東京 2014年8月5日/杜のホールはしもと
ボスニア 2014年10月10日-11日/Center for Children and Youth Grbavica(International Theater Festival MESS参加)
イタリア 2014年10月24日-25日 /Pontedera Teatro(ピサ)
2014年10月31日 /Teatro delle Muse(アンコーナ)
2014年11月4日-6日 / Teatro di Messina(カターニア)
撮影|橋本倫史
この作品はぼくらが、はじめて日本じゃない国まで持っていったものであり、そして、まだ旅の途中の、まだなにも終わっていないものである。未完成な部分も多い作品だ。マームとジプシーという名前が、ぼくらにいよいよほんとうに、貼りついてきたかんじがあった。それは、始まった作品が、やがてどこで終わるのか。どこで死ぬのか。死に場所をさがして彷徨うみたいな作業だ。あらかじめ決められた、てんとてんのあいだに線を引くような。作品はいつか古くなり、老いて。死ぬだろう。必要がなくなるだろう。その寸前のきわきわのところまで、旅をつづけたい。この作品の未完成な部分を旅を通して、補強したい。ともあれ、とにかく、また。ここから始まる。
藤田貴大
これはまだ旅の途中の作品である。
未完成の部分がとても多くて、普通のかんじだと、もうすこし整理したりとか、そういうことをしてしまうのだろうとおもう。
でも、普通のかんじとして、整理して示すことが、かならずしもよいとはおもえないのだろう。
なによりも、
これはまだ旅の途中の作品であるのだから。
意識的に、作品のなかに隙間を散りばめているつもりである。その隙間は計算されたものではなくて、正直言って、ぼくにもわからない。
しかしその隙間は現在の自分にとっては必要な隙間なのは確かだし、そしてぼくはその隙間を埋めようとはおもわない(作品が油断する瞬間があって、その油断にこそ、なんともいえないニュアンスが詰まっているというのに、よくない癖で、それを埋めようとしてしまう)。
作品に隙間を置いて、そのことをかんがえながら旅をしたい。
そもそも、あのころ、コドモのころ、隙間だらけだった。油断だらけだった。オトナはそこにつけこんで、ぼくらを埋めて、埋め尽くして、彼らがおもう「人間」という、ぼくらからしたら穢らわしい生物に仕立て上げようとした。
この作品は去年もそうだけれど、今年も日本じゃない場所へ行く。どの場所でも、その場所での作業をしたい。あえてつくった余白について、とことんかんがえながら。
そしてやっぱり答えは見つけたくない。答えを見つけたら、この作品は終わるだろう。
答えを見つけてしまって死んでしまった、いつしかのあの子みたいに。
答えを見つけてしまったら、作品は、演劇は、死んでしまうだろう。
8月2日 藤田貴大
荻原綾 尾野島慎太朗 波佐谷聡 成田亜佑美 召田実子 吉田聡子
作・演出/藤田貴大 舞台監督/熊木進 照明/南香織
音響/角田里枝 映像/召田実子 通訳・ツアーマネージャー/門田美和
制作/林香菜 植松侑子