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「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY8-DAY 14

DAY 11

2020/09/27

2020.9.25

ホテルの窓から、真新しい校舎が見える。その手前に広大な敷地がある。そこにはかつて校舎が建っていたけれど、新校舎が完成したことで取り壊され、跡地をグラウンドとして整備しているところだ。毎朝8時になると、重機の音が響き出す。今日は朝から雨が降っているけれど、それでも8時には工事の音が聴こえてくる。

「大学の近くに、ケーキ屋さんってありますか?」大学に向かう車の中で、藤田君がそう切り出す。今回の座組には、9月生まれがふたりいるけれど、お祝いできないままになっていた。

「あります、あります」と仙石先生が教えてくれる。「そこのケーキは、甘さもしつこくなくて、すごく美味しいです。ただ、そこは夫婦ふたりでやっている小さいお店だから、早めに予約しないと、ホールケーキだと難しいかもしれないですね。あとでお店に電話して、ホールケーキを作ってもらえるかどうか、聞いてみますね」

ホールケーキにするか、ショートケーキにするかしばらく迷っていたけれど、可能であればホールケーキを予約してみることになった。「誰かの誕生日をお祝いするのも久しぶりだね」と、車内で皆が囁き合う。

劇場ではスタッフ作業が進む。藤田君は実習室に到着するなりキッチンに立ち、お昼ごはんの支度に取り掛かる。今日のお昼はサンドウィッチだ。藤田君が見本をひとつ作ってみせると、荻原さんと成田さんがふたりでサンドウィッチを作ってゆく。荻原さんが皿にパンをのせ、マスタードを塗る。成田さんはスライスチーズの包みを剥がし、パンにのせる。その上に荻原さんがきのこのソテーを添えているあいだに、成田さんはラップを敷き、完成したサンドイッチをくるむ。荻原さんが次のパンを取り出す。あっというまに人数分のサンドウィッチを完成させると、今度はもう1種類のサンドウィッチ――カマンベールチーズと大葉にバジルソースを添えたサンドウィッチ――を作り始める。

「こんなに料理してるけどさ、知らない人にぼくの作った料理を食べて欲しいとは全然思わないわ」と藤田君が笑う。「料理を出す店をやってる人たちって、どういう気持ちでやってるんだろう。全然知らない人に料理を食べさせて、それで味の批評とかされたらマジで落ち込むと思う」と。だけどそれは、演劇作家という職業にも――知り合いでも何でもない人たちを劇場に招き、自分の作品を見せる演劇作家という職業にも――共通することだ。

完成したサンドウィッチを皆が頬張っているあいだ、藤田君は晩ごはんの仕込みに取りかかる。ぎりぎりまで料理を進めて、13時12分、劇場で場当たりを始める。

「皆、なに、城崎どおりやってんの?」場当たりが中断したところで、藤田君が尋ねる。

「やってます」と皆が小さな声で答える。

「そうなんだ? 城崎の劇場に比べて、客席からすごい近いから、『そんな感じになってたんだ?』って思ったわ、今。これは昨日から感じてることだけど、城崎がすごく遠くなってる感じがするよね。外国でやってるときは、匂いからしてわかりやすく違うじゃん。だけど、今回は電車を乗り継いでこれたのもよくて、『てんとてん』で国内を連続してツアーするのは意外と初めてだったなと思うんだよね。説教くさいことを言いたいわけじゃないんだけど、水の感じとか、雲の感じとか、城崎ともまた違うじゃん。だから、面白いのかもね。この作品は日本で上演する用に書いてなかった部分もあって、日本で上演するイメージがあるようでなかったから、日本でこの作品をやるのも面白いのかもなって、初めて思えてるんだよね」

14時過ぎ、場当たりが最後のシーンまでたどり着く。ここではゲネプロは予定されていなかったけれど、あまりにも順調に作業が進んだこともあり、一度通しておくことになった。こんなふうにゆったりと過ごしながら『てんとてん』で旅をするのは、今回が初めてだ。

「さっき町の話とかしちゃったけどさ」。場当たりを終えたあと、劇場で藤田君が皆に語り出す。「ぼくらは城崎から善通寺まで移動してきたけど、劇場に作品を観にくる人たちは、そんなこと知ってる人なんていないんですよ。マームとジプシーとしても、この作品としても、『この土地で上演すると、やっぱりちょっと違うよね』ってことは、そりゃ入れたいよね。でも、それはフィクションを無視してやれることではなくて、やっぱり作品世界をやるしかないわけ。

これは『cocoon』をやっているときにも思うことだけど、ひめゆりの子たちが死んだっていう悲しさは、ぼくはいくら調べてもその悲しさで涙を流すことは不可能なんだよね。死ってものに対しての、自分の中での差別みたいなことを、『てんとてん』でも言ってる気がする。この作品には3歳の女の子が殺されたってエピソードが出てくるけど、“あやちゃん”以外のキャラクターは、“あやちゃん”ほどにはその死に傷つけなかった人たちかもしれないよね。

何が言いたいかっていうと、震災や戦争みたいなことに対峙したとき、そこにどう対処するかで自分って人間が見えてくると思うんだよ。そこで近しい誰かの死ってものが大きくないと、『何万人死んで悲しいですね』って言い方になっちゃって、それがすごい違和感なんだよね。ひとりひとりの顔が見えない『何万人』って言い方には違和感があるし、そこでひとりひとりに対する解像度を上げるためにこのタイトルなわけだし、こういう作品をやってるんだよね。その細かさをもっと観たいと思うし、そうやっていかないと、全体のエモーションを言われちゃってるように感じるんだよね。

やっぱり、戦争なんかなくたって人は悩むわけだし、コロナの時代じゃなくたって悩むわけじゃん。コロナはあるし、ボスニアで戦争はあったのは事実だけど、今回は『この話は“あやちゃん”の話だ』ってことをプッシュして皆に言ってるじゃん。そこがこれまでと全然違うところだと思う。そこを『この話は“あやちゃん”の話だ』ってことでやらないと、世界全体に向けて叫ぶことになっちゃって、観客はついてこれないと思うんだよね」

16時、四国学院大学の学生をふたりだけ入れて、ゲネプロが始まる。開演前のアナウンスから終演後のアナウンスも含めて、本番通りに通し終える。藤田君はキッチンに戻ると、厚切りベーコンを炒めながら、「今の回、後半は良かったですよね」と口にする。晩ごはんのペペロンチーノを食べ終えたところで、藤田君が皆に向かって語り出す。

「今日のゲネはすごい良かったんだけど、舞台にいるのが物語の中にいる人だって思えるのは、こっちとしては安心なんだよね。『この町で』って言ってるところがすげえグッときたんだけど、『この町』ってことが必ずしも善通寺ってことだけじゃない言い方でやれてたような気がしたの。つまり、役者が親身になって『この町』って言わなくたって、『観客は今、善通寺にいる』ってことは前提としてあるわけ。役者が物語の中の世界として『この町』って言ってくれたほうが、こっちが頭の中で想像する余白があるんだよね。今日のゲネは、そこがすごく良いバランスだったなと思う」

今日も22時には劇場をあとにする。先生たちの車2台で送ってもらっても、一度に移動できるのは10人までだ。先生たちに俳優の皆とスタッフの皆をホテルまで送り届けてもらって、もう一度迎えにきてくれるまで、藤田君と実習室でビールを飲んだ。

「ゲネの前にああやって話したけど、ほんとにちょっとしたことでそんなに変わるって、役者って怖い職業だなと思う。だから最近はもう、本番前に役者とそんなに話せなくなってきてるんですよね。『この話は“あやちゃん”の話だ』ってことを再確認しないと、そこから離れて行っちゃうし。だけど、いつだかポンテデーラのキッチンであっちゃんにブチギレた自分にも言いたいけど、あの時は自分もそこでなびきそうになってイラついてたんだと思うんですよね。今振り返ると、あれはただの八つ当たりでしかなかったな」

 

 

『てんとてん』の旅に同行していると、いつもポンテデーラのキッチンを思い出す。

ポンテデーラの夜に、劇場の裏手にある「パノラマ」というスーパーマーケットで買い物を済ませたあと、冷蔵庫に食材をしまっているあいだ、成田さんは藤田君に「『この町で起こったこと』って台詞の、『この町』って言葉は、どこを思って言えばいい?」と尋ねた。

「それは別に、どこのことも思わなくていいんじゃないの」と藤田君は答えたものの、しばらく経ってから、「え、それはどういうつもりで言ってるの?」と厳しい口調で問いただす。

2014年、『てんとてん』はサラエボ、ポンテデーラ、アンコーナ、そしてメッシーナで上演された。最初に訪れたサラエボは、内戦のあった土地だ。わたしたちを案内してくれたのは、サラエボに生まれ育ったタイダさんだった。彼女は幼い頃に内戦を経験し、その当時の記憶を聞かせてくれた。街には今も銃弾の跡が残されており、そんな土地で「この町で起こったこと」という台詞を口にするとき、作品世界が現実世界に当てはまり過ぎるほどに感じられた。そんなボスニア滞在を経て、イタリアにあるポンテデーラという小さな町を訪れたことで、そのギャップに成田さんは戸惑っていたらしかった。

「ボスニアでは『この町で起こったこと』って台詞が具体的になってしまったところがあったのかもしれないけど、偶然タイダさんと出会えて話を聞かせてもらえたけど、それでサラエボのことを知れたと思えないし、特別な悲劇が起こらなかった町にだって、そこで傷ついてる人だとか、思い悩んでいる人だとかはいるはずだよね。今は偶然ポンテデーラってとこにいるけど、ここの土地のことは他の土地と同じように知らないし、ここの土地の人たちのことだって他の土地の人たちと同じように知らないじゃん。そこはあえて平等にしてかないと駄目だし、『どこを思って言えばいい?』とかじゃなくて、どこの土地でも『てんとてん』の中のフィクションの世界をやるしかないよね」

藤田君がキッチンで捲し立てているあいだ、成田さんは「うん」としか返事をしなくなった。あの夜のこと、いつも思い出す。最初に『てんとてん』が上演された2013年に、藤田君は「旅をする意味が見出せなくなったら、ぼくはこの作品を終わらせる」と語っていた。あれから7年経った今も、こうして旅は続いている。そんなこと、明日この劇場を訪れる人たちには関係がない話だろう。皆がどんなふうに旅をしてきたかだなんて、作品とは別のことだし、ごく個人的な話だ。でも、それでも思い出される場面のこと、自分の中に積み重なってきた時間のこと、ずっと思い返している。

テキスト・撮影:橋本倫史

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