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「路上 ON THE STREET」

特別企画 藤田貴大×橋本倫史「路上」対談 前編

2020/10/10

『路上』では、演劇作家・藤田貴大、ライター・橋本倫史が東京の「路上」をモチーフに、毎月それぞれのテキストをWEB上で発表してきました。橋本はドキュメントという視点から街を記し、藤田はフィクションとしてシーンを描きます。1年間かけて発表をしたのち、最後は舞台作品となる予定です。

9月の公開で第6回目を迎え、折り返し地点となった本企画。毎月テキストを書いている二人に、感じたことや印象的な出来事など、これまでを振り返りながらお互いに話をしてもらいました。

(全2回 前編/8月25日収録)

『路上 ON THE STREET』 http://mum-on-the-street.com/

 

 

橋本 『路上』という企画について、藤田さんから最初に話を聞いたのは、去年の10月にあった『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』(以下、『てんとてん』)の中国・ウージェン公演のあとでしたね。

藤田 そうなんです。その段階では今年の夏に『cocoon』がある予定で、いろんなところにツアーに行くはずだったんですよね。そうやってツアーに出るときに、自分が住んでいる東京という土地を無視してツアーに出るのは嫌だなと思ったんです。そもそも旅って、「普段はここにいる」という拠点がないと、ただ放浪しているだけになるというか。そういう話は、前から橋本さんとしてましたよね。橋本さんも、頻繁に沖縄に取材に行ってるから、「沖縄に家を持たないんですか?」といろんな人に言われてますよね、きっと。

橋本 そうですね、よく言われます。でも、ホテルに宿泊するより部屋を借りたほうが安く済んだとしても、ホテルに宿泊するほうが性に合う気がします。

藤田 そこで橋本さんが「沖縄に家を持ちたくない」と言う理由が僕にはすごくわかるし、東京という前提がないと僕もつらいんですよね。『てんとてん』で初めて海外公演をしたときにも言った気がするけど、旅に出たときに、行きっぱなしになるのが怖いんです。それは「家があるかどうか」ってことが問題っていうよりも、自分にとっては東京が拠点だと思っていて。東京という拠点があるから、ツアーに出て、戻ってくることができる。そこに拠点がなかったら、行きっぱなしになると思うんですよね。そういう意味でも、東京というベースがある2020年にしたいという話から、橋本さんに「東京を描いてみたい」ってことで、漠然としたお願いをしたんです。

橋本 上海の空港で、搭乗時間までのあいだに、ビールを飲みながら話しましたね。

藤田 『CITY』(2019年)でも都会を描いたつもりでいたけど、東京を描くっていうことはやりきれてなかったから、もっと具体性をもって東京を描いてみたかった。たとえばそのときに話したのは、「僕は西荻窪に住んでたけど、西荻窪のことを何も知らなかった」っていうことで。『CITY』で描いた港は、なんとなくモデルがあるけど、その港がどんな場所であるのかってことを、もっと調べたくて。それを一年間かけて橋本さんと考えられないかってことは、ウージェンで話しましたよね。

橋本 そうですね。出発前にその話を聞かせてもらったので、僕は出発までのあいだに東京の地図をiPhoneでスクリーンショットしたんです。飛行機に乗るとネットに繋がらなくなるから、スクショした画像を見ながら、羽田に向かう飛行機の中でいろいろ考えたんです。たとえば東京には地下鉄が張り巡らされているけど、その一つの路線をモチーフにするのも面白いなと思ったんですよね。線であるとか、境界線というモチーフは藤田さんがずっと扱っているものだから、千代田線なら千代田線、日比谷線なら日比谷線というラインをテーマとして、その沿線にある街を取り上げて、ひとつずつ歩いてみるのも面白いんじゃないか――とか。千代田線の中でも、代々木上原と日比谷と綾瀬では全然違う風景であるのに、ひとつの路線でつながっているという。ただ、ひとつの路線をテーマにするというのはコンセプチュアル過ぎるから、もうちょっとばらつきがあったほうがいいんじゃないかと考えたんですよね。

藤田 羽田に着いてすぐ、荷物を待っているところでその話をしてくれましたよね。その段階で、橋本さんは今のこととまったく同じことを言っていて。それから1ヶ月後ぐらいに、マームの事務所で話して、そこでタイトルが『路上』に決まって。そのとき橋本さんが、東京に歴然と流れているラインの話をしてくれて。そのラインっていうものは、僕の中で以前からテーマとしてあったんです。どうして海の外からのニュアンスを受け入れずに、差別だとかヘイトだとか、そういうことが起こってしまうのかってことを、『sheep sleep sharp』(2017年)あたりの作品から、自分のなかでエスカレートさせて考えてきたんです。

 

<『てんとてん』公演で訪れた中国・ウージェン>

 

変化する日常の中でスタートした企画

 

橋本 僕は東京をテーマに書いてきたわけではないけれど、たまたま東京をテーマにした本をたくさん読んできたんですよね。だから、「東京にはこういう境界線が引かれてきた」だとか、「ここにはこういう歴史の地層がある」だとか、そういうことは伝えられるなと思ったんです。僕の方からは“ここにはこういう境界線があった”ということを事実として手渡しつつ、そこから先に、藤田さんが想像するものがあればなということで、この『路上』という企画のことを具体的に考えるようになりました。

藤田 そういう境界線のこと、全然意識してなかったなと思いましたね。それが嬉しい企画だな、と。この企画で最初に橋本さんと歩いたのは4月でしたけど、そのときのことが印象的だったんですよね。その時期は1ヶ月ぐらい“自粛”を余儀なくされていて、この企画をきっかけに久しぶりに外に出て、久しぶりに会ったのがこの企画にかかわるメンバーだったということに、僕はすごく救われたんですよね。

橋本 最初に一緒に歩いたのは、4月でしたね。

藤田 そう。そのとき歩いた道が、けっこう暗くて。そして東京タワーが見えるっていうね。あのへん、なんか面白かったよね。

 

<「品川→新橋」ルートの途中に見える東京タワー>

 

橋本 あのときはまだ、外を歩くことに対しても、電車に乗ることに対しても、まだピリッとした空気がある状況でしたね。

藤田 あのころより状況は悪化してるのに、今はひとびとが我慢できなくなってる様子もありますよね。こんな状況になっていなければ、オリンピックもあったはずだけど、この企画が動き出したころにちょうど延期が決まって。

橋本 『cocoon』のオーディションをやっている時期でしたね。東京オリンピックの開催延期が決まったのは。

藤田 今やっている『apart』だとか、『Title T Project』だとかっていうのは、別にコロナがあったから捻り出したわけではなくて、前々から「こういう企画をやりたい」って話していたことを実現させただけだったんですよね。それと同じように、この『路上』に関しても、こんな状況は予想もしてなかった。

橋本 そうですね。さっきも話したように、東京を離れる大規模なツアーがあるからこそ、そこに通底するものとして『路上』という企画があったはずで。それが、まさか藤田さんが、こんなに東京にい続ける日々がくるとは。

藤田 いや、橋本さんもですよ! こんなに東京にいるはずのないふたりが、東京にいる状態ですもんね、今年は。僕はこの時期、『cocoon』のツアーで各地を回ってるはずだったんです。東京がこんなに暑いなんて――今、「暑い」という言葉が自分から出てきたことにもびっくりしてるんだけど――僕らはずっと劇場にいる職業だから、これまでほとんど暑さを味わってこなかったんですよね。あと、気温もそうだけど、明るさもですね。こんなに日中の街にいること、今までなかったんですよ。お昼の街中にいたり、夕暮れ時の部屋にいたり。そんなこと、この10年間はほんとうになかったんです。公演中は朝から夜10時までは劇場にいるし、劇場は完璧な暗闇をつくるから。こんなこと、人生でなさ過ぎて、頭がぼやぼやしてきちゃって。

橋本 僕からすると、演劇の人たちってすごいなと思うのはそこなんですよね。ごくたまに稽古場から取材させてもらうことがあるたびに、「この人たちはどこにも窓がない空間でずっと過ごしていて平気なんだろうか?」と思うというか。

藤田 演劇の人が全員そうなのかはわからないけど、根暗過ぎるよね(笑)

 

企画を通じてみえてくること

 

藤田 今はめずらしく時間があるせいか、自分がやってきた公演の数とかが、初めて気になったんですよ。こないだ『てんとてん』のメンバーに聞いたら、『てんとてん』は今、65公演してるらしくて。

橋本 65回!

藤田 あと、平均を出してみると、ツアーを含めたら月に4回は劇場入りしてましたね。去年の夏に限って言えば、『めにみえない みみにしたい』って作品でツアーに出てたから、月に8回か9回劇場入りしてて。もう、よくわからない生活をしてたんだろうなと思います。

橋本 そんな生活を続けてきたところから、今年はどこにも出かけられない日々が続いた、と。

藤田 そうやって偶然東京に居るしかなくなった年に、この『路上』って企画をやれているのがすごく嬉しくもあるんだけど、それと同時に「これって普通じゃないよね」っていう気持ちもあって。だから、この年に『路上』があってよかったなと思うんです。これまでのようにツアーを重ねてる生活の中で、橋本さんと一緒に『路上』を歩いても、目を向けてたところが違う気がするんですよね。今年にこの企画があるからこそ、「あの人、なんで路上に佇んでいるんだろう?」とか、そういうところをボンヤリ見れてる気がするというか。

橋本 たしかに、たとえば『cocoon』のツアーが予定通り行われていたとしたら、モードは絶対に違っていたでしょうね。『cocoon』のことを考え続ける日々の中で、一時帰国のように東京に戻ってきて、それでどこかの街を歩くという。

藤田 そうそう。そうなってくると、橋本さんが調べてくれてたその土地のことと照らし合わせて、その歴史ばかりを追っていただろうなと思うんですよね。でも、今年は東京にいることが僕の中でも日常になってるから、ボンヤリ人を見れているというか。もちろん橋本さんがその月ごとのコンセプトを決めてくれてるのが大きいんだけど、それ以外のところも、2020年だから見れてる感じがあるんですよね。「こんな状況でも、皆お弁当買うんだ?」とか。

橋本 お弁当、買いに行きましたね。上野から九段下まで歩いた日。

 

<九段下>

 

藤田 小さい頃から、「人って、いくら話してもわからないな」って感覚が僕の中にあるんです。この数年、橋本さんと一緒にいる時間は多くて、橋本さんのことをわかったつもりになってたけど、わかってないところがほとんどだよなって、この企画を通じて思ったんですよね。

橋本 その意味で言うと、たとえばツアーに同行してどこかの街を一緒に歩くことがあったとしても、そこで僕が感じたことを言葉にすることはほとんどないと思うんですよね。僕はツアーに同行しているのであって、そこは僕の感想を言う場所じゃないと思っているから。だから、普段であれば言葉にしないようなことまで、この企画では言葉にしているので、不思議な時間です。

藤田 僕が20代の頃から、橋本さんはインタビュアーとして話を聞いてくれてきたし、マームに同行しくれる関係でもあるけど、『路上』においてはその忖度はないというか、対等な状態で並走してる感じがする。これまでだったら、「僕らはこのレストランに行きます」ってところに橋本さんを付き合わせてる感じだったけど――いや、「付き合わせてる」というつもりはなかったけど――そういう感じになってたんだなとも思うというか。だから、上野から九段下を歩いたときにお弁当を買ったときとかは、「橋本さん、いっつもこういうお弁当食べるんだ?」って思ったよね(笑)

橋本 ああ、神保町「新世界菜館」のお弁当。

藤田 しかも、僕らが普通に中華のお弁当買ったあとに、橋本さんはカレー弁当を買うっていう(笑)

橋本 いやいや、僕が先にカレー弁当を注文したら、「ああ、ここはカレー弁当を注文するべきなのかな?」って思わせちゃうだろうなと思って、あとから注文したんです(笑)。カレー弁当をおすすめしたかったわけじゃなくて、僕は個人的に、「新世界菜館」のカレーに思い出があるってだけだったから。

藤田 それで言うと、僕もこの企画では気を遣わずに、家族のこととか北海道のこととか話してる気がする。橋本さんにインタビューされるときは、『てんとてん』のツアーに出ているときであれば『てんとてん』から外れたことはあんまり言わないようにしてるけど、そういうこともなく歩けてるなと思う。

橋本 僕は基本的に、どんなに一緒に過ごしていても観客だと思っているんですよね。だから、作品を観た感想として言葉を返すこともあれば、ツアーに同行しているときに「皆が過ごしている時間はきっとこういうことだ」ということを言葉で伝えることはあるけれど、この『路上』に関しては、それとは違う言葉も渡さなきゃいけないなっていうことを、上海の空港で最初に相談されたときから思っていたんですよね。

 

東京をどう描くか

 

橋本 藤田さんの新作は『sheep sleep sharp』、『BOAT』(2018年)、『CITY』という系譜になっていて、『CITY』でタイトル通り都市というものを描いたあとに、藤田さんが何を描くんだろうということは、ずっと考えてきたんです。その先にある新作のことを想像したときに、今回の『路上』という企画で東京を歩くことは――これは「新作で具体的に東京の街を描く」とかってこととは別の話として――大きなことだと思ったんです。
藤田さんが携わっていた公演で言うと、『ねじまき鳥クロニクル』はコロナの影響で公演が千秋楽を待たずに中止せざるをえなくなったわけですけど、あの作品にも満州の話が出てきて、実際にその土地で起こったことからもフィクションが立ち上げられてますよね。村上春樹さんは、『みみずくは黄昏に飛び立つ』の中で、「『ねじまき鳥クロニクル』が転換点になっているということでいえば、『アンダーグラウンド』と一組のセットで」と話されていて。「『アンダーグラウンド』を書いているときに、現実を生きている人の怒りとか憎しみとか、困惑とか迷いとか、それから失望とか、後悔とか、そういうものを目の前にして、それも命をかけてそう感じている人たちを見て、強く胸を打たれるものがありました。それはその後の小説に反映されているはずだし、またされていてほしいと思います」と。それと近しい意味で、東京の『路上』で繰り広げられたことを辿りながら歩くことで、藤田さんの新作に何か反映されるものがあったらなと思ったんです。

藤田 『ねじまき鳥クロニクル』も、ただ仕事を引き受けたわけじゃなくて、あの作品なら今の自分にハマると思ったんですよね。テーマとして今の自分とズレてないなと思ったのは、やっぱり“東京”だったんです。あれは大きいプロジェクトだったから、自分が描きたいところを描けないもどかしさもあって。『ねじまき鳥クロニクル』の中に暗渠をテーマにした章があって、もうそこにはない川のことを描いてるんだけど、それが面白いなと思っていて。そのシーンを舞台で描かなかったことについて、それはそれで納得してるんだけど、僕はちょっと描きたかったんです。それこそ『路上』(「六月」)で歩いた小石川あたりは、かつてそこに流れていた川で材木を運んでたりしたんだろうけど、もう流れなくなった川っていうのは東京の面白い部分だなと思っていて。『ねじまき鳥クロニクル』では、ほぼ一晩限りの女性と暗渠について話すシーンがあるんだけど、その子は福島出身の子で、福島の暗渠について話すんですよ。その部分が一番グッときたんです。『CITY』は大きい善とか悪とか、そういうところに手を伸ばそうとした作品だったから、ここがどこなのか、ここがかつて何だったのか、そういうところまで行けなかったような気がする。そこに行こうとしたら、描けなかったことっていっぱいあるから、『CITY』では行かなくてよかったと思うんだけど、もうちょっと細かいことをやれたらとも思っていて。それで毎月細かすぎる作業を、毎月橋本さんとやっている感じがありますね。

 

<かつて川があった小石川>

 

歴史の地層から立ち上がるフィクション

 

橋本 これは『cocoon』のことを考えているときにも言えることなんですけど、過去に対して想像力を働かせようとするときに、どうしても1945年でストップしてしまいがちなところがあって。「戦争」ということを考えるときに、太平洋戦争のことばかり思い浮かべてしまうのもそれに近いんですけど、そこにフォーカスを当て過ぎてしまうと、それよりさらに過去の時代についてはあまり見えなくなってしまうところがあって。この『路上』は、当初は『cocoon』のツアーと併走するように進められるはずだったということもあって、75年前よりもっと昔から続くうねりのようなものについても、考えたいなと思ったんです。
たとえば荻窪を歩いたときも、そこまで言葉にしてしまうと説明的になり過ぎるから書き加えられなかったんですけど、1925年に荻窪に中島飛行機の工場がつくられるんです。そこに飛行機の工場があったということで、マリアナ基地を飛び立ったB29が最初に空襲したとき、ターゲットになったのが荻窪なんですよね。

藤田 ああ、そうなんですね。

橋本 1925年って、学校で習う日本史で言うと、普通選挙法とセットで治安維持法が制定されて、戦争に向かっていく道筋ができてしまった年として教えられますよね。でも、それだけじゃなくて、飛行機の工場が作られたり、あるいは学校に軍人が赴任して軍事教練を行うようになったりした年でもある。沖縄戦で指揮を執っていた牛島満中将も、中学校に派遣されて軍事教練をするんですけど、伝記みたいなものを読むと「温かい人柄でこどもたちに人気だった」みたいに書いてあるんですよ。そうやって歴史を遡っていくと、ある一つの出来事がきっかけで戦争が始まったわけじゃなくて、いくつもの線がつながったことで今の歴史があるんだな、と。その線の中には、今の時代につながっている線もあれば、どこかで途絶えてしまった線もあって、東京の街を細かく歩いていくと、いろんな線が見えてくるだろうなと思ったんですよね。

 

<荻窪北口駅前商店街>

 

藤田 そうそう。それを橋本さんの文章を読むたびに思うというか。8月の「両国―浅草」でもインパクトのあることが書かれていたけど、実際にそういうことが起きたってことだけじゃなくて、こうなったかもしれないし、こうならなかったかもしれないってことの積み重なりなんだと思えたのが面白かったんですよね。これはちょっと演出的な話にもなるけど、歴史という地層があるっていうことが、面白いテーマになるんじゃないかと思うんです。『路上』は東京を舞台にしてやっているけど、どの土地にだってそういう地層があって。『てんとてん』で訪れたボスニアだって、内戦があった国だから、わかりやすくラインが引かれてたじゃないですか。ここまではイスラム教の影響力が大きかった時代に作られた街並みで、ここからは社会主義時代に作られた街並みで、ここから先が新しい街並みだ、っていう。そうやって街がラインまみれになってるんだけど、「それはなんでそうなっていたのか?」っていう解像度を上げていく作業が演劇の中でやれたら面白いんじゃないかと思ってます。

橋本 それを観るのが楽しみですね。僕はあくまでドキュメントとして――この企画における「ドキュメント」の意味も特殊だなと思うけど――「東京の街並みの中に、こういう地層が事実として存在する」ということを手渡すわけですけど、そのドキュメントをフィクションに立ち上げると、全然違ったものが見えてくると思うんです。だから、「こんな地層もあるよ」という事実を、毎月藤田さんに手渡すだけ手渡して、その中から藤田さんが何を拾い上げるのかが楽しみというか。

藤田 2015年と2018年に上演した『書を捨てよ町へ出よう』でも東京を描いたけど、演出とか創作って、何を描くかということよりも、何を描かないかを決める時間のほうが多くなるときがあって。そこは、あえてこういう言い方をするけど、ある意味では歴史をいきなり改竄する人と同じぐらいのマインドになるときもあるんです。たとえば、関東大震災のあとに東京を復興させた人がいるわけだけど、その人はある意味では都市に“編集”を加えているわけですよね。いろんな編集のもとに、東京という都市がある。演劇っていうボードにも同じことが言えて、橋本さんのテキストの中から、限られた上演時間の中で何を選ぶかって作業をすることになると思うんだけど、その“編集”っていうのは、この企画を経る前と経た後とで違ってくるような気がします。実際に路上を歩いているし、時間もかけている企画だから、自分自身に期待してるんだけど。僕の戯曲のほうでは能力者みたいなことばっか書いてて、自分自身、何やってるかわかんなくなるときもあるけど(笑)

橋本 ほんと、『週刊少年ジャンプ』の世界ですよね。たぶん誰も気づいてないことだけど、この企画はこれまで最終月曜日に更新してきて、その曜日を月曜日にしてるのは『ジャンプ』の発売日のイメージがあるからだっていう。

 

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