〔北海道〕2011年7月9日-10日/だて歴史の杜カルチャーセンター
(伊達ライオンズクラブ50 周年記念事業)
〔神奈川〕2011年8月20日-21日/STスポット
撮影:飯田浩一
じりじりと、もう暑くなってきた、東京、2011年、5月、である。
夏から夏まで、どう泳ぐか考えている最中である。
もう上京して八年目、東京の夏なんていつまでも慣れないよ、なんて思ってたけど、いい加減、慣れてきちゃったよ、それほどに、あの頃から時間、経っちゃったよ。
あの頃、そうそう、東京に向かう始まりの駅、北海道、伊達市、僕、18歳、同い年のヤツらに見送られた、親父も遠くからこっち、見てたっけ。
僕は電車で東京に向かった、どんどんと遠ざかる、北海道、伊達市、青函トンネルを抜けたあたりで、僕は、あの街に、あの家に、あの食卓に、もう帰らない、と、決めた。もう帰れない、と、思えた。思えてよかったんだ。
あそこには僕に、作文教えてくれた人がいる、演劇教えてくれた人もいる。
わけのわからない喧嘩をしたヤツもいるし、知ったこっちゃないけど、最近じゃ子どもとかできたヤツもいるらしい。
いつもふとした拍子に脳裏に浮かんでくる、その人たち、に、
僕はあの日、帰らないと決めて、帰れないと思えて、よかったんだけど、
帰りの合図は鳴った、ようだ。僕はこの合図に戸惑っている。
あの日から所在地わからぬまま、居場所も定まらぬまま、彷徨ってばかりの僕は、帰ること、できるのかな、待ってる街は、家は、食卓は、あるのかな。どうかな。
今年、2011年、夏から夏まで。泳ぎながら、確かめようと思う。
帰るということ、待ってるということ、
それは、どこに?どこで?
そこは、きっと。
「演劇少年は未だに、そればっか考えてる、それは誰のせい?伊達のせい?いやいや、全部、自分のせいだわ!マームとジプシー的、夏の食卓。」
この作品、待ってた食卓、は、先月7月の中旬、北海道、伊達市、つまり、僕の実家、で、上演した、マームとジプシー、2011年、夏、の三部作、『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』の、中間に位置する、作品、である、でも、この作品、待ってた食卓、を経ても、未だ、食卓、は、僕を、待っていたのか、わからない、わからないってことに、葛藤、している、というのは、作品をご覧いただければ、って感じだけど、僕は、僕らは、とにかく、7月、僕の実家、北海道、伊達市、に、帰ってみたんだ。
僕は、マームとジプシーという場所で、演劇を稼働させて、度々、北海道、伊達市、をモチーフに、作品を描き、紡いできた、つもり。だった。
でも、実際、帰って、作品を上演してみて、僕は混乱してしまった、僕は、僕がつくった、作り物、は、果たして、記憶の細部に至ったか、暗部を照らせたか、混乱してしまった、してしまった。
つまり、未だ、帰る、ということに、僕は、戸惑っている、未だ、食卓、は、僕を、待っていたのか、わからない、わからないってことに、葛藤、している、ということだ。
それはでも、僕だけだろうか、帰ろうとしているのは。帰っている途中なのは。僕だけ、なのだろうか。
これから出演するメンバーは、こういう旅、をしてきたあとだ。こういう旅、とは、帰るという、旅、だ。食卓、を探す、旅、だ。
旅、してきたあとの、react(再演)を、今から、このメンバーは、する。
どうやって、この、react(再演)に、reaction(反応)するのか、そのreactor(反応する人)たちに、僕は、興味津々。
それは、彼らも、未だ、帰る、ということに、戸惑っていて、未だ、食卓、は、待っていたのか、わからない、わからないってことに、葛藤、している、ようだからである。
待ってた食卓、は、マームとジプシーの2011年、前期、の、ちょうど中間に位置する、作品。
僕は、この作品を、夏の真ん中、も、もう過ぎた頃、8月20日に亡くなった、祖父に。
そして、家族に宛てよう、とか思って、いる。
見守るように、見届けよう、と思って、いる。
荻原 綾 尾野島慎太朗 斎藤章子
成田亜佑美 波佐谷 聡 召田実子
作・演出/藤田貴大
舞台監督/森山香緒梨
照明/吉成陽子
音響/角田里枝
宣伝美術/本橋若子
制作/林 香菜
主催/マームとジプシー
[北海道公演]伊達ライオンズクラブ
NPO法人伊達メセナ協会 劇団パラム
共催/[北海道公演]伊達教育委員会 [横浜公演]STスポット
助成/[横浜公演]ACYにおける創造的芸術活動助成事業