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「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY8-DAY 14

DAY 14

2020/09/30

ホテルの前に、「四国学院大学」と書かれたマイクロバスが停まっている。朝7時、皆はどこか眠そうな表情でロビーに降りてきて、全員が揃ったところで空港を目指す。

「このまま品川まで連れてって欲しいね」

「だいぶ長旅になるよ」

「うん、それでもだいじょうぶ」

バスが走り出すと、車内は静かになった。黄色い帽子をかぶったこどもたちが、ランドセルを背負って登校してゆく。田んぼの畦道に、アクセントのように曼珠沙華が咲いている。信号でバスが停車したときに、エンジンが止まってしまうと、運転手さんが「ごめん」と言う。「すみません」ではなく「ごめん」と言われたことで、車内の空気がなごむ。

7時45分に高松空港にたどり着く。国際線ターミナルは閉鎖中だ。国内線も運休が目立つ。そのせいか、ぼくたちが乗る便はほとんど満席になるようだ。皆が固まって座れるようにと座席を指定し、飛行機に乗り込んだ。

2週間ぶりにワイヤレスイヤホンを取り出し、耳にねじ込んで音楽を聴く。これまで何度も聴いた、ライブ盤のアルバムだ。あれは何日目だったか、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を例に挙げながら、藤田君が劇場で話していたことを思い出す。

「今回のツアーはCDを持って移動してるけど、この中で『ケルン・コンサート』だけがライブ盤なんだよね。音源っていうのは過去にレコーディングされたもので、『てんとてん』の中でもたくさんの音源をかけてるけど、それは全部過去に記録されたものなんだよ。だから、劇場の中で観客が聴く音の大半は過去のもので、役者の声だけが今の音なんだよね。で、『ケルン・コンサート』も過去の音源ではあるんだけど、ライブの音源って面白いものだなと思う。あのコンサートは伝説になってるけど、その瞬間にはただのライブで、観客もキース・ジャレットも、それが語り継がれるライブになるだなんて思ってないわけ。ライブが終わったあとの世界のことを思ってないわけ。それと同じことを、ぼくらはやってるんだよ。ぼくらがやってることなんて、9割以上の人たちは忘れ去るんだけど、何パーセントかの人が『あの劇場で観たあの回がヤバかった』みたいに記憶に留めてくれることに賭けてるわけじゃん。『ケルン・コンサート』を聴いたらわかるけど、あのときのキース・ジャレットはいきいきしてるなと思う。それを聴いてる人たちも『良いコンサートだったな』と思っていたかもしれないけど、とにかく、なんかあそこで繋がった時間があったんだろうね。ぼくらも、運良く今生きてるからこうやってごはんも食べれてるし、観劇にくる人たちも、まあ、死んでる人はこないよね。劇場に死んでる人はいないんだよ。生きてる人たちがここでその時間に集ってるってだけなんだよ」

ぼくが聴いているのは、『ケルン・コンサート』ではなく、また別のライブ盤だ。たしか藤田君は、そのライブが演奏された場所にいたはずだ。あの曲を、いま聴いてる。ぼくが座った席は窓側で、窓の向こうには山があり、田畑があり、水があり、住宅があった。窓の景色に見惚れているうちに、皆に話そびれていた話があったことを思い出す。

今年の『てんとてん』を観終えたとき、去年までとは違う感触が残った。上演が終わった瞬間に、早く劇場の外に出たいと思ったのだ。それは、作品がつまらなくて外に出たかったということでもなければ、この状況下で人が集まる場所に居続けることに不安を感じたということでもなく、もっと別の理由によるものだった。上演を見届けた観客のひとりとして、その残像を抱えながら、わたしの時間に戻らなければという気持ちになったのだった。

飛行機が羽田空港に到着したところで、品川のクリニックにPCR検査を受けにいく皆とは別れた。ぼくが同行するのは今日で最後だけれども、『てんとてん』の上演は続くので、再びPCR検査を受けておくのだという。

このテキストを書いているのは、皆と別れた2日後、9月30日の朝だ。昨日の夜にPCR検査の結果が出たらしく、「全員が陰性だった」と連絡があった。このまま何事もなければ、明後日10月2日から10月4日まで、東京・武蔵小金井にある小金井宮地楽器ホールで『てんとてん』は上演される。

こんな時代になる前だって、「このまま何事もなければ」という前提は変わらず存在していたのだと、今になって思う。皆が無事に当日を迎えることができれば、『てんとてん』は上演され、ぼくも無事に生き延びることができればそれを目にすることができるのだろう。もしも足を運べなくなったとしても、ここまでの旅で目にした風景を何度だって思い返すことができるし、話そびれた話を頭の中で繰り返すことができる。その言葉というのは、自分の中で反芻させているだけでも事足りるのかもしれないけれど、いつか誰かに届くことに期待して、こうして手紙に書き記しておく。

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