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2015年 カタチノチガウ

アフタートーク(ゲスト|名久井直子さん)

2015/02/11

「カタチノチガウ」横浜美術館レクチャーホール
2015年2月11日15:30の回アフタートーク
ゲスト|名久井直子さん(ブックデザイナー)

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藤田 えっと、マームとジプシーの藤田貴大です。よろしくお願いします。ブックデザイナーで、今回の作品で文字のデザインをしていただいたブックデザイナーの名久井直子さんです。
名久井 名久井です。よろしくお願いします。
藤田 名久井さんとは去年、『マームと誰かさん』でコラボレーションもしたんですけど、4年ぐらい前から名久井さんは僕の劇を見てくれていて。最初に会ったのはとある新年会だったんだけど、初対面の名久井さんは「どうやって紙は作られるのか」って話を延々に聞かされて、この人はこれまで僕が会ってきた人の中でも相当ヤバい人だなと思ったんです。
名久井 ……それ、褒めてるよね?
藤田 褒めてもいるし、引いてもいる(笑)。その話を聞いていたときに、「いつか絶対に一緒にやってみたいな」と思ってたんですよね。今回のアフタートーク、名久井さんの他には穂村弘さんと川上未映子さんにお願いしたんですけど、去年僕はその3人とコラボレーションをして、僕以外の人の言葉を扱って劇を作ったんです。名久井さんと作ったとのは、舞台上にいるのは名久井さんなのか青柳いづみなのかわからない、ちょっと不思議な作品で。
名久井 観てない方に説明をすると、川上未映子さんの場合は川上さんの書いたテキストを、穂村弘さんの場合は彼の書いた詩や短歌をテキストとして取り込んでいたんですけど、私の場合、まずは私が装丁した本について藤田くんたちの前で延々説明して、それを青柳さんがまるで憑依したかのようにやってくださるという内容で。藤田君の言葉は1行か2行しかない舞台でしたね。
藤田 さっきも言ったけど、名久井さんは作家さんじゃなくてブックデザイナーなんですよね。名久井さんは自分の言葉を持たないんだけれども、誰かの言葉を本にするということをずっとやっていて。その名久井さんの仕事と僕の仕事とって、ちょっと似てるんじゃないってことをあの頃思ってたんです。こないだ名久井さんと飲んだときにも話したけど、僕って20代前半の頃はもうちょっと「バリバリ劇作家です」みたいな感じで、「俺は劇作家になるしかない」と思ってたんだけど――。
名久井 今もわりとそうだよね?
藤田 でも、もっと気合い入ってたんだけど、それが去年あたりでちょっと揺らいだんです。自分の言葉を疑うようになったというか、「もしかしたら自分は二次創作をしているのではないか」って気持ちが強くなってきて。オリジナルの作品をやるときはもちろん自分の言葉を扱うんだけど、僕自身は舞台に立たないし、役者さんの身体を媒体として二次創作をしているような感じがするんですね。表現として出す前に、僕が何か一つ噛ませてる――名久井さんとの作業で、そのことにすごく自覚的になったんです。そういうことを経て今回の新作があるから、名久井さんにはそばで見ていてもらいたくて、文字のデザインをしてもらったりして関わってもらうことにしたんですよね。

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名久井 横浜公演、ゲネも合わせると今の回で3回観ているんです。それが、本当に毎回違うんですよ。今日もまた変わっていて、そうすると「見逃すと悔しい」みたいな気持ちになりますよね。
藤田 そう、毎回違いますよね。
名久井 ちょっと女優さんが可哀想にもなりますね。いきなり台詞を足されたりするから。
藤田 今回、名久井さんには稽古のときから見てもらってたんだけど、20代前半の頃は「誰にも稽古とか見せねえし」みたいな感じだったんです。「僕のことは僕しかわかんないから」みたいな感じでガンガンやってたんだけど、最近はちょっと日和ってきたのか、「ちょっと、どう?」みたいな感じがある。だから名久井さんに見てもらってたんだけど、すごい恥ずかしい場面も見せてますよね。その台詞を足したとこを見られてたのは、ほんとに恥ずかしくて。僕、どんどんその場で台詞を足すんですよね。いきなり6千字とか足すんです。
名久井 しかも、明日が本番みたいなときですよ。
藤田 そうそう。でも、女優さんたちも優秀になってきてて、マジですぐ覚えるんです。でも、ちょっと身体も限界になってくるんだけど、6千字足したあとに「どうしてもあと1ページ足したい」と思ったんですよね。そこでなんか、僕が盗んだんです。
名久井 女優さんごとに台本の束が渡されてるんですけど、それを藤田君がすっと手に取って、新しいページを足したんです。それで、足したことを自分からは言わないんだよね。そうすると女優さんたちは「あれ、こんな台詞あったっけ?」ってなるんだけど――。
藤田 「いや、あったよ」みたいにトボケるっていう(笑)。あれは新技だったね。盗み書きをしたっていう。
名久井 酷いなと思うんだけど、それについていく女優さんたちがすごいよね。

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名久井 マームの作品は同じ方が繰り返し出たり、小道具にもよく見覚えのある子たちがいたりしますけど、それは何なんですかね?
藤田 なんか、新作っていうものの捉え方にも色々あると思う。僕としてはもちろん「新作は新作」って取り組みをしてるんだけど……。言っちゃうと、この脚立が好きなんですよ。マームを観てくれてる人は何回もこの脚立を観てると思うんだけど、新作だからといって脚立を取り替える必要があるのかってことをすごく思うんです。僕、モノに対して変な執着があって、この脚立はある程度高いんですよ。金額的に。「あの脚立を買うぞ」と思って原稿料を溜めて買った脚立だから、「何でそれを作品ごとに変えなきゃいけないのか」って気持ちになっちゃうんですよね。
名久井 でも、いいんじゃないですか。藤田君のオリジナルのテキストだと、いつも誰かが家を出るじゃないですか。必ず旅立つ人がいて、一人か二人は死ぬ人がいますよね。そうやってこれでもか、これでもかと繰り返されるテーマがある一方で、それをずっと見てる脚立がある。
藤田 そうそう。脚立もそうだし、この気球も何回か出てる。
名久井 あと、今回でいうと球根たちですね。
藤田 こないだ、名久井さんと部活を結成したんですよね。球根部。球根を水栽培して、それが育った様子を眺めながら飲むだけの部活。
名久井 皆が自分の球根を持ち寄って、それを並べて、「やっぱりうちの子が可愛い」とかね。
藤田 今回、舞台上に植物を置こうってことは最初から思ってたんです。僕は同じモチーフを何回も繰り返し描くんだけど、今回はちょっと違うと思っていて。ただ、だからといって「家を出るシーンはやめました」みたいになるのは嫌なんです。そういうアーティストが嫌いなんですよね。いきなり方向転換をするのは恥ずかしいことだと思っていて、いきなり家を出るシーンをカットすることはできないんです。ただ、今回の作品が新作だなと思ったのは、僕は北海道の伊達ってところの出身で――去年の6月に伊達で公演をしたとき、名久井さんも来てくれましたけど――僕は今までずっと伊達を思って作劇をしてきたんです。それが自分にとってオリジナルの風景だったりもしたんだけど、それは一回やめようと思ってストップをかけたことで、すごい新作感があったんですよね。
名久井 今回の作品では、「この街には水がない」って散々言ってるしね。
藤田 伊達には海も湖もあって水に溢れてるんだけど、今回は海も湖もない町が舞台で。それはやっぱり、去年の秋にボスニアとイタリアをツアーしたんですけど、それが大きい気がするんですよね。僕らがツアーしたのは田舎町で、スーパーマーケットだけがあるような町をずっとまわってて。ほんとにゾンビ映画に出てきそうな町で、日本とは全然違う風景だったんです。それが結構、僕の中ではショッキングだった。この風景の中で殺人事件が起こっていても誰も気づかないだろうなってぐらい荒涼とした風景の中にあって、今回のテキストを書いてたんです。今回の舞台には小道具としてドライフラワーも結構使ってるけど、イタリアにいるときから「日本に帰ったらドライフラワーを集めよう」と思ってて。球根に関しては、根っこだけが出てるのがいいなと思ってたんだけど、やっぱりドライフラワーとは違って生きていて、成長して花が開いてきて……。それがちょっと鬱陶しくて、ちょっと引いてるんだけど。
名久井 まあ、ちょっと育ち過ぎた感はあるけどね。

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名久井 字幕のデザインを人に頼むのは、今回が初めてでした?
藤田 初めてです。まったく初めてなんです。
名久井 不安だよね。今までもプロジェクターで何かを映すってことはよくやられてたと思うんですけど、人に頼むとどうでした?
藤田 いや、それもよかったんですよね。今までは小道具も僕しか選んじゃ駄目だし、ライティングも選曲も、僕以外の人がやっちゃ駄目だったんです。
名久井 王様だ(笑)。
藤田 だけど、去年あたりに「自分は二次創作をする人間だ」って言葉が浮かんだときに、全部自分でやるんじゃなくて、任せたい人はいるかもしれないって思ったんです。
名久井 それはすごくわかります。私は普段、小説とかの装丁をやっているんですが、誰かに毎回絵を描いていただいたり、場合によっては文字を書いていただいたり、いろんな人にやってもらうことがすごく多くて。ただ一方で、今までに700冊ぐらい仕事として作っていて、自分としては毎回新しいものを――それこそ“カタチノチガウ”本を作っているように見えるんだけど、バーッと並べてみたときに「なんか名久井さんくさいね」と言われるようなことがあって。それでいいやと思えると気楽ですよ。
藤田 これは前にも話したけど、本屋で名久井さんの本が見つからないときがあるんですよね。手に取ると「名久井さんの本だ」とわかるんだけど、本が棚に差されていて背表紙だけが見えている状態だと、本が気配を消してることがあって。それってすごいよなといつも思うんです。
名久井 それ、褒められてない気がする。
藤田 いや、褒めてますよ(笑)。言ってしまうと、名久井さんはアーティストだと僕は思っているんだけど、本っていうものの主導権はやっぱり作家だったりするわけですよね。
名久井 うん、もちろんそうです。
藤田 世の中には、デザインのほうが前に出てきちゃう本もあるじゃないですか。でも、名久井さんがデザインした本はそうじゃないんですよね。忍者みたいな感じなんだけど、手に取ってみると「たしかに名久井さんだ」って質感がある。それがすごく不思議なんですよね。
名久井 ほんとはもっともっと忍者になりたいと思ってるんだけど。藤田君はでも、忍者っていうよりもっと前に出ていく人だから。
藤田 そこが悩みの種なんですよ。僕、もうちょっとで30歳になっちゃうんですけど、いつまでも「全部自分が決める」みたいな態度ってどうなんだろう、と。
名久井 外から見てると、(自分以外のものが)混ざってきちゃってると思うけどね。何かを吸収していくタイプに見える。
藤田 そうですね。これは別に、「名久井さんになりたい」とか「名久井さんをモデルにしたい」ということを言ってるわけじゃないんだけど……。でも、すべてが自分だっていうことは果たしてかっこいいことなのかっていうことを、今悩んでるのかもしれない。だから今回は、名久井さんがそばにいる形で空間を作りたかったのかもしれないなと思ってます。

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