mum&gypsy

「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY8-DAY 14

DAY 12

2020/09/28

2020.9.26

ホテルには「private」と書かれた扉がある。朝、エレベーターホールに向かうと、その扉が少しだけ開いているのが見えた。その向こうから、「枕が一杯やわ」「こっちのバスタオルをどかさんと」と話している声が漏れてくる。一階のロビーに降りて、先生が迎えにきてくれるのを皆で待つ。ロビーには朝日新聞と日経新聞、それに四國新聞が置かれている。ちょうど一週間前に新聞を買いに走ったことを思い出しながら、四國新聞を手に取ると、天気面があった。丸ごと一面を使って天気予報が掲載されており、「早明浦ダム貯水率」が記されていた。平年値は86.7パーセントであるのに対し、昨日の水位は100パーセントだ。

「きょうは何の日」という枠には、「洞爺丸事故」と、「『アビーロード』発売」と書かれている。青函連絡船の「洞爺丸」が台風で転覆し、乗客乗員1155人が死亡し、他の青函連絡船4隻も沈没し、5隻合わせて1430人が犠牲となったのだという。他の4隻は、何という名前だったのだろう。そこには誰が乗っていたのだろう。「香川ニュースファイル」という枠には、坂出の幼稚園跡地でセアカゴケグモが発見されたと伝えられている。このニュースは、四國新聞を手に取らなければ知ることがなかっただろう。でも、一週間前に神戸新聞で読んだ出来事は、ここでは知ることができなかっただろう。世界中では毎秒さまざまな出来事が起きているけれど、そのすべてに追いつくことはできなくて、ずっと置き去りにされているように感じてしまう。

西村先生に大学まで送ってもらうと、まずは俳優の「皆」と一緒にケーキ屋さんに向かう。ホールケーキの予約は間に合わなかったけれど、大学の近くにある評判のお店でカットケーキを用意することになった。「アップがてら、ちょっと早歩きにする?」と、皆少し早歩きで進んでゆく。お年寄りが小さなスコップを手に、歩道の隙間から生えた雑草を掘り起こしている。小さな教会の隣に、目当てのケーキ屋さんはあった。

「どれにしようか迷うね」

「どれも可愛いね」

「これはお酒を使ってるんだって。こやちゃん、お酒好きだもんね」

「どれが一番嬉しいだろう」

迷いに迷った挙句、ショートケーキを2個選んで、誕生日メッセージを添えたプレートも作ってもらう。劇場まで引き返すと、13時の稽古開始に向け、俳優の皆はアップを始める。そのあいまに、成田さんと少し話をした。城崎公演が終わった直後、成田さんは3日間とも困惑したような顔をしていた。あの困惑は何だったのだろう。

「城崎って、信じられないぐらい緊張したんですよね」。ベンチに腰かけた成田さんが言う。「たぶん皆もなんだと思うんだけど、理由はわかんなくてね。久しぶりに人前に立つからなのか、『てんとてん』を日本でやるからなのか、自信がないからなのかわかんないけど、ものすごく緊張して。でも、昨日の通し稽古は、ここでは学生さんが観にきてくれるっていうのが大きくて、城崎とはまた違った緊張感がありました」

『てんとてん』には、“町を出る”というモチーフが描かれる。成田さんが演じる“あゆみちゃん”は、”町に残る“という選択をする。その“町を出る”、あるいは“町に残る”というモチーフが、こんな響きを持つようになるだなんて、去年10月に中国・烏鎮で『てんとてん』を観たときには、想像すらしていなかった。

「その点に関して、ずっと橋本さんに聞きたいなと思ってたことがあって」。成田さんは話を続ける。「烏鎮のときにさ、橋本さんが書いてくれたレポートの中に、『彼女自身は、外の世界に出て行きたいと思っているけれど、家庭の事情であるのか何であるのか、何らかの事情でその気持ちに蓋をせざるを得ないのではないか』って書いてあったじゃない? 烏鎮のときは、私もそう感じながら演じてたんだけど、今年は『私はここにいるよ』って、肯定するようになったの。自分が選んだことを、肯定するようになったの。それはコロナのせいなのかもしれないし、竹内さんがかける音楽が優しいからなのかもしれないけれど、そのことについて『橋本さんはどう思う?』って聞きたかったの」

客席から見ていても、烏鎮公演でそんな感想を抱いたことが、ずっと昔のことのように感じられた。“町に残る”ことを選んだ“あゆみちゃん”の姿は、烏鎮ではどこか無念さが詰まっているように感じた。でも、どういうわけだか今年はそんなふうに感じなかった。“町を出る”ことを選んだからといって明るい未来が待っているわけでもなければ、“町に残る”ことを選んだからといって閉塞感に押しつぶされるわけでもなく、現在という一瞬を共有したあとに、それぞれべつべつの方法で生きていくというだけだという感じがした。

「藤田君も、今回は稽古のときから『現在』って言葉をものすごく使ってたんだけど、それもそういう意味だったのかもね」と成田さん。「見え方が変わったてことは、橋本さんも変わったんでしょうね。世の中も、橋本さんも、わたしも変わったのかな。意識はまったくしていないけれど」

劇場の入り口では、上演に向けた準備が進められている。作品のタイトルを記した立て看板が用意され、受付にはビニールカーテンが設置されているところだ。昨日までは全然見かけなかったのに、とんぼが数えきれないほど飛んでいる。

そのことと作品とは別の話ではあるけれど、フィレンツェを皮切りに、『てんとてん』は旅を重ねてきた。ポンテデーラのキッチンで過ごした時間のあとにも、いろんな土地を訪ねてきて、そして今、ここにいる。その今という瞬間は、成田さんにとってどんな時間であるのだろう?

「なんだろう。今の状況になって、無力感みたいなものをものすごく感じたんですね。やれることもわかんなくなったし、やるべきこともわかんなくなったというか。最初はちょっとジタバタしようとしたんだけど、それもできなくなって、演劇ってものが必要なくなってしまって。『世の中には演劇が必要だ』っていうことはもちろんわかるし、自分にとっても演劇があることは必要なんだけど――。今回『てんとてん』をやると決まったとき、それは嬉しかったんだけど、それは演劇ができる嬉しさじゃなくて、自分にやるべき仕事が戻ってきた嬉しさで。この期間はほんとに仕事がなくて、生きてるだけの期間だったんです。だから、『てんとてん』をやるって決まったときも、仕事ができる喜びであって、演劇が喜びではないんじゃないかと思っちゃったんですね。でも、こうして旅に出て、『てんとてん』でほんとによかったなと思えたんだけど、それは何で思えたのか――。こう、今この時代に、この人たちとこの作品をつくったらどうなるのかなってことを思えたから、『てんとてん』でよかったなと思ったんですよね」

今日のお昼は炊き込みごはんだ。コーンの炊き込みごはんと、鮭ときのこの炊き込みごはん。それを皆で平らげ、13時から返し稽古を終えると、開演に向けた準備が始まる。小道具がプリセットされ、劇場の入り口には消毒液が置かれ、床には距離を保って並べるようにと目印の養生テープが貼られる。受付や場内整理を担当してくれる学生スタッフの方たちが集まり、制作ミーティングが始まる。制作の林さんが、もしもマスクをされていない方がいたとしても、個別に注意するように――つまり、しっかりマスクをしている人にまで「マスクをつけてください!」と漠然と呼びかけてしまうことがないように――と伝えている。感染症対策に注意を払いながらも、お客さんを過剰に萎縮させるのではなく、なるべく自由に過ごしてもらえるようにと、スタッフの皆と共有する。

「お客さん、きてます?」晩ごはんに向け、もやしのナムルを作りながら藤田君が尋ねる。来始めてますと伝えると、「不思議なことですね」と藤田君がつぶやく。

17時、定刻通りに上演が始まる。会場となるノトススタジオは、定員80名ほどの小さな劇場だ。感染症対策として、椅子の数を半分に減らしているから、今日の公演を観ることができるのはわずか40名ほどだ。舞台に立つのは6人で、スタッフを含めても50数人だけが劇場の中にいる。その視点ごとに、見えているものは違っているのだろう。上演が終わってすぐに実習室に引き返すと、「今の回を観てると、新しい言葉が書きたくなりますね」と藤田君が言う。

テーブルにはシルバーシートが敷かれ、そこにカセットコンロが並べられる。この実習室には焼肉用の鉄板まで用意されていたこともあり、今晩は焼肉だ。西村先生おすすめの肉屋さんで買ってきてもらった肉がテーブルに並べられる。

「部位の説明をすると、まず、これがハラミのタレです」と藤田君。「で、これが塩カルビ、これがカルビのタレです。塩カルビのほうは、レモンと塩だけでうまくて、タレのほうは何もつけなくてもうまいって噂なので。だから、うちは焼肉のタレというのは置いてないです」

「あれは何ですか?」と、尾野島さんが店員に尋ねるように言う。

「あれは豚トロ、豚トロは塩です。あと、これは牛タンですね」

西村先生が用意してくれた肉はどれもうまく、あっという間に皿から肉が減ってゆく。最後に、藤田君が店員のように、全員分のホルモンを焼いてくれる。すっかりお腹を見たし、後片付けに取りかかったところで、照明の小谷中さんと映像の宮田さんとが、消灯しに劇場に向かう。ちょうど9月生まれのふたりが席を外したところで、皆は慌ただしく誕生日をお祝いする準備にとりかかる。ふたりが揃って引き上げてきて、扉が開いた瞬間に、皆で「ハッピーバースデートゥーユー」を歌う。

「なんとふたり、同じ誕生日です!」

「え、同じ?」

「ふたりとも9月生まれだよね?」

「いや、違います」――宮田さんは9月生まれで間違いなかったけれど、ふたりが同じ誕生日というのは勘違いで、小谷中さんは5月生まれだった。

「いいじゃん、祝っちゃおう。5月ってことは、皆でお祝いできなかったでしょ」と波佐谷さん。

「こやちゃん、お疲れ!」と藤田君が言う。「こんな入りにくい座組、ないっすよね。なんか長えしさ。原口さんも、ほんとありがとうございます」

ふたりがローソクの火を吹き消すと、「こっちにもケーキがあるよ」と、成田さんがバターケーキの箱を取り出す。城崎から琴平まで移動した日、2度目の乗り換えで岡山に降り立ったとき、バターケーキのことが思い出された。岡山には「白十字」という老舗菓子店があり、創業当時からバターケーキを出している。あれはいつだったか、死ぬ前に食べたいものについて話しているとき、成田さんは「白十字」のバターケーキを挙げていた。夏休みや冬休みになると、福山にあったおばあちゃんちで過ごしていて、そのたびに「白十字」のバターケーキを買い、毎日少しずつ、皆で分けながら食べていたのだという。岡山に降り立った瞬間にそのことを思い出し、乗り換え時間のあいだに駅近くの店まで走り、買っておいたのだ。

「小谷中さんは、死ぬ前に食べたいものって何?」と藤田君が尋ねる。「これのルールとしては、『親が作った何とか』とか、そういうしゃらくさいのは無しです」

「ごはんと味噌汁が食べれれば、それでいいかもしれないです」と小谷中さんが答える。

「まりす(宮田さん)は何?」

「何だろう。つぶ貝のお刺身?」

「つぶ貝好きなんだ? 意外だな。原口さんは何?」

「わたしはアジのなめろう」

「え、竹内さんは?」

「カップヌードルの醤油」

「ああ、わかる! フォークで食べたいな、それ。カップヌードルの自販機があったこととか、まりす、知ってる?」

カップヌードルの自販機は今も製造されているけれど、かつてはカップヌードルだけでなく、ボンカレーの自販機も存在していたし、トーストやうどん、ハンバーガーなど、さまざまな商品を扱う自販機があった。それは現在では数台しか残っておらず、そんな自販機があったことを知らない世代が増えてゆくのだろう。でも、そんな世代にも、レトロな自販機がどこか「懐かしい」と感じられるのはなぜだろう。

切り分けたバターケーキを皆が頬張っていると、「このケーキを皆に食べてもらえるのが、すっごい嬉しい」と成田さんが言う。そして「一生忘れない」と二度繰り返した。

彼女が死ぬ前に食べたいものがバターケーキだということは知っていたけれど、それがつまるところどんな存在であるのか、ほんとうのところではわかっていないように思う。一生忘れないというのは、どんな気持ちなのだろう。自分の中にある感情を引っ張り出して、想像してみる。想像だなんて不確かなものに過ぎないけれど、無意識のうちにそれを繰り返している。誕生日でもないのに、誕生日ケーキを用意された気持ち。「死ぬ前に食べたいものは?」と尋ねられたときに、それぞれが思い浮かべていた記憶。自分が死ぬ前に食べたいと思っているバターケーキを、皆で頬張ったときの感慨。それを内側から知ることは永遠にできないけれど、それぞれの表情を思い返しながら、想像を巡らせている。

テキスト・撮影:橋本倫史

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