「しゃぼんのころ」
本作品は、前作の『たゆたう、もえる』までの試みとは、たぶん違ってきていて。たぶん、っていうのは、明確に、そう、とは言い切れないって意味で。今までを断ち切って、全く変わって、今に至るわけでもなくて。でも、違ってきているっていうのは、その変容していく様子を、今の自分たちの現場から、どうやら感じることができているからである。
変容していくっていう僕らの今と『しゃぼんのころ』。
『しゃぼんのころ』は中学生たちの三日間の話。
急速にココロとカラダを前進させてゆく中学生。
濃密な時間の中、あの頃の僕や、僕の周りの人たちは、どう変わってきたのか。あの人との距離はどうだったのかとか、なんでだろう、なんでだろう、と、やっぱり、今だって、思い出しの作業は果てしなく続いているのだけど、続いていくし、その作業の経過、それそのものが、作品であって、そこを、僕らも、今日ご来場いただいたみなさんも、通過、していくのだなぁ。と、確認もしつつ。2010年代の一年目。もう5月。コドモたちが学校に通ったりしている。相変わらず。
『しゃぼんのころ』に出てくる人物たちの、孵化していく感じ、これはちょっと、マームとジプシーがこれから変容してゆくための、第一歩目だと、僕は勝手ながら考えていて。紛れもなく、この物語は、これから、の話なんだと。
やっぱりでも、思い出しているのは、あの頃。風景が反転して白かったような、あの頃なんだ。なぁ。あぁ。
2010.5.16 藤田貴大 