幕/門田美和 制作/林香菜 Other Member/石井亮介 斎藤章子 Luisa Zuffo
横浜公演アフタートークゲスト 2.11 15:30 名久井直子(ブックデザイナー) 2.11 18:30 穂村弘(歌人) 2.13 16:00 川上未映子(小説家・詩人)
外部作品
2014年9月29日-10月13日
〔東京〕2014年9月29日-10月13日/東京芸術劇場プレイハウス
野田さんの作品を観たのは10代のころだった。世界は2001年になろうとしていた。田舎では、舞台なのに舞台をLIVEで観れない。だから先生にVHSを何本も借りて。夏休みとかに、かき氷食いながら。とにかくたくさん、手元にあるだけのVHSを観尽くした。ビデオテープはすこし伸びている。不安定な画面に映っている彼らは、夢の遊民社、というらしい。わけのわからない感情が、ビビッドに。あのころのぼくに突き刺さってきたのを憶えている。一際、すっかり惹かれてしまったのが、小指の思い出。なにもかもが遠くに逃げて行ってしまうような感触。決して戻らない時間。LIVEとして、あの時間を。2014年に再び舞い降ろしたい。
藤田貴大
「小指の思い出の思い出が」
中学三年のころ、育った田舎町で、VHSで観た『小指の思い出』と、今回、こうして向かい合った『小指の思い出』の思い出が、これからのぼくに、なにをもたらすだろうか。 夏の暑い日だった、ぼくはそのころも演劇に明け暮れていた。ただひとつ、不安なことがあった。こんな小さな町で演劇をしていたって、たぶん通用しないのだろう、と。『小指の思い出』が映る画面の向こう側には、東京が広がっていた。それは、ちっぽけなぼくにはたぶん、到底、通用しない世界だった。 上京して、ちょうど10年が経った。『小指の思い出』を演出することになって、この作業はまるで記憶を探すような作業だった。中学三年のころに繰り返し観た、あのVHSの記憶。83年、すなわち、ぼくがまだ生まれていないころの記憶、質感。 くるしい作業のなか、救いになっているのは、登場人物のみんなが、自分を探している、ということ。自分とは何者なのか、いま、どこにいて、いつの時代に生きているのか、みんな、葛藤している。 現在、2014年として、葛藤している。2014年として、音も光も、ひとも、現実も、妄想も紡がれる。 ぼくに、なにをもたらすだろうか。 なにが、待っているだろうか。 ぼくは、ヒカリになれるだろうか。 あのころ、あの町にいたころと、まったく同じように、不安である。暗闇のなかにいるような、そんな感覚である。 冬になる。 ヒカリを探している。 2014.9.14 藤田貴大勝地 涼 飴屋法水 青柳いづみ 山崎ルキノ 川崎ゆり子 伊東茄那 小泉まき 石井亮介 斎藤章子 中島広隆 宮崎吐夢 山内健司 山中 崇 松重 豊
[ミュージシャン] 青葉市子 Kan Sano 山本達久
作/野田秀樹 演出/藤田貴大
音/zAk 照明/富山貴之 衣装/スズキタカユキ(suzuki takayuki) ヘアメイク/赤松絵利 舞台監督/森山香緒梨 技術監督/小林清隆 今野健一
音響部/東 岳志 照明部/江森由紀 久津美太地 演出部/杣谷昌洋 丸山賢一 加藤 唯 衣裳部/田近裕美 ヘアメイク部/伏屋陽子 アシスタント/小椋史子 アシスタント・映像プラン/召田実子 映像オペレーター/三上 亮
文字・宣伝美術/川名 潤 宣伝写真/川島小鳥 宣伝ヘアメイク/HIROTAKA Sin 宣伝スタイリスト/UNO
企画アドバイザー/徳永京子 主催/東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団) 東京都 東京文化発信プロジェクト室 (公益財団法人東京都歴史文化財団)
マームとジプシー
海外公演
〔東京〕2014年8月5日 〔ボスニア〕2014年10月10日-11日
〔イタリア〕2014年10月24日-25日 2014年10月31日 2014年11月4日-6日
東京 2014年8月5日/杜のホールはしもと ボスニア 2014年10月10日-11日/Center for Children and Youth Grbavica(International Theater Festival MESS参加) イタリア 2014年10月24日-25日 /Pontedera Teatro(ピサ) 2014年10月31日 /Teatro delle Muse(アンコーナ) 2014年11月4日-6日 / Teatro di Messina(カターニア)
この作品はぼくらが、はじめて日本じゃない国まで持っていったものであり、そして、まだ旅の途中の、まだなにも終わっていないものである。未完成な部分も多い作品だ。マームとジプシーという名前が、ぼくらにいよいよほんとうに、貼りついてきたかんじがあった。それは、始まった作品が、やがてどこで終わるのか。どこで死ぬのか。死に場所をさがして彷徨うみたいな作業だ。あらかじめ決められた、てんとてんのあいだに線を引くような。作品はいつか古くなり、老いて。死ぬだろう。必要がなくなるだろう。その寸前のきわきわのところまで、旅をつづけたい。この作品の未完成な部分を旅を通して、補強したい。ともあれ、とにかく、また。ここから始まる。
藤田貴大
これはまだ旅の途中の作品である。
未完成の部分がとても多くて、普通のかんじだと、もうすこし整理したりとか、そういうことをしてしまうのだろうとおもう。
でも、普通のかんじとして、整理して示すことが、かならずしもよいとはおもえないのだろう。
なによりも、
これはまだ旅の途中の作品であるのだから。
意識的に、作品のなかに隙間を散りばめているつもりである。その隙間は計算されたものではなくて、正直言って、ぼくにもわからない。
しかしその隙間は現在の自分にとっては必要な隙間なのは確かだし、そしてぼくはその隙間を埋めようとはおもわない(作品が油断する瞬間があって、その油断にこそ、なんともいえないニュアンスが詰まっているというのに、よくない癖で、それを埋めようとしてしまう)。
作品に隙間を置いて、そのことをかんがえながら旅をしたい。
そもそも、あのころ、コドモのころ、隙間だらけだった。油断だらけだった。オトナはそこにつけこんで、ぼくらを埋めて、埋め尽くして、彼らがおもう「人間」という、ぼくらからしたら穢らわしい生物に仕立て上げようとした。
この作品は去年もそうだけれど、今年も日本じゃない場所へ行く。どの場所でも、その場所での作業をしたい。あえてつくった余白について、とことんかんがえながら。
そしてやっぱり答えは見つけたくない。答えを見つけたら、この作品は終わるだろう。
答えを見つけてしまって死んでしまった、いつしかのあの子みたいに。
答えを見つけてしまったら、作品は、演劇は、死んでしまうだろう。
8月2日 藤田貴大
荻原綾 尾野島慎太朗 波佐谷聡 成田亜佑美 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 舞台監督/熊木進 照明/南香織 音響/角田里枝 映像/召田実子 通訳・ツアーマネージャー/門田美和 制作/林香菜 植松侑子
マームとジプシー
2014年6月8日-29日 全2会場
〔東京〕2014年6月8日-22日/東京芸術劇場シアターイースト 〔北海道〕2014年6月28日-29日/だて歴史の杜カルチャーセンター
26歳のときに書いた作品を、リユースして再構築してみようとおもうのだが、これに至るまではいろいろあった。マームとジプシーのこの三年間は、自分たちの過去に発表した作品をある意味、否定していく作業でもあった。とめどなく湧きでてくる、興味と。どうしようもなく拡大されていく、規模。どんどんと速くなっていく、スピード。取り巻くぜんぶのことにアプローチしていくときに振り返ってはいけなかった。振り返らずに、旅をしてきた。しかし去年のいつだったか、すこし立ち止まってかんがえる時間があった。疲れていた。ぼくだけじゃなくて、マームとジプシーが。たぶん、疲れていた。ぽつぽつと、みんなと話す時間があった。はじめて、過去の作品のことを話した気がする。そのときの、なんか、手触りみたいなのって。帰りたい、みたいな感覚と似ていた。この三年間で、生まれた家が壊されて道になった。飼っていたネコの、モモが死んだ。親もみんな、確実に年を重ねている。ぼくも今年、29歳になって20代最後の年を迎える。もう、振り返らないとおもっていた。帰らないとおもっていた。旅をつづけなくてはいけないから。でもでも、待っていてほしいともおもうのだ。もう、なくなってしまった家に。モモに。待っていてほしいともおもうのだ。旅しながら、帰る場所を探して彷徨っている。そのことすべてを、空間として。そこに漂う、波長を。生みだしたい。生みだした先には、また。旅。旅しかないこともわかっているけれど。
2014.4.3 藤田貴大
こないだ、29歳になった。つまり20代も今年で終わる。と同時に、マームとジプシーの20代も終わる、気がする。
26歳のときに書いた、この作品と。いま、また向き合っている。あれから、ぼくは。ぼくらは旅をした。いろんな場所で、作品を通して。別れたし、そして出会った。
ぼくの記憶の風景も、褪せていくものと、さらに鮮やかに蘇るものが共存しながら変化していった。聴こえなくなった音もあった。あたらしく聴こえてくる音もあった。そういうたくさんの葛藤のなかで作品たちは生まれた。だから三年前とはまるでちがう。理想として、目指すものも。だから手触りも。なにもかもが。
でも、ふとした瞬間に。2011年に遡ることがある。あの年は、帰る、ということに戸惑っていた。たぶんそれはぼくだけじゃない。たくさんのひとたちが。
旅をつづけてきたぼくに。ぼくらに。帰る場所はあるか。どうやら進んでいくしかない時間のなかで、すこしだけ立ち止まって。振り向いているのかもしれない。どうやって、ここまできたのか。なにを大切に、守ってきたのか。
あのころの作品のなかには、いまも変わらないものたちが煌めいていた。それらを拾い集めて、きちんと現在として。今月末には、記憶の町に。作品を持って帰りたいとおもう。
2014.6.4 藤田貴大
10歳のときに、この町で演劇に出会った。 あれからずっと。 寝る間も惜しんで演劇のことばかり、かんがえている。 18歳のときに、この町を出て。 それからもずっと。 ほんとうにずっと。 演劇のことばかりかんがえて、 そしてずっと、つくってきた。 東京で、演劇をやりながら生活することはとても大変なことで、何度も立ち止まっては、やめようとかんがえたりしたこともあったけれど。 でも自分には演劇以外にできることはない。なによりも自分は演劇を通して、たくさんのひとに出会って、たくさんのことをかんがえて。そして、自分というカタチをつくってきた。 演劇とは、自分自身だ。 10歳のころから。 そうやって生きてきた。 なんてことない、いつもどおりの帰り道。 この町で過ごした、18年間を思い出す。 立ち止まって悩んでしまうとき。 不安でどうしようもないときに。 この町で過ごした、18年間を思い出す。 懐かしんでいてはダメなこともわかっている。振り返ってはダメなことも。ぼくの演劇は止まらずに、きびしさを持って、進まなくちゃいけない。旅をつづけなくてはいけない。 あのころには、もう帰れない。 でも、この町には待ってくれているひとたちがいた。 家族や、先生。友人も。帰ると、待ってくれていた。 作品を持って、帰ってこれた。 この町を。ぼくの家を。 あのころの食卓を描いた作品を。 持って、帰ってこれた。 ぼくにとって、これ以上のよろこびはない。 すべてのひとに、感謝。 ありがとうございます。
2014.6.23 深夜 藤田貴大石井亮介 伊東茄那 荻原 綾 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 斎藤章子 中島広隆 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 舞台監督/森山香緒梨 舞台監督助手/加藤 唯 丸山賢一 音響/角田里枝 照明/南 香織 照明オペレーター/伊藤侑貴 衣装/スズキタカユキ(suzuki takayuki) 映像/召田実子 演出助手/小椋史子
当日パンフレット/青柳いづみ 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 古閑詩織
主催/マームとジプシー 共催/[北海道公演]N P O 法人伊達メセナ協会 提携/[東京公演]東京芸術劇場(公益財団東京都歴史文化財団) 助成/芸術文化振興基金 公益財団法人セゾン文化財団
コラボレーション
2014年3月9日-5月4日 全8会場
〔東京〕2014年3月9日/早稲田大学 27号館 小野梓記念館 地下2階 (東京国際文芸フェスティバル・クロージング参加) 〔福島〕2014年3月21日/MUSIC & Bar Queen (I-Play Fes 2014参加) 〔長野〕2014年4月15日/まつもと市民芸術館小ホール 〔京都〕2014年4月18日-20日/元・立誠小学校 音楽室 〔大阪〕2014年4月22日-23日/味園ユニバース 〔熊本〕2014年4月25日-26日/早川倉庫 〔沖縄〕2014年4月29日/桜坂劇場 〔東京〕2014年5月2日-4日/風林会館
青柳さんと藤田くんがみせてくれたものをみたくて、わたしはきっと、いつかの日に、これらの詩を書いたんだなと思いました。今ここにある全部が、どうか、どうか鳴りやみませんように。
川上未映子マームとジプシーのどこに惹かれるのかについて、 それを言葉にする必要はないのだけれど、 それはきっと、彼らが、<時間>のことを常に想っているからではないかと思う。 過去、いま、未来。 記憶のなか、身体のなか、そして外。 そしてそのあいだに存在しているかもしれない、たくさんの時間。 いつだって反復しようのない一回性だけで出来あがってるはずのこの生は、 その一回性が圧倒的すぎて、反復を夢みないでは、いられないこともある。 マームとジプシーの舞台で、感情や言葉や運動が何度も反復されるとき、 一瞬だったはずの一瞬がひきのばされ、 ひとつだったはずの視線は、複数の角度をもって、何度でもあらわれることになる。 その夢は、わたしたちに色々なものを見せてくれるけれど、 「そうだったかもしれないこと」 「こうでもありえたこと」 「そうじゃなかったかも、しれないこと」 つまり、ついには流れなかった時間、ついには会えなかった人までを、見せてくれる。 だから、マームとジプシーを観ていると、 いつも、「世界中の、生まれなかった子ども」のことを思いだしてしまう。 それがどういうことなのか自分でもよくわからないけれど、 でも、思いだしてしまう。 どうか。 マームとジプシーの舞台が、ずうっと続きますように。
川上未映子青柳いづみ
テキスト/川上未映子 「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」 「少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ」 「戦争花嫁」 「治療、家の名はコスモス」 「冬の扉」 「まえのひ」
演出/藤田貴大 音/zAk 映像/召田実子 Other Member/明石伶子 石井亮介 荻原 綾 中島広隆 森山香緒梨 衣装協力/スズキタカユキ(suzuki takayuki) 宣伝美術/吉田聡子 制作/林 香菜 鳥井由美子 主催/マームとジプシー 共催/[京都公演]立誠・文化のまち運営委員会 助成/公益財団法人セゾン文化財団 芸術文化振興基金 [大阪公演]おおさか創造千島財団
コラボレーション
2014年3月29日-30日
〔東京〕2014年3月29日-30日/VACANT
名久井さんはたぶん、とてつもなく広くて、深い、それでいて脆かったり、華奢な、そういう森みたいなところに住んでいて、しかも、ひととはちがう言葉をしゃべるのだとおもったし、その手触りは、マームとジプシーがこれから、どうやって、つくるということ、そのもののなかを、彷徨うべきか。そして、方位磁石も、それとなく渡してくれたような気がした。
2014.3.27 藤田貴大
言葉のひとでもなく、自分の作品を送り出しているひとでもないわたしと、藤田くんが何をしようとしているのか、最初はまったくわからなくて、今も本当はよくわからないけど、彼は言葉を探しているのではないか。つるつるした石や、とがった石や、宝石や、字が書ける石や、漬け物石のような、さまざまな言葉を。周りの人たちを、きょとんとさせながら、収集は続くのだろう。
名久井直子
青柳いづみ
名久井直子 藤田貴大
映像/召田実子 照明/明石伶子 荻原 綾 Other Member/ 石井亮介 制作/林 香菜 協力/ミナ ペルホネン 主催/マームとジプシー
コラボレーション
2014年2月28日-3月2日
〔東京〕2014年2月28日-3月2日/ VACANT
ほむらさんってひげはえるのかな。 ひげはえてるとこみたことないや。 でもひげそるところもみたくもないし。 まあきっとずっとそういうふうにかかわっていきたいな。
2014.2.26 午前4時穂村さん家にて 藤田貴大「せいろとジネンジョ」
作業の合間にみんなで近くの蕎麦屋に行った。 「せいろってふつーのやつ? せいろってふつーのやつ? ふつーのそばのやつ?」 お品書きを見ながら、藤田君がそう訊いている。 青柳さんは無視している。 「せいろってふつーのざるそばみたいなやつ?」 青柳さんは答えない。 どきどきする。 「ふつーのやつだよ。 ふつーのやつだよ。 ざるそばから海苔を引いたのがせいろだよ」 テレパシーで僕は答えた。 「公演のたびに、藤田君、一度は『殺すぞ』って云いますよ」 昨日、青柳さんがそう教えてくれた。 へえ、と思った。 おそろしい。 とてもそうは見えないんだけど。 蕎麦が来た。 食べようとしたら、お店のおじさんが青柳さんに声をかけてきた。 「そのとろろはジネンジョだから、混ぜないで、そのまま掬って食べてね。 混ぜないで、ぜったい、そのまま、ジネンジョだからね。 掬って、掬って食べてね」 そして、すぐ横に立って食べるところをじっと見ている。 こだわりがあるようだ。 でも、こっちは落ち着かない。 そのとき、藤田君の目が光った。 あ、と思う。 出るか、「殺すぞ」 「ジネンジョってなに?」 不発。 おじさんは命拾いをした。青柳いづみ
テキスト/穂村 弘 藤田貴大
映像/召田実子 照明/明石伶子 Other Member/石井亮介 協力/辻 佳代 制作/林 香菜 主催/マームとジプシー
マームとジプシー
2014年2月10日-3月22日 全2会場
〔神奈川〕2014年2月10日-16日/のげシャーレ 〔福島〕2014年3月20日・22日/いわき芸術文化交流館アリオス (I Play Fes2014参加)
マームとジプシーをはじめたころのような、単純にすごく不安な気持ちと、 それに伴って、なにかあたらしいものが見つかるのではないか、と期待したりとか。 いや、なにもないのではないか、この先。なんて、こわくなったりとか。 なんだか、振り出しに戻ってしまった心地がするのだ、最近。 やはり信じることができるのは、自分だけ。自分の興味だけに向かって、 つくるしかないから。誰かに向けて、誰かのために、と。 最初っからそういう風に、まずはつくるのではない。そういう意味では、 今回のこの作品は、愚直なまでに純粋につくる作業ができている。 自分は、やはりオトコである。 オトコとして、やっぱり生きてきてしまった。オトコとしての、めんどくささ。 身体はやはり、オトコだ。女子のことは、わからない。 わからないものは、ずっとわからないのだから、わからないままにしておいて。 今回は、オトコとして、オトコのことを。 しかし、できているのだろうか? オトコだから、とか。どうでもいいのではないか。 男優と、向かい合いたかった、とか。いやいや、いつだって向かい合ってきた。 じゃなくて、彼らの身体を通して、見つけたかったのは。 ありとあらゆる無重力について。 無重力を突き詰めていけばいくほど、ある限界が見えてくる。 その限界が知りたかった。そしてその限界は、ほんとうにぼくらにとっての限界か。 無重力を想像できているのか。地面に倒れるまでの、無重力のことを。 『Kと真夜中のほとりで』と『ハロースクール、バイバイ』のことを、よく思い出 しながらつくっている。あのころは、とにかく不安だった。そして、なにかあた らしいものが見つかるのではないか、と。期待していた。
2014.2.7 藤田貴大「三年間に、つまっている。いくつもの、世界。」
2012年、1月。当時、高校生だったみんなといっしょにつくった作品「ハロースクール、バイバイ」を。いわき総合高校にて、発表した。
あのとき、17歳だった彼ら/彼女らも、今年で20歳だという。
2013年、2月。マームとジプシーが2011年の4月に発表した「あ、ストレンジャ―」という作品を。いわきアリオスにて、再演した。
客席にいた、彼ら/彼女らは18歳だった。舞台をみつめる、彼ら/彼女らの顔。まだ、目の奥に焼きついているみたいにして、おもいだすことができる。
春がおとずれて、高校を卒業して。町をはなれようとしている者もいれば、のこった者もいるという。いちど、はなれて。また町にもどった者もいると、きいている。
それで、現在。
2014年、3月。じぶんにとって、この三年間は、どんな三年間だったか。おもいだしながら。感触として、うすれていくもの。記憶として、とおくなっていくもの。
『Rと無重力のうねりで』には、当時、17歳だった、いわき総合高校に通っていた、長谷川洋子が出演している。彼女はあのころと、あんまり変わり映えしない顔で。まいにち、くだらないことで笑ったりして、同時に食べていた物を床に落としたりしている。あまりに、世に言う女子大生っぽくなくて。注意したいくらいである。
彼女をみていると、ふと、おもいだす。
教室で、お弁当食べて。そのあとにお菓子も食べて。そして、校庭のまわりを散歩していた日々のこと。校舎の柱の「ひび」について、説明してくれる者もいた。「海なんか、もうみたくない」という者もいた。みんな、もう、20歳か。
みんな、それぞれの世界に。
どこかで、また集まることがあれば、責任もって。生ビール、おごるよ。
2014.3.13 藤田貴大
石井亮介 伊東茄那 尾野島慎太朗 中島広隆 波佐谷 聡 長谷川洋子 吉田聡子
舞台監督/森山香緒梨 照明/南 香織 音響/角田里枝 衣装/スズキタカユキ(suzuki takayuki) 衣装助手/川村 翠 荻原 綾 衣装協力/高橋 愛(suzuki takayuki) アシスタント・ 映像/召田実子 パンフレット/青柳いづみ 通訳/喜友名織江 英語資料翻訳/Helen Kenyon 制作/林 香菜、植松侑子(海外担当) 助成/公益財団セゾン文化財団 共催/横浜にぎわい座 協力/大橋ボクシングジム 主催/マームとジプシー
マームとジプシー
2013年11月21日-12月15日 全3会場
〔神奈川〕2013年11月21日-12月1日/KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ 〔新潟〕2013年12月6日-12月7日/りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場 〔福岡〕2013年12月14日-12月15日/北九州芸術劇場 小劇場
「コドモも、モモも、森んなか」
いつか、 モモとゆう存在を、なくすのだとわかってはいたけれど、 やっぱりなくしてしまって、そのことがやっぱりおおきかった。 七月だった。モモが、なくなったのは。 かんがえちゅうで、 まだまとまらない。 モモが、なくなってしまって、鳴らなくなった音があった。 でもそれでも、物音がすると、モモじゃないかと振り向いてしまう。 まだモモが、いるような気がして。 音をさがす。 そんな時間を、 つくらなくちゃいけなかった。 コドモのころ、想像していた、 ちかい未来に味わうのだろう、 喪失、 が、ほんとうになった瞬間に、 喪失、 は、過去になった。 記憶になった。 だから作品にしようとしちゃってる、 この作業に終わりはあるのだろうか。 かんがえちゅうで、 まだまとまらない。 繰り返しても、喪失したあとの暗闇は、終わらない。 終わらなすぎて。 2013.11.17 藤田貴大石井亮介 伊東茄那 荻原 綾 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 中島広隆 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
舞台監督/森山香緒梨 舞台監督助手/加藤 唯 音響/角田里枝 照明/富山貴之 衣装/高橋 愛 高木ポップ(suzuki takayuki) 宣伝美術/本橋若子 当日パンフレット/青柳いづみ 制作/林 香菜
特別協力/急な坂スタジオ 助成/公益財団法人セゾン文化財団 アーツコミッション・ヨコハマ 神奈川県 提携/[神奈川公演]KAAT神奈川芸術劇場 [北九州公演]北九州芸術劇場 主催/[新潟公演]公益財団法人新潟市芸術文化振興財団 主催・企画製作/[神奈川公演・北九州公演]マームとジプシー
コラボレーション
2013年9月6日-8日
〔東京〕2013年9月6日-8日/VACANT
夏のおわりに、 未映子さんの文字に出会って、 音にしようとするときに、森のなかへ迷いこんだ、 ような。やがて辿りついた、山小屋のなかは、 じつはそこは、自分の内側で。そこから再度、 外にでてゆくのは、とても困難で。 みたいなそんな、孤独と。 内と外の隙間で右往左往する、揺れる身体は。 世界と一体化するのか、どうか。とかとか。 洪水のような言葉たちに当てられて、かんがえて。 答えがみつからぬままであろうことを、 みつけようともがけどもがけど、 みつからない。ってことを、くりかえして、 この夏がおわってほしいし。 未映子さんは、数年前から。 マームとジプシーをずっとみつめてくれていた。 その眼差しが、文字になり、音となった。 この一連が、このうえない至福。 こんな機会を遺憾なく逃すまいとするのは必然。 死ぬ気でやるけど、死ねないのもわかっている。 どうか、あらゆることが終わらないように。
藤田貴大青柳さんの手足と声、 藤田くんの目と耳によって、 言葉がどのような「からだ」を現すのか。 それは、すでに書かれ発せられた言葉 のみならず、まだ存在しない 言葉にもおよぶ緊張と悦びだ。 観るまえの今も、観たあとのその ときも、きっと、そのことについて ずっと考えるんだと思う。
川上未映子青柳いづみ
テキスト/川上未映子 「冬の扉」 「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」 「まえのひ」
演出/藤田貴大 音/zAk 音響/角田里枝 照明/明石伶子 映像/召田実子 制作/林 香菜 企画/青土社 マームとジプシー 協力/VACANT Other member/石井亮介 川崎ゆり子 中島広隆マームとジプシー
2013年8月5日-18日
〔東京〕2013年8月5日-18日/東京芸術劇場シアターイースト
――昨日までオーディションをやってたんですよね。何時ぐらいまでやってたんですか?
藤田 終わったのは8時前ぐらいかな。
今日 そうか、8時に発表だったんだ。
藤田 そうそう。そのあと韓国料理屋に行って、ずっと飲んでたっていう。
郁子 たぶん全員キムチくさいと思います。
藤田 青柳が韓国帰りでキムチのお土産を買ってて、それを食べてスイッチが入ったんだと思う(笑)。
――オーディションは何段階あったんですか?
藤田 まず320人ぐらいの人が応募してくれたんだけど、書類審査はしたくないから一次オーディションで全員来てもらったんですよ。一次で94人に絞ったんですね。それで三次オーディションまでやって最終的に15人に絞りました。
――実際にはどういう審査を?
藤田 僕がオーディションって聞いてイメージするのはモーニング娘。とかなんだけど、いきなり「歌え」とか「演技しろ」って言うのはすごい嫌で、一次はインタビューしかしてなかったです。急な坂スタジオでやったんですけど、「ここに来る前に、どこで起きたか」を話してもらったんです。床に地図を作って、そこに自分でテープを貼ってもらって名前を書いてもらって。だから床に320個のてんがある状態で。
――「まいにちを朗読する」ってワークショップに近い形式ですね。
藤田 そうそう。で、別に演劇経験が豊かな人を取ろうとはしてなくて、ちゃんと僕と話せる人とか、話してるときの声が良い人を選んだ感じがあって。ほんとに、「この人、面白い」って人がいるんですね。やけに話が長くて面白くない人もいるし。今日さんは一次にも来てくれたんだけど、「この人、面白いよね」って言う人が一緒だったのがほんと良かった。
今日 一次オーディションはほんとにすごかった。藤田君がずっと役者さんと話をしてるんだけど、履歴書も何も持たない状態で話を聞いて、終わったあとにワーッと思い出して優劣をつける感じだったので。
郁子 やっぱ覚えてるんだ? 良いなと思った人。
藤田 覚えてる。一次は本当に履歴書を持たずにやっていて、二次で初めてそれを見るんだけど、そうするとほぼ演劇経験に乏しい普通の人が残って。そうやって「話せる人」みたいなことで選んでいきましたね。最後の三次のときは、僕が『ユリイカ』に書き下ろしているテキストを読んでもらったんだけど、そこにはマームとジプシーの役者さんもいたし、zAkさんもいたし、今日さんと郁子さんにも来てもらって。
郁子 生まれて初めてオーディションっていう場所に行きました。これまで全然縁がなかったから。ほんとに最後の最後、最終の人たちを絞ってるところに入って行って全体を見ていた感じなんですけど……。とにかく空気の密度が濃過ぎて、3回ぐらいファッて倒れそうになって。
林 郁子さん、雨の中を外に出て行きましたもんね(笑)。
郁子 そう。窓もないから、ひとりひとりが出したものがすごい充満してて。
藤田 でも、何か――そうだ、3人で沖縄にも行ったんですよ。そのときにガマ(戦争中に防空壕として利用された洞窟)に入ったんですけど、そのときのプレッシャーがすごくて。中にいるとグーッて圧がかかってる状態なんだけど、外に出たら沖縄の風景が広がってる――その圧力からの抜けみたいなのが作りたい音だったり空間だったりするのかもしれないから、あのときに郁子さんが「出たい」って行ってくれたのは嬉しいかもしれない。
――沖縄に行ったのはどんな日程で?
藤田 えっとね、2泊3日。
郁子 2泊3日だっけ? 1週間ぐらい行ってるみたいだった。
藤田 あれ、ちょっと狂いそうだったよね(笑)。大人の修学旅行って感じで、リゾート感ゼロだったんですよ。とにかく戦跡を行くっていう。今思うと、郁子さんって夜型だからつらかったんじゃないかと思うんだけど(笑)。
郁子 ……すごかった。でも、今まで何回も沖縄に行って、ライブしたりレコーディングしたり飲んだりしたけど、その度の沖縄のどれとも違って最もヘヴィだった。
藤田 僕らも「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」って作品の大楽の次の日だったから、めっちゃ飲んでたんですよ。それで飛行機の中でめちゃくちゃ吐いて、げっそりして沖縄に着いたら先に郁子さんがいて、郁子さんもげっそりしてて。
郁子 ああ、そうだ。たしかみんな寝ないで早朝の飛行機に乗ってきた。
藤田 で、着いてすぐひめゆりの塔に行ったんですよ。ワゴン車とか借りてたから最初はちょっと楽しい空気だったんだけど――別に僕は霊能力があるわけじゃないんだけど、ひめゆりが近づいてくると「これはヤバい」って空気がわかるんですよ。そのとき郁子さんが黙りだして。
林 今日さんと『cocoon』の担当の金城さんは何度か行ってるから、やたらビビらせて。
今日 いや、泣いちゃう人もいるから、いちおう行っておこうと思って。
郁子 ずっと避けてたんですよね。標識に「ひめゆり」って出ただけでそわっとするから、見ないようにしてたぐらい。だから、皆で沖縄に行こうってなったときも、ほんとギリギリまで「なくなればいい」と思ってた(笑)。
――実際行ってみて、いかがでした?
郁子 1日目にさ、全然心の準備がないときに、階段を降りたらガマがあってね。
藤田 あそこはヤバかった。
今日 ひめゆりからクルマで10分ぐらいのところにある、平和の礎ってとこに行ったんですよ。
藤田 沖縄の人が飛び降りた崖があって、そこを降りていくとあまり観光地化されてない防空壕があるんですよ。そこに入ったんだけど――郁子さんはちょっとなめたような靴を履いてきてたんですよ。
今日 ちょっと弱々しい靴ではあったよね。
藤田 それで僕と石井君が手を合わせて先には行ったんですよ。そこは少年兵たちがいた防空壕だったんですけど、整ってないところに踏み入れてみたらすげえコウモリがいたんですよね。あそこが一番鳥肌立ったかもしれない。それで「郁子さん、ここすごいよ」って言ったら、郁子さんが立ち止まっちゃって。
郁子 一歩も入れなかった。
今日 あそこはほんとに怖かった。私と金城さんはもう3回目ぐらいだったんですけど、行った途端におしゃべりをやめざるを得ないぐらい、何かある感がすごかった。
藤田 そこで郁子さんが「いっぱい目が見えた」とか言って。
郁子 お互いに聞こえたものをぽつぽつ話してたよね。
藤田 「今これが聞こえた」とか「これが見えた」とか、怖い話を和気藹々としてたよね。
今日 ほんとにね、誰かがいる感じがどうしてもする。
藤田 コウモリがいるだけなんだけど、そこから先に近づけない場所があるって感覚がして。だけどね、その崖は人がたくさん死んだ場所でもあるんだけど、歩いていくとすごいきれいな海が広がってるんだ。そこからクルマに戻る途中に「コーラ飲みたくない?」って話をしたんですよ。ああ、これヤバいと思って。これが現代だと思った。アメリカの象徴みたいな飲み物を飲もうとしてるとか――。
郁子 でも、「そういうことも込みだよね」って話をしたね。「今一番飲みたいのコーラだもんね」って。
藤田 そうそう。いくら怖い思いをしても戦時中になれるわけではないし、ここで何人死んだって言われてもやっぱり過去は過去なんですよね。そこに対して親身になれなくて、コーラを飲みたかったりビールを飲みたかったり、そういう今に生きてる自分もいて。でも、頭では死んだって事実はわかってるから、そうだし――何かその事実との距離がリアルだなと思った感じはありましたね。
――今、海の話が出ましたけど、前に今日さんと藤田さんが対談したときも海の話をしてましたよね。沖縄の海はどうでしたか?
藤田 僕の住んでた北海道の海はもっと荒々しいし、ああいう透き通った水じゃないんですよね。沖縄は、海だけ見たら南国だなって思うんだけど……とにかく残酷だなと思ったんですよ。こんなにきれいな海まで頑張って逃げてきた子たちがここで飛び降りたってことは、とにかく残酷だなって思って。その海が行き止まりだったら、何も救われないなと思った感じがありました。沖縄の海はとにかく綺麗だから。
今日 それがまた悲しいよね。一緒に作るにあたって、私と藤田君とでは海の考え方がちょっと違うよねっていうところからスタートしていて。私は東京出身だから、海というのは川が流れていくどんづまりみたいなイメージがあるんですけど、藤田君が描く海は上京していくときの希望が描かれていて。
藤田 そう、僕は海に対して希望を抱いていて。でも、あえて引き合いに出すけど、3月11日があったとき、僕はやっぱり水を描くことに慎重になったんです。でも、今日さんの描く水は美化されていないから、ああいうことがあったとしても強度が絶対にあるなと思っていて。だから水とか海に慎重になっている時期でも今日さんの本は開けたっていうことがあったんですね。あと、これは昨日も聴いてたんだけど、クラムボンがカヴァーしてる「波よせて」って曲があるですよね。地震があったあと、郁子さんはあの曲をどうやって歌うんだろうってずっと思ってた。
郁子 ずっと歌えなくてね。3月に地震があって5月からツアーがあったんだけど、初日の福島から東北をまわって。「波よせて 君は行く」って歌詞なんですけど、全然違う曲だってわかっていても、それを自分が歌うと皆の中にあの映像がもういっぺん戻ってくるのはわかってるから。もう一つ、THA BLUE HERBのBOSS君と一緒に作った曲があるんだけど、それも「抗えぬ波に 飲み込まれて行く」って歌い出しで、これもしばらく歌えなくて。
藤田 2011年の7月のフジロックに僕は行っていて、グリーンの真後ろにテントを立ててたんだけど、そのときグリーンにクラムボンが出てたんですよね。で、テントでコーヒー飲みながら聴いてたんだけど、そこでその2曲とも歌っていて。あの曲を郁子さんが歌えるのってすごいなと思った。
郁子 その日はハラカミさんのお葬式の日だったんだよね。当然、京都だから行けなかったんだけど、最後に「Folklore」って曲の中でそのことを自分なりにやって。そういう、あのライブには全部集まってたんだけど、それを藤田君は聴いてくれてたっていう。
藤田 海に関して言えば、いわきに滞在してこどもたちと作品をつくったとき、17歳の子が「海とかもう見たくない」って言ってたんだよね。それがすごいショックだった。僕は17歳の頃は「海を越えたら上京できる」ってことしか考えてなくて。その「波よせて」って歌でもそれを言ってるんですよね。
郁子 「海の向こうに何がある?」ってもう何百回も歌ってるけど、いつも見えてくる風景はちがってる。ここにないものがあるはず、って想像で渡っていくような。
藤田 僕にとって、海にはそういうイメージがあったんですね。だからいわきに行ったとき、僕は原発がどうとかは正直よく知らないけど、17歳の子に「海見たくない」って言わせてるってどういうことなんだろうって怒りがあって。それは沖縄でもまったく同じことを思って。戦争反対とかはよくわからないけど、あの場所に行ったとき、当時の大人たちは16とか17のこどもたちに何て音を聴かせてたんだろうって怒りがあったんですよね。戦争のおそろしさとかは、いいんですよ。そうじゃなくて、その子たちが死ぬ瞬間に何の音を聴いてたのかって考えると、すごい残酷な音ばかり聴いて死んでいったんだなってことがわかる。だから、皆が帰ったあとに郁子さんと二人で3時間ぐらい飲んだときも「聴いて欲しい音ってあるよね」って話をずっとして。無惨に死んでいった子たちに聴かせたい音みたいなのがたぶんあるなと思っていて、それはたぶん郁子さんの歌だなって、今も全然思ってる。
――結構前の段階から、藤田さんは「今のマームは『cocoon』に向けて動いてる」と言ってましたよね。
藤田 もう、作品の中で何回海に走ったかわからないし、何回海を描いてきたかもわからないけれど、それはやっぱり、2年後に『cocoon』を描くってことがどこかで念頭にあったので。
郁子 マームで『cocoon』を舞台化するって話は、『ユリイカ』の方が関係あったんでしたっけ?
今日 最初は、『ユリイカ』の山本(充)さんが『cocoon』を気に入ってるみたいな話を人づてに聞いたんですよ。「そうなんだ?」って思ってたら、「舞台化したいと思ってる」って話をまた人づてに聞いて、また「そうなんだ?」ってぼんやり思ってたら藤田君と会うことになって。最初は藤田君がどんな人だか全然知らなくて、「ビレバンでバイトしてた人らしい」くらいの情報しかないまま、謎の青年に会ったんです。
藤田 2011年の4月に「あ、ストレンジャー」という作品の初演があったときに、山本さんから「『cocoon』やったらどう?」って言われたんですよね。もちろん『cocoon』は読んだことがあったんだけど、あの作品はどんどん海に向かって進むじゃないですか。それを改めて開いてみたときに、やっぱりショックだったんだよね。ショックだったけど、これはでも僕としても描かなくちゃいけないと思って、それで5月に今日さんと会ったんです。
今日 それまでマームとジプシーの舞台を観たことがなくて、いちおうYouTubeに上がってる動画とかは見てたんだけど……最初は藤田君のことを女のことだと勝手に思い込んでて。待ってたら男がきて、私はあんまり男の人が好きじゃないから、いきなりそこで拒絶反応が(笑)。
――郁子さんにはどんな形でオファーがあったんですか?
郁子 えっとね、ラーメン屋で……(笑)。
――えっ、ラーメン屋?
林 郁子さんにお願いしたいって話は結構前からあったんですけど、去年7月に「マームと誰かさん・さんにんめ 今日マチ子さん(漫画家)とジプシー」をやったとき、まずは「観にきてもらえませんか」とお願いをしたら、郁子さんが観にきてくれたんです。
藤田 だから「誰かさん」のときはめっちゃ緊張してました。観にきてくれたけど、『cocoon』の音楽をお願いしたいってことを今日言うべきかどうか、開演してからも悩んでて。結局、その日は今日さんの本だけ渡して、「一緒にやりたい」とは言えなかったんだけど。
林 それで終演後、私から「ちょっと郁子さんに話があったかもしれないんですけど」って話をして。それで、郁子さんはあんまりラーメンとか食べないのに一緒にラーメン屋に来てくれて、冷やし中華を頼んでましたよね(笑)。
郁子 (笑)「とにかく読んでみてください」って藤田くんからそれだけ言われて、今日さんの『cocoon』を受け取って。何かとても大事なことなんだということは伝わってきて。で、ラーメン屋のカウンターで、フェイント的に林さんにオファーをいただきました。とにかくうれしかったのと、身がひきしまるような、全身の毛が逆立つような恐ろしさが、両方あった。
――『cocoon』を舞台化すると発表したとき、藤田さんはツイッターで「音について、一緒に考えます」とつぶやいてましたよね。その言い方が印象的で。
藤田 今日さんとの「誰かさん」のとき、郁子さんが真っ先に言ってくれた感想がすごい嬉しくて。「風を感じた」って。たとえば、僕は「はだしのゲン」に風も音も感じないんですよね。でも、今日さんの絵は絶対風が吹いてるし、絶対音が流れてると思わせてくれる。だから「これは音についての作品になるだろうな」ってことは、今日さんの絵を見た時にまずあって。それで郁子さんとの関わり方に関しても、僕は単純に「歌ってください」ってオファーじゃ野蛮だと思ってたんですよね。もっと作品全体に流れる音を考えたいなってことがあって、そうつぶやいたんだと思う。
――ツイッターばかりで恐縮ですけど、郁子さんは『cocoon』に携わることについて「あたらしいことです」とつぶやいてましたね。それはやはり、普段とは違う音との関わり方になりそうなんですか?
郁子 えっとね、初めてマームとジプシーを観たのは「Kと真夜中のほとりで」って作品なんですけど、それを観た時に「あたらしい言葉だ」と思ったんですよね。そして、藤田くんは耳の良い人だな、と。ここぞ、という所でここぞ、という音がする。音のことをほんとに丁寧にやっているなあって。動かしたり繰り返したりしながら、立体的に“音楽”を鳴らしてるというか。だから、「あたらしい」っていうのは、自分の活動としてというより、「まだ誰も言ったことがない言い方」になるだろうってそう思ったんですね。
――オーディションも終わって、これから具体的な制作に入っていくかと思うんですけど、どういう形で進めていくんですか?
藤田 今、メーリングリストがあって。たとえばこういう打ち合わせとかしたあと、郁子さんが家に帰ってシンセサイザーをガーッと鳴らした音を送ってくれたりするんですよね。一番怖かったのが、「バババババ!」って銃声にしか聴こえない音が送られてきて、「これ実はチェロだよ」みたいな文章が添えてあって。この人、こんなこと考えてたんだと思うと怖くなった(笑)。
今日 皆びっくりしちゃって、誰も返信できなかったという(笑)。
青柳 ほんと、誰も返信しなかったよね。
郁子 いきなりだったからね。シンと沈黙が訪れた(笑)
藤田 沖縄のときは一番怖がってそうだったのに、実は一番作品の中に突入してる感じが音に出てた。そういうやりとりはもう生まれていて。
林 今日さんが以前、「『cocoon』を描き上げたとき、そこからそれぞれの『cocoon』が始まってくれたら嬉しいと思った」と言っていて、なるほどなって思ったんですよね。
今日 そう、だから別に原作に忠実である必要は全然なくて。描き終えても、自分が何を描いたのかは良い意味でわかっていないんですけど、それをまたさらに深めていくということを藤田君がやってくれればいいなと思ってます。
藤田 今、ユリイカに『cocoon』をテキストに起こしたものを発表してるんだけど、たぶん僕らも終わったあとに「これ、全然終わってないな」と感じると思う。沖縄に行ってわかったけど、これは絶対終わらない話だ、って。たぶん何も解決してないから、描いても描ききれないだろうって感覚はある。
今日 あの作品は本当に、「取り組まなきゃいけない」ってことをものすごく感じてしまって描いた作品で、そういうエネルギーだけはある作品かなと思ってるんですけどね。
――今日さんとしては、『cocoon』を描いたときと、今舞台化するにあたって一緒に制作をしているときとで何か感覚の違いはありますか?
今日 何だろう。これを描く前に担当さんと沖縄に取材に行ったときに思ったことは、自分がそこに高校生でいたとしたら「かわいそう」って言ってもらいたくないってことなんですね。そうじゃなくて、自分はただただムカついてるんだよって気持ちに対して、「そうだよね、私もムカつくと思う」って言ってもらうのが一番いいなと思ったんですよ。それだけは大事にしようと思って『cocoon』を描いたんですけど、それは今も変わらないですね。それと――死んじゃった人に重ね合わせるのは申し訳ないんだけど、自分も日々ムカつくことがあったり、自分の力ではどうにもならない大きな力に負けそうになったりすることがあるんですけど、そこに対してムカつき続けることが大事かなと思ったんです。
藤田 ……今日さん、ハードコアやわ。
郁子 一人だけどパンクバンドみたいなところがあって。
藤田 ちょっともう、怖いよ(笑)。
今日 こんな話したら、いつもすごい怒ってるみたいになるけど(笑)。でも、たとえばひめゆりの塔に行くと女の子の写真とプロフィールがバーッて貼ってあって、今の感覚からすると「この子たちはこんな子だったのに、かわいそう」ってなるんですけど、結構プロフィールがおかしい人もいて。「美少女である」と書いてある人もいれば、「大柄で気さくだった」とかすごくざっくりした人もいて。
藤田 めちゃくちゃ人が死んでるから、目立った子には長いプロフィールが書かれてるんだけど、写真もないし、誰も覚えてない子もいるんだと思うんだよね。「素朴だった」のひと言だったり。
今日 ほんと、悲しすぎるよ。
藤田 どこで死んだのかもわからない子もいっぱいいて、あれも現実だよね。
今日 そこらへんの厳しさを思うと、単に「かわいそう」じゃ済まされない問題がある。むしろ誰にも覚えられてなくてコメントが少ないことのほうがかわいそうなんじゃないかと思えるときもある。
――今回の舞台でも死を描くことになると思うんですね。これまでのマームの作品も死というテーマは扱われてきましたけど、戦争での死となると、どうしても少し違ってきますよね。
藤田 絶対違います。ただ、これは今日さんがあとがきに書いていたことでもあるんだけど、やっぱり僕は戦争を知らないっていう事実があるんですよ。その“知らない僕”と“事実”との距離ってこともちゃんと描かなきゃいけないと思うんですね。一方で、僕が友人を亡くしたときに思った喪失と、あの時期沖縄ですごい数の人が死んだという戦争での喪失とで何が変わるのかなっていう疑問もある。その戦争っていうことについて考える上で、聡子っていう――吉田聡子さんですけど、聡子ってキャラクターを原作にはないオリジナルのキャラクターとして一人置こうと思っています。だから、もろに戦争を描くだけじゃなくて、これまでも記憶を読み解くみたいなことはやってきたけど、“知らない僕”と“事実”との往復になっていくんじゃないかとは思ってますね。
今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひととひととが会する、この場所へと至った。この場所で、ぼくらは相も変わらず、繰り返す。なにもかも、零さぬように。かなしみも、怒りも、くるしみも。だれかを、なにかを、想うこと。帰るところ、たとえば故郷を、想うこと。あのころ、あの時代、いま。それら総てを、終わらせないために。繰り返し、繰り返し。それでもやがて訪れる、終わりのために。暗闇へ向かって。海へ向かって、走る。走る。行き着く海は、どんな海なのだろう。それはやっぱ、ぼくだけじゃ、眺めることができない海なのだ、どうやら。とにかく、走るよ。走ってみるよ。いろんな想い、抱えながら。
2013.7.22 早朝。 藤田貴大cocoon。という作品のなかで。わたしは。
10代の頃の。居場所がなかった。わたしと向かい。じぶんにとっての。。。繭。。。歌う。ということを。もういちど。見つけるのでしょう。マームのふじたくん。原作の今日さん。音のざっくさん。はじめ、スタッフのみんな。cocoon しゅつえんのみんな。それから今日。劇場に足をはこんでくださった、あなた。は、いま、ここに、集い。ともにある。けれども。それぞれに。ひとりひとり。とても。ちがう。生き物だ。そのことを認めなければ。とてもじゃないけど。一緒にはいられないほど。それぞれに。さまざまだ。でも。もし。わたしと。あなたに。たったひとつだけ。等しく。同じく。共通点があるとしたら。それは。いま。生きていて。いつか。死ぬ。ということだ。永い永いじかんをかけて。誰もがそうしてきたように。わたしも。あなたも。いつか。それを。かならず。やる。そのことを。ちいさいときから。どこかで。知っていたように。おもうし。このcocoonという物語のなかで。おそらく。くりかえし。くりかえし。いやというほど。見るのでしょう。想像する。重なっていく。ひろがっていく。巡っていく。宇宙のディレイの。渦のなかで。耳をすませば。近づけば近づくほど。ありありと。迫ってくればくるほど。粒子となって。満ちてゆく。なにか。この機会をくださったすべてのこと。いま。というじかんに。感謝をして。じぶんにとっての。。。繭。。。かき消されそうなほど。ちいさな。ちいさな。声が。いつか。あたらしい海に。
空に。風に。溶けていくのを。みてみたい。とおもう。
2013.7.24 原田郁子「cocoon」を描き始めてから5 年、マームとジプシーと共同作業をはじめてから2 年。その間に「cocoon」の続編であるホロコーストをテーマにした「アノネ、」も、藤田くんとの共作である痛々しい青春マンガ「mina-mo-no-gram」も描き上げた。でも、何も終わらないし、たぶん、ずっと背負っていくだろう。描くことはひたすら見えない荷物を増やしていくし、その一方で、やっぱり、実生活の何かは確実に手からこぼれていく。失ったものはもうどこにもないはずなのに、幽霊のように部屋にたたずんでたまに話しかけてくる。役者のみんなも同じだ。演じるたびに何度も死ぬのに、次のステージで生き返っている。不思議なことですね。まるで悪夢だ。この奇妙な夢が観客のみなさんのなかに入り込んで、ずっとずっと再生され続ければいい。
2013.7.12 今日マチ子青柳いづみ 伊東茄那 大岩さや 尾崎 紅 尾崎桃子 川崎ゆり子 橘髙佑奈 菊池明明(ナイロン100℃) 小泉まき(俳協/中野成樹+フランケンズ) 小宮一葉 中前夏来 鍋島久美子 難波 有 長谷川洋子 的場裕美 山崎ルキノ(チェルフィッチュ) 吉田彩乃 吉田聡子 李そじん 石井亮介 尾野島慎太朗
原作/今日マチ子「cocoon」(秋田書店) 作・演出/藤田貴大 音楽/原田郁子
舞台監督/森山香緒梨 音/zAk 照明/吉成陽子 富山貴之 音響/角田里枝 田鹿 充 舞台美術・映像/細川浩伸 衣装/高橋 愛(suzuki takayuki)
照明オペレーター/山岡茉友子(青年団) 舞台部/加藤 唯 大友圭一郎 衣装協力/荻原 綾 坂本かおり 金子仁美 映像素材・演出助手/召田実子 演出助手/小椋史子
チラシイラスト・劇中画/今日マチ子 ロゴデザイン/川名 潤(PriGraphics) 宣伝美術/本橋若子 当日パンフレット/青柳いづみ T シャツデザイン/吉田聡子
企画協力/金城小百合(秋田書店) 制作/林 香菜 斎藤章子 渡邊由佳梨 特別協力/急な坂スタジオ 主催・製作/マームとジプシー
提携/東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団) 助成/芸術文化振興基金助成事業 公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団 一般社団法人私的録音保障金管理協会
マームとジプシー
海外公演
2013年4月16日-6月8日 全3会場
[神奈川公演] A ver:2013年4月16日-19日/十六夜吉田町スタジオ B ver:2013年4月21日-24日/十六夜吉田町スタジオ C ver:2013年4月26日-5月1日/十六夜吉田町スタジオ 作品がフィックスされるまで(Cver)、1週間毎に出演者を一人ずつ増やしながら発表。
[イタリア]2013年5月7日-11日/Stazione Lepolda ALCATRAZ (Festival Fabbrica Europa 2013参加) [チリ]2013年6月6日-8日/Centro Gabriela Mistral (Ciclo Sol Naciente参加)
四月って季節は、いつも騒々しくて。好きではありません。なので、いままで。公演したり、そうゆうのは避けてきたようにおもうのですが。
ただ、今年は。マームとジプシーにとって。あたらしいことが、つぎつぎと。押し寄せてくるような、そんな気配があって。その波に。ぼくらは乗って。泳いでいかなくてはいけないので。
ぼくも、ぼく自身を。封印していた記憶たちを。こじ開けて。描かなくちゃ、間に合わない。
自力で。表層を削って、あたらしい皮膚を見つけていかなくてはいけない。とにかく、焦り。駆られています。いやしかし、若いころのそうゆうんではなくて。落ち着いた、静かな場所に。脳を据えて。考えつづけているような気もしているのです。
だから四月から。ここを始点に。三週間。作りつづけようとおもっています。
たぶん、これは。重大なスタートです。どうやら。脳が、そう言っています。
お見守り、いただけたら。と。
2013.4.15 藤田貴大案の定、実際に、みなさんに足を運んでもらって、空間に居てみたときに、作品が始まったのだ。という感覚がありました。そして、それを毎日こつこつと。また稽古して。そして発表する。という毎日を過ごしながら、どんどんと作品を膨らませている、いまは最中です。
あっという間に、時間は過ぎていく、という言い方は、自分という点を。動かないモノかのように置いてしまっている言い方、のようにおもいます。最近、おもっているのは、あっという間に、時間は過ぎていく、というのは実は。自分がそれなりに早い速度で進んでいるときの、体感についてを言っているような気が。していて。
だからまあ、とにかく何が言いたいかというと、そうゆうことです。いま、ぼくは作品をつくる者として。そうゆうことを感じています。あっという間に。過ぎていく。移りゆく風景について。可動が許された作品を操りながら。常に動くのを止めずに。速度もどんどんとあげて。自分の分身でもある、作品。という名の、ひとつの点を。地面に据えてみて。
現象、そのものを見つめたいのだと。そうゆう時期なのだと。
現象、のなかに身を投じながら。沸々と、していたいのだと。
作家として能動的に欲しているのです。自分自身の可能性を
2013.4.18 藤田貴大ここまで、この場所で。つくってきました。三月から、まいにち。ここにつくりにきていました。つくっていて、いろいろな。たとえば、ひとと関わって、摩擦したのちに。気づかされること。そして、そのあとに。じぶんとは、みたいなとこに返ってきて、苦しんで。なんらか、じゃあじぶんとは、なにを。なにを、したいの。みたいなことに意識が向いて、錬磨する。そんな作業ってのは、じつは。むかしっから、していたし。あたらしいものが、そういった。幾多の苦難を経て。うまれる瞬間なんてのは、いままで何度もみつめてきたつもりでいたのだけれど。今回は、この場所から。一歩も動かずにいたから。だから、なのか。すこし、やっぱり。いつもどおりとは、ちがっていたような気がしてならない。
相も変わらず。記憶をみつめていた、わけだけれど。同時に。いろんな時間を生きてきたことに。ようやく、実感として。解ってきたような。そんなことが、アタマの片隅に。にょきっと。現れつつあるのを。なんだか最近は、その存在感に対して。冷静になりつつある。だから、ぼくとして。初めて書くかもしれないことを。ここに記しておこうと。いまはおもえている。
現在を、生きている。
過去に。記憶に。生きてきた。いままで。だから繰り返してきた。その、器官。そのものにしか。自分の居場所はないと、おもってきた。でも、どうやら。それは、現在に繋がる道の。途中。だったようだ。現在が、みえてきた。そして、もしかしたら。現在に。生きているのかもしれない。とすら。おもえてきた。これは、今回。おおくのひとに、見守られた。この日々があったから。探し出すことができたこと。だとおもえている。
演劇を始めた、あの頃。子どもの頃よりも。だいぶ。年を重ねたのかもしれない。あの町をでてから。そういや、結構。時間経ったな。でも、まだ。あの頃と、おんなじように。現在。みること。きくこと。いうこと。感じることに。興奮している。
ここで、できたものを。羽ばたかせて。まだまだやっていく。作品はこの場所をでていく。町をでるときの、あの感じに。なんとなく。そっくりなようだ。
2013.4.24 藤田貴大荻原 綾 尾野島慎太朗 波佐谷聡 成田亜佑美 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 舞台監督/熊木 進 照明/吉成陽子 富山貴之(神奈川公演) 南 香織(イタリア公演、チリ公演) 音響/角田里枝 映像/召田実子 ツアーマネージャー/植松侑子 制作/林 香菜 主催/[神奈川公演]急な坂スタジオ
マームとジプシー
2013年2月1日-12日 全2会場
〔福島〕2013年2月1日-3日/いわきアリオス 小劇場 (I-Play Fes~演劇からの復興~いわき演劇まつり参加) 〔神奈川〕2013年2月9日-12日/のげシャーレ (TPAM2013 Direction Plus program参加)
『あ、ストレンジャー』は、2011年の4月の頭に発表した作品で。ということは、3月11日から一カ月も経っていないときで。余震もまだ頻繁に、あったときに。清澄白河snacで、あの小さな空間で、上演したのだった。あの頃、いつも、街はどよんと灰色。だったような気がする。盛んに読んでいたのは『異邦人』だ。あの本が持つ体温みたいなものが、あの頃のぼくにはちょうどよかった。だから、ってことで全部は語りたくないけど。でも、だから、なんだけど。当たり前に。『あ、ストレンジャー』はマームとジプシーにとって、最重要作品である。 なので、だから。再びやるのである。当時、稽古があまりできなくて、45分しか上演できなかった。それでも、でも。ぼくらにとって大切なのだ。だから。再びやるのである。45分しかなかったそれをフルスケールにして。あれからマームとジプシーは、ぼくですら予想だにしていなかった方向に、とてつもなく早い速度で進んできた。その元凶はこの作品なのだ。マスターピースなのだ。この作品は、ぼくに、ぼくらに可能性を与え。そして、速度すら助長させた。ぼくは、ひたすらに期待
している。これを機会に、また。目指す表現、そのものを。この作品が、また。揺るがしてくれることを。祈るように。でも当事者として。期待しているのだ。
2012.11.26 藤田貴大「別れることが、できるかどうかの、葛藤、及び、決断のことについて。」
住んでいる街を、上空100メートルくらいから、見下ろしてみて。ひともなにもかも、ミニチュアサイズにしてみたくなるときってのは。無性にむしゃくしゃとしていて、どうにもこうにも上手くいかなかったり、無闇に当たって砕けたりしているときで。そんな気分に、部屋のなかにいて。どんどんと上空100メートルのところまで浮上して。見下ろしてみる。そうして落ち着いていく、ココロ。そうだ、そうか。自分を宥めることができるのは、他の誰でもなくて。自分なんだ。だから自分以外の、外側のことを。こうして空想のなか。見下ろしてみたくなるのだ。このことに気がついて、意識的に寄り添いだしたのは、もうずっと昔のことで。通学路を鬱々と歩いていた、あの日々のなかでのことだ。自意識を異常なスピードで身に付着させていかなくてはいけない、みたいになっているあの日々に於いて。目まぐるしい移ろいに、抗えずに。身を任せながら、不本意にも身体を起こして、またあの建物に。足を運ばなくてはいけない、みたいになっているあの日々に於いて。空想のみが、ぼくの居場所だった。だから同時に言えるのは、ほかに、ぼくの。居場所なんてない。どこにいたって、ぼくは。よそ者なのだ。ということだった。そんな、どこにいたって、ぼくは。よそ者なのだ。という説は、ずっと体内に根強く蔓延っていて。『あ、ストレンジャー』では、その蔓延りについて、どう解放させていくか。ってなことを、真面目に検証している。そしてマームとジプシーに纏わりつくものを。どうやって、ほどいて。マームとジプシーが持つ、本来の体温を確かめることができる作品でもある。だから総じて、またこの作品に向かい合うことができたのは、幸せであり。自分は作品で、作品とは空想で。あの頃から寄り添っている空想であって。この空想のみと、ぼくは生涯。付き合っていく。それを確認することができた。世界と訣別するためには、最後は自分を撃つしかないかもしれない、ということに結びつくのは、たぶんそういうことだ。自分を撃つ、その日まで。つくり続けたいと。再確認している、一月の始まり。今年も始まったね。 藤田貴大青柳いづみ 石井亮介 荻原 綾 尾野島慎太朗 高山玲子
原案/アルベールカミュ「異邦人」 作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 加藤 唯 照明/吉成陽子 富山貴之 照明オペレーター/[東京公演]山岡茉友子 [横浜公演]西本桃子 音響/角田里枝 美術協力/細川浩伸 映像/召田実子 音楽提供/大谷能生 衣装協力/高橋 愛(suzuki takayuki) 記録写真/[東京公演]飯田浩一 宣伝美術/本橋若子 翻訳/横堀応彦 通訳/砂川史緒 制作/林 香菜 共催/[東京公演](公財)武蔵野文化事業 [横浜公演]にぎわい座 助成/公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団 芸術文化振興基金助成事業 主催/マームとジプシー[福島公演]I-Play Fes実行委員会外部作品
2012年12月13日-16日
〔神奈川〕2012年12月13日 - 16日/STスポット
「年末にして、一番思い入れのあるやつ、キタ!」
藤田です、toiにお世話になっています、というわけで、遊んでいます、全力で、息を切らしながら、描かなくちゃ、この先。進めない、ってものを描きました、雑然とした印象、あるかもだけど、『あっこのはなし』ってのを、つくってみたよ。*****
斎藤章子(あっこ)が一度、実家がある新潟に帰って、そしてまた、東京に戻ってきて、マームとジプシーのオーディションを受けに、再び現れたのは、ぼくが24のころだ。「なに戻ってきてんだよ」と思ったんで、「なに戻ってきてんだよ」と。声をかけたところ、彼女はなんだか、決まり悪そうにしながら、口をごもらせ、「だって、またやってみようとおもったからさ」と言ったんだっけ。ぼくは、あれが。忘れられないし、あのころの、ぼくの、ぼくたちの、活動に。あっこの、あれは。勇気のようなものを、与えてくれたのでした。ありがとう。
*****
それと、あと。忘れちゃいけない記憶が、やはりある。繰り返し、追憶する時間がある。街を出て行ったひとがいる、戻ってきたひとがいる、傷ついたひとがいる、待っているひとがいる。今年って、一年も。ぼくはそんなことを考えてしまって、苛まれ。苦しまされた。あのころ、傷ついて、街を出て行った、あのひとは。あの街に、戻ったかな、帰ったかな。そして、そこには。待っていたひとが、いただろうか。うーん、こりゃ、来年も。とにかく繰り返すことになるな。はあ、もう27か。あっこ、もうぼくら、27なんだよ。この先、どうしよっか。
2012.12.10 藤田貴大
黒川深雪(toi/InnocentSphere) 高橋ゆうこ(toi) 伊野香織 斎藤章子 召田実子 石井亮介 大石将弘(ままごと) 大重わたる(夜ふかしの会) 武谷公雄 三浦知之(InnocentSphere)
作・演出/藤田貴大
舞台監督/熊木 進 照明/富山貴之 音響/星野大輔 制作/ZuQnZ 製作総指揮/宮永琢生 主催/toi ・ZuQnZ 共催/STスポット
外部作品
2012年11月13日-2013年3月10日 全2会場
〔福岡〕2012年11月13日−18日/公演北九州芸術劇場 小劇場 〔東京〕2013年3月8日-10日/あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)
荒巻百合 大石英史 折元沙亜耶 小林 類 佐藤友美(劇団C4) 田口美穂 田中克美(超人気族) 中嶋さと(14+) 中島広隆 中前夏来 鍋島久美子 野崎聡史(ZERO COMPANY) 船津健太 的場裕美 森岡 光(不思議少年) 安永ヒロ子 李そじん /尾野島慎太朗 成田亜佑美 吉田聡子
主催/(財)北九州市芸術文化振興財団 共催/北九州市 [東京公演]あうるすぽっと(公益財団法人としま未来文化財団) 企画・製作/北九州芸術劇場
マームとジプシー
2012年9月7日-30日 全2会場
〔東京〕2012年9月7日-17日/三鷹市芸術文化センター 星のホール 〔福岡〕2012年9月28日-30日/北九州芸術劇場 小劇場
僕は思い出している。 常に思い出している。 あの家でのことを。 生活の、匂い。音。 僕は思い出している。 常に思い出している。 でも僕はいつしか。 あの家を通過した。 家を。街を。捨てた。 僕は思い出している。 常に思い出している。 今、ひとつの家が。 僕の、大切な家が。 壊されようとしている。 僕はそのことについて。 描かなくちゃいけない。 少し大きな規模で。 でも隅から隅まで。 家の。家族の。機微を。 描かなくちゃいけない。 僕は思い出している。 常に思い出している。
2012.6.28 藤田貴大『それをえがく、そのひつようと、せきにんなどについて』
極々、個人的なことなのだけれど、ぼくの祖母の家が無くなる、という風になっている。 ぼくはそれを描く、必要を感じているし。それに、どうやら。責任も感じているようだ。 家が無くなる。それは帰る場所が無くなる。ということでも、あるのだろうか。だとしたら。今まで、どれくらいの人たちが帰る場所を失ったのだろうか。 ぼくはそれを描く、必要を感じているし。それに、どうやら。責任も感じているようだ。 想像しながら。ぼくらは相も変わらず、繰り返す。繰り返し、想像する。想像の果て、ひたと身体に。言葉も音も。まるで着床して。何か、得体の知れないものが産まれるまで。繰り返す。繰り返す。 でも、そんな作業を。愚直にしたところで。 いよいよ帰る場所が無くなる。という。帰る場所を失う。という。まさにそのときに。 なにを想うのか。なにを思い出すのか。わからなかった。 でも、その、わからなかった。という、そのことが。 ぼくにとって。それは未来だったのだった。 また繰り返し、思い出すのだろう。そして繰り返し、想像するのだろう。たとえあそこが、そこに家があった、という痕跡すら残らないくらいの平地になったとしても。 ぼくは、ぼくのなかにある記憶の跡地へ。繰り返し、辿り着こうと。永遠に。彷徨うだろう。 ぼくにとって。それが未来だったのだった。 2012.9.6 藤田貴大伊野香織 石井亮介 荻原 綾 尾野島慎太朗 斎藤章子 高山玲子 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 舞台監督/森山香緒梨 照明/吉成陽子 富山貴之 山岡茉友子 音響/角田里枝 舞台美術/細川浩伸 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 主催/[東京公演]公益財団法人三鷹市芸術文化振興財団 [福岡公演]マームとジプシー 共催/[福岡公演]北九州芸術劇場
外部作品
2012年8月4日-12月18日 全3会場
〔東京〕2012年8月4日/小金井アートスポット シャトー2F・カフェ 〔東京〕2012年8月5日/Art Center Ongoing 〔東京〕2012年12月18日/2.5D (もっと!アノネ、発売記念「ミナモノ。アノネ、」トークショー内にて)
ユリイカを初めて手にとったののは、中学生の頃だった。三年生。15歳。青山真治の特集だった気がする。僕があの頃、過ごしていた街には本屋がなかった。電車で一時間かかる隣町の本屋へ。月に一度だけ通っていた。そこで、だ。ユリイカを初めて手にとったのは。中学生の頃。あの頃。僕は北海道で過ごす日々に、ほとほと、飽き飽きしていた。本すらも。映画だって。満足に鑑賞することができない。潮のにおいなんだか、精液のにおいなんだか。なんなのかわからない、得体の知れない匂いが立ち込める街で。どうしていいのか、わからずにいた。価値などを、見いだせずに、いた。そんなときだった。ユリイカを初めて手にとったのは。閉ざされていた価値観が、少しだけ開かれた気がした。三時間くらい、その本屋にいただろうか。それでも小さな本屋だけれど。そこにあるだけのバックナンバーを漁っては、食い入るように、見入っていた。そこには、真実があるような気がした。15歳だった。この小さな街に蔓延る、大人たちがついた、多くの嘘。に気がついては、確信していく。そんな多感な時期に、だ。ユリイカを初めて手にとったのは。ユリイカのせいで、大きく人生が歪んだし(もちろん、ユリイカのせい、だけじゃないが)、ユリイカは僕の、住んでいた街を出て行きたい、という気持ちを助長させた、わけだ。ユリイカ編集長の山本充さんに出会ったのは、ちょうど二年前。マームとジプシーの公演を、見ていただいたあとだった。ぱっと見、すげーこえーなあ、と感じていたから、何を言われるか、怖かったけれど。気に入ってくれたようで、よかった。と思えた。のを覚えている。よかった。と思えた。のは25歳の僕だけじゃない。よかった。と思えた。のは15歳の僕も。だったのだ。あの街から離れて、6年目のことだった。ユリイカと再会できたのは。ユリイカは、今でも何かを僕に、諭してくれるようで。今日という日は、最近。ユリイカに載せていただいた、僕が文筆したモノを読もうと。思います。書いたのは、もちろん。あの頃の。ユリイカを初めて手にとった。あの頃の。ことについてです。どうぞ。
2012.7.31 藤田貴大
青柳いづみ
演出/藤田貴大 テキスト/藤田貴大 「K と真夜中のほとりで」 「プールにまつわる、エトセトラ」
照明/明石伶子 映像/召田実子 制作/林 香菜 企画/ユリイカ、マームとジプシーマームとジプシー
コラボレーション
2012年7月21日-23日
〔東京〕2012年7月21日-23日/SNAC
シリーズ3回目は、今日マチ子さん。マームとジプシーは来夏に彼女の『cocoon』を上演すること
が決まり、雑誌「もっと!」(秋田書店)では共作連載もはじまる。今作は、およそ1年にわたるで
あろう共同作業の最初の一歩。今日さんが、初めてマームの稽古場を訪ねた日、の一幕です。
■どんづまりの海
藤田 今日さんとは4月に、二子玉川から多摩川をくだって、海まで20キロくらい、一緒に歩いたよね。でも羽田に着いた時の絶望感といったらなかった。なんもワクワクしない。汚いレベルでは羽田空港は最強だな。あのゴミの山は、川から来たのか、海から来たのか、微妙な海流で。
今日 ほんと想像を絶するヘドロみたいな黒い砂浜で、ひと気もないし、がっかりしましたね。鯉の骨も多かった。
藤田 しかもこの海岸、数日後のニュースで、放射線量が凄かったって。
今日 だいぶ吸っちゃったね。
藤田 砂浜に埋まってるあのゴミを見てると、実は僕らが海の底に沈められてるんじゃないか、という気もしてくる。
今日 『センネン画報』でも教室全体が水の中に沈んでるイメージがありました。なんか、息苦しいけど気持ちのいい、ふわふわ浮いている感じ。
藤田 半熟卵的な……。午前中に出発して、空港に着いたのが午後3時とかだったんですけど、それまでほとんど何も喋らなかった。途中で凧揚げ大会があって、百円の凧を買って。そこでも黙々と、誰も喋らず。
今日 1時間くらい、みんな無言で凧揚げしてましたね……。川っていろんな人がいるんです。太鼓叩いてる人とか、鷹匠とか。私、27歳くらいまで実家でブラブラしてたんで、親の目がキツくて、散歩と称してはちょっと多摩川に癒されに……。何もやることなくて、川にいる寂しい人になってしまった(笑)。だけど「半分パブリック」みたいなあの感じが好きなんです。閉じようと思えばいつでも膝を抱えられるけど、開放的にもなれる。引きこもり的なアウトドアというか。
藤田 それで最初に銀座でミーティングした時に、「川はくだろう」って話にすんなりなったんですよ。2人で同じ風景を見ましょうって。
今日 藤田くんと私の思ってる「川」や「海」のイメージが違うよねという話になって、多摩川を歩くことに。でも2人ともダウンしていく方向のイメージで一致してたね。のぼっていくのはもっとガンガン生きてる人たちの感じでしょ、源流まで遡っちゃう人はルーツ探る系だよね、とか適当なことを言ってたら……
藤田 そしたらここに、山登りにハマってる女(青柳いづみ)がいた。
青柳 山、のぼっちゃう人がいました。
—なぜ「くだる」んでしょうね?
今日 ラクだからっていうのもあるけど。たぶん、水に対して死のイメージがあるんでしょう。流れていて、力がない感じ。
藤田 僕は海を見て、上京しようとか、あっちに本州がある、とか考えてたし、家出のイメージもあった。あと川は、猫を流す場所というイメージがすごく強くて、流れて海に出る……。でも『cocoon』を読んだ時、海が違ったんです。
今日 あれは、どんづまりの海。もうここから先はいけない、って追い詰められる場所。しかも海には、敵の船がいる。
藤田 あの子たちにとっては、海がひらけた場所じゃなくて、ただの壁でしかない。その詰まってる海というイメージを考えないと『cocoon』にはたどり着けないなと。
■ひたひたと流れるもの
—来夏の『cocoon』上演に向けて、マンガ雑誌『もっと!』でも連載が始まりますね。
藤田 ほんと、今日さんとの作業でこの先1年くらい埋まってる。
今日 喧嘩しないようにしないとね(笑)。連載は、演劇マンガをやろうと思ってます。マームっぽい劇団をモデルにして、ガラスの仮面を超える演劇マンガにしたい! まだ詰めてないんですけど、藤田くんは鬼演出家として出てくるかも(笑)。あと担当の人がやたらと林さん推しで、恋愛させましょうって。
—それは、どうなんでしょうね……。ちなみに秋には沖縄にも一緒に行かれるとか?
今日 初めてガマ(洞窟)に入った時あまりにショックを受けすぎて、夜まで口きかないっていう変なナイーブさを出しちゃって。そしたらあちらの人に、悪いものに取り憑かれてるかもしれないからって塩をかけられた……(笑)。霊とか信じないんですけど、その場所に人がいたんだ、という痕跡は感じます。
藤田 衣服とかがまだ……?
今日 うん、張り付いてたり。靴も置いてあったりして。掘り返せばまだ出てくる。地続きというか、戦後すぐの空気がまだ残ってる。
藤田 今回はまず、今日さんがどういうリズムを持ってる人なのか、ちゃんと知りたかった。今はチューニングしてる時期だと思います。もちろん実験的(試作的)なものを見せるつもりはないけど。
今日 ちょっと違うもの同士を掛け合わせて、全然違う、マンガでもなく演劇でもないものを見せたいなあと思います。ほんとに同じ感覚の人同士になっちゃうと、そこで「合うよねー」みたいになって終わっちゃうから。
藤田 違いが当たり前にあっていい。だから僕は今、「今日さんくささ」にどう塩をまぶすか、考えてる(笑)。
—確かに今日マチ子さんのマンガには、その世界に溺れさせてしまう感じもありますね。
藤田 僕自身も「少女を描く作家」ということだけで言われるのはイヤですけど、今日さんもそうで、えぐったらしいことを描いたりするのに「少女世界」とだけ誤読されるのはもったいない。典型的な少女を描いてるわけじゃないし。中間地点にいるような変な女子だと思う。
今日 いちばん下に、ひたひたするような悲しみとか苦しみがあって、うまくそれをセーブしながら描いてるんです。なのに可愛いとか癒され系とか言われて苛々したのを、『cocoon』にぶつけた、というのはありますね。白痴っぽい可愛さを植え付けられると思考停止になるので、そうじゃないものを描きたいと思ってます。
藤田 「ひたひたと」ってすごく共感する。根底に流れている、じめっとした暗いところがあった上での爽やかさというのが僕も好きだから。そこは忘れちゃいけないところですね。
■フレーミングとコマ割
—(絵を見ながら)イメージを出し合って、それをこうして絵に描いていった?
今日 ええ、つらつらと。潮干狩り、凧揚げ……。青柳さんが山に行ってトマト食べた話とか。女子校時代に女同士の殴り合いの喧嘩があったねとか。
藤田 女子ってこうだよね、という話を、メールで青柳とか交えてしたんです。
今日 マッサージしてて、お互いほんとのところはちょっとエロいよね、とも思ってるあのイヤな感じとかね。「これやっちゃえる私たち」みたいな。
—この衣装(女子高生の制服)は?
藤田 青柳がつくったやつです。『しゃぼんのころ』の時に。昔はもうちょっと馴染んでたんだけど。
今日 この服に色合いを揃えて描きました。
藤田 今日さんの描く制服は嫌味っぽくないからいいですね。ザ・女子高生みたいな制服は大嫌いなんです。
今日 媚び媚びな、商品化された女子高生みたいになっちゃうからね。キャメル色のブレザーにチェックのスカートとかになると、あーあ、みたいな(笑)。
藤田 あ、わかるー。
—海岸に埋まってたモノたちも、たくさん描かれてますね。
今日 モノへのロマンはあります。でも特別なモノじゃなくて、大量に生産されているスタンダードなモノが好き。ビニ傘、歯ブラシ、ビニール手袋、女子高生のカバン……。私、ビニ傘って、傘の中でいちばん優れてると信じてるんです(笑)。安い、ということもあるけど、形として完成されてる。透明だし、みんなで共有してる感じも好き。
—色彩では、赤が印象的。
今日 私の絵は基本、青いから。
藤田 この赤い糸は、ちょっと生理の経血にも見えたんですけど?
今日 カラーのマンガで直接的に血を描くと、表現としてやりすぎ感が出ちゃうんです。美大受験の時に牛の骨を書かなくてはいけなくて、ひと工夫加えてやろうと思って血がぶちまけられた絵を描いたら、やりすぎだよねー、って酷評されてフルボッコで(笑)。それ以来、気をつけてますね。
—マームでお馴染みの窓枠の絵も。
藤田 劇場って、プロセニアム・アーチ(額縁舞台)としてフレーミングされることで引き締まる部分もありますよね。マームのあの窓枠は『あ、ストレンジャー』からなんだけど、ピッて使っただけで役者の顔がフレーミングされるから、大雑把じゃなくシーンとして成立するんです。それはマンガのコマ割にも近い気がする。
今日 そうですね。ふつう、マンガだとコマ割が斜めになったりするけど、私は絶対、四角にこだわりたくて。お菓子のクッキー缶の間仕切りみたいなイメージかな。例えば丸だと、吹き出しっぽくて、言葉を意味しちゃう。だから丸いコマを入れるくらいなら、なくしちゃいます。
—『センネン画報』にもほとんどセリフがないですね。
今日 セリフを入れちゃうとその意味だけに限定されちゃうから。『センネン画報』のフレームは、大きいのと小さいのを組み合わせたりして、1番の絵と2番の絵の飛躍で動きをつけます。だから見た目には動きが全然なくても、読むとパン、パン、とリズムをとる。
藤田 あと今日さんのマンガってズームするよね? その部分だけ見たら何を描いてるのか分かんない。だけど画面が引きになって全貌が見えてきた時に、初めて何を描いていたのか分かる。1コマ単体じゃ分からないけど、1枚のページとしては成立してる。
—やはり今日マチ子という作家独特の語り口というか、ドラマトゥルギーがありますね。
今日 他人を入れない感じはあります。ふつうのマンガだと、こういう時(女の子が1人でたたずんでいる絵)にもう1人描いたりするんですけど、私のは1人語りが多い。それか、言葉の要らない濃密な関係の2人にするとか。
藤田 だから今回も、青柳とゆりりの2人が海まで歩くストーリーだけど、できるだけ会話はしないで、淡々と歩き続けたい。……あれ? ゆりり、なんでそんな湯上がりみたいな赤い顔してんの?
川崎 えっ……
今日 ふふ。なんか、人数が多くても1人になる瞬間ってありますよね? 例えば水でブクブクしてる絵があったとしても、実際にそれが体験されてるわけではない。でも誰かがそう思ってるかもしれない。時間にするとわずか0.1秒くらいの出来事なのに、その人の中ではたくさんの時間が流れてる。そういう「隙間」を描きたいんです。
藤田 一瞬の夢の中で、膨大な時間を過ごしてるみたいな。……ん? なんか青柳が言いたいことあるみたいですよ。
青柳 今日ね、夢でね、すごいスタンド攻撃をされたって夢を見て、ワーッて思って起きたらすっごい蚊に刺されてた。
今日 それはただ蚊に攻撃されてたっていう(笑)。
藤田 マームでもモノローグが増えたのは、1人の時間を描きたくなったというのが絶対あるんです。例えば『Kと真夜中のほとりで』も、あえて真夜中だし、田舎だし、あんまり会話が起きない状況にして。
今日 マームの舞台観てて、何回も繰り返す思考法があるなあって思いますね。でも人間の考え方ってまさにそうじゃないですか? 今思ってたのと、3年前に思ってたことがバチッと繋がるとか。不思議ですよね。違う軸があるというか。
藤田 リニアな横に時間が流れてるだけじゃないんですよね。縦にも動いてるから。
青柳いづみ 川崎ゆり子
今日マチ子 藤田貴大
照明/明石伶子 アシスタント/召田実子 舞台美術協力・映像/細川浩伸 パンフレット原稿/藤原ちから 企画協力/金城小百合 制作/林 香菜 主催/マームとジプシー 共催/SNAC /吾妻橋ダンスクロッシング
マームとジプシー
2012年6月22日-24日
〔神奈川〕2012年6月22日-24日/PRUNUS HALL
「ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウにまつわる、エトセトラ。」
えっと、藤田貴大です。この作品を、ここプルヌスホールにて。初演したのは23歳になったばかりの、そうそう、大学を卒業したばかりの、マームとジプシーが一度、ほろほろと、散り散りになったばかりの、そんな頃でした。まあそんなわけで、思い出深くて、いつかは古傷を抉るような気合いで、再演でもしたいですなあ、と、ずっと考えていた作品でもあります。そんな作品を、また、ここプルヌスホールにて、上演できるのは、不思議と漲ります。何かが、漲ります。四年前の初演から、マームとジプシーはどんどんと変容してきました。たくさんの人たちと出会って、別れてきました。そして自分たちの表現を、次々と、愚直に、更新してきたつもりです。その更新する力は、術は、誰かが教えてくれたモノではありません。総て、独自に。自力のみを信じて、ここまでやってきたつもりであります。その更新は。今もまだ当然、続いています。僕らはまだ、何にも到達していないのだから。記憶の奥地に。喪失の、その先に。僕は。僕らは。どこまで踏み入ることができるのでしょうか。それは一生をかけて、模索します。作品にします。つまり漲ってますよ。今、僕、藤田貴大は。27歳っす。いつまでも甘えっ子気質が抜けない27歳っす。この会場に大学生みたいな世代の人たちがいるとして、その人たちには、僕みたいにはなるなよ、いや、なろうとしてもなれないだろうがな。とだけは言っておきたい。舞台活動を続けるのは、それなりに辛いよ。あ、でもでも、いいこともあるよ。というのは、続けていると、一度、別れた人と、再会することもあるぜ。マームにも、一度、田舎に帰ったヤツらが何人か。帰ってきた。そいつらも含めて、また厳しく作品つくってるってことは、まあ、作家として。この上ないよ。また、ここプルヌスホールにて。マームは再集結した。だから。漲ってますよ。今。気持ち悪いくらい。血液なんて、もう半分以上。レッドブルで、できてそうだけどね。そして、または。或いは。記憶の中で、誰かに再会することも、あるよ。それってさあ、素晴らしくないか?この作品を。失った。記憶の中にしか、もう居ない、人たちに。相変わらず、告ぐことにしようと思う。2012.6.16 藤田貴大
伊野香織 石井亮介 荻原 綾 尾野島慎太朗 斎藤章子 高山玲子 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 加藤 唯 照明/吉成陽子 山岡茉友子 音響/角田里枝 制作/遠松優香 竹下恵美(GALA Obirin 2012) 林 香菜 主催/GALA Obirin 2012実行委員会マームとジプシー
コラボレーション
2012年6月1日-3日
〔東京〕2012年6月1日-3日/SNAC
5/16 AM6:10
築地市場に集合。活気に溢れた朝の市場をみんなで歩く。飴屋さんは卵焼きを買い、コーヒーを飲み、マイペース。青柳いづみはイカのキーホルダーを見つけて喜んでいる。おばさんから、古びた、今はもう使われなくなった計量器を譲ってもらった。みんなで海鮮丼を食べる。飴屋さんが「海はどっちですか?」と市場の人に訊く。勝鬨橋を渡って、河口付近を眺めながらなんとなく話が始まった( 構成…藤原ちから)
■ウミネコ、カレイ、ヒトデ、星人など
(築地市場の対岸、隅田川・勝鬨橋のほとりにて)
飴屋 冬に室蘭に行った時にいたから調べたら、カモメは渡り鳥だって。
藤田 へー、渡り鳥なんだ? もっと寒いところからやって来るのかな。ぼくの実家の伊達(北海道伊達市)はカモメじゃなくてウミネコだと思うんです。
飴屋 ウミネコはミャーッて鳴くからね。だから君が見てるのはウミネコ。
藤田 飴屋さんが育ったのは海があるところ?
飴屋 小田原は海があるね。高校の教室、高台で、窓から海が見えたよ。すぐそばに小田原競輪場があって、カンカンカンって鐘の音が聞こえてきた。その真横に女子校があった。白いハズレ券が舞うの、綺麗だったよ。登下校コースに赤鉛筆耳にさした予想屋さんが並んでて、ちょっとガラ悪かったけど、だから競輪場の向こうに海が見えたね。
コロスケ 競馬とかよりガラ悪い?
飴屋 「馬好き」とかいう言い訳ないからね(笑)。
藤田 「競艇まで行ったらヤバい」って言いますよね。
飴屋 馬はまだ生き物だからね。それが自転車になって、モーターになって。機械だから。
コロスケ くんちゃん、背中に虫ついてるよ。
召田 お友達連れてきちゃった?
くるみ どこ?
コロスケ ここ、黒い虫。
くるみ ひゃあー
藤田 でも今回は海じゃなくて、空の話をしたいんです。
コロスケ なんでここ(築地)に来たの?んだっけ?
藤田 SNACのある清澄白河がここから意外と近いけど、何も海を感じないというのもあったし。
飴屋 ぼくこないだ、こことそっくりな場所に居たよ。
デバ(村田) あ、似てるかも。
飴屋 ちょうど河口で、実際には川なんだけどほとんど海な感じ。水揚げ場とか荷揚げ場って呼ばれてる。すごく魚臭い。凄かったのは、網にヒトデがひっかかってて。
藤田 ああ、ヒトデ、ぼく苦手なんですよ。大嫌い。伊達にはヒトデが2年に1回くらい大発生する海岸があって、一面ヒトデになった時はひどかった……。
くるみ わー、どんどん来たわね!のぼってきたわね!
藤田 切っても切っても再生するんです。それを弟が、殺しまくるんですよ。その光景が忘れられない。ぐちゃぐちゃ、なんか、触っても触っても感触が……。
召田 くんちゃん、虫どっかいっちゃった!
くるみ リュックにいるよ。
飴屋 そういえばさ、Kの時、藤田くんの地元には行方不明の貼り紙が多い、って言ってたでしょ?僕、その荷あげば、ってとこで行方不明の貼り紙見たよ。「行方不明のカレイ探してます」って。
藤田 えっ、どういうこと? 尋ねカレイ?
デバ 「できるだけ生け捕りでお願いします」って(笑)。
藤田 でも飴屋さん、地方公演で室蘭に行ったんですよね? 多くなかったですか、貼り紙?
飴屋 気づかなかったな。室蘭の記憶はとにかく劇場がカビ臭かったという……。で、喫茶店に入ってもカビ臭くて全然、憩えないっていう…。
デバ 霧が出てるから。
藤田 あの町自体、潮風が当たりますよね。海に向けて坂がすぐあるから。七尾旅人さんのシャッター商店街の歌も、あれかなり室蘭の感じあるんすよ。
飴屋 伊達って北海道のどのあたり?
藤田 室蘭の左上です。湾になってるところ。あの海を太平洋、って呼んだことはないですけど。
飴屋 なんで「蘭」の字が入ってるんだろう。
藤田 アイヌ語の当て字かな(*アイヌ語の「モ・ルエラニ=小さな坂道の下りたところ」が語源とされる。明治期の呼称はモルラン)。伊達は、伊達政宗の末裔が入植してきたからですけど。……あ、さっきより川の流れになってきた。
デバ ほんとだ、流れが速くなってきた。
くるみ たいへんだよ! たいへんだよ!たいへんだよ!
藤田 どうした?
くるみ 星人たちがね、海に落っこっちゃったの!
藤田 ハッハッハ(笑)
くるみ 自分で落っこっちゃったの! 藤田くんたーすけてよ!
藤田 ハハハハ(笑)。星人ってなんすか?
コロスケ 怪獣みたいな?透明の星人がいるみたい。
飴屋 そば屋に行くと、4人目の席に座らせるんだよね。
藤田 なんかぼくもそういうのあって、「親が自分の本当の親じゃない!」って小学校3年生くらいまで思い込んでたんですよ。寝たら、ぼく以外の3人がミーティングしてると思ったら怖くて眠れなくて。
飴屋 あー、え? それでマームでは役者の自主稽古禁止してるの?
藤田 そこから始まったのかな。ぼくがいないところでぼくの話されるのってほんとイヤなんですよね。
飴屋 自分の親じゃないとか…コロちゃんとか思いようがないよね、お父さんそっくりすぎて。
コロスケ え?そんな似てる?
飴屋 似てるっていうか初めて会った時、新宿駅で、向こうから白髪のコロちゃんが来たと思ったし。
藤田 (笑)……でもぼくの小指、全然カタチ違くないですか?小3の時、隣の席の女の子に「そこ骨折してない?」とか訊かれたんですけど、これ、父親がまったく同じ小指してて、あ、息子なんだなと思った。
コロスケ それで疑惑が晴れたんだ?
藤田 偏食とかも治ったのが小学校3年の時で。それまでは、親以外から与えられる食べ物がほんとに怖いと思ってたんですよね。
■空=ソラ/カラ
(勝鬨橋ほとりのデニーズに移動。話してる横でくるみちゃんが召田実子、青柳いづみと遊んでいる)
店員 いらっしゃいませ、おはようございまーす。デニーズへようこそ。
くるみ こんにちは!
実子 よいしょ、よいしょ。
くるみ カメくーん!
藤田 前回の『マームと誰かさん』の大谷能生さんとの作業でも即興について考えたんですけど、例えばサックスもかなり厳密に楽器だし、拍とかもあるし、即興といえどもゲーム性があるわけですよね。そういうルールができれば、飴屋さんがむしろもっと自由にやれると思ってます。なんでもやっていいよ状態になった時の不自由さもあるから。自由すぎる不自由さというか。
飴屋 即興にもいろいろあるとは思うから、ある種のルールの範囲内でのアドリブもあるし、ほんとにルールもかなり無いような場合もあると思うのね。ぼくは大友良英さんに呼ばれて即興をやることが多くて、いつも「なにやってもいいですから」って言われて、いつも困るんだよね……。
藤田 ぼくも役者だった時、そういうこと演出家に言われたらキレてましたよ。「なんでもいいって何?!」って(笑)。
飴屋 いや大友さんにはキレたりしないけど、ただ途方に暮れちゃうんですよ。なんの踏み台となるようなルールが何も無いならどうしようって思うんだけど、そういう時はしょうがなく身体を使うことが多いよね。身体にはすごくルールがあるから。呼吸にしたって。
藤田 飴屋さんに途方に暮れてほしい感じもあるんだけど、ひとつ基準をポンって置かれたほうが自由になるのであれば、置きたいです。その配置によって飴屋さんがしょんぼりしてくか、生き生きしてくか、そこに尽きる感じがします。大谷さんとの作業では2人の中で生まれてきたものを書いたから、シーンを起こしてくというよりは「音についてのぼくらの考え方」になっていた。今回の飴屋さんとの作業はまたどうなるか……。もうちょっとドラマになる予感もしてます。
飴屋 今のことろ謎ですよね。
くるみ 悪者に撃たれちゃったのね!だいじょうぶ!
藤田 くんちゃん、今日ずっと悪者に苛まれてるな。オバケとか(笑)。……今回はある男の空想の話なんですけど、今、空想を10個作ろうとしてて、それは車にはねられたあとの走馬燈かもしれないけども、とにかく10個つくったら完成だと漠然と思ってる。先週くらいから「空」っていうことが、いろんな言葉に置き換えられはじめてて……。
飴屋 滞空時間とかね。
藤田 1秒めは宙に浮いてて、2秒めはもう地面に落下してる。その1秒は人生ほど長い瞬間かもしれないし、宙を舞ってる瞬間をやりたいっていう。なんかそういうメールを飴屋さんに打ったら、「空(ソラ)」を「カラ」っていう言い方にしてくれたんですね。そういうふうに「空」って言葉から連想されるものが繋がってきてる。
■「死」までの数秒間
くるみ ……わああー、骨が折れてくるよ。とにかく、落ち着こ、落ち着こ……。
藤田 そういえば飴屋さんと車の事故のことについてまだちゃんと話してない気がして。この一連の4月から5月に事故多かったですけど、ただ悲惨だね、って話じゃなくて。
飴屋 確かに続いてるから怖いってこともあるけど…僕はもともと車がすごく怖いんです。いちばん最初に車の事故を意識したのは、Kさんのことだと思う。ただ横断歩道を歩いてたら車が突っ込んできて……昔その話しましたね。初めて藤田くんに会った時だ。事故後Kさんはほとんど意識がないような状態で、そのまま長い時間が流れた……そういう時間があるとして、そういう時間をかろうじて書けるのは藤田くんなんじゃないか、みたいな話を……確か清澄白河で、SNACのすぐ近くの、確か「だるま」という店で
……。僕はそれ以来、キミの作品は全部見届けてるよ。
くるみ ……間に合わないって言ってるんだ。でもひとりぼっちは……どうしよどうしよどうしよ……姿見えないの!
召田 くんちゃーん。ああー(水がこぼれた)
くるみ だいじょうぶ、濡れても。濡れてもだいじょうぶなやつなの!
藤田 記憶を描くうえで「死」っていうのは切り離せないものだと思ってて。「死」というのはぼくにとって記憶の入口だったりするんです。でもそれを「喪失」ってことだけで考えるとつらいんですよね。こういう場で言うと綺麗事になっちゃうけど、深夜バスのこともあるし、いろんなことがあったから。死ぬその瞬間までの何秒間かで何を思い出すかっていうことに、今、興味があって、それを考察することが表現にするにあたって必要なこ
とかもしれないと思ってます。「死」ということが「哀しい」ってことだけに落ち着くのが今はつらいんですよね。
青柳いづみ 坂口真由美 村田麗薫 飴屋法水 カントゥス
飴屋法水 藤田貴大
照明/明石伶子 スタイリング/コロスケ アシスタント/西島亜紀 召田実子 パンフレット原稿/藤原ちから 制作/林 香菜 主催/マームとジプシー 共催/SNAC /吾妻橋ダンスクロッシング
マームとジプシー
コラボレーション
2012年5月11日-13日
〔東京〕2012年5月11日-13日/SNAC
異ジャンルのアーティストとのコラボレーション企画「マームと誰かさん」シリーズ第一弾は、音楽家の大谷能生が登場。演奏者・作曲者・パフォーマーでもあり、同時に文筆家・批評家としても活動してきた大谷が、マームとジプシー藤田貴大とどんな邂逅を果たすのか?
大谷能生氏の他に、飴屋法水氏(美術家・演出家)、今日マチ子氏(漫画家)との共作を発表する。
■50-50の共作
——一緒にやることになったきっかけは?
藤田 去年の『あ、ストレンジャー』(2011年4月@SNAC)で初めてマームを観てくれて、それからは、近所だから、急な坂スタジオ(横浜)の稽古場にも何回も来てくれたり、個人的に大谷さんちに遊びにいったりしてるうちに、「いつか一緒にやりたいね」と。
大谷 最初にマームとジプシーを観た時から一緒にやりたいと思ったね。藤田くんが得意とする「反復=リフレイン」の作業は音楽の基本的な要素だし、と同時に即興的に「現在の時間にいる」のが興味深くて。というのも、もともと自分の出自として、まずインプロバイザー(即興演奏家)の90年代から2000年代のシーンが根幹にあるんだけど、それはどちらかというと反復を拒否して「常に現在形でいる」ことを追求する仕事だったんですね。それと同時にブラックミュージックに基盤を置いて、ブルース、つまりある種の繰り返しや歪みによって過去と未来を繋ぐ作業も並行してやってきた。その両方があるから、マームの身体の動きとか言葉のシンタックス(文法)にシンパシーを感じて、すごく協力したいなあと思ったんだよね。
藤田 めっちゃ覚えてるのは、去年の夏の『待ってた食卓、』の稽古で切羽詰まってた時期に、大谷さんが稽古場に来て「藤田くん、今度音楽の話書いてほしいんだよね!」とか言ってきて。めっちゃ面白そうだけど今それを言うのか?って。ぼくの状況とかおかまいなしに自分がやりたい作品の話してくるんですよ(笑)。でも音楽の話は書きたいと思ってた。だから今回は、起点としては「音」の話から。音にどう気づいていくか? どんな時に音楽を聴きたいか? そういうことを去年の夏から会うたびに熱く語ってきましたね。大谷さんへの信頼感はそこにあります。
大谷 やりたいことしか言わないからね(笑)。
藤田 こないだの岸田戯曲賞の授賞式でも、ふつう「おめでとう」とか言うじゃん? でも会うなり「やりたいことがめっちゃ出て来た!」とか(笑)。でも逆にそっちのほうがぼくも嬉しいし、いつどこで出会ってもアーティスト同士として話すしかないから。今回も、どっちかから誘ったという野暮な話ではないと認識してます。まあやるんだろうな、と思ってましたね。今回は共作という態度をとりたい。ぼくだけの美意識でこの舞台を進めたくないし、大谷さんと50-50で最後までやっていきたい。
大谷 最初は「マームとジプシー+大谷能生」ということで必要な音楽だけ提供する予定だったんだけど、SNACちっちゃいから隠れる場所もないので、じゃあ出てしまおうと。こうやって現場から立ち上げていくのは楽しいね。だけどこんなに俺がやっていいのかというためらいが一瞬ある(笑)。マームとジプシーを観に来た人は困るんじゃないかとも思うけど……まあいつものことですから、困らせてやりましょうという(笑)。
藤田 ただ最終的にマームとジプシーとして回収はしてくれ、とは言われてて。
大谷 そうだね。俺の能力は全部出すけど、マームとジプシーの中でやるという。
藤田 ただ最初からそういう態度で来られてもこぢんまりした作品になるに違いないから、まずは大谷さんに暴れてもらうしかない。そこをぼくがどういう大きな枠で受けていくのか。やっぱり喧嘩も必要だし、頑固さのぶつかり合いというのは今もやれてると思う。
■「音を聴く」ということ
大谷 今回のテーマは「音」なんですが、演劇を観ててちょっとつまんないなと思うのは、役者が音を音としてちゃんと聴けてない状況で、客を無視してステージ側だけで完結しちゃうことがままあるということ。そうしないと不安なのは分かるけど、もっとやれるでしょ、という。
藤田 そこはぼくも今ジャスト悩んでて。1月にいわきの高校生と『ハロースクール、バイバイ』をつくった時に、そもそもみんなが役者を目指してるわけじゃないから下手で無防備なんだけど、でもマームに出てる役者よりも体当たりだったんですね。盾にしてるものが無いの、あいつらには。それで帰ってきてからマームの役者に当たり散らしてるんだ、今。役者がぼくを盾にして言い訳にしてるのが気に入らないし、ぼくが決めたきっかけでしか動かないのも疑問で、それをどう解体するかをやったのが3月に京都で上演した『LEM-on/RE:mum-ON!!』。喋り出すきっかけとか結構決めずに、ちゃんと他の音を聴いてなきゃセリフが出せないようにした。
大谷 自分でしっかり音を捉えたら出ろ、そうでない時は出るなってことでしょ。役者が戯曲の影に隠れないという。
——『LEM-on/RE:mum-ON!!』もそうだし、大谷さんが2月にダンサーの岩渕貞太さんと組んだ『living』も、まさに「音を聴く」というテーマが共通していたと思います。そういう話は2人でしてました?
大谷 あんましてないよね。普通にその前から音楽の話はしてたけど。
藤田 たぶんお互い、戯曲と音楽をそれぞれ用意するイメージだったから。でもその話をしたらすんなり2人とも聴きながらやってこうってことになった。ただしインプロ演劇とは一線を引きたくて、ただ役者が自由になるのが面白いわけじゃないんですよ。こないだ映画美学校の大谷さんの授業を聴講しにいったら、ちょうど1935-1945年の、スイングからビーバップが出てくるあたりの話だったんだけど……
大谷 チャーリー・パーカーのところね。
藤田 サックス奏法ってちょっと即興あるじゃん、ざっくり言えば。でも拍はあるんですよ。
大谷 コードもあるしね。
藤田 で、その講義で使ってた言葉が面白くて、「ゲーム性とスポーツ性」。要するにサッカーもルールがあって、結末はどうなるかは決められてないけどサッカーとして成立してる。
大谷 自分の判断とモチベーションでゴールに向かっていくわけだね。
藤田 つまりあるルールの中でどういう読み口でやってくかってことが即興なわけですよね。なんでもやっていい状態ではない。作家が書いてないような無軌道なセリフを、役者がただ単に自由にアドリブで発したりするのはすごくイヤです。その「ゲーム性とスポーツ性」って言葉はぼく的にはツボだったんですけど、他にも大谷さんがポロッと何か言ってくれたりするタイミングがある。言語が違うから面白い。そもそも「リフレイン」って言葉も演劇用語ではなかったわけだし。
——それが今や岸田戯曲賞の選評でも普通に使われはじめましたからね。
藤田 数年前は「反復」か「リピート」って呼ばれてたと思います。もちろん反復を最初に舞台でやったのはぼくではないけど、「リフレイン」は音楽用語だったのを使った。今も違う人の血液をぼくの中に輸血作業したいと思ってるし、演劇だけやってたり、稽古場で闇雲にぼくが怒ってるだけでもダメで、そこが詰まってきたんだと思う。
大谷 まあでもよく2、3年で詰めたよね、とも思うよ(笑)。音楽の世界では様々な実験が行われてきたんですよ。特にレコードやCDいう複製物として固めたものを再生して聴くようになり、しかも共有せずに個人で聴くようになって、音楽は変わらざるをえなかった。だからみんな苦労したんですね。その試行錯誤の遺産は今の演劇で相当使えるし、演劇の人が無意識に前提にしてることも見えてくる。無意識だとやっぱり力が上がんないから、そこを強引に構造に引っ張り出して言語化すると力が上がる。そこの言語化のお手伝いというわけじゃないが、「見てて面白いけどそれってこういうことだと思うよ」という話をする相手としては今ぼくは適任者だと思う。
■音楽が「亡霊」になった時代
藤田 大谷さんとは、音楽が「亡霊」になった時代についても話してて。レコードはまだ針がこする音も聞こえたけど、でもコンパクトディスクが出てきたことによって完璧に過去にものに落とし込めちゃった。しかも結構クオリティ高い。
大谷 傷つかないからね。
藤田 電車の中でみんなイヤホンを耳にはめて。死んだ人の声を聴いてるのって、異様な光景に見えてきた。
大谷 ずーっと過去を聴きながら、現在を無視して生きてるわけだよね。
藤田 そう。蘇生術じゃないけど、何かを蘇らそうとみんな頑張ってんじゃないかなと思って。
大谷 現在を意味づける時に、過去を頼りにしてしまう。今あるものは切って、何かしら確実になったものだけを把握するのが確実だからね。逆に言うとそれは、現在を、現在の段階で過去にしていくことだよね。写真に獲ると現在がそのまま……
藤田 写ルンです理論!
大谷 そう、写ルンです理論(笑)。写真を撮った瞬間に現在を過去形で考えることができるという。
藤田 過去と現在をその瞬間に分離させる装置、それがつまり……写ルンです(笑)。
大谷 思い出作りプロダクション、または写ルンです理論と我々は呼んでいます(笑)。でも亡霊というのは、そいつとアクセスしようとするから立ち上がってくるわけだよね。CDはただのモノなんだけど、そこに過去が立ち上がるのは、こちらから聴きに行くから。過去のものなのに、現在に持ってくるっていう。だから亡霊と付き合うのは決してネガティブなものではない。過去を殺さないということだから。終わったものを終わらせないというか。
藤田 それはぼくの言葉でいうとリジェネレートしてるわけですね。過去に書かれた戯曲を、生身の人間に繰り返し発話させていく、それでテクストが蘇ってくるのがリジェネレート。実はリフレインよりも重要な作業なんですよ。
(続きはウェブで)
■身体性と、書くということ
——大谷さんは最初の単著である『貧しい音楽』や、その前身である音楽批評誌『エスプレッソ』の頃からずっとそういう、複製芸術と音楽の関係について考えてこられましたよね? その後、ダンスにも関わるようになって、今こうしてマームとジプシーとの共同作業の中でその理論的なものが具現化しようとしているのが面白いと思います。
大谷 そうですね。これまで自分の中で繋げられなかったものとしては、演奏の身体性と、書くということ。まず即興演奏は現在を過去から切断するっていうことで、つまり繰り返しをしないわけですよ。現在に現在を重ねていく。そしてマテリアルが終わったところで終わる。そういう演奏のイディオム、あるいは主義ですよね。しかしそれをやってくと過去を使うことができなくなるから、共有できるものが相当減っていく。それがいいと思ってたわけ、純粋だから(笑)。自分が演奏家としてステージに登った時に、何か後ろにあるものに引っ張られないで目の前にあるものを続けていく。それは完全に自分の生身で、ここにいて責任とってやってくということだよね。ただ、もうひとつは字を書く、その言葉の問題ね。ぼくは半分くらい文字を書く人間で、読み書きする時に生まれる時間がある。そこと身体性をどう繋いでいくか、というのがここ10年の後半部分で取り組んでいる仕事なのよ。結果としてステージ上で発話とかしてますが、書いた文章をステージに乗せて、現在形で人に向かって言わせることで生まれる時間の大きさ長さの中で、身体性を消さない、って作業をどうにかしたいなあと思ってて。ダンスも芝居もそういう興味が強くて観てるわけです。藤田くんの戯曲は、文章なんだよね、ちゃんと。時間が流れる文章になっている。それが発話されてマームのステージに乗っていく時の関係をもっともっと近くで見たいなあと思ってた。
——藤田さんも、ずっと稽古場をある種の実験室にしてきましたよね。役者の声や身体から生まれるものを台本に書いていく、という作業を繰り返してきたというか。
藤田 そこを照らし合わせて、ずっと並行させてやってきましたね。だから最近原稿とか書いてても、結局身体的になっちゃうというか、動いてないとダメ。絵として、人が、文章の中で。みたいなことをすごい想定して書いてるから。文章書く時も演劇と切り離せてないですね。
大谷 俺はそこを切り離してスタートしたんだよね。散文は散文、演奏は演奏って。だから分かりにくいって言われてたんですね、存在が(笑)。
——今も言われてますけどね(笑)。謎の存在として。
大谷 どっちかしか普通やんないからなあ。文章書く人はライブの現場にいかないし、ミュージシャンは文章なんて読まないし書かないし。学校の廊下とかでさ、野球部の人とも仲良いけど、マンガ研究会の人とも話すみたいなもんだよ(笑)。今まではそこを統合しようとも思わなくて、どっちも現場があるから突き詰めてたんだけど、もうそれじゃいやだなあー、というか。書いてる人間も現場で現在形でもっとやろうよ、って思う。たとえ物書きでも、何かとコミュニケートしながら現実の中に作品を落としていく作業をやったほうがいいんじゃないかと思って。今や何もかもデータだけど、データ自体は無料だから商品としての魅力はなくて、それが現場でどう使われるかが面白くなってきてるわけですよ。その宝をどう使うかってことを、物を書いてる人も現場に降りてきてやらないとよくないんじゃないかと思って。
——そうなるとしかし、書く文章の質も変わってきますよね。
大谷 うん、質も変わる。ただ単に黙読してる人が30万とか40万とかいるわけでしょ、気持ち悪いじゃん!(笑)そういう人たちが全員口に出して発し始めたら、単純に読みましたハイ終わりにはならない。もっと外に行こうぜっていう。そのきっかけをつくろうと思ってやってるのが、朗読とか、ステージ上に言葉をどう置くかとか、ライブと繋げてみるとか……。そういう試行錯誤をここ2、3年やってきたけど、今回はどうも演奏の感覚なんだよね。そこらへんがヒヤヒヤする感じ。言葉と繋がらないのよ、演奏してる時って。
藤田 でもそのヒヤヒヤ感でいきたいですね。
大谷 まあ、それが俺の持ち味なんで(笑)。
藤田 演劇自体が、朗読でもなく、ストーリーでもなく、ちゃんと音楽としてもあって、っていうギリギリのせめぎ合いのところでなんとしてもありたい。だから大谷さんはほんとに無機物の楽器でいいと思うし、そこに言葉が奇跡的にぴゅーんって付いたら凄いと思う、演奏してる最中に。
大谷 そういう形で演奏して受肉できればお客さんに伝わるだろうから、その作業はしたいねえ。
■大谷能生の存在する次元
大谷 そういうのが面白そうだというのはなんとなく直観的にあった。単に音だけ提供するんじゃなくて、音楽との関わり方からしてつくってく、ってことをできれば後はなんでもできるかな、と。これができたら、あらためてまた大きな戯曲でもやってみたいし。
藤田 いつか来たる、そういう大きな場面にいく前に、しっかりぼくが音に対してどう考えてるのかをやっておきたかった。実際に作品つくんないとアーティスト同士って普通に喋れないと思うんですよ、ほんとの意味では。それは大谷さん以外の「マームと誰かさん」の2人、今日マチ子さんと飴屋法水さんもそう。なんとなく会ってラフに話してたって共鳴してこない。大谷さんの音に対する考え方も、酔った勢いとかでなく、実際にシビアに作品をつくっていく中で聞きたかった。それをしたらやっとフェアに、ぼくの戯曲に大谷さんに音楽つけてもらうこともできる気がする。出会い方って大事な気がしてて。
大谷 そうだね、作品で出会うのがいいよね。
——大谷さんの家で2人で曲をつくってましたけど、ああいう作業はかなり一緒に?
藤田 いや、あの日くらいですかね。大谷さんつくるの早いんですよ。ギターとドラムがユニゾンしてくのが欲しい、とか言ったらすぐにできたり。問題の、青柳いづみの歌うポップソングも……。
大谷 オリコン入れようぜ!(笑)
藤田 5月は季候もいいし、爽やかな緑っぽい感じがいいですね、とか言ったら、じゃあ藤田くんちょっと鼻歌うたってみてよ、とか言われて歌って、歌詞書いたら半日くらいでできた。
大谷 そんなもんだよポップスは。基本、方程式があるから。
藤田 例えばこのワンフレーズ増やしちゃったらいけないからもうこれは要らないとかの方程式を教えてもらって、じゃあサビもう1回ですね、とか分かってきて。ビートルズ方式のストーリー性があったりとか。
大谷 「昼下がり」の次は「夕まぐれ」だな、とか。じゃあ電車乗せちゃおうぜ、とか、あるんですよ(笑)。ポップスはね。
藤田 でも大谷さんのサックスソロ入った時はちょっと感動だった。
——マームでアルバムつくれそうですね。
大谷 こないだ飴屋さん家のくるみさんと録った野毛山公演のとかもヤバいですよ(笑)。
——CD制作もそうですけど、技術があるのは大事ですね。今さらですが。
大谷 まあなんでもやるっていうか。
藤田 大谷さんがほんとにパンパンゆってくれるから、普段の、ぼくしか統制とらない稽古場と違って臨機応変にやり合う感じですね。
大谷 スピーカーどこに置く?とか。音はバラに出せるぜ、とかね。でも俺はほんとにこのやり方は大好きというか自分はとてもいいんだが、演劇を観る人たちはどうなんだろう? 大体俺が出てると、みんなヒヤヒヤするらしいんだよね(笑)。
藤田 だから大谷さんが無機物であるってことは大事だと思ってて、人でありながら、ここでのポジションは青柳や波佐谷とは違う。
大谷 その2人の関係というか、戯曲の中には絡まない。現在形でいる状況を俺はキープしてガンガン音を出すという。
藤田 変な別次元ですよね。
大谷 即興演奏の現在形でずっといることには俺は違和感はないんだが、戯曲の言葉があって時間が膨らむじゃない? 未来があって過去があって。そこで録音物とも付き合う、っていうのは俺の中でも新しい自分の状態で、楽しみだね。演奏にも影響あると思う。
——藤田さんは『ジョジョの奇妙な冒険』とか好きだけど、あれに出てくる「スタンド」みたいな感覚あるよね?
藤田 そうそう、この人今、時間止めた!みたいな(笑)。ほんとにそういうタイミングあるから。
大谷 ザ・ワールド! 時は動き出す(笑)。
藤田 で、大谷よしおでーす、音楽家でーす、ってことでスタンド召喚するとかね(笑)。
大谷 確かに時間の切り裂き感というのはスリリングだよね。それに加えて、藤田くんの創り出す言葉の時間は欲しい。それがないとマームじゃない気がするからね。結局、ちゃんと芝居であってほしいんですよ。そこは重要で。
藤田 うん、それが今日の稽古あたりで分かったというか。もっと書き込めるんだなと思った。
大谷 そこは書いたほうがいいと思うし、俳優の2人にしっかり創ってほしい。そこに俺がどんだけ圧力をかけて現在形でやらせることができるか。もっと音を聴け、ちゃんと聞け!みたいになると思う。今はまだ音をちゃんと聴けてないんだよね。聴かないでセリフに頼って始めちゃうでしょ。ちゃんと聴いて、音が何か出てるでしょ、っていう意識を入れていかないと。
藤田 そこもやっぱすごく考えちゃって。『官能教育「犬」』あたりから実名を入れてて、今回もリアルに「音楽家やってる大谷能生でーす」とかいう説明の仕方なんだけど、やっぱりどこまでが現実でどこまでが嘘かっていう、そのギリギリのところの虚構についてはこの半年間くらい考えてます。今回も何枚かかぶせてて、青柳と波佐谷さん付き合ってんのかなー、とか思えるようなドキュメンタリー性がある。そこがぐちゃぐちゃになってくるというか。だけど今回は「藤田貴大でーす」というぼく自身の登場はなくそうと思ってます。
大谷 そこがほんと芝居の魅力だと思う。ほんとに演奏になっちゃったらフィクションじゃないから。
藤田 だから演奏してるのかどうか、っていうヒヤヒヤ感はあったほうがいいと思うんですよ。ただの演奏にはならない。その浮遊感があれば……たぶんぼくに乗せられてますよ(笑)。
大谷 一瞬忘れる時あるね。あれ、なんだっけ?みたいな(笑)。
■町を歩く、異世代とのコラボ
——2人ともかなり文学に淫してきた、耽溺してきたじゃないですか。大谷さんの植草甚一にしても、藤田さんの梶井基次郎にしても、いずれも「町を歩く」ことが文学的なテーマとしてありますよね。そこにフォーカスした作品もいずれ観てみたいなと思います。
藤田 それは嬉しいし、今回それができるかどうかは分からないけど、大谷さんがこういう(いい意味で)クソみたいな町に住んでるのもいいんすよ(笑)。よく案内してくれてて。野毛とか、寿町とか。
大谷 横浜橋のあたりの立ち飲み屋に行ったりとか。
藤田 2人で呑んで「これなんだよ、これが音楽なんだよ!」みたいな話とかしてる(笑)。この人との町歩きは面白いですね。確かに梶井基次郎とかね、町を歩くっていう感覚がある。
大谷 もっとフィクションとドキュメンタリーの距離が分からなくなるような感じになると面白いんだけどね。それは、まあ……晩年の仕事ということでいいんじゃないかな(笑)。
藤田 晩年の仕事(笑)。長い目でやりたいですね。ぼく27歳になったんですよ。大谷さん、何年ですか?
大谷 鼠。
藤田 ぼく、丑だから。
大谷 じゃあ13歳違いか。
——世代の離れた人とやってみての印象は?
藤田 面白いですよ。ていうかぼくは歳下ダメだから、特に男子は(笑)。
大谷 俺も同世代がダメだな。よっぽど限られるね。
——岡田利規さんとか、中野成樹さんとかいるじゃないですか。
大谷 よっぽどかぎられてるじゃん(笑)。ほんと友達がいないからさ、この人とは仲良くできるかと思うとガッと(笑)。やった!みたいな。
藤田 やー、大谷さんダメそうっすね同世代。ぼくもダメなんだなー。
大谷 一緒に組んでやってる人はすごい尊敬してる。自分が好きな人としかやってないからね。むしろ先輩だと思ってる、同級生でも。
藤田 どんどんこれから、木ノ下歌舞伎の木ノ下くんとか、彼はぼくと同い年なんだけど、そういう人が現れるのかなとは思う。それに実感として、前はクソミソに拒絶してたけど、歳下の子も歳取るしなあ、というのが分かってきた(笑)。でも演劇界にあと10年はぼくみたいな才能は現れないと思いますよ。
大谷 言うねえ(笑)。
藤田 誰が現れる、現れない、じゃなくて、そういう存在になりたいです。
青柳いづみ 波佐谷 聡
藤田貴大 大谷能生
照明/明石伶子 演出助手・CD デザイン/召田実子 パンフレット原稿/藤原ちから 制作/林 香菜 主催/マームとジプシー 共催/SNAC /吾妻橋ダンスクロッシングマームとジプシー
2012年3月29日-31日
〔京都〕2012年3月29日-31日/元・立誠小学校
「梶井さんと僕。」
26歳、藤田貴大です。この度、31歳で亡くなった梶井さんが書いた作品たちを原案に、マームとジプシーを稼動させて、京都にて、しかも元々、小学校だった場所を舞台に、3月も末日付近を狙って、作品を元気に運動させよう、っていうそういうわけです。僕は今、まあ普通に、それなりに、26歳として、26歳ならではの悩みみたいなのに直面していて、というのは、これからも作品を活動させていくのかな、とかですね。まあ、させてくんだと思うんだけど、当たり前に、これから五年間の自分の行き着く先とかを、作品レベルで、割とリアルに考えてしまってます。いらんことかもしれないけれど、考えざるを得ないわけです。五年後といえば、梶井さんが亡くなった年齢ですね。というわけで、です。梶井さんと向かい合ってみよう、っていう、そういうわけです。横浜のチカラと、京都のチカラをお借りして。行く先々で皆様、ご迷惑おかけします。僕の拙い話を聞いてください。耳を貸してください。耳どころか、感覚、総てを貸してください。どうぞよろしくお願いします。 2012.1.25 藤田貴大「マームとジプシーは狂った3月、過ごしてる。」
今年の3月ってのは、どことなく狂っていて、マームとジプシーはいつになく、かき乱された感じあり。なかなかに、満身創痍な感じで、つくったのが、これ。たぶんこれからもマームとジプシーやってくんだけど、でも。どうする。ってな感じで、頭抱えながら、つくったのが、これ。僕らは今まで記憶を取り扱って作品をつくってきた、と言い切れる。それくらい記憶に対して精力、注いできた。だから学校を舞台にするのは、すんなりと、まるで導かれるように、こうなった。僕らは通学路。を行くようにして、作品つくった。狂った3月、過ごしながら。どうでしょうか。学校は。ここまで来た感じは。通学路を来た感じは。何かありましたでしょうか。あの頃、見ていた景色を見ることはできるのでしょうか。失ったものは、取り戻せるのでしょうか。答えは、否。否。否。なんだけど。わかっているんだけど。でもでも僕はまだ記憶の中をさ迷うよ。手探りで。そして、真正面から。いつも手放さなかった梶井さんの本を捨てて。記憶を進んでいくよ。 2012.3.23 藤田貴大伊野香織 荻原 綾 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 斎藤章子 高山玲子 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子 吉田聡子
原案/梶井基次郎「檸檬」他 作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 照明/吉成陽子 音響/角田里枝 記録・舞台美術協力/細川浩伸(急な坂アトリエ) 制作/林 香菜 市川公美子 主催/マームとジプシー 坂あがりスカラシップ(急な坂スタジオ・STスポット・のげシャーレ) 共催/立誠・文化のまち運営委員会
マームとジプシー
外部作品
2012年2月17日-18日
〔横浜〕2012年2月17日-18日/横浜赤レンガ倉庫1号館 3Fホール
「この再演、腹痛しまくり」
この作品はわりと腹に効く、いや、効く、とは意味としては逆で、腹痛を促してくるんですよね。でももしかしたら再演とは、そういう、腹痛伴う作業かもしれなくて、僕はだから腹痛を良しとします。と、このように宣言します。 作品を再演をするという作業は、僕ら、日々、お稽古を繰り返している人間にとっては、なんら特別なことではないように思えます。 僕らは日々、複数人が一ヶ所に集まって、同じことを何度も、再演しています。それが練習だろうが、本番だろうが、関係なく、ずっと再演しています。だから、なんら、特別なことではないように思えます。 上演を繰り返すことも。 場面を繰り返すことも。 言葉を繰り返すことも。 動作を繰り返すことも。 なんら、特別なことではないように思えます。 それは日々、同じようなことを繰り返すように。 そして、 ある記憶が頭の中で何度も繰り返されるように。 反復というループの中で、多少ズレていく色々があったとしても。 人は毎日、なんらかの再演を繰り返しているように思うのです。 とはいえ再演はとても疲れますね。腹痛伴う再演作業を、どうぞ。 2012.2.11 藤田貴大青柳いづみ 伊野香織 荻原 綾 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 高山玲子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大
舞台監督/熊木 進 島田佳代子 舞台美術協力/細川浩伸 (急な坂スタジオ) 照明/吉成陽子 音響/角田里枝 字幕/新井知行(PARC) 通訳/山口惠子 制作/林 香菜 梅村祥子 相原佳香 永松祥一 協力/急な坂スタジオ 主催/国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2012 実行委員会外部作品
2012年1月28日-29日
〔福島〕2012年1月28日-29日/いわき総合高等学校演劇演習室(Theater PISHS)
いわき総合高等学校芸術・表現系列(演劇) 第9期生 猪狩桐花 大槻真実 鎌田綾音 小松 翔 鈴木香澄 箱崎美夢 長谷川洋子 吉田 睦 吉田夏美 吉田桃子 渡辺麻衣
作・演出/藤田貴大
外部作品
2011年11月23日-27日
〔東京〕2011年11月23日- 2011年11月27日/新世界
思いだそうとしても、霞んでいってしまう、幾つかのことがある、まずそれらを拾わなくてはいけないような気がしている。 14のころ、下校中だった、股から血を流している小学生の女の子を見た、彼女は泣いているようだったが、彼女の首から上を、どうしても思いだせない。 17のころ、夕暮れ時だった、オレンジ色のなか、初めてセックスをした、終始、彼女は笑っていたようだったが、彼女の顔を、どうしても思いだせない。 最近のこと、コインランドリーで洗濯していると、片目が潰れている猫、雌猫であろう、猫に出会った、産まれたてのような子猫をくわえている、子猫は生きているかどうかわからない、彼女は子猫をくわえながら、こっちを睨んでいるようだった、しかしこれもまた、最近のことなのに、霞んでぼやけるのだ。 思いだそうとしても、 霞んでいってしまう、 幾つかのことがある。 不確かな記憶を、感触を、中勘助は、どう手元に残そうとしたのだろうか、それを知りたくって、始めようと思う。どうぞ。
2011.11.20 藤田貴大ライブハウスである新世界さんに声をかけられ、 1日でも成立する演劇のイベントとして選んだのが リーディングであり、他にはないリーディングをと考えた のが『官能教育』─官能をめぐるリーディング─でした。 だから『官能教育』が5日間6ステージの、リーディングではなくちゃんとした公演になったことに、誰よりも不思議な気持ちでいるのは私です。 しかも早々に全日程の予約枚数が終了する大反響で、演出を引き受けてくれた藤田さんの人気、山内さん&青柳さん&尾野島さんへの期待に、改めて驚いています。 マームとジプシー作品の切なさ、儚さ、郷愁、聖性に惹かれている方に、 私が藤田さんにお願いした『犬』という題材は、どう受け止めらるのか。 少しだけ心配な気持ちもありますが、放っておいてもどんどん先に進んでいく彼なので、その早歩きにこんな風変りな寄り道があってもいいだろう、という呑気な安心感は、不思議なくらい揺るぎません。 本日はご来場いただきまして、本当にありがとうございます。
Produce lab 89 責任者 徳永京子青柳いづみ 尾野島慎太朗 山内健司
原作/中勘助「犬」 作・演出/藤田貴大
照明/明石伶子 音響/角田里枝 制作/林 香菜 責任者/徳永京子 企画/Producelab89マームとジプシー
2011年10月14日-24日
〔東京〕 2011年10月14日-24日/こまばアゴラ劇場
今年、僕、26歳になったんだけど、それなりに危機感とか感じちゃってて、いらんこと、かもしれないけど、いや、でも、感じちゃってて、だから、鬼気迫る、作品とかつくっちゃおうかな、とかも、たまに思ったりもするんだけど、でも結局、相変わらず、背伸びできずに、後ろ向きな、ぐずぐずしたモノ、つくっちゃうんだろうな、そう、なっちゃうんだろうな、30歳までのカウントダウン、具体的に始まった、気がする、2011年も、もう、半ば過ぎた。
部屋の中を意味もなく彷徨いている。あの街、のことを思い出しながら。彷徨く姿が、磨り硝子に、ぼんやり映る、真夜中。
北海道、伊達市、出身の僕は、脳裏にこびりついた、北海道、伊達市、での記憶、を、これまで、マームとジプシー、稼動させて、描いてきたつもりだった。でも僕は果たして、北海道、伊達市、及び、僕自身、の、僕だけしか知らない、あの街、での、記憶の細部に至るまでを、照らすこと、できていたのだろうか。どうなのか。どうなのか、は、もしかしたらそれこそ、僕自身、にしかわからないことで、だから、考えてみるんだが、どうやら足りない、そう、足りていないんだ、今のままの解像度では。足りていない、と、僕は、僕自身に突きつけられて、今、とても、孤独、なのだ。
記憶はどんどんと遠ざかっていく、忘れるようにできているのか、なんなのか、僕には、よくわからないが、あの街、が、僕からどんどんと遠ざかっていくのは、まざまざと、わかってしまう、抗えない忘却、を理解してしまう、幾つもの色々を、今まで、簡単に、記憶器官から、手放してきた、気がするんだ、だから、僕は、僕自身に対して、今、とても、孤独、なのだ。
今回、これらの、僕を、僕自身を、孤独にする、要因、に、真っ向から取り組み、孤独を解体しよう、とするのは、明らか、で。また、僕自身の、僕だけしか知らない、あの街、を取り戻すべく、解像度を、執拗に追求し、上げていくのは、同じく、明らか、で。今年、僕、26歳で。それなりに危機感とか感じちゃってて、いらんこと、かもしれないけど、いや、でも、感じちゃってて。というのは、年を追うごとに、感触薄れ、どんどんと遠ざかっていく、あの街、に、いつか、僕は、僕自身の痕跡すら、あそこに投影できなくなってしまうんじゃないか、と、考えてしまっているから。
それはマズい、単純にマズい、なので、僕は、蘇らそうと思う。舞台に、あの街、を。そうしなくちゃ、もう、僕は、何にも寄り添えそうにないし、僕自身を、見いだせそうにないのだ、あの街、に、あの頃、に、たとえ、もう、帰れないとしても、僕は、僕自身の、僕にしか知らない、あの街、を、蘇らせようと、思う。そのために、僕は、僕らは、不意打ち的に突如としてやってくる悪路をも、彷徨う気合いでいる、苦しくても、彷徨う、彷徨いながら、あの日、振り向いて、笑った、あの子、の残像を追い続けようと思う。
2011.8.27 藤田貴大「マームとジプシー的、真夜中の考察と、季節の移り変わりとは無関係に、移行していく真夜中のイメージ。で、朝は訪れるのか、どうか、っていう。」
というわけで、今回は、真夜中、という時間にだけに取り組んだ、でもしかし、果たして、この真夜中に、朝は訪れるのか。 今夜もまた、夜が明けないまま、朝を迎えることになるのだろうか。 僕は、これからも、終わることのない真夜中、を、行くのだろうか。 また、真夜中を彷徨つきながら、何かを誰かを探し回るのだろうか。 真夜中のイメージは、どんどんと角度を変えながら、移行していく。 過去の真夜中を僕は忘れる、そして新しい真夜中に、移行していく。 感触が、薄れて、ぼやける、過去の真夜中を、僕はたまに思い出す。 その過去の真夜中に、僕は僕自身の痕跡を見つけることができない。 それくらい僕は真夜中に対して無責任で、真夜中に、戸惑っている。 というわけで、今回は、真夜中、という時間にだけに取り組んだ、でもしかし、果たして、この真夜中に、朝は訪れるのか。 その、朝、とは本当に、本当の、朝、なのか。僕にはわからなくて。 だから、朝、というモノを、皆さんにも、持ち帰ってもらうとして。 というわけで、今回は、真夜中、という時間にだけに取り組んだよ。 どうぞ。 2011.10.6 藤田貴大伊野香織 大石将弘(ままごと) 大島怜也(PLUSTIC PLASTICS)荻原 綾 尾野島慎太朗 川崎ゆり子 斎藤章子 坂口真由美 高橋ゆうこ 高山玲子 成田亜佑美 波佐谷 聡 萬洲通擴 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 加藤 唯 照明/吉成陽子 山岡茉友子 音響/角田里枝 舞台美術協力/細川浩伸 演出助手/佐藤蕗子 吉田彩乃 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 主催・企画制作/マームとジプシー (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
技術協力/鈴木健介(アゴラ企画) 制作協力/齋藤 拓(アゴラ企画) 芸術監督/平田オリザ
マームとジプシー
2011年8月17日-22日
〔神奈川〕 2011年8月17日-22日/ STスポット
じりじりと、もう暑くなってきた、東京、2011年、5月、である。 夏から夏まで、どう泳ぐか考えている最中である。 もう上京して八年目、東京の夏なんていつまでも慣れないよ、なんて思ってたけど、いい加減、慣れてきちゃったよ、それほどに、あの頃から時間、経っちゃったよ。 あの頃、そうそう、東京に向かう始まりの駅、北海道、伊達市、僕、18歳、同い年のヤツらに見送られた、親父も遠くからこっち、見てたっけ。 僕は電車で東京に向かった、どんどんと遠ざかる、北海道、伊達市、青函トンネルを抜けたあたりで、僕は、あの街に、あの家に、あの食卓に、もう帰らない、と、決めた。もう帰れない、と、思えた。思えてよかったんだ。 あそこには僕に、作文教えてくれた人がいる、演劇教えてくれた人もいる。 わけのわからない喧嘩をしたヤツもいるし、知ったこっちゃないけど、最近じゃ子どもとかできたヤツもいるらしい。 いつもふとした拍子に脳裏に浮かんでくる、その人たち、に、 僕はあの日、帰らないと決めて、帰れないと思えて、よかったんだけど、 帰りの合図は鳴った、ようだ。僕はこの合図に戸惑っている。 あの日から所在地わからぬまま、居場所も定まらぬまま、彷徨ってばかりの僕は、帰ること、できるのかな、待ってる街は、家は、食卓は、あるのかな。どうかな。 今年、2011年、夏から夏まで。泳ぎながら、確かめようと思う。 帰るということ、待ってるということ、 それは、どこに?どこで? そこは、きっと。
2011.5.22 藤田貴大頭がキリキリする、はあ、八月、も、もう中間付近、僕、相変わらず、作品、つくっている、そりゃあ、汗だくになりながら、つくりまくっている、つくって、疲れて、今日もアパート帰る、帰って、部屋で、腐りきっている、ちょっと腐って、復活して、また、頭の中で、また作品、つくる、翌朝、作品つくりに、家を出る、駆け足、で、稽古場、に、向かう、そんなループの中、に、僕はいて、つくるつくる、を、繰り返して、いる。頭、キリキリさせる元凶、は、この作品、塩ふる世界。 この作品、難解。実に、難解。最上級に、わけのわからん、崖の上の際も際で、強風に当てられて、つくっている心地する、マームとジプシー、2011年、夏、の三部作、『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』の、終着点、これにて、三部作は終わりを迎えるのである、と同時に、マームとジプシーの2011年、後期、は、ここから始まる。僕が、この作品を始点と構えて、ここから先を、展望しているのは、明らかである、宇宙戦艦ヤマトで例えて言うならば、波動砲を打つ、一歩手前みたいなもんである、いや、もう波動砲、打つかもだから、それこそ、構えて見ていてほしいくらいにして、兎にも角にも、僕は、それくらい、この作品に入れ込んで、作り込んでる、っていう、手っ取り早く言うならば、そういうことだ。そういうことだ。 そう、それで、今回、この作品を通して取り組んでいること、とは、こういうことだ。 役者さんの身体が、どう、物語や感情を、recovery(回収)していくか、そして、そのrecovery(取り戻し)したモノを、どう、recreate(改造する)し、空間全体にreturn(返還)していくか。 つまり、僕の頑固な書き物、及び、記憶、をどう、役者さんの身体は、言動と行動を用いて、変換して、僕に、或いは、空間全体に、どう、返してくれるのか。 その作業を、繰り返し、揺さぶることによって、 文字は文字化けして、舞台上に転がりながら存在する言葉たちは、 誰の所有物でもなくなるんじゃないか、 或いは、誰もが等しく共有できる、この場所・土地で、今まさに生まれた、産物・資源(resource)になるのではないか。 そして、それを、空間にいる誰もが、手にとり、口に入れて、咀嚼しだす、という、反応(reaction)をしていくのではないか。つまりつまり、空間にいる誰もが、反応する人(reactor)となるのではないか。 こういった“re”の連鎖を考えて、つくっている、塩ふる世界。 これ、まるで食物連鎖、そうそう、この三部作は、食べ物に纏わる、作品群だったんだよなぁ。 僕は、繰り返す、しつこく、これからも繰り返していく、繰り返し、演劇を稼働させていく、記憶も感情も繰り返し、言動も行動も繰り返していく、繰り返し繰り返し、これからも作品つくっていく、頭、キリキリさせながら、際も際で、繰り返していく。 もう、僕には、それが演劇表現、そのものに思えてしょうがないのである。
2011.8.8 藤田貴大青柳いづみ 伊野香織 荻原 綾 尾野島慎太朗 高山玲子 緑川史絵 吉田聡子
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 加藤 唯 照明/吉成陽子 山岡茉友子 音響/角田里枝 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜マームとジプシー
2011年7月9日-8月21日 全2会場
〔北海道〕2011年7月9日-10日/だて歴史の杜カルチャーセンター (伊達ライオンズクラブ50 周年記念事業) 〔神奈川〕2011年8月20日-21日/STスポット
じりじりと、もう暑くなってきた、東京、2011年、5月、である。 夏から夏まで、どう泳ぐか考えている最中である。 もう上京して八年目、東京の夏なんていつまでも慣れないよ、なんて思ってたけど、いい加減、慣れてきちゃったよ、それほどに、あの頃から時間、経っちゃったよ。 あの頃、そうそう、東京に向かう始まりの駅、北海道、伊達市、僕、18歳、同い年のヤツらに見送られた、親父も遠くからこっち、見てたっけ。 僕は電車で東京に向かった、どんどんと遠ざかる、北海道、伊達市、青函トンネルを抜けたあたりで、僕は、あの街に、あの家に、あの食卓に、もう帰らない、と、決めた。もう帰れない、と、思えた。思えてよかったんだ。 あそこには僕に、作文教えてくれた人がいる、演劇教えてくれた人もいる。 わけのわからない喧嘩をしたヤツもいるし、知ったこっちゃないけど、最近じゃ子どもとかできたヤツもいるらしい。 いつもふとした拍子に脳裏に浮かんでくる、その人たち、に、 僕はあの日、帰らないと決めて、帰れないと思えて、よかったんだけど、 帰りの合図は鳴った、ようだ。僕はこの合図に戸惑っている。 あの日から所在地わからぬまま、居場所も定まらぬまま、彷徨ってばかりの僕は、帰ること、できるのかな、待ってる街は、家は、食卓は、あるのかな。どうかな。 今年、2011年、夏から夏まで。泳ぎながら、確かめようと思う。 帰るということ、待ってるということ、 それは、どこに?どこで? そこは、きっと。
2011.5.22 藤田貴大「演劇少年は未だに、そればっか考えてる、それは誰のせい?伊達のせい?いやいや、全部、自分のせいだわ!マームとジプシー的、夏の食卓。」
上京して、今年で、八年目、すっかり東京の暑さにも慣れてきた。 今日も駅で、110円のオロナミンCを飲んでいる。 向かい側のプラットフォームには、小学生かな、子どもたちがいる。 そうそう、僕も小学生だった。 東京の小学生みたいな洒落た小学生じゃなかったけどさ、 たしかに、僕も小学生だった。 8歳の頃、クラスで担任の先生のモノマネしたっけ、 9歳の頃、母親に連れられて、札幌へ。劇団四季を見に行ったっけ。 それで10歳の頃、劇団パラムに入ったんだっけな。 あれから何度、演劇やめようと思ったか、わからないし、 ずーっと、影山先生と一緒に考えていた、 演劇とは何か、は、未だにわかっていないけど、 でも18歳の頃、北海道を、伊達を、出てからも、ずっと、 僕は、演劇のことばかり考えてきた。 今も、つくっている作品のことばかり考えている。 そうそう、三度の飯より、演劇のこと考えてるんだよ、僕をこんな人間にしてしまった、 北海道は、伊達は、罪だよね。 なんてことを、 向かい側のプラットフォームにいる子どもたちを見ながら、考えている。 110円のオロナミンCも今、飲みきった。 そろそろ、久しぶりに帰ろうかな。食卓は、今でも、僕を、待っているのかな。どうかな。 夏は、色々、思い出してしまいそうだ。 思い出しても、戻れるわけじゃないのに。 僕らはいつも何かを失う、 失ったたくさんのことを、思い出を、 僕は演劇を稼動させて、炙り出すこと、できるかな。 アルコールランプの炎を、ゆらゆらとスプーンに当てて、 スプーンの上に、何かが現れるのをゆっくり待っている。 その、何か、とは、 褪せることのない鮮やかな、あの頃、なのだと、信じている。 最期に、僕を、僕らを、呼んでくださった、伊達のみなさま、このような機会を与えてくれて、本当にありがとうございます。僕なんかでよければ、またいつでも帰ってきます。 最期の最期に、 僕はこの作品を、僕の家族に。そして、死んだ祖父に、宛てよう。と思います。 どうか、今日見にきてくれたみなさんの明日が、少しでも豊かになるように。 2011.7.2 藤田貴大この作品、待ってた食卓、は、先月7月の中旬、北海道、伊達市、つまり、僕の実家、で、上演した、マームとジプシー、2011年、夏、の三部作、『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』の、中間に位置する、作品、である、でも、この作品、待ってた食卓、を経ても、未だ、食卓、は、僕を、待っていたのか、わからない、わからないってことに、葛藤、している、というのは、作品をご覧いただければ、って感じだけど、僕は、僕らは、とにかく、7月、僕の実家、北海道、伊達市、に、帰ってみたんだ。 僕は、マームとジプシーという場所で、演劇を稼働させて、度々、北海道、伊達市、をモチーフに、作品を描き、紡いできた、つもり。だった。 でも、実際、帰って、作品を上演してみて、僕は混乱してしまった、僕は、僕がつくった、作り物、は、果たして、記憶の細部に至ったか、暗部を照らせたか、混乱してしまった、してしまった。 つまり、未だ、帰る、ということに、僕は、戸惑っている、未だ、食卓、は、僕を、待っていたのか、わからない、わからないってことに、葛藤、している、ということだ。 それはでも、僕だけだろうか、帰ろうとしているのは。帰っている途中なのは。僕だけ、なのだろうか。 これから出演するメンバーは、こういう旅、をしてきたあとだ。こういう旅、とは、帰るという、旅、だ。食卓、を探す、旅、だ。 旅、してきたあとの、react(再演)を、今から、このメンバーは、する。 どうやって、この、react(再演)に、reaction(反応)するのか、そのreactor(反応する人)たちに、僕は、興味津々。 それは、彼らも、未だ、帰る、ということに、戸惑っていて、未だ、食卓、は、待っていたのか、わからない、わからないってことに、葛藤、している、ようだからである。 待ってた食卓、は、マームとジプシーの2011年、前期、の、ちょうど中間に位置する、作品。 僕は、この作品を、夏の真ん中、も、もう過ぎた頃、8月20日に亡くなった、祖父に。 そして、家族に宛てよう、とか思って、いる。 見守るように、見届けよう、と思って、いる。
2011.8.8 藤田貴大荻原 綾 尾野島慎太朗 斎藤章子 成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 照明/吉成陽子 音響/角田里枝 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 主催/マームとジプシー [北海道公演]伊達ライオンズクラブ NPO法人伊達メセナ協会 劇団パラム 共催/[北海道公演]伊達教育委員会 [横浜公演]STスポット 助成/[横浜公演]ACYにおける創造的芸術活動助成事業
マームとジプシー
外部作品
2011年6月24日-27日
〔東京〕2011年6月24日-27日/水天宮ピット大スタジオ
じりじりと、もう暑くなってきた、東京、2011年、5月、である。 夏から夏まで、どう泳ぐか考えている最中である。 もう上京して八年目、東京の夏なんていつまでも慣れないよ、なんて思ってたけど、いい加減、慣れてきちゃったよ、それほどに、あの頃から時間、経っちゃったよ。 あの頃、そうそう、東京に向かう始まりの駅、北海道、伊達市、僕、18歳、同い年のヤツらに見送られた、親父も遠くからこっち、見てたっけ。 僕は電車で東京に向かった、どんどんと遠ざかる、北海道、伊達市、青函トンネルを抜けたあたりで、僕は、あの街に、あの家に、あの食卓に、もう帰らない、と、決めた。もう帰れない、と、思えた。思えてよかったんだ。 あそこには僕に、作文教えてくれた人がいる、演劇教えてくれた人もいる。 わけのわからない喧嘩をしたヤツもいるし、知ったこっちゃないけど、最近じゃ子どもとかできたヤツもいるらしい。 いつもふとした拍子に脳裏に浮かんでくる、その人たち、に、 僕はあの日、帰らないと決めて、帰れないと思えて、よかったんだけど、 帰りの合図は鳴った、ようだ。僕はこの合図に戸惑っている。 あの日から所在地わからぬまま、居場所も定まらぬまま、彷徨ってばかりの僕は、帰ること、できるのかな、待ってる街は、家は、食卓は、あるのかな。どうかな。 今年、2011年、夏から夏まで。泳ぎながら、確かめようと思う。 帰るということ、待ってるということ、 それは、どこに?どこで? そこは、きっと。
2011.5.22 藤田貴大「日々の路地でのサヴィヴ、及び、マームとジプシー的、帰るということ、その帰路、偶然にして、雨だった。みたいな。」
苛々することばかりで虫の息でも、やっぱお腹はすく、すくすく、すく。 そのことに驚き、隠せない。すいているぞ、今、すいてるぞ、と、心、躍る。 その時、僕きっと、前のめり、自分に対して、すごーく、のめってる。 お腹はすく、すくすく、どうしようもなく、その日々、が、なんだかなぁ、と、泪する。 晩ごはんに、街が、近づくとき、そこかしこから、お腹の音、するとして、そしたらパラダイスだよね、みんな、帰りたくなる、よね。 漂流するばかりじゃないんだ、ってね、少し思えるのは、いつも、脳みそのおかげじゃなくって、お腹、のおかげでした、みたいなね。 それはわからないこと、わからないことわかろうとすること、それは必然、かもだけど、わからなくていいことだって、きっと。 僕や僕らはいつもお腹すく、すくすく、すく。 それは何があっても変わんなかったね。 よかった、とか、がらにもなく、思いながら、今日も帰るよね。 2011.6.17 藤田貴大荻原 綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 召田実子
作・演出/藤田貴大 企画コーディネーター/徳永京子 主催/東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
マームとジプシー
2011年4月1日-4日
〔東京〕2011年4月1日-4日/SNAC
「四月の始まりと、異邦人が終わったあとの、あ、ストレンジャー」
三月も、もう終わります、(つまりこの文章は、三月も、もう終わるって頃、ぼおんと、磨りガラスの窓の向こう、朝日が登り始めた、っていうのを、布団の中で眺めながら、書いています、)
もう少しで、四月が始まります、『あ、ストレンジャー』は、四月の始まりに始まって、四月の始まりに終わります、
(布団を出ることにします、机の上で林檎が腐っています、部屋を出ます、近所の小学生がワイワイと登校しています、子どもたちは頭がでかいから、すぐに転んじゃいそう、)
『あ、ストレンジャー』はカミュの異邦人の第一部までを、つまり、ムルソーという青年の母親が死んでから、五発の銃声を鳴らすところ、までをモチーフに描いています、僕なりに、ですが、
(電車に乗ります、いつも稽古をしている横浜へ向かいます、いい香水の匂いがする女性が、僕の肩に寄りかかり、寝ています、)
何かの拍子に、いつも通り、は、ぐらりと揺らいで、いつもの風景も、いつもの会話も、なにもかもが変わって、見えて、聞こえて、ムルソーが鳴らした五発の銃声すら、何かへの警鐘に聞こえて、ってことを、僕は、僕なりに、異邦人を、或いは、異邦人が終わったあとの異邦人を、作ってみようと思いました、それが『あ、ストレンジャー』なのだと、今は、思っています、
(そろそろ横浜に着きます、と、同時に、この文章も、そろそろ終わります、)
異邦人が、今、と、コミットしていくには、生まれ変わり、つまり、リボーン(Reborn)、の、作業が必要だったし、そのためには、異邦人に、僕の生活、日常を、リミックス(Remix)していく必要もある、と、僕なりには、感じて、つくっています『あ、ストレンジャー』。
三月も、もう終わります、四月も、もう始まって、それもいつか終わるんだけど、僕らの、Re、の作業は終わりそうにありません、三月末日。
2011.3.28 藤田貴大
青柳いづみ 荻原 綾 尾野島慎太朗 高山玲子
原案/「異邦人」アルベール・カミュ 作・演出/藤田貴大
照明/明石伶子 制作/林 香菜 主催/マームとジプシー 共催/SNAC/吾妻橋ダンスクロッシングマームとジプシー
2011年2月1日-7日
〔神奈川〕2011年2月1日-7日/STスポット
「ながい一日のはじまりとおわりのその中身にただよう空気」
たとえば、自転車に乗れるようになって、ペダルを漕いで、移動できる距離が広がって、っていう頃、 たとえば、電車の切符が買えるようになって、乗り込んで、移動できる範囲が広がって、っていう頃、 たとえば、飛行機のチケットを手にいれて、どこか遠くの見たことない場所に飛べるようになった頃、 どんどんと広がっていく自分の、規模、が面白くって、どんどんとその、規模、を広げてこうって頃、 比例して、自転車からも、電車からも、飛行機からも、多くのモノを落としてしまった、僕は落下していくそれらに、手をのばすこともせず、声をかけることもせず、ただただそれらを眺めていた、どうしようもなく見過ごして、ここまで広がってきてしまったように思う。 まずはその落下物を拾うこと、それでそれらを繋げて、連続させること、を、たぶん僕は一年前の初演時には意識していたのは、よくわかった、でもそれだけでは足りないこともよくわかった、つまりその落下物を拾って並べることしかしてこなかった、だから今回のこれ、再演、は、その一つ一つを研磨すること、そこから始めた。 そう、言うならば、これはリサイクル(recycle)の作業だ、そのままの形体でもう一度使うリユース(reuse)の作業とは異なっていて、粉砕・溶解・分解の作業から始める、リサイクル、だ。 自転車からも、電車からも、飛行機からも、一度落下したそれら。 手をのばすこともせず、声をかけることもせず、ただただ眺めていたそれら。 一年前に一度、上演というカタチで、外に出して並べてしまった、それら。 それらをリサイクルするのは、やっぱり困難だったよ、火傷もしたし、何かが裂けた感覚もあるし、もう粉砕骨折気味。 しかも、そう、リサイクルしたって、誰かが何かが、不在、なんだ。 誰かが何かが不在の日常、を、これからも過ごすのであろう、誰かが誰なのか、何かがなんなのか、も、思い出すこともできずに。 だから僕はこの作品を、誰かがいなくなった、ながい一日に。ながい一日のはじまりとおわりのその中身にただよう空気、に、捧げようと思う。 それはもう、ある記憶に対して、祈る、ような気持ちでいる、からである。 2011.1.25 藤田貴大青柳いづみ 伊野香織 荻原 綾 北川裕子 斎藤章子 高山玲子 とみやまあゆみ 召田実子 吉田聡子
大石将弘(ままごと) 大島怜也(PLUSTIC PLASTICS) 尾野島慎太朗 波佐谷 聡
作・演出/藤田貴大 舞台監督/森山香緒梨 加藤 唯 照明/吉成陽子 照明オペレーター/明石伶子 音響/角田里枝 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 主催/マームとジプシー 共催/坂あがりスカラシップ(急な坂スタジオ・のげシャーレ・STスポット)
マームとジプシー
2010年11月12日-28日 全2会場
〔京都〕2010年11月12日-14日/アトリエ劇研 (KYOTO EXPERIMENT2010フリンジ企画"HAPPLAY "参加) 〔東京〕2010年11月24日-28日/シアターグリーンBASE THEATER (F/T公募プログラム参加)
『ハロースクール、バイバイ』は、もうずっと前から取り組みたかった作品。
この作品では、ずっと女子たちがバレーボールをし続ける。最期の一試合。汗だくになって。息を切らして。
・・・・・・・・・・・・
文化系男子の僕は運動がまるっきりダメで、でもそのことがコンプレックスだったとかはまるっきりなく、運動できる人たちはすげぇなぁとか気持ちいいなぁとか純粋に思っていた。太陽とか浴びて、ポカリとかうまそうに飲んでいる体育会系男子たちが、羨ましいんじゃなくて、単純に尊敬していた。僕にはないモノを彼らは持っていたから。僕にはそんな感じでポカリは飲めないし、僕は風邪引いて熱出した時にしかポカリは飲まないよ、とか。
いさぎよく自分は運動がダメってことを受け入れて、彼らの領域に入ることを諦め切っていた。だから、体育会系の彼らのことを、四季折々の風物詩みたいな感じで傍観していたんだな。彼らを見ていたら、時間の移り変わりがわかった。彼らが、何故に、それに必死になるのかは、やっぱりその本質は解ることはできなかったけど、彼らの姿はなんとなく好きだった。そういう学生時代、思い出しています、今。
・・・・・・・・・・・
文化系だった僕は、さらに、体育会系女子に憧れを抱き、日焼けした彼女ら、豪快に笑う彼女らが眩しくて、たぶんそんな彼女らに、数回、恋をしたりもしたと思う。
ある季節、彼女たち、は、試合に負けて、学校に帰ってきた。たぶん彼女たちとはバレーボール部。例のごとく、僕はまた、彼女たちから少し離れた場所、で、帰ってきた彼女たちを見ていた。
たぶん彼女たちはその時、泣いていたと思う。なんで泣いていたのか。やっぱりちょっとまだその真意はわからない。負けたから?季節が終わるから?または、ホッとしたから?
とにかく僕は、そんな彼女たちに、なんの声もかけれなかった。いや、かけようともしなかったのかもしれない。ただただ彼女たちが泣いて学校に帰ってきた、その風景、を、眺めていた。眺めていることしか、僕にはできなかったから。
・・・・・・・・・・・・
僕らは今年の秋、といっても、もう冬に近いくらいの、秋。バレーボール部のお芝居をする。こんな僕が作るバレーボールの芝居だ。くだらないに違いない。体育会系の人たちが見たら、ふざけんなって感じかもしれない。
なんと言っても、この作品の中のバレーボールとは、球がない。実際に存在しない架空のボールを追って、役者さんたちは必死に試合をするのだ。(←このことを僕らは、エアーバレーボール、と呼ぶ。)実在しないボールを追う役者さんたちの姿は、ナメてるを通り越して、なんとも可愛らしいのである。
あともう言ってしまうが、この作品は、彼女たちのある一試合を描いた作品になるのだが、彼女たちはこの試合で、負ける。負けて彼女たちの部活漬けの生活は終わる。はずである。まだ台本ができてないからわからないが。
『ハロースクール、バイバイ』とは、まあ大雑把に言えば、女子たちが実在しないボールを追って、必死に戦い、負ける。っていう、これだけの話である。
つまり、バレーボールとか、試合に勝つとか負けるとかは、僕にはあんまり重要じゃないんだ。
重要なのは『身体』。とにかく『身体』が見たいんだ。彼女たちの、これからへ加速していく『身体』を。
学校に泣きながら帰ってきた彼女たちとの距離は、あの頃より縮むことはあるのかな。彼女たちが泣いていた真意は?
あの中にいた、あの人は、今、どうしているのか。
僕は、あの人の顔すら、もう忘れてしまった。
薄らぼやける記憶の断片を、考察して、繋ぎ合わせ、連続させて、女子たちの汗ばむうなじや、しょっぱくなったTシャツを、生っぽく浮かび上がらせたい。
役者さんたちをドロドロにして、賞味しちゃいたい。
だからこの興味がずっと前からあるから、
『ハロースクール、バイバイ』は、もうずっと前から取り組みたかった作品。
ただただ学校を眺めていたあの頃。止まっているあの頃の時間を、少しだけ進めれるように。
京都と東京。11月はもう寒いのかな。
2010.8.8 藤田貴大
「ある速度と置いてきぼりの記憶」
最近思い出す、あの頃、あの建築物の中での生活、それはものすごい速度を帯びていて、だから色んな感情を当然、溢してきた、それを溢したまま、置いてきぼりにしてきたよね、その置いてきぼりの感情を、掬って、再生するのは困難だ、だってやっぱり一度は落としてしまったんだもん、落としてしまったモノの鮮度を、あの頃から今まで優しく保たれてこなかった腐りかけの感情を、再生するのは困難、そう考えるのは、こういう理由からだ。
再生とは、そう、二通りあると最近捉えていて、再生=再構築(reform)、と、再生=蘇生(regenerate)、僕は後者を今回やろうとしているし、役者さんたちにも促してきた。
つまり、演劇表現とは、やっぱり再生する作業(シーンを再生する、という意味で。)をしなければいけないんだけど、それって生身の人間がやるんだよね、それを、僕は何かを再生させる時に、組み立てる作業(ここを、reform、とする)は狙っていない、
狙っているのは、役者さんや僕の作品に関わってくる人、さらには、観客のみなさん、の頭の中で、なんらかのタイミングでニュキッと起き上がってくる感情(それを、regenerate、としよう。)、そこだ。
だから今回、僕は種蒔き(seeding)しかしないつもりです、何故ならば、あとは、発芽(germination)させるのは、僕じゃない気がしたから。
戻ろう、あの頃、あの建築物の中での生活、の話、置いてきぼりにしてきてしまった記憶、あの頃から今まで優しく保たれてこなかった腐りかけの感情、それを再生させるには。
再構築(reform)じゃ遅いんだ、僕らの急務は蘇生(regenerate)。
ここにしか、もうなんだか、未来が見れなくなったんだ。
2010.11.3 藤田貴大
伊野香織 荻原 綾 河野 愛 木下有佳理 斎藤章子 成田亜佑美 緑川史絵 尾野島慎太朗 波佐谷 聡
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 加藤 唯 照明/吉成陽子 照明オペレーター/明石伶子 音響/角田里枝 演出助手/舘 巴絵 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 共催/[京都公演]アトリエ劇研 [東京公演]フェスティバル/トーキョーマームとジプシー
2010年5月26日-31日
〔神奈川〕2010年5月26日-31日/STスポット
「しゃぼんのころ」
本作品は、前作の『たゆたう、もえる』までの試みとは、たぶん違ってきていて。たぶん、っていうのは、明確に、そう、とは言い切れないって意味で。今までを断ち切って、全く変わって、今に至るわけでもなくて。でも、違ってきているっていうのは、その変容していく様子を、今の自分たちの現場から、どうやら感じることができているからである。 変容していくっていう僕らの今と『しゃぼんのころ』。 『しゃぼんのころ』は中学生たちの三日間の話。 急速にココロとカラダを前進させてゆく中学生。 濃密な時間の中、あの頃の僕や、僕の周りの人たちは、どう変わってきたのか。あの人との距離はどうだったのかとか、なんでだろう、なんでだろう、と、やっぱり、今だって、思い出しの作業は果てしなく続いているのだけど、続いていくし、その作業の経過、それそのものが、作品であって、そこを、僕らも、今日ご来場いただいたみなさんも、通過、していくのだなぁ。と、確認もしつつ。2010年代の一年目。もう5月。コドモたちが学校に通ったりしている。相変わらず。 『しゃぼんのころ』に出てくる人物たちの、孵化していく感じ、これはちょっと、マームとジプシーがこれから変容してゆくための、第一歩目だと、僕は勝手ながら考えていて。紛れもなく、この物語は、これから、の話なんだと。 やっぱりでも、思い出しているのは、あの頃。風景が反転して白かったような、あの頃なんだ。なぁ。あぁ。 2010.5.16 藤田貴大青柳いづみ 伊野香織 荻原 綾 斎藤章子 召田実子 吉田聡子 尾野島慎太朗 波佐谷 聡 横山 真
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 照明/吉成陽子 音響/角田里枝 演出助手/吉田彩乃 舘 巴絵 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 提携/STスポット 協力/NINGENDAYO.マームとジプシー
2010年2月13日-16日
〔東京〕2010年2月13日-16日/こまばアゴラ劇場 (冬のサミット2010参加)
「たゆたう、もえる」
僕のばあちゃんの百合子さんは俳句教室に通ってて、いつも帰ると俳句を披露してくれる。 僕のじいちゃんは4年前に他界した。僕は20歳だった。 ばあちゃんはじいちゃんが死んじゃって、一人であの家に住むことになった。 頭から離れない記憶は、ずっとリフレインする。そのリフレインに身を沈めて、閉じこもることだってできる。 たぶんこの作品の登場人物たちは、記憶の中にいて。 ばあちゃんはじいちゃんが死んじゃって、じいちゃんとの記憶を俳句にした。 彼女はたまに、ふとした拍子に、じいちゃんとの俳句を詠む。 彼女もまた記憶の中にいるのだろう。 僕は僕で、彼が死んじゃってから、あの家での記憶を振り返ってばかりだ。 振り返ってばかりの、4年間だったけど、そろそろ曲がり角を曲がって、振り向けなくなろう。 逆光の中、僕の後ろで、手を振るあの人は、もう、記憶の中だから。 振り向けなくなって、真っ直ぐ前を向き直した時、どうするか。何が待ってるか。 これは僕は、これからの話、記憶からの脱却、だと思っている。 2010.2.6 藤田貴大位置につき 空に号砲 鰯雲 秋彼岸 あの世この世に 隔てられ 在りし日の 夫に感謝や 藤の花 夫のくせ 取れぬ形見の 冬帽子 天の川 めをと暮しも 終りけり 百合の花 山ほど抱かせ 夫送る 夫逝きて 一人に広し 冬座敷 旅立ちの 棺に淡き 百合の花 亡き夫の 愛でしコスモス 咲きつづ 七七日 終へて見上ぐる 天の川 生きている かぎり夫恋ふ 蓬餅 秋天に 溶けゆく夫の 煙かな 花野行く 夢亡き夫と 二人連れ 在りし日の 夫の声する 百日紅 いる筈の なき夫の声 昼寝覚め あるものを 供えて一人 今日の月 遺されし スケッチブック 石蕗の花 亡き夫と 出逢へそうなる 花野かな 亡き夫の 冬帽今も 玄関に 夫ゆきて 山茶花今を 盛りとす 瞬くも 夫の星かも 冴え返る 曼珠沙華 夫はこの道 行きしまま 夫逝きて 眠れぬ夜半の 月明かり ふと夫に 呼ばれたやうな 冬の月 愁思の手 そっと置くなり 夫の墓 今日のこと 話す夫亡く 夜の長し 彼岸花 夫はこの径 ゆきしまま 言い訳を する人のなき 夜長かな 看取りさへ 今は思ひ出 天の川 亡き夫の うすれる過去や 晩夏光 七七日 済ませ安堵の 午睡かな 傍らに 夫いるごとし 十三夜 夫逝きて いよいよ天の 高さかな 夢覚めて たちまち一人 夜の長し ひき戻す すべなく仰ぐ 鰯雲 亡き夫の 遺品の整理 長き夜 昇天の 夫を憶へば 星流る 昼寝覚め 夫におこされ 夫は亡く ふと夫の 声せしごとし 青葉風 急がずに 老いゆくつもり 毛糸編む 夫眠る 墓までの道 霜踏んで 根深汁 脳裏に浮かぶ 母若し
安藤理樹 伊野香織 尾野島慎太朗 荻原 綾 斎藤章子 とみやまあゆみ 成田亜佑美 波佐谷 聡 福沢佐瑛子 萬洲通拡 吉岡由佳 緑川史絵 横山 真 吉田彩乃
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 照明/吉成陽子 オブジェ製作/青柳いづみ 衣装/NINGENDAYO. 制作/林 香菜 梅村祥子 吉田聡子 企画制作/マームとジプシー(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場 主催/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場 サミットディレクター/杉村邦生マームとジプシー
2009年11月5日-8日
〔神奈川〕2009年11月5日-8日/STスポット
「コドモもももも、森んなか」
昨晩は家で、ビールを飲んで、漫画を読んで、寝た。 今朝はまた電車に乗って、銀杏の匂いが酷いなぁって思った。 毎日を過ごす作業と、 過去を思い出す作業、 この先を考える作業。 当たり前に日々繰り返す、その作業たちを、少し立ち止まって考え直してみた。 舞台は、田舎の街。コドモしか出てきません。 川があって、海に続き、 駅があって、外に続く。 僕が置き去りにしてきた街は、記憶の中、明暗はっきりと、でも、輪郭はぼやけた状態で、確かに存在していて。 その街の中で、僕は、まだコドモのままだった。 コドモのまま、記憶の街を眺めていた。 そこを歩き回るかのようにして、 断片を集め、連続させました。 またビールを飲んで、寝るであろう、今日に、これが繋がってくるか。 銀杏の匂いが酷いなぁ。 2009.11.2 藤田貴大吉田聡子 青柳いづみ 召田実子 波佐谷聡 高橋志緒 伊野香織 斉藤章子 河野愛 藤田早織 横山真 鈴木宏侑 橋本ゆりか(東京のくも) 緑川史絵
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 照明プラン/吉成陽子 照明オペレーター/山岡茉友子 布制作/NINGENDAYO. 音楽/じゃがいもハニー 演出助手/森下なる美 舘 巴絵 宣伝美術/本橋若子 写真撮影/飯田浩一 制作/林 香菜 児玉華奈 提携/STスポットマームとジプシー
2009年6月17日-21日
〔東京〕2009年6月17日-21日/下北アートスペース
今、夕方で、まだ部屋から出れていない。 眠たいわけではない。なんだか外に出れない。 カーテンの隙間からオレンジ漏れて。 下校中の小学生の声が聞こえている。 猫が発情している。 僕の口からはドックフードみたいな匂いが漂っている。 隣には崩れかけたリンゴが置いてある。 僕は干からびてくそれを眺めている。 誰も帰ってこないのに、 誰かの帰りを待つように、 まだ外に出れない。 今、バイクが通りすぎた。 まだ、夕方。 いつまでも朝がこない。
藤田貴大「夜が明けないまま、朝」
中央線に乗っている、今、朝です。 また朝がきてしまって、 まだ明けないはずの夜は断ち切られてしまった。 夜が明けないままの僕は、きっと僕らは、おぼつかない日常の中、 毎朝を迎えることになっている。 生まれたときからこの秩序に身を置くことに、なっている。 でもそれは地球とか世界の都合で、僕の都合ではない。 まだ夜が続いている。 まだ朝日を浴びる準備は出来ていないのだ。 この街の人々は、フラフラフラフラ歩いている。 夜が明けないまま、それでも朝は訪れて、訪れてしまって、 それでも確かに歩いている。 地下に降りたら待ちの音が消えた。 この体験が出来たからこのギャラリーで、この作品をしたかった。 僕は紡ぎだすことができているのだろうか。 まだまだ創作、行き先不安。中央線、意外と空いてる。窓の向こうには朝日。 藤田貴大藤田早織 召田実子 末森英実子 田代尚子 緑川史絵 吉田聡子 斎藤章子 鈴木宏侑 安藤理樹 今野雄仁
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 部屋作り/青柳いづみ 生出奈々 荻原 綾 照明/吉成陽子 芹川直子 音楽/田中里実 宣伝美術/本橋若子 制作/伊野香織 林 香菜マームとジプシー
2008年11月1日-3日
〔神奈川〕2008年11月1日-3日/STスポット
立方体の部屋の中に一人でいます。 ドーナツ型に広がったゴミの中に、います。 クルミ入ったパンとか食ってます。 僕はある夫婦から産まれて、その夫婦もある夫婦から産まれて、その夫婦もある夫婦から産まれて。 とか考えながら、 クルミ入ったパンとか食ってます。 「ごほんごほんと絵本は鳴く」は家族の話。 「ブルーとベリーの小さな惑星」は夫婦の話。 始まりと終りの中間地点にいます。 宙ぶらりんになって、います。 水槽のようなこの部屋で、天井見ながら浮かんでいます。 胎児の格好をして。 藤田貴大
これから誰かと2人で過ごすとか、すごく考えにくい。 でもあの2人の関係から自分は産まれた。 それは明らかで。 だからすごく混乱させてくる原因はそれで。 現に"2人"のことばかり考えている自分は、 "2人"を避けるかのように"1人"でいるようとするんですが、 結局"2人"のことが能に粘着して離れないのです。 2人になってしまった2人は、未だ発見されていない宇宙の果ての小さな小さな惑星に飛ばされます。 その惑星には、何か潜んでいるかわからない。 そこでは、どう生活すればいいかも、きっとわからない。 ただ一つ、なんとなくわかるのは、その惑星は紫色だということ。 それだけでした。 藤田貴大
青柳いづみ 小椋史子 伊野香織 松原由佳 吉田彩乃 横山 真 藤田貴大
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨 照明/吉成陽子 宣伝美術/本橋若子 制作/成田亜佑美
マームとジプシー
2008年10月8-15日 全3会場
〔東京〕2008年10月8日/こぐま 〔神奈川〕2008年10月11日/カフェギャラリー & 窯 ばおばぶ 〔京都〕2008年10月15日/サボンCafé
立方体の部屋の中に一人でいます。 ドーナツ型に広がったゴミの中に、います。 クルミ入ったパンとか食ってます。 僕はある夫婦から産まれて、その夫婦もある夫婦から産まれて、その夫婦もある夫婦から産まれて。 とか考えながら、 クルミ入ったパンとか食ってます。 「ごほんごほんと絵本は鳴く」は家族の話。 「ブルーとベリーの小さな惑星」は夫婦の話。 始まりと終りの中間地点にいます。 宙ぶらりんになって、います。 水槽のようなこの部屋で、天井見ながら浮かんでいます。 胎児の格好をして。
藤田貴大
今日もバイトをしています。演劇なんかしっちゃってるからバイトしています。まあ演劇しなくても僕なんてバイトしえいるかもしれないけど。
休憩時間は決まってコンビ二に行き、コーラとパンを買って、それをビルの隙間で、食べます、飲みます。
幼い頃に母が読み聞かされた、ミヒヤエルエンデの『モモ』に出てくる時間泥棒(なんか時間を奪い、街の人々を忙しくするみたいなギャングっぽい方々)が、日々、一層、現実味を帯びてきて、脅かしてきてるな、とか、考えながら、コーラを飲んでいるんですけど、ダイエットコーラ。
そんな時、無償に行きたくなる、行きたくなるというか逃げ込みたくなる、そんな場所が、きっとここなんだと思います。
家族のような居心地のする、ここなんだと思います。
藤田貴大
小椋史子 伊野香織 松原由佳 吉田彩乃 横山 真 藤田貴大
作・演出/藤田貴大 舞台監督/森山香緒梨 絵本・作/春雨パリ子 吉田彩乃 絵本作画/藤田貴大 宣伝美術/本橋若子 制作/成田亜佑美
マームとジプシー
2008年6月14日-16日
〔神奈川〕2008年6月14日-16日/PRUNUS HALL
あの日、あの時、あの頃、ああしていれば、今、どうなっていたか、とか、思ったところで、どうしようもないし、ましては、あの人のこととか考えちゃうと、というか、考えきれない。切りがない。
とにかく、「あの」が付くことなんて、グヂグヂと考えたくない。
でも、生きてしまっているから、「あの」はどんどん増えていく。あの、あの、あの、と「あの」だらけ。ヘットホンを耳にあてて、電車に乗り込む。
鼓膜がひりひりするほどに音量を上げたら、どこか違った、いつも通りの風景が見えた。
いつも通りの風景なのか、あの、風景なのか。それが、知りたい。
藤田貴大
青柳いづみ 池口 舞 伊野香織 田代尚子 成田亜佑美 松原由佳 横山 真 吉田彩乃
作・演出/藤田貴大 舞台監督/亀井佑子 森下なる美 照明/明石伶子 吉成陽子 音響/花嶋弥生 宣伝美術/本橋若子 制作/緑川史絵 林 香菜 持田喜恵
マームとジプシー
2008年3月1日-3日
〔神奈川〕2008年3月1日-3日/PRUNUS HALL
母と、母が住んでいたアパートを探しに言った。 アパートは、もうなかった。 母は少しだけ黙り、そのあと、笑った。 22歳も終わりに差し掛かっているが、相変わらず、フラストレーションを抱くばかりだ。 今、世界が滅亡するとしても、僕はそれを抱えたまま、一人で悶々と最期を待つだけだろう。 母が黙って、笑うまでの、その一瞬に、僕は少し懐かしさと、少しだけ、新世界を感じた。 初春、記憶探しをひりひりと行いたい。 それで、ほろほろと、散り散りになりたい。
藤田貴大
「息子へ」
2004年3月19日、息子は北海道伊達紋別を東京に向けて出発した。それぞれの旅立ちを間近に控えた5人の友人が見送りに駆けつけてくれた。演劇に夢を求めての東京行きである。あれから4年、決して楽しいことばかりではない状況の中で、さまざまな人達に出会い、新しい自分を発見しながら夢を追い続けているようだ。
いつか、「もう一度、新しい友人を連れて、観に来たいと思えるような演劇」を、息子は一生に一本作る事ができるのだろうか。
こんなことを考えながら、貴大が故郷で、10代から80代までの人が感激できるような作品を上演する日を、父は夢みている。
「ほろほろ」
今まで、たくさんの人と別れてきて、きっと、これからも、別れるだろうと、 そう思って、この作品は出発した。 記憶を巡ってみても、思い出すのは、断片的な、 しかも、ぼやけて色褪せた、曖昧な風景で、 そんな、脳内の、それに、 フォーカスを合わせ、シャッタースピードも最速に上げて、 記憶の一瞬を、捉えようと試みた。 それが、どれだけビビットに映ったか、 もしくは、もう、記憶は、ぼやけたままなのか。記憶に、立ち止まってはいけないのか。 また、春が来たら、 それぞれ、新たな記憶を求めて、散り散りになる。 もう、 口の中じゃ、鉄の味で満ちていて、 匂いは、もう、夏を意識している。 街は、着実に、進んでいる。 さよなら、さよなら。 先に、行きます。 藤田貴大青柳いづみ 池口 舞 石井亮介 伊野香織 小椋史子 熊木 進 斎藤章子 田中美希恵 辻 賢二 成田亜佑美 松原由佳 緑川史絵 召田実子 横山 真 吉田彩乃 若林里枝
作・演出/藤田貴大 舞台監督/森山香緒梨 島田佳代子 照明/吉成陽子 芹川直子 音響/花嶋弥生 演出助手/亀井佑子 宣伝美術/本橋若子 制作/林 香菜 前田安寿子 持田喜恵
マームとジプシー
2007年12月20日-22日
〔神奈川〕2007年12月20日-22日/カフェギャラリー&窯 ばおばぶ
青柳いづみ 池口 舞 石井亮介 河野桃子 田代尚子 津田真由美 安田愛美 渡辺六三志
作・演出/藤田貴大 舞台監督/亀井佑子 照明/吉成陽子
マームとジプシー
2007年9月14日-23日 全3会場
〔神奈川〕2007年9月14日-15日/創造界隈ZAIM 本館地下一階 〔神奈川〕2007年9月20日-22日/桜美林大学 徳望館地下小劇場 〔神奈川〕2007年9月23/日桜美林大学 明々館
「ぼくとアリスとマームとジプシーと」
ウサギ役で登場する伊野香織氏に「不思議の国のアリス」、を勧められたのは、たしか20歳の時である。 アリスはウサギに誘われて、ウサギの穴に落ちていく。落ちた先に不思議の国があるのだが。夜な夜な黙々と読んだのを覚えている。上京して、色々うまくいかずうろうろしていたぼくと、不思議の国で一人、孤独にうろうろするアリスは、なんだか、少しだけ重なる気がした。 いつも思い出すのは、やはり夕飯前のあの感じで、夕暮れに染まったあの感じで、 「ご飯だよ。」と言われるあの瞬間の、逆行にぼやっと浮かぶ母親が、きっとぼくのしたいことなんだと。 宇宙のような、不思議の国のような、この場所に、ぼくはずっと馴染めずにいるんだろう。 変化に怯え、安定を求めるだろう。でも変化していく。安定など有り得ない。変わらないのは、帰りたいって、そういう気持ちだけ。 それだけは変わらないでいてほしいと、そう願いたい。 2007年9月21日 藤田貴大青柳いづみ 池口 舞 伊野香織 小椋史子 斎藤章子 林 香菜 緑川史絵 召田実子 横山 真 渡辺六三志
作・演出/藤田貴大 舞台監督/森山香緒梨 花嶋弥生 照明/吉成陽子 衣装/青柳いづみ 制作/成田亜佑美 宣伝美術/本橋若子 素材写真/召田実子