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烏鎮公演レポート2019

てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。
そのなかに、つまっている、 いくつもの。
ことなった、世界。および、 ひかりについて。

2019/12/15

 「昔は思い出って言葉が好きじゃなかったんです」。稽古場からの帰り道に立ち寄った居酒屋で、藤田君はビールを飲みながらそう切り出した。「記憶ならわかるんだけど、思い出って言うとほわっとしたものになるのが違和感だったんです。でも、最近は『思い出ってあるよな』と感じるようになったんですよね。それは僕がおっさんになったってことで済ませてもいいのかもしれないけど、それだけじゃない気がする。今思うと、チリで過ごした時間のこととか、ほんと思い出だなって感じるんですよね」

 

2014年、サンティアゴ

 

 チリを訪れたのは、今から6年前のこと。『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』(以下、『てんとてん』)を上演するべく、首都・サンティアゴを訪れたのだった。

 

「最近になって考えるようになったのは、懐かしいと思うから行く場所ってあるんだろうなってことで。自分がどういうときに実家に帰りたいと思うかっていうと、『あの風景をもう一度確かめたい』ってときで。結局、それで実家に帰ったことは一度もないんだけど、そうやって『あの風景をもう一度確かめたい』って気持ちは、『てんとてん』って作品をこんなにやり続けてることに繋がっている気がしますね」

 

『てんとてん』は、マームとジプシーが初めて海外で上演した作品だ。2013年の春にフィレンツェで上演されて以来、毎年のように上演されてきた。こんなに長くにわたって上演されてきたのは、マームとジプシーの作品の中で、『てんとてん』だけだ。2017年に豊橋で上演されたのを最後に、しばらくあいだが空いていたけれど、201910月、中国の烏鎮という街で上演されることになった。

 

 

 烏鎮は「東洋のベニス」と称される都市だ。2007年に「烏鎮西柵景区」がオープンし、昔ながらの街並みが再現されたエリアが誕生した。ここは入場料のかかるテーマパークのような場所であり、区画の入り口は団体客で溢れ返っていた。ホテルにチェックインを済ませ、制作を担当してくれる呉珍珍さんに連れられて劇場を目指す。2015年秋、マームとジプシー『カタチノチガウ』が北京で上演されたときも、彼女が制作を担当してくれており、4年ぶりの再会だ。

 

 今回『てんとてん』が上演されるのは、烏鎮西柵景区の中にある「烏鎮大劇院」のスタジオシアターである。『てんとてん』を招聘してくれたのは烏鎮演劇祭、今年で7年目を迎えるフェスティバルだ。『てんとてん』と同じ日程で、劇場の大ホールではロシアのカンパニーによる『三人姉妹』が上演されており、バックヤードは多くのスタッフが行き交っている。劇場に到着すると、現地のテクニカルスタッフと自己紹介をして、すぐに仕込みが始まった。舞台上に運び込まれた小道具の中には、テントが含まれている。

 

烏鎮大劇院

 

 『てんとてん』という作品について、少し説明しておく。舞台となるのは小さな町で、登場人物たちはそこに暮らす中学生である。ある日、この町で事件が起こる。3歳の女の子が殺されて、裸のまま用水路に浮かんでいるのが発見されたのだ。その事件を受けて、“あやちゃん”という登場人物は、彼女の中に鬱積していた何かが決壊したように家出をして、森の中でキャンプを始める。それは、彼女が卒業を目前に控えた、中学3年生の春だ。彼女たちが中学3年生になったのは、2001年であることが劇中で言及される。

 

 『てんとてん』には、皆が中学生だった2001年だけでなく、2011年という時間軸も描かれてきた。“あやちゃん”が森の中でキャンプをしていた頃から10年が経ち、大人になった“しんたろうくん”は、ビデオを片手に、再び森の中を訪れる。そこには同級生だった“はさたにくん”や“じつこちゃん”も一緒だ。最初に上演された頃のバージョンでは、2011年の春に「この町の、この土地の地面は、大きく揺れた」という台詞も存在していた。

 

 旅が始まった年、フィレンツェで記者会見が開かれたとき、藤田君はこう語っていた。

 

「今回の作品は、2001年の911日っていう日があって、その10年後、2011年の311日に地震があって、そこから2年経ったところに現在がある――この時間軸で描こうと思っています。その時間軸を行ったり来たりして、リフレインする作品ですね。そこで悲劇的な出来事扱ってはいるんだけど、その悲劇と、僕らの生活/日々/現実みたいなものの距離を描きたいんですね。悲劇は悲劇としてあるんだけど、僕らはそれとはちょっと無関係なところで生きていたりする。悲劇は悲劇として、悲しいとは思うんです。だけど、僕らは普通にものを食べたり、生活をしたりしてるわけですよね。だから、悲劇が可哀想だってことを描くんじゃなくて、その距離を描きたいと思っています」

 

2013年、フィレンツェ

 

 海外公演でさまざまな都市を訪れるたびに、藤田君に向けられていた質問がある。それは「日本のゼロ年代の作家」についての質問だ。それを問われるたびに、藤田君は「僕はゼロ年代の作家ではなくて、2010年代の作家だと思っている」と強調してきた。自分は2011年に発表した作品で岸田國士戯曲賞を受賞した作家であり、ゼロ年代の作家とは、たとえば戦争に対する距離感も違っていると思う――と。そのやりとりは烏鎮でも繰り返されたが、その2010年代が終わろうとしていることに気づいてハッとする。さらに言えば、『てんとてん』で取り上げられている2001年という時間軸がもう18年前の出来事であり、あのとき生まれた子が高校3年生になっているということにもハッとさせられる(しかし、人はどうして「あのとき生まれた子がもう×歳か」と考えてしまうのだろう)。

 

 『てんとてん』では、“しんたろうくん”がこんな言葉を口にする。

 

あの日は、、、たしか、、、日本の時間でいうと、、、けっこう、、、夜で、、、、、、

ぼくは、、、たしか、、、風呂あがりで、、、アイスとか、、、食べながら、、、、、、

ソファで、、、くつろいでいて、、、それで、、、テレビつけて、、、

つけたとこが、、、ちょうどニュース番組で、、、、、、

それを見ていたら、、、突然、、、なにかの中継の、、、映像に切り替わって、、、、、、

その映像には、、、日本じゃないどこかの国の、、、ビルが映っていて、、、、、、

そのビルには、、、さっき、、、、、、飛行機が、、、一機、、、突っ込んだらしい、、、

との報道がされていて、、、、、、

で、、、ぼくが、、、なにこれってことで、、、見ていたら、、、

さらに二機目が、、、、、、そのビルに突っ込んで、、、それがこの、、、、、、

 

 中国において、このシーンで語られる言葉はどんな響きを帯びるのだろう。あれは何日目だったか、制作スタッフと藤田君とで食事に出かけたとき、呉さんにそのことを尋ねてみた。

 

 「あの当時、私は全寮制の高校に通っていて、テレビを観れるのは週に1回くらいだったんです」と呉さんは答えてくれた。「それで、朝起きたら、皆がそういう出来事があったと話していて。嘘だろうと思っていたら、それは本当のことで。それがどれぐらい大変なことなのか、すぐには実感できなかったんですけど、中国ではセキュリティチェックが厳しくなったんです」

 

 

 同時多発テロが起きると、アメリカのブッシュ大統領は「テロとの戦い」を宣言した。共産党による一党独裁が続く中国では、「テロとの戦い」が内側に向けられた側面がある。今回の滞在で苦労したのは連絡手段だ。2015年に北京を訪れたときには、そんなに苦労した記憶もなく、ここ数年のあいだに規制がますます厳しくなっているのだと実感する。

 

 『てんとてん』という作品を、2013年からずっと観続けてきた。フィレンツェ、サンティアゴ、橋本、サラエボ、ポンテデーラ、アンコーナ、メッシーナ、ケルン、新宿、ソウル、新潟、豊橋と巡り、ここ烏鎮で『てんとてん』を見つめていると、この6年のあいだに、世界はすっかりずたぼろになってしまったような心地がした。

 

「この作品に取り組むのは2年ぶりだけどさ、そのあいだにも色々あったじゃないですか」。烏鎮公演に向けて場当たりを進めていたとき、藤田君が俳優の皆に向かってそう切り出した。

 

 

 『てんとてん』で描かれる、3歳の女の子が殺されて用水路に遺棄された事件というのは、2011年の春に起きた事件がモチーフになっている。それ以降も、小さな女の子が殺害される事件は何件も起こり続けてしまっているし、悲劇は繰り返されている。そうした事件を耳にするたび、『てんとてん』の終盤で“さとこちゃん”が語る台詞を、僕は思い浮かべてきた。

 

わたしなんていう“てん”はありとあらゆる幾ばくの、、、、、、

夥しい数の無数のてんのなかの、、、、あるひとつのちっぽけな“てん”にすぎない、、、、、、

でもどんなにちっぽけだって、、、いろんな記憶が、、、

わたしのなかには、、、つまっている、、、あのこにだって、、、あのこにだって、、、、、、

 

 「こないだの京アニの事件とかもそうだけど、『ひとつのちっぽけな“てん”の中にも、いろんな記憶や生活がある』ってことが無視されるタイミングがあると思うんだよね。ただ、そういうことが起きているってことを知るのはあとになってからで、『そのときはわからなかった』ってことだと思うんだよ。“さとこちゃん”はこの芝居を通じて『わからない』って言葉を何回か言ってるけど、それは『わからない』って処理の仕方をしてたってことだと思う。『わからない』とか『仕方ない』とかってことで済ませてしまっていたことが、数年後にわかってきてしまったり、整理されて浮き彫りになってしまうことってあると思う」

 

 藤田君の後ろ姿と、その言葉に聞き入る俳優の皆の顔を見つめながら、僕は2015年の夏の終わりに訪れたケルンのことを思い出していた。それまで『てんとてん』で旅してきた都市の中でも、移民と呼ばれる人たちの姿を目にする機会が格段に多かったけれど、それが分断を生むのでもなく、うまく融和しながら日々の営みが行われているように感じていた。ケルンで何より印象に残っているのは、千秋楽を迎えたあとに皆で訪れたケルン大聖堂で、そこには穏やかな時間が流れていた。だからこそ、わたしたちがケルンを訪れた数ヶ月後、大聖堂の前で暴動が発生したと知ったときには衝撃を受けた。その土地に触れながら旅を重ねてきたようなつもりになっていたけれど、そこで蠢いていることに何も気づけていなかったのだ、と。

 


2015年、ケルンにて

 

 そんなことは、考えてみれば当たり前のことだ。わたしたちは、身のまわりの世界のことだって、ほとんどのことを見過ごして生きている。すべての出来事に立ち止まっていては生活が成り立たず、藤田君の言う通り、「わからない」とか「仕方ない」とかってことで処理してしまっている。そのことは、まさに『てんとてん』で扱われているモチーフでもある。森の中でキャンプを始めた“あやちゃん”に対して、小学校からの友達である“さとこちゃん”は、「何故あやちゃんはわたしたちに、今までそういうこと相談してくれなかったんだっていうね、いや、普通に傷つくよね」と詰め寄る。そしてこんな言葉を交わす。

 

[  さとこ  ] なんか、、、すげー、、、もやもやするわ、、、、、、

[  あ や  ] だってさあ、、、あのさあ、、、

あのこのさあ、、、こととかさあ、、、あるのにさあ、、、、、、

[  さとこ  ] は、、、なに、、、

[  あ や  ] いや、、、、、、

[  さとこ  ] なになに、、、あやちゃんのこれとあのこのことが関係あるっていうわけ、、、? どういうこと、、、

 

 そして、“あやちゃん”が語っていたことを振り返り、“さとこちゃん”は「どういうことだろう。なにが関係あったのだろう。あやちゃんはたまに、まるですべてがつながっているような」と口にする。多くの人は、この世界で起きたことに胸を痛めたとしても、“あやちゃん”のように森の中でキャンプを始めることはできず、日々の生活の中にいる。そうしていろんな出来事をやり過ごしているうちに、世界はすっかりずたぼろになってしまったように思えてくる。

 

2013年に『てんとてん』を描いた頃は、2001年のことや2011年のことにとらわれていた部分があるんだけど、いよいよ2019年になってみると、次に訪れる大きい何かの予感がすごいするんですよね。別に何かを予言したいわけではないんだけど、思い出すだけではないんだろうなって感じがあるんです。あと何十年か生きるんだとしたら、そういうことってまだ数回訪れるんだと思うし、そういうときのために記録ってあるんだなと思う部分もあって。それが何の教訓になるのかも全然わからないし、教訓にならなくたっていいんだけど、何かが起こることに備えてるから、過去を振り返る作業がある気がする」

 

 

 藤田君がそんなふうに語っていたのは、烏鎮公演の初日の幕が上がる数時間前のことだった。水路のほとりにあるカフェでビールを飲んでいると、大量の布を積んだ小舟が通り過ぎてゆく。テーマパークのようになっているけれど、まだ水路が水路として使われているらしかった。

 

 そんな風景を目の当たりにして、藤田君は「夢みたいだ」と爆笑している。「最近マジで寝てないから、この風景が夢としか思えない」と。ほとんどの時間を稽古場と劇場で過ごす藤田君にとって、日常風景が夢であり、舞台上の風景が現実なのかもしれない。そんなことを思いながら劇場まで引き返し、102521時、烏鎮公演の初日を観た。

 

 2013年から『てんとてん』をずっと観続けてきたけれど、今年になって初めて思い浮かんだことがある。それは、作品に登場する6人の中学生が、学校の中でどんな存在だったのかということだ。

 

 “あやちゃん”が家出をしたことを受けて、「次の日の学校は、あやちゃんの話題で、持ちきりだった」と劇中では語られている。実際、登場人物たちは朝からずっと“あやちゃん”のことを心配しており、その行方について騒々しく話し合っているのだが、そんなふうに騒いでいるのは登場人物たちだけで、この作品で描かれない人たち――クラスメイトや教師たち――は、案外いつもと変わらず過ごしているのではないかと思えてきたのだ。

 

開場直前の舞台

 

 「今年の上演を観てて思ったのは、皆、混乱してる感じを出すのがすごくうまいなと思ったんですよね」。終演後、藤田君はそんなふうに語っていた。「演じるのがうまいとかっていうのは、役者さんなら皆できると思うんです。そうじゃなくて、今起きている出来事はどういうことなのか、今ってどういう時間なのか、僕以上に翻弄されて混乱してる感じがして。2013年から比べると、世界の状況も全然変わってきて、具体的だったはずのことが漠然としてきたり、漠然としてた怖さが具体的になってきたりしてるじゃないですか。そんな世界に自分がいるってことについて、すごく翻弄されてる感じがあるんですよね。その混乱っていうのは、この世界の誰もが感じていることではない気がするんです。“あやちゃん”っていうのは特に混乱しなきゃいけない役だし、“あやちゃん”が起こしたアクションに対して他の皆が混乱するんだけど、その混乱っていう部分が旅を続けている理由な気がします」

 

 “あやちゃん”の「混乱」とは何であるのか、詳しく立ち入って考えてみる。彼女は、3歳の女の子が殺害される事件が起きる前からずっと、自分自身が送っている毎日に疑念を抱いていたことが劇の中盤で語られる。

 

わたしの家が、、、、、、ひとつの「てん」だとして、、、、、、

だとしたら、、、わたしが通っている学校も、、、、、、ひとつの「てん」である、、、、、、

わたしは毎日、、、この「てん」と「てん」を、、、、、、行き来している、、、、、、

・・・・・・

というか、、、わたしなんて、、、、、、さいきんはこれっぽっちで、、、、、、

「てん」と「てん」をむすぶ、、、、、、たった一本の「せん」、、、、、、これのみである、、、、、

 

 そんなふうに過ごしているのは「わたし」だけでなく、皆も「これだけの行動範囲のなかで、つよがったり、えばったり、だれかを攻撃したり、自分のことを守ったり、とてもちいさなことにむきになったりして、そうやって自分を保っている」のだと“あやちゃん”は続ける。このモノローグと交差するように、スカートが短い女子に対して、先生がやらしい視線を向けていた話が語られる。あるいは、“あやちゃん”の前の席にいる、つむじがいくつもある子が、皆と違っているというだけで、背中にコンパスで穴を開けられたことが語られてもいる(こういう言葉が配置されていることも、そんな教師や同級生たちが“あやちゃん”の家出を真剣に心配するだろうかと考えてしまった要因でもある)。

 

 学校という空間において、「先生と呼ばれるオトナたちは、だれひとりとして似ていないわたしたち、コドモを、みんな均一に数値化して管理しようとする」。そのことに混乱し、動揺する“あやちゃん”は、どんどん考えを膨らませていき、こんな言葉にたどり着く。

 

なにもかもが、、、違和感だった、、、、、、

こんなちっぽけな、、、学校で、、、、、、

こんなちっぽけな、、、町で、、、、、、

こんなちっぽけな、、、日本で、、、、、、

わたしは、、、これからも生きていかなくてはいけない、、、、、、

こんな「立体」のなかに、、、、、、「ひかり」なんてない、、、、、、

こんな「立体」のなかに、、、、、、「ひかり」なんてない、、、、、、

 

 あらためて書き出してみると、よくこの“あやちゃん”の台詞に上演許可が下りたものだと――人間をひとつの「てん」と見做して管理しようとするこの国で発語することが許されたものだと――不思議な心地がする(彩の国さいたま芸術劇場にあるスタジオで稽古を重ねていたとき、藤田君も「かなりのことを言ってると思うんだけど、よくOKが出たよね」と漏らしていた)。実際、“あやちゃん”が上に引用した台詞を語るあたりでは、身を乗り出すように舞台を見つめている観客も数多く見受けられた。

 

 ただ、その一方で、初日の公演では途中退席する観客も少なからずいた。終演後、すぐにバックヤードに向かってみると、俳優の皆と藤田君がもうすでに話し合っているところだった。

 

 

 「別に帰られたことを気にしてるわけじゃないんだけど、途中、もたついた感じがしたんだよな」と藤田君が言う。どうすれば修正できるのだろう。そんなことを考えたまま、フェスティバルのオープニングレセプションの会場に移動することになった。あまりにもラグジュアリーな空間に気圧されたまま夜は更け、次の朝を迎える。

 

 

 「やっぱり、ほんとに一瞬だったなってことだと思うんだよね」。稽古の冒頭、藤田君はそう語り出した。「振り返ってみたときに、それは一秒未満のことでしかなかったなってことってあると思うんだよね。その、時間の素っ気なさとか、時間が過ぎ去っていくだけだったっていうことを考えたときに、(台詞と台詞のあいだに間を)置いてしゃべるっていうよりも、速いテンポで言葉が交わされるほうがむしろ僕は切ないなと思うんだよね」

 

 藤田君が指摘しているのは、ひとつには、“あやちゃん”のキャンプに登場人物全員が集まっているシーンのことだ。この場面は、プロローグで描かれたあと、終盤でリフレインされる。そしてそこには、プロローグでは語られなかったことが“しんたろうくん”(=戯曲における「オノシマ」)によって語られる。

 

 

[オノシマ] うっせ、、、、、、もういいや、、、、、、おれ、、、帰るわ、、、、、、

[  あゆみ  ] 帰れ帰れー、、、、、、

[オノシマ] じゃあな、、、、、、

 

・・・・・・(――オノシマ、去る)

 

[オノシマ] ここは、、、森のなか、、、

ぼくは、、、ぼくらは、、、森のなかにいた、、、耳を澄ませていた、、、、、、

 

・・・・・・

 

[ハサタニ] あいつ、、、あやちゃんのこと、、、、、、好きなんじゃないの、、、、、、

[  あ や  ] は、、、なんで、、、、、、

[  あゆみ  ] なんかでも、、、それ、、、言えてるかもー、、、、、、

[ハサタニ] 間違いないわ、、、、、、

[  あゆみ  ] はは、、、ウケるー、、、、、、

[  あ や  ] 気味悪いわ、、、、、、

 

・・・・・・([オノシマ] あやちゃんとは、、、、、、)

 

[ハサタニ] じゃあ、、、おれも行くわ、、、、、、

[  あ や  ] うん、、、、、、

 

・・・・・・([オノシマ] あやちゃんとは、、、、、、)

 

[  じつこ  ] わたしも、、、じゃあ、、、、、、

[  あ や  ] じゃあねー、、、、、、

 

・・・・・・([オノシマ] あやちゃんとは、、、、、、)

 

[  あゆみ  ] じゃあ、、、わたしも行くね、、、、、、

[  あ や  ] ああ、、、、、、うん、、、、、、

[  あゆみ  ] じゃあね、、、、、、気をつけてね、、、、、、

[  あ や  ] うん、、、、、、

 

・・・・・・([オノシマ] あやちゃんとは、、、これで最後だった、、、、、、)

 

 “あやちゃん”のテントから去ってゆくとき、登場人物たちは簡単に言葉を交わすのみで、また明日も今日と同じように会えるものだと疑わずにいる。でも、“あやちゃん”に会うことができたのは「これで最後だった」のだ。

 

 「この作品は、その刹那のことをやっているわけだよね」。藤田君が続ける。「これってつまり、何も手が届かなかった人たちの話じゃないですか。だから皆、ひとことひとこと何かしら言おうとしてるし、僕も死んでしまった誰かに声をかけるようにテキストを書いているんだけど、結局声をかけれてないから、こういう作品ができてるんだと思うんだよね。唐突に人にいなくなられるっていうのは、結局そういう終わり方だったよねって思うんだよ。それは自殺だけじゃなくて、震災だってそうだし、何だってそうだと思うんだけど、その感じは時間をもっと凝縮したほうが出ると思うんだよね。昨日、なんかもたついたなと感じたのはそこだと思う」

 

 

 台詞が発語されるとき、ところどころで間が生じるようになっている――それは場当たりを観たときから感じていたことだった。それはきっと、『てんとてん』という作品で描かれていることについて、いろんな土地を旅しながら考えてきたことが積み重なっているからだろう。

 

 「『てんとてん』を取り組み出すと、役者の皆の中にいろんな土地の記憶があるんだろうなと思うんですよね」と藤田君。「橋本さんはわかると思うけど、僕は結局のところ、役者の皆ほど町を歩いてないじゃないですか。でも、役者の皆は町を歩いて、皆の目で見てるんだと思うんです。もし新作をやるんだとすれば、僕はその目のことをあんまり信じないんですよ。まずは自分が見たものとか、自分が抱えてるものが新作になると思ってるから。でも、『てんとてん』に関しては、皆の目を信頼できるんですよね。中国って土地にきたときに、僕が直接伝えなくても、役者の皆が感じてることがあるはずで。それをフィクションに反映させろとは言ってないんだけど、やっぱり滲み出てるものがあって、それが面白いんですよね」

 

 自身でそう語っている通り、今回の中国滞在でも、藤田君はあまり町を歩く時間を持てずにいた。滞在初日、テクニカルスタッフが仕込みに取りかかると、藤田君はホテルに戻り、部屋でひとり締め切りに追われていた。

 

 仕込みが行われているあいだは舞台上を使うことができず、俳優の皆は待機することになる。この時間を使って、俳優の皆はいつも町を散策してきた。舞台上に設置するテントを固定する石を探すべく、到着したばかりの町を、いつも決まって歩いてきたのだ。

 

 

「イタリアツアーのときは、石じゃなくて木を拾ってくることが多かったよね」

「森の中ってことを重視するなら、木でもいいよね」

「ポンテデーラのときのさ、丸太はかなり良かったよね」 

「ああ、劇場の裏で見つけたやつだよね?」

「そう。あれが最高傑作かな。でも、豊橋もよかったよね。――日が暮れてきてる。“あやちゃん”がいそうな暗さだね」

 

 俳優の皆は、そんなふうに言葉を交わしながら町を歩いてゆく。ただ、テーマパークのように整備されている場所だからか、重石に使えそうなものは転がっていなかった。しばらくひと気のないエリアを歩いていたが、突然視界が開けて、観光客で溢れたエリアにたどり着く。「違う星にたどり着いたみたいな感じがする」と、“あやちゃん”を演じる荻原綾さんがつぶやく。

 

 そんなふうに石を探して歩いたくらいで、その土地のことを知った気になれるはずなんてないけれど、限られた時間の中で手を伸ばそうとしてきた。そんな時間を、『てんとてん』という作品を通じて積み重ねてきたように思う。だからこそ生じた間を、藤田君はネジを締めるようにひとつひとつ修正してゆく。

 

「(森の中でキャンプをしている“あやちゃん”の元に皆がやってくる)シーンをリフレインするときに、僕らは2013年からずっとそのシーンに取り組んできたから、『1時間も前にやったシーンですよね』ってなっちゃってる気がするんだよね。でも、当たり前の話だけど、観客は僕らよりもこの作品に携わってる時間が少ないから、僕らが感じるほど時間が経ったようには感じてなくて、『ああ、ついさっき観たシーンだ』って感じてると思うんだよね。だから、観客の体感としては同じシーンを観てる感じになってるんだと思う。観客が過ごしている時間と僕らが過ごしている時間が違っていて、観客は『さっきと同じ字幕を見てる』ってことになっちゃうから、そこは拍車をかけていったほうがいいと思う」

 

 

 稽古の時間を経て、102615時、マチネの公演が始まる。初日とは打って変わって、途中で退席する客もおらず、カーテンコールは拍手が鳴り止まなかった。

 

「ちょっとのことで、全然違うな」。終演直後の楽屋で、藤田君はしみじみそう語っていた。「稽古のときにも言ったけど、観客が作品を観ながら過ごしている1時間40分っていうのは、僕らが上演することに一生懸命になってる1時間40分とは全然違うんだっていうのは発見だった。でも、それは全然悪いことじゃなくて、『あなたとわたしは実は違うんだよ』って言えることが、演劇のよさでもあると思うんです。役者と演出家も違うし、演出家と作家も違うし、違う脳みそが何個もあって、すごくいびつなまま成立しているのが演劇な気がするんですよね。僕らが2013年から取り組んできたからといって、『2013年からやってきたんですよ!』と押し付けがましくやれるわけもなくて。だから、その意味でも、ほんとにこの作品のタイトル通りだなと思いますね」

 

『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』――作品のタイトルとなっているこの言葉は、世界に違和感を抱き始めていた“あやちゃん”が、おまじないのようにノートに繰り返し書きつけて、ページを埋め尽くそうとしていた言葉だ。もう一度、“あやちゃん”が語っていたことを振り返ってみる。

 

なにもかもが、、、違和感だった、、、、、、

こんなちっぽけな、、、学校で、、、、、、

こんなちっぽけな、、、町で、、、、、、

こんなちっぽけな、、、日本で、、、、、、

わたしは、、、これからも生きていかなくてはいけない、、、、、、

こんな「立体」のなかに、、、、、、「ひかり」なんてない、、、、、、

こんな「立体」のなかに、、、、、、「ひかり」なんてない、、、、、、

 

 このモノローグに続けて、“あやちゃん”はこんな言葉も口にする。

 

わたしは、、、、、、この閉じた「立体」から、、、、、、逃げだそうと、、、準備をしていた、、、、、、

この閉じた「立体」から、、、逃げだして、、、、、、わたしは、、、、、、わたしは、、、、、、

 

 “あやちゃん”は、“しんたろうくん”に手伝ってもらって家出をして、森の中でキャンプを始める。それはつまり、ちっぽけだと感じていた「立体」から無事に逃げ出すことに成功したように見える。でも、彼女は自ら命を絶ってしまう。彼女はなぜ、「ひかり」を見出すことができなかったのだろう。それは、彼女がまだ中学生だったからだろうか?――でも、大人になってからだと、閉じた「立体」の「外側」に抜け出ることは余計に困難を極めるように思われる。

 

 今年の『てんとてん』を観ていて、改めて感じたことの一つは、登場人物たちがよくしゃべるということだ。もちろん演劇作品だからダイアローグがたくさん登場するのは当たり前なのかもしれないけれど、それにしたって中学生時代の登場人物たちはよくしゃべる。そんなことを指摘すると、「いや、こどもたちってめっちゃしゃべりますよ」と藤田君が笑う。「こないだもこども向けのワークショップがあったんですけど、ほんとにしゃべるの好きなんだろうなと思いますね」と。

 

 もちろん個人差があるとはいえ、こどもたちがそんなにしゃべっているのに比べて、大人の世界、たとえばラッシュ時の通勤電車があんなにも無言であるのは一体どういうことなのだろう。大人になっていくなかで、言葉を発することを封じてしまうのだろうか?

 

 そんなことを考えていると、2015年、『cocoon』を再演する前に皆で訪れたふたつのガマのことが思い出された。それは、194541日に米軍が上陸した沖縄島西海岸から程近い場所にある、チビチリガマとシムクガマだ。

 

 シムクガマにて

 

 米軍が上陸すると、読谷村波平地区に暮らす住民たちは、ふたつのガマに逃げ込んだ。チビチリガマでは、「鬼畜」と教え込まれた米兵から残虐な仕打ちを受けることを恐れた住民たちが、集団自決をおこなった。もう一方のシムクガマにはハワイ帰りの住民がおり、「アメリカ人は人を殺さないよ」と周りを説得し、1000名近い人びとを投降へと導いた。閉じた「立体」の外側を見出すことができた人と、できなかった人の差は一体どこにあるのだろう。もちろんハワイ帰りだというのは大きな要素ではあるのだろうけども、ハワイ帰りの人がいれば必ず投降することができたということでもないように思われる。

 

 『cocoon』は、ひめゆり学徒隊に着想を得て、今日マチ子が描いた作品だ。それがマームとジプシーによって舞台化されたとき、最後にひとり生き残ったサンはこんな言葉を口にして、舞台は終幕する。

 

マユが、、、羽化して飛んでいくのを、、、想像した、、、

それは、、、すごく鮮やかな色をしたものだった。

目を開けると、、、まだ、、、わたしは、、生きていた、、、、、、

繭が壊れて、、、わたしは羽化した、、、

羽があっても、、、飛ぶことはできない、、、

だから、、、

生きていくことに、、、した、、、

生きていくことに、、、した、、、、、、

 

 彼女はなぜ、「生きていくことにした」と思えたのだろう。そのことを、舞台を観終えたあとからずっと考え続けている。同級生たちが皆死んでしまって、焼け野原になってしまった世界で、なぜ「生きていくことにした」と思えたのだろう(話が逸れてしまうけれど、そのことを考え続けていることもあって、僕は今も沖縄を――戦後のあゆみを象徴する那覇の公設市場界隈を――取材している)。

 

『cocoon』(2015)

 

「あそこでサンが『生きることにした』って言うのは、ほんとにすごいことだと思うんです」と藤田君は言う。「サンは生き延びて、もしかしたらこどもを産んだのかもしれないけど、そんな世界でこどもを産んだって、ほんとにすごいことだと思うんですよね。それを(『cocoon』でサンを演じた)青柳いづみに話したことがあるんだけど、青柳は『サンはそのことに対して、すごいとかもなかったのかもね』って言ってたんですよ。僕からすると、そんな世界にこどもを産むことってすごく怖いことなんだけど、戦争が終わったあと、そのことを許容していったからこどもが生まれて、今の世界があるわけじゃないですか。『cocoon』のときは、そのことまで考えられていなかった気がするんですよね」

 

 藤田君はずっと、こどもというモチーフを描いてきた。『てんとてん』で描かれるのも、そのほとんどはこどもという時代だ。だが、この『てんとてん』でイタリアツアーをしていたとき、『カタチノチガウ』という作品を書き始めた。その作品も、中盤まではこどもという時代を描いてるのだが、最後にはこどもを産んで親になった時代が描かれる。それ以降、藤田君が「新作」と形容した作品――『sheep sleep sharp』や『BOAT』や『CITY』では、大人になり、不条理な世界と対峙する姿が描かれる。そういった「新作」を経て、再び『てんとてん』に取り込んだことで、藤田君の中にも変化が生じたのだという。

 

2年前に『てんとてん』をやったときは、役者の皆に対して『大人っていう時間も忘れるなよ』ってことを思っていたんです。でも、今回は“しんたろうくん”以外をこどもって時間に封じ込めたし、ずっとこどもを演じてて欲しいなと思いましたね」

 

 ここまで触れてこなかったけれど、今の藤田君の言葉にあるように、今年の『てんとてん』には大きな変更が加えられていた。まず、2017年までのバージョンでは、舞台上にはテントは一張りしか存在していなかった。だが、今年のバージョンではテントが二張り置かれているのだ。

 

 

2年前に豊橋で上演したあと、漠然となんですけど、『てんとてん』はこれで終わるのかなって感覚があったんです。2013年にサンティアゴで話したように、『続ける理由がなくなったらこの作品を終わりにしたほうがいい』と思って旅を続けてきたけど、今がそのタイミングなのかもしれないなと思ったんです。だから、マームのミーティングでも『てんとてん』の名前を出さないようにしてたんですけど、1年くらい前に『てんとてん』をぜひ上演してほしいってオファーがあって、すごい嬉しかったんですよね。その話があった時点で、テントをもうひとつ追加したらいいんじゃないかってディティールが浮かんで、そこには大人になった“しんたろうくん”が野営してるんだろうなってイメージが湧いてきたんです。だから、今回のリハーサルはテントを手配して組み立ててみるところから稽古が始まったんですよね」

 

 こうしてテントが一張り追加されたことで、物語の構造は大きく変化することになった。先に触れたように、『てんとてん』では、皆が中学生だった2001年という時間軸と、大人になった“しんたろうくん”が“はさたにくん”や“じつこちゃん”と一緒に、再び森の中を訪れていた。だが、今年は“しんたろうくん”がひとりで森を再訪し、キャンプをしている設定に変更された。つまり、“しんたろうくん”だけが大人になった時間軸を演じることになったのだ。

 

 2013年の初演のとき、“しんたろうくん”とか“じつこちゃん”とか“はさたにくん”のことは大人になったあとのことも描いてたんですけど、“あゆみちゃん”は大人になってなかったんですよ。それは無意識にそうなっていたんですけど、それは何でなんだろうねって稽古場で話してて、ああ、死んでしまったのかなと思ったんです。それで、2014年に上演したときからは、“あゆみちゃん”が震災で亡くなったことにしたんです。でも今年は、震災で亡くなったとか、そういうことを言わないようにしたんです。“あゆみちゃん”が亡くなっているんだとしたら、“はさたにくん”だって“じつこちゃん”だって亡くなっててもおかしくないし、そこで誰が死んでしまったのかってことが重要ではないなと思ったんです」

 

 2015年に『cocoon』を上演した頃から、藤田君の作品には、過去・現在・未来という三つの時間軸が描かれてきたように思う。過去から見れば現在は未来であり、未来という時間は現在わたしたちが選択していることの延長線上にある――少なくとも藤田君が「新作」と定義する作品は、そうした時間感覚をもとに描かれてきたはずだ。でも、今年の『てんとてん』に加えられた変更によって、それとは異なる時間感覚にたどり着いたように思われる。

 

 そのためにもう一度『てんとてん』で描かれる時間軸を整理する。2017年までのバージョンで描かれてきたのは、まず、登場人物たちが中学生だった2001年が描かれる。それから10年が経って、何人かが森の中を再訪する2011年が描かれる。それに加えて、舞台の最後に、“さとこちゃん”だけが舞台が上演されている「今」に――それが2017年の上演であれば2017年という年に――辿り着く。『てんとてん』のラストの台詞を引用する。

 

 

目を、、、開けると、、、2017年だ、、、、、、

わたしは、、、わたしたちは、、、現在、、、という、、、てんに、、、

立たされているのかもしれない、、、

現在、、、という、、、てんに、、、、、、

現在って、、、てんの先にある、、、

ひかり、、、ひかりは、、、ひかりは、、、、、、ひかりは、、、、、、

 

 ここで「2017年」とある箇所は、2014年の上演であれば「2014年」に、今年であれば「2019年」となる。そこまでずっと2001年と2011年という時代が描かれていたところから、ラストに舞台の幕が破れるようにして、客席と舞台上とが同じ「現在」に辿り着くのである。逆に言うと、「現在」という時間軸に辿り着くのは“さとこちゃん”だけだった。

 

 だが、今年の上演は違っている。これまで、「現在(いま)」という言葉を発語するのは“さとこちゃん”だけだったが、さきほど引用したように、大人になってひとりで森の中を再訪した“しんたろうくん”も「現在(いま)」という言葉を口にする。つまり、“さとこちゃん”と“しんたろうくん”が、それぞれ別々に、「現在(いま)」に辿りついているのだ。

 

「そうそう、今年のバージョンは“さとこちゃん”がひとりじゃなくなったのがいいんですよね。これまでは“さとこちゃん”だけが矢面に立たされてたけど、そうやって客席だけに向かって言ってる感じじゃなくなったのが良かったなと思っていて。これは別に、『この演目が上演されているあいだにも、いろんな生活がある』みたいなことを言ってるわけじゃなくて、今この演目をやっている最中に、『この世界って何なんだろう』って思ってる人がどこかにいるんじゃないかなって思えるかどうかなんです。『僕らが上演している今この時間はスペシャルです』なんてことをやるのって、ほんとたやすいことなんですよ。そうじゃなくて、こんな演目がなくても、この作品の中で扱っているようなことを考えている人が世界のどこかにいるはずで。そういう誰かが、今この瞬間に、世界のどこかに何人かいるって思わないと、ひとり過ぎてやっていけないなって気持ちが年々増してきてるんですよね」

 

 今年の『てんとてん』には、藤田君のそういった感覚も反映されたのだろう。“さとこちゃん”と“しんたろうくん”は、それぞれ別々の場所にいて、それぞれ別々に過去のことを振り返りながら、「現在」という地点に立っている。こうしてパラレルに「現在」が描かれたことは、微妙な違いではあるけれど、これまでの『てんとてん』とは決定的に違っている。その違いは、これからの作品にも影響を及ぼすのではないかという気がした。「現在」という瞬間をパラレルなものだと捉えると、過去と現在と未来の関係というのも、直線的に繋がったものではなくなってくるはずだ。もっと言えば、リフレインというもののありようも変わってくるのではないか。これまで藤田君が作品でリフレインさせてきたのは、すでに起きてしまった過去の時間である。でも、パラレルな「現在」を前提とすると、ありえたかもしれない時間をリフレインを通じて思い描くことも可能になるのではないか。

 

 

10月27日、『てんとてん』烏鎮公演は千秋楽を迎えた。終演後、買っておいた地ビールを手渡し、藤田君と乾杯する。

 

「今年の『てんとてん』は、僕の作劇とはもはやちょっと離れてきてる感じがあって、それが面白かった」。藤田君はビールを飲みながらそう話した。「作品の中のキャラクターや物語は僕が描いたものなんだけど、昨日のソワレとかは特に、それだけじゃないものがあるように感じて、それが悪いことではないように思えたんですよね」

 

二日目のソワレ公演を、僕は2列目で観た。そんなに前の列で『てんとてん』を観るのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 

これまでずっと見続けてきたこともあり、今年あらたに変更を加えられたシーンはともかく、それ以外のシーンに関してはすべて、どのシーンで誰がどんな表情を浮かべているかまで、知っているつもりになっていた。でも、久しぶりに舞台に近い場所で観て、ハッとさせられた場面がある。それは、森の中でキャンプを始めた“あやちゃん”の居場所を突き止めて、“さとこちゃん”と“あゆみちゃん”がふたりでテントを訪ねていく場面だ。そのラストに、“さとこちゃん”はこんなことを語り出す。

 

 

[  さとこ  ] むかし、、、あれだよね、、、、、、

ここのちかくにさあ、、、、、、秘密基地つくったよね、、、、、、

いや、、、だから、、、、、、バレバレだよ、、、、、、わたしには、、、、、、

 

・・・・・・

 

[  さとこ  ] これ、、、やるよ、、、、、、

[  あ や  ] なにそれ、、、、、、

[  さとこ  ] パチンコだよ、、、、、、これで、、、身を守りな、、、、、、

[  あ や  ] ありがとう、、、、、、

[  さとこ  ] 狩りだってできるよ、、、、、、それがあれば、、、、、、

むかし、、、いじめたよね、、、リス、、、パチンコで、、、

 

ふたりがそんな会話を交わしているのを、“あゆみちゃん”は後ろから見つめている。その目は、友達の後ろ姿を見守るというよりも、どこか妬みに近い色彩を帯びていて、その姿にハッとさせられたのだ。そのことについて、“あゆみちゃん”を演じる成田亜佑美さんに尋ねると、「それはね、私も今年発見したの」と亜佑美さんは答えてくれた。「今年は私が演じる役が中学生に封じ込められたから、“あゆみちゃん”がどんな気持ちでふたりのことを見つめていたのかってことに、初めて気づいたんです」と。

 

 

“さとこちゃん”と“あやちゃん”は、小学校からの仲であり、小さい頃に森の中で一緒に遊んだ記憶を共有している。だが、“あゆみちゃん”はふたりと同じ小学校ではなく、中学校からの仲であり、その思い出を共有していない。自分が知らない話題を語り合っていることに対して、“あゆみちゃん”は観客がハッとさせられるようなまなざしを向けていたのだ。

 

“あゆみちゃん”の目がそうした色彩を帯びた場面がもう一度あった。それは、高校に合格して、町を出ていくことになった“さとこちゃん”に対して、“はさたにくん”がエールを送る場面だ。『てんとてん』では、第一志望の高校に合格したことを報告した“さとこちゃん”が、“あゆみちゃん”と言い合いになる場面がある。高校に合格したことで、「こんな町から出ていけることになって」「安心してるんだ」と言う“さとこちゃん”に対して、「わたしはさあ、でも、この町に残るよ」と“あゆみちゃん”が言い返す。「さとこちゃんが言う『こんな町』に残るよ、わたしは」と。

 

[  さとこ  ] こんな町に残ったってさあ、、、、、、

[  あゆみ  ] さとこちゃんにとっては、、、、、、そうなんだろうね、、、、、、

[  さとこ  ] うん、、、、、、

[  あゆみ  ] でも、、、わたしは、、、、、、この町から外の世界に出ていくことが、、、、、、イメージできないんだ、、、、、、

[  さとこ  ] そうなんだね、、、、、、

[  あゆみ  ] それはだって、、、出ていくのも、、、残るのも、、、、、、

ひとそれぞれじゃん、、、、、、

[  さとこ  ]  うん、、、、、、

[  あゆみ  ] なにが正しい、、、とかもないだろうし、、、、、、

なにを選択するか、、、、、、ってだけで、、、、、、

 

・・・・・・

 

[  あゆみ  ] さとこちゃん、、、、、、さとこちゃんは、、、、、、

このちいさな町から出ていって、、、、、、

どういう世界に、、、出会うの、、、、、、?

どういう世界に、、、出会うのだろう、、、、、、わからないなあ、、、、、、、

 

“あゆみちゃん”の目の色が変わった場面があるせいか、このシーンの印象も今年は少し違って見えた。彼女はほんとうに、「この町から外の世界に出ていくことがイメージできな」かったのだろうか?――そんな疑問が、今年になって初めて浮かんだ。彼女自身は、外の世界に出て行きたいと思っているけれど、家庭の事情であるのか何であるのか、何らかの事情でその気持ちに蓋をせざるを得ないのではないか、と。

 

『てんとてん』のエピローグで描かれるのは、“さとこちゃん”が汽車に乗って町を出る場面だ。そこに“あゆみちゃん”だけが見送りにくる。“さとこちゃん”は時間ギリギリになってやってきたのに、“あゆみちゃん”はもっと早い時間から駅にいて、待ち構えている。“さとこちゃん”を待ちながらひとりで駅にいるあいだ、彼女はきっと、そこから汽車に乗って「こんな町」から離れることを想像したはずだ。自分は選ぶことができない未来のことを想像したはずだ。そんなことは、2年前までは考えてみたこともなかったが、なぜだろう、今年は駅で待っている“あゆみちゃん”の姿がとても印象的だった。

 

このエピローグには、「Satoko’s departure」とタイトルがつけられている。つまり、主眼は“さとこちゃん”にある。駅で“あゆみちゃん”に見送られて町を出るシーンは、エピローグで2度繰り返される。汽車が出発すると、“あゆみちゃん”の姿が少しずつ小さくなってゆく。「あゆみちゃんの姿が、ふと消える瞬間、わたしは目を閉じた」と“さとこちゃん”は語り、そこからラストの台詞、「目を開けると、2019年だ」へと繋がる。つまり、ここで町を出た日のことを思い返しているのは“さとこちゃん”だ。でも、“さとこちゃん”を見送ってしゃがみこむ“あゆみちゃん”の姿を見ていると、彼女のその後の人生を想像させられた。何十年と膨大な時間が過ぎ去っても、あの日から一歩も動けずにいる“あゆみちゃん”の姿を。

 

 

千秋楽を終えた翌朝、8時にロビーで待ち合わせて、皆でチェックアウトの手続きをする。この6日間、一度も烏鎮西柵景区の外に出ることはなかった。少し前であれば、「こんな場所、ただのテーマパークじゃないか」と思って、外側に出てみようとしていた気がするけれど、その内側で過ごすことは――人によって作り上げられた空間で過ごすことは――決して悪いことではないように思えた。テーマパークの中には、誰もが笑顔で過ごしていて、ごった返している場所でも誰も文句を言ったり怒ったりすることなく、穏やかに過ごしている風景があった。

 

烏鎮西柵景区の外に出ると、フェスティバルが用意してくれたリムジンバスが待ってくれていた。景区の中では、荷物はすべてポーターが運んでくれていたので、それに慣れてしまったわたしたちは、バスの運転手さんが荷物を荷台に積み込んでくれるものだと思って、バスの前にぼんやり立ち尽くしていた。すると、バスの運転手さんが「何やってるんだ、お前らが自分で入れろ」という表情を浮かべた。ああそうだ、外の世界では自分で荷物を積み入れなければいけないんだった。そうした摩擦を感じながらも、景区の中で目にしたものを胸に留めつつ、わたしたちの日々に帰ってゆく。

 

(取材・文:橋本倫史/写真:橋本倫史、Wuzhen Theater Festival)

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