mum&gypsy

mum&gypsy × trippen

2018.11.12-14/DIARY

2018/11/18

 

2018.11.12

ブーツを選びに、原宿へ。フライヤーの撮影の日、ツリーハウスへ足を運んだ。あれから一カ月くらい経ったのだな、とおもい出しながら。

トリッペンに辿りつくと、づらりと並んだブーツたち。スピードというコンセプトのこと。今年の冬の色のこと。そして、ブラックという色について。ソールはどうしようか。それと、素材はこれでいいのだろうか。ブーツの側面を、もしくは正面と背面を(けれども表も裏もあるのだろうか?)、みんなでとにかく見つめながら、ああでもない、こうでもないとじっくり話し合った。そのなかで、ハッとしたことがあった。この季節のトリッペンのブーツには、ラインがはいっている。革のうえに、革のラインが。または、やわらかい革がなびいているものもある。そうか、スピードというのは流れ、のことなのかもしれない。まえからなのか、うしろからなのか。それとも、よこからなのか(しかしどこからでもない。どこからともなく)、吹いてくる風に当てられて、けれどもそれに抗うことなく、自分の速度をつくっていく。だから、なのかもしれない。スピードというコンセプト。冬の色。

 

2018.11.13

出演するみんなに会うために、桜木町へ。リハーサルをする、みたいなそういう段階でもまだないのだけれど、夏のビーチのときもそうだった。この企画ではみんなと会って、話しをすることを大切にしているような気がする。物語をおしつけたりとか、そういうことはしたくない。いや、したほうがいい場合もある。けれども今回の場合はあんまり、そうする意味がわからないので、していない。とにかくなんでもいいから、おもっていることを会って話す。いまは座って、話しているばかりだけれど、やがてそのうち、自然と立ち上がって、歩きだすのを待っているようなそんな気持ち。きのう、トリッペンのみなさんと話したこと、悩んだこと。そのときに感じたことをゆっくりとあらためて話し合った。夏のビーチのときにおもったこと、それとマームとジプシーのこと。ブーツへつづいていく、流れ。なんとなくぽつぽつ話していると、おもいついた音があった。その音は、つくりたい空間がなくては鳴らない音。

 

2018.11.14

夕方に、ふたたび原宿へ。ブーツを選びに。作品のなかで出演者のみんなが履くブーツが、きょう決まる。決まったものをドイツの工場へ発注して、製作してもらう。つまり、このためだけにつくられた特別なモデル。トリッペンのみなさんにとっては、こういう瞬間こそが仕事で、日常的に連続しているものなのかもしれないけれど、ぼくらにとっては極めて慣れていないことなので、妙な緊張をする。気づいたのは、ブーツって単純にいうけれど、ブーツってほんとうにいろんなパーツでできていて、しかもトリッペンはそのパーツひとつひとつを、たとえばすべて違うカラーで注文できたり、素材をちがうものにできたりもする。なので、組み合わせは無限にあって、その途方もない選択肢のなかから、これだというものを見つけていく。そのことをおもい知った数日間だった。

ひかりのあたりかたによって表情がちがうブーツたちを眺めながら、これはこういう編集の作業をしているのだということを、トリッペンのみなさんと話した。だれかひとりの一足を選んだら、また全員のバランスが変わってくる。それどころか、その一足のなかの、ある部分をちがう素材にするのだとしたら、またバランスが変わってくる。統一感を持たせることが正解ではない。ひとつのものに向かいすぎないほうが、むしろいいかもしれない。だんだん話しているレベルというか、次元がブーツのことを話しているようにはおもえない言葉を選んでいることに気がついてきたときに、この作業というのは靴でも演劇でも、もしかしたらなくて。表現とか芸術なのだけれど、それだけでもなくて。世界とか生活とかそういうことに近かったりもするのかもしれない、とかいうこともおもった。こことここを組み替える。ルールや設定は、やっぱりあるなかで。よりよいバランスは、いつかかならず見つかる。けれどもそのバランスも、あしたになればどうなっているかわからない。この作業がたのしいのは、ぼくは演劇というテーブルのうえで。トリッペンのみなさんは靴というテーブルのうえで。とにかく組み合わせやバランスをかんがえつづけている。いま夢中になっているこの作業で、答えがみつかるわけではない。けれども、そもそも答えなんてあるのだろうか。

この日、夏のビーチにひきつづき、ブーツでの6足のモデルも決まった。この作業のさきになにが待っているのだろうか、というのはいつもかんがえることだけれど、この作業のさきになにが待っているのだろうか。こうして関わってみたときに気がついたこと。見えていなかったこと。見えてきたこと。作業というのは、どこまでも繊細に、そして綿密にしていくことができる。知っていったときに知る、自分の足りなさもすべて、その綿密さのなかにある。

撮影:井上佐由紀 アートディレクション:名久井直子

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