〔東京〕2013年8月5日-18日/東京芸術劇場シアターイースト
撮影:飯田浩一
――昨日までオーディションをやってたんですよね。何時ぐらいまでやってたんですか?
藤田 終わったのは8時前ぐらいかな。
今日 そうか、8時に発表だったんだ。
藤田 そうそう。そのあと韓国料理屋に行って、ずっと飲んでたっていう。
郁子 たぶん全員キムチくさいと思います。
藤田 青柳が韓国帰りでキムチのお土産を買ってて、それを食べてスイッチが入ったんだと思う(笑)。
――オーディションは何段階あったんですか?
藤田 まず320人ぐらいの人が応募してくれたんだけど、書類審査はしたくないから一次オーディションで全員来てもらったんですよ。一次で94人に絞ったんですね。それで三次オーディションまでやって最終的に15人に絞りました。
――実際にはどういう審査を?
藤田 僕がオーディションって聞いてイメージするのはモーニング娘。とかなんだけど、いきなり「歌え」とか「演技しろ」って言うのはすごい嫌で、一次はインタビューしかしてなかったです。急な坂スタジオでやったんですけど、「ここに来る前に、どこで起きたか」を話してもらったんです。床に地図を作って、そこに自分でテープを貼ってもらって名前を書いてもらって。だから床に320個のてんがある状態で。
――「まいにちを朗読する」ってワークショップに近い形式ですね。
藤田 そうそう。で、別に演劇経験が豊かな人を取ろうとはしてなくて、ちゃんと僕と話せる人とか、話してるときの声が良い人を選んだ感じがあって。ほんとに、「この人、面白い」って人がいるんですね。やけに話が長くて面白くない人もいるし。今日さんは一次にも来てくれたんだけど、「この人、面白いよね」って言う人が一緒だったのがほんと良かった。
今日 一次オーディションはほんとにすごかった。藤田君がずっと役者さんと話をしてるんだけど、履歴書も何も持たない状態で話を聞いて、終わったあとにワーッと思い出して優劣をつける感じだったので。
郁子 やっぱ覚えてるんだ? 良いなと思った人。
藤田 覚えてる。一次は本当に履歴書を持たずにやっていて、二次で初めてそれを見るんだけど、そうするとほぼ演劇経験に乏しい普通の人が残って。そうやって「話せる人」みたいなことで選んでいきましたね。最後の三次のときは、僕が『ユリイカ』に書き下ろしているテキストを読んでもらったんだけど、そこにはマームとジプシーの役者さんもいたし、zAkさんもいたし、今日さんと郁子さんにも来てもらって。
郁子 生まれて初めてオーディションっていう場所に行きました。これまで全然縁がなかったから。ほんとに最後の最後、最終の人たちを絞ってるところに入って行って全体を見ていた感じなんですけど……。とにかく空気の密度が濃過ぎて、3回ぐらいファッて倒れそうになって。
林 郁子さん、雨の中を外に出て行きましたもんね(笑)。
郁子 そう。窓もないから、ひとりひとりが出したものがすごい充満してて。
藤田 でも、何か――そうだ、3人で沖縄にも行ったんですよ。そのときにガマ(戦争中に防空壕として利用された洞窟)に入ったんですけど、そのときのプレッシャーがすごくて。中にいるとグーッて圧がかかってる状態なんだけど、外に出たら沖縄の風景が広がってる――その圧力からの抜けみたいなのが作りたい音だったり空間だったりするのかもしれないから、あのときに郁子さんが「出たい」って行ってくれたのは嬉しいかもしれない。
――沖縄に行ったのはどんな日程で?
藤田 えっとね、2泊3日。
郁子 2泊3日だっけ? 1週間ぐらい行ってるみたいだった。
藤田 あれ、ちょっと狂いそうだったよね(笑)。大人の修学旅行って感じで、リゾート感ゼロだったんですよ。とにかく戦跡を行くっていう。今思うと、郁子さんって夜型だからつらかったんじゃないかと思うんだけど(笑)。
郁子 ……すごかった。でも、今まで何回も沖縄に行って、ライブしたりレコーディングしたり飲んだりしたけど、その度の沖縄のどれとも違って最もヘヴィだった。
藤田 僕らも「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」って作品の大楽の次の日だったから、めっちゃ飲んでたんですよ。それで飛行機の中でめちゃくちゃ吐いて、げっそりして沖縄に着いたら先に郁子さんがいて、郁子さんもげっそりしてて。
郁子 ああ、そうだ。たしかみんな寝ないで早朝の飛行機に乗ってきた。
藤田 で、着いてすぐひめゆりの塔に行ったんですよ。ワゴン車とか借りてたから最初はちょっと楽しい空気だったんだけど――別に僕は霊能力があるわけじゃないんだけど、ひめゆりが近づいてくると「これはヤバい」って空気がわかるんですよ。そのとき郁子さんが黙りだして。
林 今日さんと『cocoon』の担当の金城さんは何度か行ってるから、やたらビビらせて。
今日 いや、泣いちゃう人もいるから、いちおう行っておこうと思って。
郁子 ずっと避けてたんですよね。標識に「ひめゆり」って出ただけでそわっとするから、見ないようにしてたぐらい。だから、皆で沖縄に行こうってなったときも、ほんとギリギリまで「なくなればいい」と思ってた(笑)。
――実際行ってみて、いかがでした?
郁子 1日目にさ、全然心の準備がないときに、階段を降りたらガマがあってね。
藤田 あそこはヤバかった。
今日 ひめゆりからクルマで10分ぐらいのところにある、平和の礎ってとこに行ったんですよ。
藤田 沖縄の人が飛び降りた崖があって、そこを降りていくとあまり観光地化されてない防空壕があるんですよ。そこに入ったんだけど――郁子さんはちょっとなめたような靴を履いてきてたんですよ。
今日 ちょっと弱々しい靴ではあったよね。
藤田 それで僕と石井君が手を合わせて先には行ったんですよ。そこは少年兵たちがいた防空壕だったんですけど、整ってないところに踏み入れてみたらすげえコウモリがいたんですよね。あそこが一番鳥肌立ったかもしれない。それで「郁子さん、ここすごいよ」って言ったら、郁子さんが立ち止まっちゃって。
郁子 一歩も入れなかった。
今日 あそこはほんとに怖かった。私と金城さんはもう3回目ぐらいだったんですけど、行った途端におしゃべりをやめざるを得ないぐらい、何かある感がすごかった。
藤田 そこで郁子さんが「いっぱい目が見えた」とか言って。
郁子 お互いに聞こえたものをぽつぽつ話してたよね。
藤田 「今これが聞こえた」とか「これが見えた」とか、怖い話を和気藹々としてたよね。
今日 ほんとにね、誰かがいる感じがどうしてもする。
藤田 コウモリがいるだけなんだけど、そこから先に近づけない場所があるって感覚がして。だけどね、その崖は人がたくさん死んだ場所でもあるんだけど、歩いていくとすごいきれいな海が広がってるんだ。そこからクルマに戻る途中に「コーラ飲みたくない?」って話をしたんですよ。ああ、これヤバいと思って。これが現代だと思った。アメリカの象徴みたいな飲み物を飲もうとしてるとか――。
郁子 でも、「そういうことも込みだよね」って話をしたね。「今一番飲みたいのコーラだもんね」って。
藤田 そうそう。いくら怖い思いをしても戦時中になれるわけではないし、ここで何人死んだって言われてもやっぱり過去は過去なんですよね。そこに対して親身になれなくて、コーラを飲みたかったりビールを飲みたかったり、そういう今に生きてる自分もいて。でも、頭では死んだって事実はわかってるから、そうだし――何かその事実との距離がリアルだなと思った感じはありましたね。
――今、海の話が出ましたけど、前に今日さんと藤田さんが対談したときも海の話をしてましたよね。沖縄の海はどうでしたか?
藤田 僕の住んでた北海道の海はもっと荒々しいし、ああいう透き通った水じゃないんですよね。沖縄は、海だけ見たら南国だなって思うんだけど……とにかく残酷だなと思ったんですよ。こんなにきれいな海まで頑張って逃げてきた子たちがここで飛び降りたってことは、とにかく残酷だなって思って。その海が行き止まりだったら、何も救われないなと思った感じがありました。沖縄の海はとにかく綺麗だから。
今日 それがまた悲しいよね。一緒に作るにあたって、私と藤田君とでは海の考え方がちょっと違うよねっていうところからスタートしていて。私は東京出身だから、海というのは川が流れていくどんづまりみたいなイメージがあるんですけど、藤田君が描く海は上京していくときの希望が描かれていて。
藤田 そう、僕は海に対して希望を抱いていて。でも、あえて引き合いに出すけど、3月11日があったとき、僕はやっぱり水を描くことに慎重になったんです。でも、今日さんの描く水は美化されていないから、ああいうことがあったとしても強度が絶対にあるなと思っていて。だから水とか海に慎重になっている時期でも今日さんの本は開けたっていうことがあったんですね。あと、これは昨日も聴いてたんだけど、クラムボンがカヴァーしてる「波よせて」って曲があるですよね。地震があったあと、郁子さんはあの曲をどうやって歌うんだろうってずっと思ってた。
郁子 ずっと歌えなくてね。3月に地震があって5月からツアーがあったんだけど、初日の福島から東北をまわって。「波よせて 君は行く」って歌詞なんですけど、全然違う曲だってわかっていても、それを自分が歌うと皆の中にあの映像がもういっぺん戻ってくるのはわかってるから。もう一つ、THA BLUE HERBのBOSS君と一緒に作った曲があるんだけど、それも「抗えぬ波に 飲み込まれて行く」って歌い出しで、これもしばらく歌えなくて。
藤田 2011年の7月のフジロックに僕は行っていて、グリーンの真後ろにテントを立ててたんだけど、そのときグリーンにクラムボンが出てたんですよね。で、テントでコーヒー飲みながら聴いてたんだけど、そこでその2曲とも歌っていて。あの曲を郁子さんが歌えるのってすごいなと思った。
郁子 その日はハラカミさんのお葬式の日だったんだよね。当然、京都だから行けなかったんだけど、最後に「Folklore」って曲の中でそのことを自分なりにやって。そういう、あのライブには全部集まってたんだけど、それを藤田君は聴いてくれてたっていう。
藤田 海に関して言えば、いわきに滞在してこどもたちと作品をつくったとき、17歳の子が「海とかもう見たくない」って言ってたんだよね。それがすごいショックだった。僕は17歳の頃は「海を越えたら上京できる」ってことしか考えてなくて。その「波よせて」って歌でもそれを言ってるんですよね。
郁子 「海の向こうに何がある?」ってもう何百回も歌ってるけど、いつも見えてくる風景はちがってる。ここにないものがあるはず、って想像で渡っていくような。
藤田 僕にとって、海にはそういうイメージがあったんですね。だからいわきに行ったとき、僕は原発がどうとかは正直よく知らないけど、17歳の子に「海見たくない」って言わせてるってどういうことなんだろうって怒りがあって。それは沖縄でもまったく同じことを思って。戦争反対とかはよくわからないけど、あの場所に行ったとき、当時の大人たちは16とか17のこどもたちに何て音を聴かせてたんだろうって怒りがあったんですよね。戦争のおそろしさとかは、いいんですよ。そうじゃなくて、その子たちが死ぬ瞬間に何の音を聴いてたのかって考えると、すごい残酷な音ばかり聴いて死んでいったんだなってことがわかる。だから、皆が帰ったあとに郁子さんと二人で3時間ぐらい飲んだときも「聴いて欲しい音ってあるよね」って話をずっとして。無惨に死んでいった子たちに聴かせたい音みたいなのがたぶんあるなと思っていて、それはたぶん郁子さんの歌だなって、今も全然思ってる。
――結構前の段階から、藤田さんは「今のマームは『cocoon』に向けて動いてる」と言ってましたよね。
藤田 もう、作品の中で何回海に走ったかわからないし、何回海を描いてきたかもわからないけれど、それはやっぱり、2年後に『cocoon』を描くってことがどこかで念頭にあったので。
郁子 マームで『cocoon』を舞台化するって話は、『ユリイカ』の方が関係あったんでしたっけ?
今日 最初は、『ユリイカ』の山本(充)さんが『cocoon』を気に入ってるみたいな話を人づてに聞いたんですよ。「そうなんだ?」って思ってたら、「舞台化したいと思ってる」って話をまた人づてに聞いて、また「そうなんだ?」ってぼんやり思ってたら藤田君と会うことになって。最初は藤田君がどんな人だか全然知らなくて、「ビレバンでバイトしてた人らしい」くらいの情報しかないまま、謎の青年に会ったんです。
藤田 2011年の4月に「あ、ストレンジャー」という作品の初演があったときに、山本さんから「『cocoon』やったらどう?」って言われたんですよね。もちろん『cocoon』は読んだことがあったんだけど、あの作品はどんどん海に向かって進むじゃないですか。それを改めて開いてみたときに、やっぱりショックだったんだよね。ショックだったけど、これはでも僕としても描かなくちゃいけないと思って、それで5月に今日さんと会ったんです。
今日 それまでマームとジプシーの舞台を観たことがなくて、いちおうYouTubeに上がってる動画とかは見てたんだけど……最初は藤田君のことを女のことだと勝手に思い込んでて。待ってたら男がきて、私はあんまり男の人が好きじゃないから、いきなりそこで拒絶反応が(笑)。
――郁子さんにはどんな形でオファーがあったんですか?
郁子 えっとね、ラーメン屋で……(笑)。
――えっ、ラーメン屋?
林 郁子さんにお願いしたいって話は結構前からあったんですけど、去年7月に「マームと誰かさん・さんにんめ 今日マチ子さん(漫画家)とジプシー」をやったとき、まずは「観にきてもらえませんか」とお願いをしたら、郁子さんが観にきてくれたんです。
藤田 だから「誰かさん」のときはめっちゃ緊張してました。観にきてくれたけど、『cocoon』の音楽をお願いしたいってことを今日言うべきかどうか、開演してからも悩んでて。結局、その日は今日さんの本だけ渡して、「一緒にやりたい」とは言えなかったんだけど。
林 それで終演後、私から「ちょっと郁子さんに話があったかもしれないんですけど」って話をして。それで、郁子さんはあんまりラーメンとか食べないのに一緒にラーメン屋に来てくれて、冷やし中華を頼んでましたよね(笑)。
郁子 (笑)「とにかく読んでみてください」って藤田くんからそれだけ言われて、今日さんの『cocoon』を受け取って。何かとても大事なことなんだということは伝わってきて。で、ラーメン屋のカウンターで、フェイント的に林さんにオファーをいただきました。とにかくうれしかったのと、身がひきしまるような、全身の毛が逆立つような恐ろしさが、両方あった。
――『cocoon』を舞台化すると発表したとき、藤田さんはツイッターで「音について、一緒に考えます」とつぶやいてましたよね。その言い方が印象的で。
藤田 今日さんとの「誰かさん」のとき、郁子さんが真っ先に言ってくれた感想がすごい嬉しくて。「風を感じた」って。たとえば、僕は「はだしのゲン」に風も音も感じないんですよね。でも、今日さんの絵は絶対風が吹いてるし、絶対音が流れてると思わせてくれる。だから「これは音についての作品になるだろうな」ってことは、今日さんの絵を見た時にまずあって。それで郁子さんとの関わり方に関しても、僕は単純に「歌ってください」ってオファーじゃ野蛮だと思ってたんですよね。もっと作品全体に流れる音を考えたいなってことがあって、そうつぶやいたんだと思う。
――ツイッターばかりで恐縮ですけど、郁子さんは『cocoon』に携わることについて「あたらしいことです」とつぶやいてましたね。それはやはり、普段とは違う音との関わり方になりそうなんですか?
郁子 えっとね、初めてマームとジプシーを観たのは「Kと真夜中のほとりで」って作品なんですけど、それを観た時に「あたらしい言葉だ」と思ったんですよね。そして、藤田くんは耳の良い人だな、と。ここぞ、という所でここぞ、という音がする。音のことをほんとに丁寧にやっているなあって。動かしたり繰り返したりしながら、立体的に“音楽”を鳴らしてるというか。だから、「あたらしい」っていうのは、自分の活動としてというより、「まだ誰も言ったことがない言い方」になるだろうってそう思ったんですね。
――オーディションも終わって、これから具体的な制作に入っていくかと思うんですけど、どういう形で進めていくんですか?
藤田 今、メーリングリストがあって。たとえばこういう打ち合わせとかしたあと、郁子さんが家に帰ってシンセサイザーをガーッと鳴らした音を送ってくれたりするんですよね。一番怖かったのが、「バババババ!」って銃声にしか聴こえない音が送られてきて、「これ実はチェロだよ」みたいな文章が添えてあって。この人、こんなこと考えてたんだと思うと怖くなった(笑)。
今日 皆びっくりしちゃって、誰も返信できなかったという(笑)。
青柳 ほんと、誰も返信しなかったよね。
郁子 いきなりだったからね。シンと沈黙が訪れた(笑)
藤田 沖縄のときは一番怖がってそうだったのに、実は一番作品の中に突入してる感じが音に出てた。そういうやりとりはもう生まれていて。
林 今日さんが以前、「『cocoon』を描き上げたとき、そこからそれぞれの『cocoon』が始まってくれたら嬉しいと思った」と言っていて、なるほどなって思ったんですよね。
今日 そう、だから別に原作に忠実である必要は全然なくて。描き終えても、自分が何を描いたのかは良い意味でわかっていないんですけど、それをまたさらに深めていくということを藤田君がやってくれればいいなと思ってます。
藤田 今、ユリイカに『cocoon』をテキストに起こしたものを発表してるんだけど、たぶん僕らも終わったあとに「これ、全然終わってないな」と感じると思う。沖縄に行ってわかったけど、これは絶対終わらない話だ、って。たぶん何も解決してないから、描いても描ききれないだろうって感覚はある。
今日 あの作品は本当に、「取り組まなきゃいけない」ってことをものすごく感じてしまって描いた作品で、そういうエネルギーだけはある作品かなと思ってるんですけどね。
――今日さんとしては、『cocoon』を描いたときと、今舞台化するにあたって一緒に制作をしているときとで何か感覚の違いはありますか?
今日 何だろう。これを描く前に担当さんと沖縄に取材に行ったときに思ったことは、自分がそこに高校生でいたとしたら「かわいそう」って言ってもらいたくないってことなんですね。そうじゃなくて、自分はただただムカついてるんだよって気持ちに対して、「そうだよね、私もムカつくと思う」って言ってもらうのが一番いいなと思ったんですよ。それだけは大事にしようと思って『cocoon』を描いたんですけど、それは今も変わらないですね。それと――死んじゃった人に重ね合わせるのは申し訳ないんだけど、自分も日々ムカつくことがあったり、自分の力ではどうにもならない大きな力に負けそうになったりすることがあるんですけど、そこに対してムカつき続けることが大事かなと思ったんです。
藤田 ……今日さん、ハードコアやわ。
郁子 一人だけどパンクバンドみたいなところがあって。
藤田 ちょっともう、怖いよ(笑)。
今日 こんな話したら、いつもすごい怒ってるみたいになるけど(笑)。でも、たとえばひめゆりの塔に行くと女の子の写真とプロフィールがバーッて貼ってあって、今の感覚からすると「この子たちはこんな子だったのに、かわいそう」ってなるんですけど、結構プロフィールがおかしい人もいて。「美少女である」と書いてある人もいれば、「大柄で気さくだった」とかすごくざっくりした人もいて。
藤田 めちゃくちゃ人が死んでるから、目立った子には長いプロフィールが書かれてるんだけど、写真もないし、誰も覚えてない子もいるんだと思うんだよね。「素朴だった」のひと言だったり。
今日 ほんと、悲しすぎるよ。
藤田 どこで死んだのかもわからない子もいっぱいいて、あれも現実だよね。
今日 そこらへんの厳しさを思うと、単に「かわいそう」じゃ済まされない問題がある。むしろ誰にも覚えられてなくてコメントが少ないことのほうがかわいそうなんじゃないかと思えるときもある。
――今回の舞台でも死を描くことになると思うんですね。これまでのマームの作品も死というテーマは扱われてきましたけど、戦争での死となると、どうしても少し違ってきますよね。
藤田 絶対違います。ただ、これは今日さんがあとがきに書いていたことでもあるんだけど、やっぱり僕は戦争を知らないっていう事実があるんですよ。その“知らない僕”と“事実”との距離ってこともちゃんと描かなきゃいけないと思うんですね。一方で、僕が友人を亡くしたときに思った喪失と、あの時期沖縄ですごい数の人が死んだという戦争での喪失とで何が変わるのかなっていう疑問もある。その戦争っていうことについて考える上で、聡子っていう――吉田聡子さんですけど、聡子ってキャラクターを原作にはないオリジナルのキャラクターとして一人置こうと思っています。だから、もろに戦争を描くだけじゃなくて、これまでも記憶を読み解くみたいなことはやってきたけど、“知らない僕”と“事実”との往復になっていくんじゃないかとは思ってますね。
今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひととひととが会する、この場所へと至った。この場所で、ぼくらは相も変わらず、繰り返す。なにもかも、零さぬように。かなしみも、怒りも、くるしみも。だれかを、なにかを、想うこと。帰るところ、たとえば故郷を、想うこと。あのころ、あの時代、いま。それら総てを、終わらせないために。繰り返し、繰り返し。それでもやがて訪れる、終わりのために。暗闇へ向かって。海へ向かって、走る。走る。行き着く海は、どんな海なのだろう。それはやっぱ、ぼくだけじゃ、眺めることができない海なのだ、どうやら。とにかく、走るよ。走ってみるよ。いろんな想い、抱えながら。
cocoon。という作品のなかで。わたしは。
10代の頃の。居場所がなかった。わたしと向かい。じぶんにとっての。。。繭。。。歌う。ということを。もういちど。見つけるのでしょう。マームのふじたくん。原作の今日さん。音のざっくさん。はじめ、スタッフのみんな。cocoon しゅつえんのみんな。それから今日。劇場に足をはこんでくださった、あなた。は、いま、ここに、集い。ともにある。けれども。それぞれに。ひとりひとり。とても。ちがう。生き物だ。そのことを認めなければ。とてもじゃないけど。一緒にはいられないほど。それぞれに。さまざまだ。でも。もし。わたしと。あなたに。たったひとつだけ。等しく。同じく。共通点があるとしたら。それは。いま。生きていて。いつか。死ぬ。ということだ。永い永いじかんをかけて。誰もがそうしてきたように。わたしも。あなたも。いつか。それを。かならず。やる。そのことを。ちいさいときから。どこかで。知っていたように。おもうし。このcocoonという物語のなかで。おそらく。くりかえし。くりかえし。いやというほど。見るのでしょう。想像する。重なっていく。ひろがっていく。巡っていく。宇宙のディレイの。渦のなかで。耳をすませば。近づけば近づくほど。ありありと。迫ってくればくるほど。粒子となって。満ちてゆく。なにか。この機会をくださったすべてのこと。いま。というじかんに。感謝をして。じぶんにとっての。。。繭。。。かき消されそうなほど。ちいさな。ちいさな。声が。いつか。あたらしい海に。
空に。風に。溶けていくのを。みてみたい。とおもう。
「cocoon」を描き始めてから5 年、マームとジプシーと共同作業をはじめてから2 年。その間に「cocoon」の続編であるホロコーストをテーマにした「アノネ、」も、藤田くんとの共作である痛々しい青春マンガ「mina-mo-no-gram」も描き上げた。でも、何も終わらないし、たぶん、ずっと背負っていくだろう。描くことはひたすら見えない荷物を増やしていくし、その一方で、やっぱり、実生活の何かは確実に手からこぼれていく。失ったものはもうどこにもないはずなのに、幽霊のように部屋にたたずんでたまに話しかけてくる。役者のみんなも同じだ。演じるたびに何度も死ぬのに、次のステージで生き返っている。不思議なことですね。まるで悪夢だ。この奇妙な夢が観客のみなさんのなかに入り込んで、ずっとずっと再生され続ければいい。
青柳いづみ 伊東茄那 大岩さや 尾崎 紅 尾崎桃子
川崎ゆり子 橘髙佑奈 菊池明明(ナイロン100℃)
小泉まき(俳協/中野成樹+フランケンズ) 小宮一葉
中前夏来 鍋島久美子 難波 有 長谷川洋子
的場裕美 山崎ルキノ(チェルフィッチュ)
吉田彩乃 吉田聡子 李そじん
石井亮介 尾野島慎太朗
原作/今日マチ子「cocoon」(秋田書店)
作・演出/藤田貴大
音楽/原田郁子
舞台監督/森山香緒梨
音/zAk
照明/吉成陽子 富山貴之
音響/角田里枝 田鹿 充
舞台美術・映像/細川浩伸
衣装/高橋 愛(suzuki takayuki)
照明オペレーター/山岡茉友子(青年団)
舞台部/加藤 唯 大友圭一郎
衣装協力/荻原 綾 坂本かおり 金子仁美
映像素材・演出助手/召田実子
演出助手/小椋史子
チラシイラスト・劇中画/今日マチ子
ロゴデザイン/川名 潤(PriGraphics)
宣伝美術/本橋若子
当日パンフレット/青柳いづみ
T シャツデザイン/吉田聡子
企画協力/金城小百合(秋田書店)
制作/林 香菜 斎藤章子 渡邊由佳梨
特別協力/急な坂スタジオ
主催・製作/マームとジプシー
提携/東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
助成/芸術文化振興基金助成事業
公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団
一般社団法人私的録音保障金管理協会