空が白みはじめるころ、夢を見ていた。もう訪れることのない場所で、もう会うことのできないひとと話しをしていた。なにを話していたかは憶えていないのだけど、とにかくとりとめのない話しだった、その感触だけは残っている。
わたし、わたしたちは失い、失いつづけて、さいごはやはり骨になる。
過去を、過去に置き去りにして、いとも簡単に忘れ去って、未来にばかりに目を向けて、これから、なにを、どうするか、というふうに精一杯で、じゃあ現在という時間には、なにが漂い、流れているのかを見つめる余裕が無かったりする。でも、とはいっても、現在という時間は、あっという間に過ぎていく。たった現在この瞬間、現在は過去になる。現在を重ねて、未来へいく。うーんと、だから、やっぱり現在から、目は離せないのではないか。現在この瞬間、そこに立ちあがる身体に、声に、目を凝らす、耳を澄ます。それしかないのではないか。
しかし、それにしてもまったく未来は、ますます不安である。出口の見えないトンネルの、真っ暗闇の真んなかに、もうずっといるような心地だ。あたまのなかを、過去が絶え間なく過ぎることを止めたくない。声にならなかった声は膨大で、想像してもしきれない、及ばないとうなだれるけれど、それでも「どうして?」を止めたくない。現在に没頭する身体と、声、ともどもになって、現在という時間を過ごしたい。
ここ数年、この数か月、数週間、数日のあいだにも、わたし、わたしたちはたくさん失った。そして散らばった破片に宿る、あるいはそれに、微かに反射するなにか、ひかりめいたものを感じとりながら、この作品をつくっている。
2026.4.20 藤田貴大
