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「レパートリーについて」

藤田貴大 インタビュー(2018年4月収録)

2018/07/30

――今回、サイトのリニューアルにともなって、「レパートリー」というページが新設されて、そこには6つの作品と15人のメンバーが名を連ねています。まずはこの作品たちを「レパートリー」と形容するに至った経緯から伺えますか?

これまでも制作的な言葉として「レパートリー」という形容はされてたんです。たとえば2016年にLUMINE 0のこけら落としとして『カタチノチガウ』、『あっこのはなし』、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』(以下、『てんとてん』)を上演したときには「レパートリー作品を3作同時上演」という言い方をされてたんだけど、そのときは僕の中で「レパートリー」って言葉がしっくりきてなかったんです。僕が見せたかったのは、手荷物みたいに作品を移動させて、三作品を同時に上演できるよっていうことだったんですけど、そこで「レパートリー」という形容されたときに、その言葉について考え始めることになって。言われてみれば、『てんとてん』は旅してこその作品だと思っていたし、『カタチノチガウ』も旅向けに作った作品だし、『あっこのはなし』をリクリエーションして今のセットを作ったときにも「この六人がいれば、すごく軽やかに旅できるんじゃないか」と思ったんですよね。『あっこのはなし』は僕が30代になったタイミングで作ったから、同世代がリアリティを持って観てくれる作品が僕の手の中にあるかどうかということに賭けてたところもあるんです。

――そういう形容はしてこなかったとしても、その三作品についてはレパートリー作品として旅をするイメージがあったということですね。今回レパートリー作品として掲載されることになった残りの3作、『夜、さよなら 夜が明けないまま、朝 Kと真夜中のほとりで』(以下、『夜三作』)、『クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ』(以下、『動物三作』)、『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと—————』(以下、『ΛΛΛ』)というのは、去年の夏に全国ツアーした作品たちですね。

そのツアーが始まる前に、僕は「この旅を終えたあと、ぼくらはなにを想うだろう」っていう言葉を書いて、その言葉と一緒に旅をしたんだけど、あのツアーでマームとジプシーは終わるんだと思ってたんです。

――えっ、終わる?

この10年間でマームとジプシーが取り組んできたことを全部並べて、「ここまでやれたよね」と俯瞰して、一回終わりを迎えるんだと思ってたんです。でも、最後の伊丹公演のときに「これを手放すとまずいな」と思えて、それは僕の中でもほんとに意外なことだったんですよね。マームとジプシーというのは作品主義で、常にメンバーがいるわけではないんです。その作品に集まるべき人が集まって、寄せ集めのメンバーでやっていくのがマームとジプシーだって今も思ってる部分はあるんですけど、これは財産だなぐらいのことを思ったんですよね。人に感謝とかするタイプじゃないんだけど、よくやってくれたなってことを初めてに近い感じで思えたんです。

――具体的に言うと、どういった部分でそれを感じたんですか?

役者の皆の一つ一つの技術もそうなんだけど、僕が買い集めた小道具とかをすごく丁寧に梱包にしてくれるんですよ。スタッフが準備したところに役者が乗って、そこで演じて成立するってことじゃなくて、全員でそれを運んで、僕の言葉をいろんな人に届けようとしてくれる。それはこの10年間一緒にやってきた人たちだからこそ出来る作業だと思うし、この人たちって格好良いなと思ったんです。そこに対して僕からは何も形容してこなかったけど、いよいよそこに言葉が必要な気がしたんですよね。

――藤田さんと役者の皆の関わりは、ここ数年で変わりつつあるように思います。たとえば福島のこどもたちと作ってきた『タイムライン』という作品には、伊野香織さんや成田亜佑美さんがアシスタントとして関わっています。あるいは、召田実子さんは藤田さんが演出するほぼすべての作品で映像を担当していたり、先日の『みえるわ』という作品で何人ものデザイナーに衣装をお願いする際にやりとりをしていたのは青柳さんだったりと、役者である皆が作品に対してさまざまなアプローチをするようになってますね。

これはいろんな劇団が抱えている問題だと思うんですけど、大学からの流れで「こういうことはこの人にお願いしよう」っていうことが何となく存在してしまってますよね。僕はそういう空気が嫌いだったから集団を作らないと決めてやってきたんですけど、僕たちの活動もナチュラルにそうなってしまっている部分もあって。もちろんそこに対してお金は支払ってますけど、そのゾーンのことを言葉にしていきたくなったんでしょうね。

――現状でも役者の皆はそれぞれの形で藤田さんの活動にかかわっているなかで、それをメンバーとして発表することによって、具体的に変わってくることはあるんですか?

ここからちょっと外側の話をすると、マームとジプシーっていう名前がここ数年で僕らが思っている以上に大きくなった部分があるような気がするんです。別にめちゃくちゃ大きくなったと思ってるわけじゃないけど、いろんなジャンルの人たちと関わってきたことで、僕らが思っている以上に拡散しちゃっている感じがして。たとえば今回メンバーとして掲載することになった誰かが、どこかの劇団の作品に出演することになったときに、その劇団はマームとジプシーの名前を使って広報するわけですよね。その劇団が広報しなくても、「マームに出演している誰々がこの作品に出る」という形で情報が広がっていく。それを完全に放置してたんですけど、それはどうなんだろうと思っていたんです。

――藤田さんの作品に出演したことがある全員に対して、そんなふうに感じるんですか?

たとえば、オーディションを受けて出演することになった人の履歴に「『cocoon』に出演」ってことが書かれることに対しては何も思わないんです。それに、そういう子が僕の作品を観にきてくれたとしたら、普通に「ありがとう」って気持ちになる。でも、今回メンバーとして掲載することになった人たちが観にきたとしたら、「ちょっと手伝ってよ」って思っちゃうんです。もちろん観劇しにきてるだけなんだから、「手伝ってよ」とか言える立場じゃないんですけど、この差は何なんだろうと考えたんですよね。

――役者というのは、専属契約を結んでいない限り、さまざまな作品に出演することになるわけですよね。メンバーとして名前が掲載されることで、そこに対して何か変化はあるんですか?

マームとジプシーというのは僕のマネージメントする組織だったはずなのに、これまでもなぜか役者に対する出演依頼や交渉をやることはあったんです。それを正式に業務に入れるということですね。ただ、外部の団体にかかわるとしても、濁りたくない名前もあるんです。

――濁りたくない?

マームとジプシーの活動は何年か先まで予定が決まっていて、ここ数年でこうやって活動していきたいという大きな流れはあるんです。そこで濁りたくない名前ってあるんです。これから先、このファッションブランドと関わろうと思っているのに、マームの作品によく出演している誰かが、そのファッションブランドとは価値観が真逆のファッションブランドのモデルをしていると、濁りが出てくるんですよね。そうするとマームとジプシーの活動にも支障が出てくるし、マームとジプシーのプロデュースにも関わってくる。これから先の活動を考えると、もうちょっとプロデュースって言葉の輪郭を広げていかないと、全体を把握しきれなくなってくると思ったんです。この半年間はその確認をメンバーの皆と取り合って、こないだ初めて全員でミーティングをしました。全員でミーティングっていうことを、生まれて初めてやったんです。これからこういう輪郭を作ろうと思っているということを僕が話して、年間のスケジュールを伝えて、この作品には誰に出演して欲しいと思ってるかってことを伝えました。そういうことも、なんとマームは、これまで伝えてこなかったんです。僕がそういう態度でいたから、役者の皆も「自分が出演しない作品には関わらないほうがいいんじゃないか」と思っていた部分もあると思うんだけど、僕の活動をもっと観てて欲しいと思うようになったんだと思います。

――そうすると、今まで以上に密な関わりにもなってくるのではないかと思います。そうすると、どうやって生活を成り立たせていくのかという問題も出てくるんじゃないかという気がします。

それをどうにか形にしていきたいっていうのはあります。一回の公演に対して支払うギャランティーに関して言うと、マームは頑張ってるほうだと思うんですけど、実際に皆が食っていくにはその出演の数じゃ足りなかったりする。メンバーとして名前を連ねているのであれば、何か保証されたものが必要だよねってことを制作とは話してますけど、それを今すぐ15人に対して実行する力はないから、どういうふうに形にしていけるかってことは考えているところです。

――もう一つ難しいのは、どうやって共有していくのかということですよね。さきほど「混じりたくない名前もある」という話がありましたけど、その「混じりたくない」ってことを含めて、どうやって価値観を共有していくのが難しいような気がします。

それがすごく難しいですね。これは結局、マームが誰と関わっていきたいかということに尽きるんですけど、「マームが誰かと関わる」っていうときに、今まではコラボレーションする相手のことばかり掬い取られてきた気がするんですよね。僕自身、26歳からの5年間は誰かとコラボレーションすることにばかり取り組んできて、目の前にいる役者さんたちのことを放置してたと思うんです。でも、今回メンバーとして形容することにした人たちって、コラボレーションしてきた相手と同じレベルなんだと思えた。たとえば、川上未映子さんの小説が出たとすれば、やっぱり発売日に読みたいと思いますよね。そうやって知りたいと思う気持ちと、メンバーがどんな作品に出ているのか知りたい気持ちっていうのは、つまるところ同じなんじゃないかと思うんです。僕個人としては「この劇団には出て欲しくない」という気持ちもあって、もちろんそれはまかり通らないわけなんだけど、そこの輪郭を強めていかないと、このメンバーとは関われないってところまできたと思ったんです。これから40歳までの時間がある中で、そういう責任を持ってオファーしていかないと自然と解散していくだけだし、このメンバーがやってくれていることはオーディションで受かって出演する人たちとは全然違うよねって思ったんです。そこを言葉にしていかないと、皆のことを消費していることになる気がして、怖くなったんです。

――メンバーという形容をしたことで、藤田さんのクリエイションにも影響があるのではないかと思います。今上演されている『めにみえない みみにしたい』は、10周年を経た先にある作品だなということを強く感じました。去年の夏、レパートリー作品を掲げて10周年ツアーしたときに、過去の作品を再演したというだけでなく、藤田さんの中でも何か手応えがあったんじゃないかと思うんですね。リフレインであるとか、俳優のステップであるとか、初期の作品で多用されていた「マーム的」と形容される演出というのは、この5年くらいは藤田さんの中で封印されつつあったような気がするんです。それで描けるものはもうわかったから、それは脇に置いて、次を模索しようと。でも、レパートリー作品を改めて見つめ直す中で、そうやって封印していたものから広がる想像力を再発見して、それが『めにみえない みみにしたい』に繋がっている感じがすごくありました。

そうですね。僕がメンバーと形容することで期待してるのは、作品の内容のことで。たとえば今回みたいに「こどもに向けた作品を作ってくれ」とオーダーを受けても、やっぱりこの4人じゃないとできなかったと思うんです。この4人っていうのはレパートリー作品のメンバーだから、いくつも引き出しがあるんです。今回の作品であれば、稽古が始まった頃から「昔風にやろうと思う」と言ってたんですよ。昔はそういう言葉でやりとりするのは嫌だったんですけど、やっと武器みたいなものを共有できるようになってきて、今回の作品はメンバーじゃなきゃできないことをやれた気がして、それが嬉しかったですね。もちろんキャスティングで冒険していく企画もやっていくけど、マームらしいマームを観たい人だっているわけだし、『みえるわ』だって、あそこで初めて未映子さんの言葉を扱うんだとしたらできなかったツアーだと思うんです。そうやって培ってきたものがマームの中に生まれてきたときに、それをどう足し算したり引き算したりしながら作品のバランスを組んでいけるのか。そういうことを一緒に練れる人たちがいるのは幸福なことなんじゃないかって――それを今になって初めて気づいたっていうのは酷いなと思うんですけど――この一年でほんとに思ったんです。

――作品に対する距離感としても、今から5年くらい前の藤田さんは、とにかく新しいものを作らなければと走り続けていたように思います。でも、こうして「レパートリー作品」と形容する作品が出てきたり、初めて上演する作品でもすべての作品を「新作」と呼ぶわけではなくて、ごく限られた作品を「新作」と呼ぶようになっています。

新作っていうのは、今という時間を生きている中で、僕が今一番新しいと思うことをやるのが新作だと思うんです。僕らの流れの中での新作というよりは、僕が思う今っていう時間の中で、どこまでエッジのきいたものを作れるかというのが新作だと思うんですよね。作品っていうのは、作ろうと思えば作れちゃうものじゃないですか。つまらなくても、つまらなくなくても、作れと言われれば作れちゃうものだと思うけど、普通なら作れないものが新作だと思ってるんです。こうやって活動を続けていると、予算的な問題もあって、すごく無機質な話になるときもあるじゃないですか。そうやって決まった公演に対して、どうやってそこに理由を見出していくのかとなったときに、企画に添うことの重要性は年を重ねるたびに思うようになってきて。

――企画に添うことの重要性というと?

昔は「もうちょっとマームっぽいことをやったほうがいい」とかってことを自然と考えてた部分があるのかもしれないけど、その企画に対して自分なりにチャンネルを合わせていくことに快感をおぼえるようになってきたんです。そうやってチャンネルを合わせるってこも、全部自分でひとりでやれると思ってたんですけど、自分だけではできないんだなってことに気づいてきて。これは『みえるわ』のときにも話しましたけど、僕の作品が上演されるとき、僕は舞台にいないんだなと思ったんです。舞台にいるのは僕以外の人間なんだなってことが本当にわかってきた感じがあって、そこに立つ人がいなければ成立するものせはないのに、いつまで自分は「ひとりでやってる」と言い続けるのかってことがわからなくなってきたんですよね。それを考えると、やっぱり伊野が戻ってきてくれたことも大きかったと思います。

――伊野さんは2012年の『あっこのはなし』を最後にマームとジプシーに出演しなくなって、演劇も辞めて就職してたけど、藤田さんが福島のこどもたちと『タイムライン』を作るときから再び関わるようになったんですよね。

伊野を見てると懐かしさもあるし、伊野って友達なんだなって最近思うんです。伊野とは年に何回かふざけるときがあって、それは誰にも笑ってもらえないことだったりするんだけど、そうやってふざけたことをそのまま舞台でやってるだけなんですよね。いつだか渋谷の交差点で、二人で酔いながらエアーバレーボールをやったことがあって、それを舞台でやってみようかってことで『ハロースクール、バイバイ』になったんです。何て言えばいいんでしょうね、このことは?

――藤田さんが指示を出して、それを演じさせるってだけの関係じゃなくて、役者から得るインスピレーションがあるってことですよね、きっと。

そうですね。『ロミオとジュリエット』であれば、たとえばジュリエットっていう役を豊田エリーと僕が成立させようとするわけですよね。それを成立させるために働いてもらうっていうことは、役者と演出家として、すごく良い関係だと思うんです。良い意味でドライさがあるからこそ、やれることがある。だから、ベタつけばいいってことではもちろんないんだけど、「これまでマームで何をやってきたっけ?」ってことを話せる人たちがいることで、作れる作品もあると思うんです。『タイムライン』のときも、福島までの行きの電車の中で「マームはあの作品でこういうことをやったけど、あれはこどもたちがやったほうが可愛いかもね」とかってことを話せるわけじゃないですか。それは純粋に役者と演出家ってだけの関わりではない気がしたんですよね。

――2015年に上演された『書を捨てよ町へ出よう』という作品は、様々な人とコラボレーションすることで出来上がった作品でしたよね。穂村弘さんと寺山修司のことを話したり、又吉直樹さんと舞台に立つことを話したり、ミナ ペルホネンの皆さんと衣装のことを話したり、山本達久さんと音楽のことを話したり、そうやってやりとりをするなかでイメージを膨らませていった作品だったように思います。ただ、役者の皆というのは基本的に、藤田さんの考えていることをなるべく把握して実現しようとする存在であったように思います。でも、たとえば今回の『めにみえない みみにしたい』は役者の側から出てきたのであろう部分も垣間見えたので、マームとジプシーの作品も変わってくるのかなと思いました。

それを一番期待してるところかもしれないです。「メンバー」という形容することで、そういうことを相談していいんだってことになるのが嬉しいというか。これまでは外側にいる誰かとコラボーレションすることでマームとジプシーの輪郭を浮かび上がらせてきたけど、内側ができたことによって「これがマームとジプシーだよね」ってことがはっきりしてくると思うんですよね。そうなったときに、どこまで伸縮自在にプロデュースできるかっていうところを一番期待してます。

――これまで「マームとジプシーは劇団ではない」ということを強調されてきましたけど、メンバーと形容する人たちが出てきたことで、「ああ、マームも劇団化するのか」という反応もありうると思うんです。マームとジプシーは劇団ではないのだとすれば、どういう点が異なるんでしょうか?

やっぱり、この人を出さなきゃいけないという制約はまったくないということです。メンバーというのは、そのことをとことんわかってくれた人たちだと思うんです。ここにいたって、出演できない一年もある。それは今まで通りだってことをわかった上でそこに名を連ねることを選んでいるんだと思います。キャスティングなんていうのは適材適所で、そこに関してはずっとドライなままだと思うんですよね。マームとジプシーっていうのは、今まであったような集団のありかたとは違って、輪郭でしかないと思うんです。集団を作ってしまうと、そこに入るか出るかみたいなことに尽きてしまうけど、そこは全然興味がなくて。僕との関わりの中で、どう自分たちを形容していくかってことだから、結局のところひとりひとりとの関係でしかないんですよね。

――一対一の関係がメンバーの数だけある、と。でも、今回こうして「レパートリー」と形容して掲載するということは、「レパートリー作品を上演して欲しい」という依頼を今後は受け付けていくということですか?

そういうことでもあります。ただ、『動物三作』や『夜三作』はやっていいと思ってるんですけど、『ΛΛΛ』だけは軽々とできないですけどね。依頼があれば、昔よりは考えると思いますけど、『cocoon』と同じように、やれと言われてやれる作品でもないんです。それはメンバーとの関わりと一緒で、レパートリー作品に対しても、ひとつひとつの作品に対して持っている感情が違うんですよね。作品としてしっかりしたセットになったとは思うから、技術的に上演することは可能だけど、たとえば今のタイミングで『カタチノチガウ』を上演してくれと言われても、『BOAT』の前にはやれないんですよね。ただ、この作品に関する問い合わせやメンバーに対する問い合わせもマームとジプシーが受け付けるということは具体的に言っていこうと思ってます。

 


聞き手 橋本倫史(取材・構成=2018年4月)

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