〔東京〕2012年8月4日/小金井アートスポット シャトー2F・カフェ
〔東京〕2012年8月5日/Art Center Ongoing
〔東京〕2012年12月18日/2.5D
(もっと!アノネ、発売記念「ミナモノ。アノネ、」トークショー内にて)
ユリイカを初めて手にとったののは、中学生の頃だった。三年生。15歳。青山真治の特集だった気がする。僕があの頃、過ごしていた街には本屋がなかった。電車で一時間かかる隣町の本屋へ。月に一度だけ通っていた。そこで、だ。ユリイカを初めて手にとったのは。中学生の頃。あの頃。僕は北海道で過ごす日々に、ほとほと、飽き飽きしていた。本すらも。映画だって。満足に鑑賞することができない。潮のにおいなんだか、精液のにおいなんだか。なんなのかわからない、得体の知れない匂いが立ち込める街で。どうしていいのか、わからずにいた。価値などを、見いだせずに、いた。そんなときだった。ユリイカを初めて手にとったのは。閉ざされていた価値観が、少しだけ開かれた気がした。三時間くらい、その本屋にいただろうか。それでも小さな本屋だけれど。そこにあるだけのバックナンバーを漁っては、食い入るように、見入っていた。そこには、真実があるような気がした。15歳だった。この小さな街に蔓延る、大人たちがついた、多くの嘘。に気がついては、確信していく。そんな多感な時期に、だ。ユリイカを初めて手にとったのは。ユリイカのせいで、大きく人生が歪んだし(もちろん、ユリイカのせい、だけじゃないが)、ユリイカは僕の、住んでいた街を出て行きたい、という気持ちを助長させた、わけだ。ユリイカ編集長の山本充さんに出会ったのは、ちょうど二年前。マームとジプシーの公演を、見ていただいたあとだった。ぱっと見、すげーこえーなあ、と感じていたから、何を言われるか、怖かったけれど。気に入ってくれたようで、よかった。と思えた。のを覚えている。よかった。と思えた。のは25歳の僕だけじゃない。よかった。と思えた。のは15歳の僕も。だったのだ。あの街から離れて、6年目のことだった。ユリイカと再会できたのは。ユリイカは、今でも何かを僕に、諭してくれるようで。今日という日は、最近。ユリイカに載せていただいた、僕が文筆したモノを読もうと。思います。書いたのは、もちろん。あの頃の。ユリイカを初めて手にとった。あの頃の。ことについてです。どうぞ。
2012.7.31 藤田貴大
青柳いづみ
演出/藤田貴大
テキスト/藤田貴大
「K と真夜中のほとりで」
「プールにまつわる、エトセトラ」