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「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY8-DAY 14

DAY 13

2020/09/29

2020.9.27

実習室の扉を開けると、焼肉の匂いが漂っていた。窓を開け、まずは空気を入れ替える。ここで過ごすのは今日で最後だ。藤田君は冷蔵庫の中身を確認すると、さっそくお昼ご飯の支度に取り掛かる。「全体的に優しい味がいいよね。あんまりガッツリしたもの食べると、顔むくむし、喉も渇くから」。炊飯器をセットすると、豆腐とわかめの味噌汁を作る。パンが食べたい人のためにパンも用意して、ハムエッグと作り置きの惣菜を並べる。昼食の用意を済ませたところで、11時から稽古が始まる。

「はいはいはい」。稽古を藤田君の声で稽古が中断される。「ちょっと皆、体を起こそう。前から見てると、上半身がなまってる感じがすごいするね。無理やり力を振り絞ってる感じがするから、もうちょっと動いたほうがいいね」

体を起こすために、動きのあるシーンを返すと、30分足らずで稽古を終える。実習室に引き上げてきた皆がお昼ごはんを平らげる様子を見つめながら、「これで料理が終わったー……」と藤田君が言葉を漏らす。今回のツアーで、藤田君はなかばシェフのような存在になっていた。それは「皆がごはんの心配をしなくて済むように」ということでもあるけれど、舞台に立つ俳優の身体をどこか解剖学的なまなざしを向ける藤田君が、皆の口にするものから整えているのだと考えると、少し印象が変わってくる。

窓の外から、歌声が聴こえてくる。道路を挟んだ向かい側にはコミュニティセンターがあり、そこでお年寄りたちがカラオケを楽しんでいるようだった。聴こえてくるのは知らない歌ばかりだ。「あの人 この人 あの顔 この顔/みんなどうして いるんだろう」。そんな歌声が遠くからかすかに響いてくる。この歌をうたっている誰かは今、何を思い浮かべているのだろう。

実習室にはモニターが置かれている。そこに劇場内の様子が映し出されていて、音も聴こえてくる。何度となく台詞を繰り返す声。発生練習をする声。誰かの鼻歌も聴こえてくる。そのメロディも知らない歌だけれど、その音を毎日のように耳にする。自分が知らない歌が、誰かにとって大切な歌だと考えると、とても不思議な心地がする。

13時半になると劇場がオープンし、客席は観客で埋まる。定刻から5分遅れて、舞台に俳優が姿をあらわすと、上演が始まる。最初の台詞が語られ始めて、わずか5682秒の出来事を、観客が見つめる。会場アナウンスで携帯電話の電源はオフにするように伝えられているから、上演時間のあいだ、劇場の中にいるわたしたちは外の世界で何が起こっているか知る由もない。どうしてわたしたちは、ひとりひとりが一度きりの人生を生きているのに、誰かが書いたフィクションを――今日この場所においては演劇を――必要とするのだろう?

「最近はずっと、余韻って言葉について考えていて」。あれはたしか、城崎公演に向けて場当たりを始めた日、藤田君は劇場で皆にそう語り出した。「今という時代を生きるってことは、過去の余韻の中に生きてるってことでしかないじゃん。つまり、今を生きるって、厳密に言うと不可能だと思うんだよね。今って時代がどういう時代かわからないまま、今って時代を生きてるわけ。少なくともここ数時間の余韻の中に、今って時間はある。数時間前に、あるいは数分前に見たニュースの余韻の中にぼくらはいるし、数年前に死んだ人の余韻の中にいる。その余韻の中にいることしかできないんだけど、そこがポイントな気がしてるんだよね。だから、役者が言葉を発語したときに、一方的にまくしたてるんじゃなくて、そこに対する余韻という名のレスポンスを待てるかどうかが重要なんだと思う」

舞台が終幕し、劇場が暗転すると、残像が残る。劇場を一歩出た瞬間から、その残像は薄れてゆく。次の東京・武蔵小金井での公演に向け、あっという間に舞台が解体されてゆく。急ぎの用事がある尾野島さんは、西村先生が作ってくれたお弁当を手に、皆に見送られて駅に向かう。別れ際になにか言葉をかけたい気持ちはあったけれど、結局何も言えないまま、ぼくは黙って手を振った。誰もいなくなった実習室で、郷里で死んでしまった人のこと、藤田君は語り出す。どんな言葉も返すことができなくて、ぼくは冷蔵庫からアサヒスーパードライを取り出し、黙ったまま飲み干した。

終演から2時間半が経過するころには、舞台はがらんどうに戻っていた。小道具として配置されていた石や小枝を、拾った場所まで返しにいくというので、俳優の「皆」についてゆく。石と小枝を元の場所に置いたあと、洗濯していた衣装をコインランドリーまで取りにいく。来週末の東京・武蔵小金井での公演に向かって、ちゃくちゃくとあゆみが進められてゆく。舞台の残像に引きずられているせいか、ぼくは歩くスピードが遅くなってしまって、俳優の「皆」の後ろ姿を眺めながら劇場に引き返す。実習室にたどり着くと、西村先生が用意してくれた料理がテーブルに並べ始められていた。

西村先生は演出家であり、四国学院大学・ノトススタジオの芸術監督だ。そして、イタリア料理店で長く働いた経験もあり、西村先生がつくる料理も絶品なのだと、藤田君は今回の旅が始まったときからずっと言い続けてきた。今日の夜は、西村先生が腕を振るってくれることになったのだ。かき菜のアーリオオーリオ、エリンギのマリネ、ナスのマリネ、鶏のトマト煮、豚のロースト。ずらりと並んだ料理に、皆がため息を漏らす。この半年間、毎日のようにサッポロ一番塩らーめんばかり食べてきたぼくの舌で、どこまでその繊細さを理解できているかはわからないけれど、ただただ唸らされる。

「いや、何でここに尾野島さんいないの?」西村先生が用意してくれたワインを飲みながら、藤田君が切り出す。「これは別に、『全員揃っているのがいいことだ』みたいなことを言いたいわけじゃないんだよな。尾野島さんいないだけで、こんなに静かなんだなと思ったね。『てんとてん』で皆が一緒に過ごしてるときに、誰か役者がいないことなんて初めてだよね。色々あるんだろうけど、関係ねえな」

藤田君は酒がまわり始めているのか、尾野島さんの話を続ける。「俺、尾野島さんのこと好きなんだよな」という言葉に、皆が「知ってる」と笑う。

「いや、尾野島さんのこと、めっちゃ格好良いと思ってるんだよな。尾野島さんってさ、オシャレじゃない? マームの皆って、ファッション好きじゃん。それなりのお金を支払って服を買ってるけど、尾野島さんはいっつもUTみたいなの着てさ、俺、ほんとに格好良いと思うわ。ブレてないもん、ずっと」

藤田君はどうしてあんなに尾野島さんの話を繰り返していたのだろう。隣で話を聴きながら、「きっと酔っ払っているのだろう」くらいにしか考えず、ぼくはその話をほとんど聞き流していた。こうしてドキュメントを書いている今になって振り返ると、どうしてあんなことを口にしたのだろうかと考えてしまう。

数時間前まで『てんとてん』が上演されていた劇場は、一度がらんどうになったあと、すぐに次の公演の仕込みが始まっていた。仕込みをやっている学生たちの中には、藤田君がかかわった学生の姿もあった。実習室からトイレに行こうとすると、学生たちが仕込みをする姿を目にしてしまう。その姿から、自分の学生時代の記憶が呼び起こされていたのだろうか。

西村先生の料理に舌鼓を打ちながら、藤田君はトースターの話をした。バルミューダというメーカーのトースターを使うと、パッサパサになっていたパンでも、焼き立てのようにふわふわになるのだという。その一方で、上京したばかりの頃のことも語っていた。お金もなく、実家から送られてきた粉チーズを主食のように食べながら、空腹を満たしていたのだと。

「こないだ、スーパーに買い出しに出かけたとき、“マックス”に偶然会ったんだけど、『“マックス”はなんでふらふらしてんの?』って言っちゃったんだよ」。“マックス”というのは、藤田君がかかわった学生のひとりだ。「あの言葉は、ほんとに訂正したい。振り返ってみれば、ぼくも余裕でふらふらしてたし、波佐谷さんだって卒業して2年ぐらい淵野辺をふらふらしてたし、それは他人がとやかく言うことじゃなかったなって反省したんだよ」

藤田君の言葉を、皆は話半分に聞きながら、食器を片づけている。今日は先生たちにも飲んでもらえるようにと、車で送ってもらうのではなく、タクシーに分乗してホテルを目指す。あまり街頭のない道路を走っていると、用水路のそばに学生がふたり立ち話をしているのが見えた。

「もう一回人生があったら、こういう町の大学生になって、いざこざに巻き込まれてみたいな」。タクシーの後部座席で藤田君がつぶやく。「まあでも、全員一周目で終わりますけどね。何で一回だけなんだろう?」

テキスト・撮影:橋本倫史

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