「ヒダリメノヒダ」Archive④
ホンマタカシ×藤田貴大

2015年5月27日

「ヒダリメノヒダ」神奈川芸術劇場大スタジオ
4月12日、公演後に収録
記録|橋本倫史

藤田貴大 どうでしたか、今回は。
ホンマタカシ うーん、どうだろう。自分も出ちゃってるから(笑) あんまり客観的には言えないかもだけどね。まあとにかく演劇とか写真とか関係なく、モノを作るのが好きだから。今回、演劇っていう形でモノを作る過程に関わることができたのはすごく楽しかった。
――稽古の段階では、二人でどんなやりとりをしたんですか?
ホンマ 何もしてないよね(笑)。暗室の設定をやろうって話したぐらいだよね。
藤田 マームの作品って、初期は暗室のシーンをやろうとしてたんですよ。機材とかもないから、やったことはなかったんだけど。今回決定的に思ったのは、「解剖って何だろうね?」とか話しながら目の解剖のシーンを稽古してたんだけど、「目の中っていうのも一つの部屋で、その部屋は暗闇を作ろうとしてるんだ」って気づいたときがあるんですよね。劇場っていうのもある種暗闇を作ろうとしている場所で、それと暗室は繋がるなっていう。それで漠然と「暗室のシーンがあったら面白いと思うんですけど」って話をしたんだと思うんです。
ホンマ イメージっていうものを作るためには暗い部屋が必要なんだよね。劇場全体を暗室にするっていう発想も面白かった。ちょうど今、ホテルの部屋をまるごとカメラにして、そこに穴を空けてその中で写真を作るシリーズをやってるんだけど、そのタイミングともリンクしてた。あとは枠が3つあって、「マイブリッジみたいなことはやりたいね」って話は最初からしてたよね?
藤田 フィリップ・グラスのアルバムで『フォトグラファー』っていうのがあって、そのジャケットはマイブリッジが撮った馬の連続写真で。そういうこともあって「連続写真をやってみよう」って試してみたときに、いろんなポーズを決めてやったりして。連続写真を撮ってみて思ったのは――公園で女の子と遊んでたっていうのは僕のエピソードなんだけど、その女の子が誰なのかはほんとにわかってないところがあって。その実像はどんどんブレていくし、そもそも記憶っていうものが全部そうで、僕の記憶の中の人たちって皆顔がブレてるんですよね。その感じをちょっと出せたらなっていうことがあって、それであのストロボの連続写真のシーンを作ったんです。あれは良かったですね。僕の劇は音楽でグルーヴを作ろうとしてたんだけど、あの絶妙な間合いでグルーヴが出せるのものすごい発見だった。ホ一回目の本番が終わって、ホンマさんとのシーンがバツンと決まったなと思ったとき、小さくガッツポーズした自分がいて。
ホンマ それ、言ってたね(笑)
藤田 いや、「これは決まったわ」みたいに思ったんですよね。
――暗室のシーン自体は、ホンマさんが出演しない回にもありましたよね。暗室で実際に写真を現像するシーンで、ホンマさん以外の回では「きれいに撮れてる」だった台詞が、ホンマさんの回では「何にも写ってないや」になりましたよね?

HIDARIME_NO_HIDA(HONMATAKASHI)_008

藤田 そうですね。僕の問題意識として過去とか未来っていうものがあって、それは写すことができないものだし、見えてないものだっていうことがある。写真っていうのは究極的に断片的なことなんだけど、でもなぜか記録しようとしたり、その瞬間を捉えておこうとして写真をとるわけじゃないですか。今回の作品には「未来は絶対に写せない」って台詞が出てくるんだけど、いちおうホンマさんに「これ、大丈夫?」って確認したんですよね。ちょっと写真論っぽくなってるけど大丈夫かなっていう。そのとき、ホンマさんがぽつぽつメールをくれたんです。岡崎京子さんとホンマさんの対談をまとめたやつを今度見せてくれるって話と、あとは「写真ってすごい裏切るんだよね」って話をしてくれて。「写真って、それはそれで一枚にはなってるけど、それって本当の意味で切り取れてるのか」みたいなメールが送られてきたとき、ハッとしたんですよね。記憶と同じで、写真を撮ったところで何かが残っているのかどうかはわからないっていうことがあったんです。
――山本達久さんがゲストの回には「何で叩くんですか」と質問するシーンがあって、スズキタカユキさんがゲストの回では「何で服なんですか」と質問するシーンがありましたよね。でも、ホンマさんには問わなかったですよね?
ホンマ 聞かれなくてよかった。その質問、苦手なんだよね(笑)
藤田 キャラクターには問わせなかったけど、何で写真なのか、僕の中では問いがあったんです。
ホンマ 別に、写真には固執してないんだよね。今でこそ写真の世界に居場所みたいなものがあるけど、元からいる人たちからすると俺は鬼っ子なんだよね。ずっと「居場所がないな」っていう感じはあるんだよね。
 写真論的に言うと、「過去しか写せない」っていうのはクリシェっぽい感じがしちゃうんだけど、面白いなと思ったのは「ここにいれば安全だよね」っていう台詞で。「ここにいれば安全だよね」って言うんだけど、それを言った聡子さんが最後には町を出ていく。拡大解釈すると「それって写真というか表現の問題だな」と思っていて、例えば写真の中に確実なものなんて何もないんだよ。それなのに写真をやるのはどういうことなのかってことは、俺の中にも疑問としてある。写真は現実でもないし、それ自体は単なる平面の像なのに、それに寄りすがって「写真家でござい」と言っている人がいるのは不思議だよね。
藤田 写真って、嫌な演劇を観たときと同じぐらいイラつくときがあるんです。それ、何だろうね?
ホンマ 演劇だってそうだし、写真だってそうだけど、安全な場所に留まろうとする人たちっているじゃない? でも、そこから脱出しなきゃいけないっていうことを今回の作品は言ってるような気がする。その覚悟みたいなことにすごく共感したかな。それは別に、地方都市から出ていくとかってことではなくて、もうちょっと抽象的なことで。たとえば写真だったら、同じような写真ばかり撮っていれば皆褒めてくれるけど、そこから前に行かなきゃいけない。ラストの駅のシーンで、そういうことをすごく感じたかな。

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藤田 そうですね。たとえば、人が町を出て行く/出て行かないっていう問題はどっちでもいいんですよね。今回のラストで言うと、聡子が最終的に出て行ったという表現がされてもいいと思うし、最終的に出て行かなかったという表現がされてもいいんだけど、「この先に向かっていかなきゃ」って気持ちがあるってことが重要で。その感覚は前より強くなってきたのかもしれないです。表現として先に行かなきゃっていう気持ちは最近強いですね。
ホンマ それは別に、「科学は進歩しなきゃいけない」みたいな進歩史観ではなくてね、まあでも不幸な体質だよね。
藤田 定住できない感じはかなりあります。前も言ったけど、そういう気持ちは年を取ると落ち着くのかと思ってたけど、年齢を重ねるたびにエスカレートしてる。
ホンマ いいね。僕は藤田君より二回りぐらい上だけど、やっぱりずっとそうなんだよね。何でマームを観るのかっていうのは、そういう感じがあるんだと思う。正直、『小指の思い出』のときだって、すべてが完璧な作品だったっていうわけじゃないよね。『カタチノチガウ』だって、良い作品だと思うけど、実験的な感じはあったじゃない? だから、一個一個がどうとかってことではなくて、そのチャレンジしようとする姿勢に惹きつけられるところがあるのかもしれない。
 あと藤田君も含めて、マームには「今しかできないキワキワ感」みたいなのがあるじゃん。バックステージで終わってすぐポートレイト撮ったけど、そのキワキワ感っていうのは写真を撮るのにすごくいいんだよね。ほんとに「今しかない」っていうことがあるから。皆、一個一個の作品で「良い」とか「悪い」とか言うけど、そういうことでもないんじゃないかと思う。
藤田 『小指』が終わったあと、それはすごく思いましたね。今までは「一個一個の作品を観てもらうしかない」ってことで駆け抜けてきたけど、もうちょっと大きいタームの中で見せて行かなきゃいけないっていうことは、強く思ってます。