mum&gypsy

dusk dark dawn

VOL.7

2026/04/21

「痛い」とか「苦しい」とかって、ほんとに共有できないなって思う。亡くなったばあちゃんは、股関節に金属やボルトが入ってたんだけど、結構大変なことだなと思ったんだよね。どれだけ苦しかったか、わからないわけ。最後の6年間はもう、言葉でやりとりできなくなってきたから、「痛い」と訴えることもできない。こっちが、なにか察するしかない。それに、「痛い」って言葉にされたとしても、その痛みを本当の意味で理解することって難しいよね。

男性が「生理痛を体験してみよう」とか、「重りをつけて、妊娠何ヶ月を疑似体験する」とか、ああいうのって、「本気でやってる?」と思うよね。生理痛にしても、妊婦にしても、もちろんそんな数分で済むはなしじゃないし、たとえ重りをつけて10ヶ月過ごしても、実際に出産を経験できる身体ではないし。共感してみよう、みたいなのってとにかく気持ち悪いし、恐ろしい。わかったふりして、本気でやってるふうな男性がいることが、「本気でやってる?」って本気で思う。

痛みって、共有できないものだと思う。想像はできたとしても、完全には共有できるはずがない。それに、自分が痛い思いをしたときも、誰かとこの痛みを共有したいと思ったことが本当にない。ばあちゃんにしたって、「この苦しさを、貴大にわかってほしい」だなんて微塵も思っていなかったんじゃないか。

過去のマームの作品でも、“他者の痛み”をどこまで考えることができるか、という時期があった気がする。『ヒダリメノヒダ』や『Kと真夜中のほとりで』、あのへんだよね。夜シリーズとかでも、他者の悲しみや怒りに自分たちは近づけるのか? その距離とは? ってことを描いてはいたんだけど、最終的には「どうしても近づけない」ってことで終わっていた気がする。

でも、「近づけない」っていうのも結局、自分の話だよね。その人に近づくことができない自分、ってことだから。自分って主語のモノローグで自分の視点の話を描くんじゃなくて、どうすれば、自分が知ることのない、ばあちゃんしか知らない時間を描けるのか――。

家族のことなんて、わからないと言えばわからない。わからなくたっていいと思ってる部分もある。ただ、今この時代に「わからない」って態度でいるのはよくないと思うんだよ。「わからない」って態度が「無関心」につながると、ほんとによくないと思うから。

どうすれば、自分以外の誰かを描けるのか――。やっぱり、「観客に何を伝えるのか?」ってことを考えるより、自分にとってこれが必要だってことをやっていくしかないんだと思う。

今回の作品では、Interludeを「dust」ってタイトルにしようと思ってて。そこはこう、ただホコリを見つめてるような時間になりたいんだよね。普段の生活の中には、ただホコリを見つめてるような時間って、意外とあったりするじゃん。Interludeに限らず、そこに想像力があるかどうかってことが、今回一番大切にしたいところかもしれない。

ばあちゃんは最後、介護施設にいたんだけど――きれいな施設だったからホコリなんか見たことないんだけど――どうしても隅っこにホコリが落ちていたりする、と想像してみる。いや、「掃除が行き届いてない」みたいな話じゃまったくなくて。ただホコリを見つめてしまう時間がある、と想像してみる。そのホコリをばあちゃんは何時間もジッと見てたのかも知れない。そういう時間のこと、どうやったら描けるのかってことを考えてる。

(写真・構成 橋本倫史)


公演詳細・ご予約はこちらより

「dusk dark dawn」

作・演出:藤田貴大
出演:髙宮梢 仲宗根葵 中村未来 成田亜佑美

日程:2026年5月2日(土)〜6日(水)

会場:LUMINE0(最寄り駅:新宿駅)
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ケ谷5-24-55 NEWoMan Shinjuku 5F

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