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夜の日記/藤田貴大

2016/02/02

夜三作「夜、さよなら」「夜が明けないまま、朝」「Kと真夜中のほとりで」
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[2016.2.1/夜の日記① 実家に帰ってきた]
きょうから28日まで、まいにち、日記をつけてみようとおもう。
こういうのってつづいたことがないのだけれど、つづけてみようといまはおもっている。

いま取り組んでいる作品は、夜の三作。
『夜、さよなら』、『夜が明けないまま、朝』、『Kと真夜中のほとりで』。

昨夜まで、北海道の実家に帰っていた。
ぼくが過ごしていた町の夜は、どんな夜だっただろう。

街灯のヒカリ。
夜の湿度。
雪のにおい。

貨物列車が町を縫うようにして、通り過ぎていく音。
とおくから聞こえてくる、あの音を布団のなかでジッときいていた。

もちろん、離れていても思い出すことはあるけれど、
実家に帰ってみて思い出すことの密度みたいなものは、やっぱりちがう。

手触りみたいなことって、いかにして獲得できるかってことを、
もうずっとかんがえているわけだけれど。

いま、また夜を描いてみたいとおもったのはなぜだろう。
この期間、じっくりかんがえていこうとおもう。

藤田貴大

[2015.2.2/夜の日記②なにかに「こたえた」こと]
きょうは、『夜、さよなら』のだいたい流れができてきたのと、
『夜が明けないまま、朝』につながって、始まるところも見えてきたんだけれど、

きょうも、
いま、またなぜ、夜を描きたいのか。
ってところがひっかかっていて、途中で困ってしまった。

困ったというのは、まあいつものことなんだけれど、
どういうわけか、こういうのってずっと答えなんて、やっぱり見つからない。
というよりかは、見つかってしまうことに取り組んでいても仕方ないので、
見つかってしまうのならこのテーマはやめてしまうんだとおもうんだけれど。

まあ、というのもあって、もやもやしているこの気持ちは、いったん置いておいて、
途中からは役者さんたちみんなにインタビューすることにした。

ききたかったのは、
みんなの記憶にのこっている「夜」のこと。
それと、
いままで、なにかに「こたえた」こと。

「こたえた」こと、面白かった。
誰かになにかをしてしまって、たとえばその誰かを傷つけてしまった、というのがおおかった。
あと、失恋みたいなこととかは、自分として「こたえた」ことになるのかなあ、みたいなそういうのもあった。
「こたえた」ときのはなしって、よくないはなしのはずなんだけど、いちばん笑えるかもともおもった。

藤田貴大

[2015.2.3/夜の日記③灯りを仕込んだ]

きょうは、電球をたくさん吊った。

今回、
じつは公演する劇場(彩の国さいたま芸術劇場小ホール)で、
リハーサルのすべてができているので、こういうことができるのだ。
とても贅沢な環境で作品づくりができている。

彩の国のみなさんありがとうございます。

だから、まいにち、
ちまちま道具や照明を仕込んだりとか、スピーカーをどうするとか、
役者さんの稽古と並行して作業することができる。

マームとジプシーの舞台に置かれている道具たちは、
すべて、ぼくが実際に触れて、気に入って購入したもの。
業者からレンタルしたことは一度もない。
気に入った道具は繰り返しつかうから、見慣れた道具もあるだろう(脚立とか、机とか・・・・・・)。

とにかく愛してやまないものしか、舞台に置かない。
役者さんにギャランティを払うように、道具にもギャランティを払う気持ちを忘れたくない。

買うだけではない。
今回は、出演する川崎ゆり子の祖母のおうちからたくさんの道具をもらってきたりした。
ぼくが通っていた幼稚園が廃園になると聞いて、道具をもらってきたこともあった。

だからいちいち買ったりもらってきたりするから、モノが増える一方なんだけど、
そのモノたちは横浜にある倉庫に保管している。

照明器具も、
劇場に設置されている灯体以外の、
電球や間接照明は、ぜんぶひとつひとつ買ったもの。
さいきんは、
電球の中身のフィラメントが好きだから、そのことばかり照明の南さんと話している。

夜を描くうえで、
夜という時間の灯りをつくらなくてはいけない。
それはとてもむつかしいことだけれど、
灯りがなければ、暗闇もない。

暗いのは明るいのを知っているから、暗いとわかる。
暗い、と言われてしまったのは、
明るい、と言われているひとがいるからだろう、と。
ちいさいころ、よくおもった。

でも明るいとされているひとって、それもそれでつらそうだな、
ってことも、よくおもった。

暗い、って楽かもしれない。
暗い、って明るいよりも、守ってくれる。というか、暗いところのほうが逃げやすい。

電球吊って、そんなことをかんがえた。

藤田貴大

[2015.2.4/夜の日記④ 夜が明けないまま、朝]
きょうは、
『夜が明けないまま、朝』のことを重点的に。
だいたいの流れが出来あがった。

20歳のときに書いた『夜、さよなら』に比べて、
『夜が明けないまま、朝』での作業はとても細かいものにしたかった。
三分間くらいのことをつくるのに、三時間くらいかけて稽古した。
テキストも三分間くらいのことで10ページ以上あって、
そして三分間のなかに30シーンくらいが詰まっている。

物理的に費やしてしまう体力と時間は裏切らないとおもうから、
だからやっぱり体力にも負荷はかけていくし、時間もどんどん凝縮していく。

眠れない夜のことをかんがえると、そんなかんじだ。
いま、夜は、どれくらいの時間が経って、
どれくらいの夜のなかに自分がいるのかがわからなくなる感覚。

気持ちとしては夜は明けていないのに、
やっぱり朝は、時間が訪れるとともに訪れる。
また一日が始まってしまうのかとかんがえると、こわかった。

にしても、男子の筋肉がたくましくなってきていて、うれしい。
筋肉は、裏切らない。やれることが広がりつづける。

プロテインを与えつづけよう。

藤田貴大

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