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窓より外には移動式遊園地

青柳いづみ(俳優)×藤田貴大 対談

2021/04/15

「窓より外には移動式遊園地」
青柳いづみ(俳優)×藤田貴大
聞き手:橋本倫史 撮影:井上佐由紀

――こうしてお話を伺っているのは2021年の3月ですけど、今から1年前の3月には『cocoon』の再々演に向けたオーディションが開催されていて、そのあいだに沖縄にフィールド・レコーディングに出かけてましたね。

青柳 真っ暗な荒崎海岸。

藤田 荒崎海岸の、お風呂場みたいになってるくぼみのところにやぎ(青柳いづみ)と佇んで、2015年の『cocoon』のことを振り返りながら、今年(2020年)の『cocoon』の演出プランのことをずっと話してて。それが実現できていれば、かなりすごい作品になるはずだった『cocoon』が上演できなくなったのは大きかったし、これのあと2022年に上演されたとしても、2020年に上演できなかったことは消えないんですよね。それに、やぎとの作業はひとつのライフワークとして観測し続けてる感じもあるんだけど、そこがストップしてしまったのは迫力があったというか、気持ちは『cocoon』に向かっていたのに、何もやれなくなってしまって。

「cocoon(2015)」撮影:橋本倫史

――『cocoon』について考えることは、3月から4月にかけての季節を考えるってことでもありますけど、2020年の3月から4月にかけても、数週間のあいだに急激に世の中が変わっていきましたよね。

藤田 あのときはまだ、ここまで状況が悪化するとは思ってなかったよね。数ヶ月後に『cocoon』をやるつもりだったもんね?

青柳 オーディションをやっているときに、電車の中で「最近、マスクをしてる人減ったよね?」なんて話してたら、「減ったんじゃなくて、マスクが手に入んないんだよ」って(菊池)明明が言ってたことを、今思い出しました。

――結果的に2020年の上演は中止されたわけですけど、あくまで可能性としては「いや、公演に向かって走り始めたんだから、このまま上演まで突っ走るんだ」ということを選択することだってあり得たとは思うんです。そこで立ち止まるということを選ぶまでに、ふたりのあいだでどんなやりとりをしていたんですか?

藤田 4月が始まって、やぎとはずっと連絡を取り合ってましたけど、「上演できないんじゃない?」って話は、なるべく僕からはしないようにしてました。作品にとってポジティブな話しかしたくないって気持ちがあったんです。でも、4月が始まると厳密に外出禁止みたいな感じになって、やっぱり上演できないんじゃないかってムードが高まってきて。これは数年後に振り返ったら不思議に思うだろうなって気がする。結果的には絶対に上演できなかったと思うんだけど、劇場さんから「上演するかどうか、藤田君の意向に任せる」って言われることが多くて、あれは辛かったですね。そこで、たとえば「政府にやめろと言われたから」とか、そういうことで決めたくなくて、自分の中にある言葉でブレーキをかけたかった。そういうことを、やぎと電話で話しながら、4月の後半から5月にかけてずっと考えてましたね。

――その時期、青柳さんはどんなことを考えていたんですか?

青柳 何を考えてたんでしょうね。あのときのあの感じは、あんまり思い出したくない。(上演が)ストップしたら、(私自身も)ストップしちゃうから。

藤田 「上演できないんじゃない?」って話を僕からしないようにしてたのは、それもあるんです。僕が「やれないかもね」と言ってしまうことで、気力みたいな部分にまでストップをかけちゃう気がして、言い出しづらかったのもあります。

青柳 でも、どうも上演できなそうだってマームで話した後に5月中旬に皆で集まって、藤田君から「今年の上演は中止にする」と話があったときも、皆はそのとき初めてちゃんと聞いたから、(高田)静流から悲しい顔して「すごいショックですねー……」と言われたんだけど、「何が?」って言っちゃった。私はもうストップしてしまっていました。

――2020年の『cocoon』の上演は中止されることになって、その翌月には青柳さんも出演される映像作品『apart』が公開されたり、過去作品をTシャツにする「Title T Project」が始まったりと、上演以外の取り組みが始まります。これはコロナ禍になって動き始めた企画ではなくて、もっと前から進んでいた企画だったんですよね?

藤田 そう、前々から話してたんです。コロナの影響で時間はできたから、そのふたつの取り組みを進めていくときに、やぎにも関わってもらって。その時期にもやぎと結構話してたんだけど、「僕らって、劇場で何をしてたんだろうね?」って電話で話した記憶があります。

――「何してたんだろうね」とは?

藤田 たとえば、『BOAT』のラストで、ボートの先端にやぎを立たせて「未来はあるか?」とかいきなり言わせてたけど、あれは何を言わせてたんだろうな、って。今、あの台詞はすごく異様に聴こえるなと思うんです。その時期に、Zoomによる演劇に対する違和感も話してたんですけど、「全然うまく行ってないと思うけど、部屋から部屋に届けるってことを彼らはしたいのかもしれないね」って話してたときに、『apart』ってタイトルだけで今のことを言えるよなって思ったんですよね。今はアパートで撮って、誰かのアパートに届けるしかない状況だなって考えたところから、いろんなアイディアが浮かんできて。「Title T Project」も、いろんなインタビューで良いように話してきたけど、Tシャツと一緒に届けるタグに書かれている台詞って、一番迫力があるところを抜き取ってるから、いきなりあの熱量の言葉を送って大丈夫かなとは思うんだけど。前段階なしでいきなり「未来はあるか?」とか言われるって、言葉が強過ぎない?っていう(笑)。でも、「Title T Project」にどの過去作品を選ぶかってこともやぎと話してたし、そういう半年間でもありましたね。

「apart」撮影:召田実子

――「僕らって、劇場で何してたんだろうね?」と言われたとき、青柳さんはどう答えたんですか?

青柳 藤田君とは大体同じことを考えてるから、お互いあんまり詳しくしゃべらなくても、「そうだよねー」って言うだけで。たぶん細かくは違っているんでしょうけど、劇場という演劇にとっての唯一の「かたち」がなくなって、劇場だけが私たちにとって確かなものだったんだなあというか、劇場ではない空間と時間の中でふたりして彷徨ってたね。

藤田 お互いに言いたいことをずっと並行してしゃべってるだけで、会話になってないんです(笑)

青柳 こないだも電車の中で「鑑賞者」についてずっと話してて、言いたいことをふたりして言って、それで終わった。あと、「『想像』とは別の言葉を使いたい」ってさ。

藤田 去年の春に、「観劇というスタイルは危険だから、やったら駄目だ」ってことを、めちゃくちゃ言われたじゃないですか。あまりにもそう言われたから、あえて言ってる部分もあるんだけど、僕らが作っているのは演劇でも何でもなくて、ただなんとなく、表現ってものだと思うんです。たとえば何か喪失を経験したときに、人はそれを日常の中で処理していくんだと思うけど、僕はそのやりかただと自分の身体の中で濾過できなくて。濾過できなかった部分が表出して、それが表現になっていくんだと思うけど、その表現=観劇だと思っていると、このまま一生社会に殺され続けるなと思ったんです。

――演劇はひとつの場所に人が集まって行われるものだから、それが忌避される社会だと、表現を続けられない、と。

藤田 そこで僕らが「そんなことを言う社会は想像力がない」と言ったって、やっぱり「観劇って危ないよね」って話になって終わると思うんです。想像力のない僕らが、想像力のない社会と戦うだけで終わってしまう。そこでどうにか関係を築くためには、「観劇」という関係を変えなきゃいけないんじゃないかと考えたときに、「鑑賞」って言葉に至ったんです。今まで自分の作品を鑑賞されてたんだと思ったら、ちょっと楽になって。まあ、ああだこうだ言われてきましたよ。「藤田貴大とは気が合わない」とか、「音楽のセンスが嫌だ」とか。それに対して、あの頃は「あなたには想像力がないんですね」と言い返せたかもしれないけど、それは想像力が欠如してるんじゃなくて、その人の許容力の問題だよな、と。その人の許容力が僕の作品を許容できなかっただけだし、その人の許容力にこたえることができなかった僕の許容力の問題でもあるな、って。春から数ヶ月かけて「許容力」って言葉に辿り着いて、夏ごろから『窓より〜』の企画が立ち上がったときに、何かをいきなり観劇してもらうんじゃなくて、見る側も見せる側ももうちょっとフラットな状態ってどういうスタイルになっていくんだろうって、この事務所で話してたんです。

――藤田さんが数ヶ月かけて「鑑賞」や「許容力」という言葉に辿り着いて、『窓より〜』の企画が具体的に動き始めようとするまでの期間、青柳さんは――。

青柳 「お前は何をしていたのか?」一回ゼロになってしまったから、もう、ゼロ。皆が(緊急事態宣言の時期に)何をしてたのかって――仏検とったとか、船舶免許をとったとか――そういう話を聞くと、ほんとうに自分は何をしてたんだろうと思います。何もしてなかったのは確かなんだけど、あんまり覚えてないんだよね。さっきの藤田君の言葉じゃないけど、自分にはそういうのがなくて、濾過装置みたいなものだから。

藤田 フィルターね。もしくは軽石。

青柳 そう、濾過装置の一部みたいなものだから、自分がどうしたかったとか、どうしたいとかがあんまりないのかな。でも、「『cocoon』をやってなくてよかった!」と思った夏ではありました。体力的なことや、精神のことを想像しても、ああ、やっぱり『cocoon』がないと気が楽だな、と。コロナがどうっていうよりも、『cocoon』をやるのって大変だよね。

藤田 夏にそれを言われて、何回か腹立ったんですよね。「いや、やる予定ではあったから」って。『てんとてん〜』(2020年10月の東京公演)を観たあとにも、「サン(『cocoon』で青柳さんが演じる役)の最後の台詞の、『生きることにした』なんて言えるわけないよね」って言ってたけど、そういうことを夏ぐらいからやぎが言い始めたんですよね。

青柳 『てんとてん〜』の“あやちゃん”(家出をして、森の中でキャンプをはじめて、みずから命を絶つ女の子)を観たあとに、「『生きることにした』なんて台詞、よお言わんわ」と思ったんでしょうけど、どうしてそんなこと言ったのか、今はもう思い出せない。

藤田 そのときやぎが言っていたのは、生きることと死ぬことがほとんど同化してて、いつ死んでもおかしくないような世界で、なにを「生きることにした」って言えるんだろうってことで。それをかなり本気のトーンで言ってたんです。僕としては「いや、『cocoon』が上演されていたとしたら、それでも言うしかなかったんじゃないの?」とは思うんだけど、彼女が言わんとしていることもわかって。
その台詞を言うためには、5年前の『cocoon』とは違う考え方が必要だったと思うし、そういう意味では2020年に上演できなかったのは、コロナとは関係ない部分でもあったなと思います。

青柳 去年私がやってたことなんて、思い出せる限りでもゲームの「アンドール」をやるか、本を読むか、あとはポケ森するかぐらいしかなかったけど、漫画を読んでいても本の中で大変な世界が広がっているじゃないですか。『ジャンプ』だけ切り取っても、あっちでもこっちでも大なり小なり争いが起きていて、読むだけでもしんどいのにこんなところに入っていくのはキツいぞと思って。入っていくなら、『サザエさん』ぐらいで十分。演劇に入っていくのも、それと一緒なのかな?

――『cocoon』に関して言うと、2020年の上演はなくなったけど、もう2022年の上演を目指して作業が始まっていますよね。つまり、2年後にはその世界に入っていく方向で走り出している。あるいは、別の角度から同じような話をすると、『apart』や「Title T Project」を経て、これからのマームとジプシーはもう、上演とは違うアプローチで作品を届ける方向に切り替えるってことも、選択肢としてはありえるわけですよね。でも、青柳さんであればやがて『cocoon』という世界に入っていくし、藤田さんも作品を上演することに戻っていく。その移り変わりというのは、どんなものだったんでしょう?

藤田 ほんとに、その流れそのものなんですよね。こんなにやぎと演劇つくらずにいた期間ってなかったから、頭の中でどんどん乖離していくんですよ。やぎだけじゃなくて、舞台上にいる皆の姿が想像できなくなってくる。『てんとてん〜』の稽古をしてたときも、皆はマスクをしてるから、どういう表情でやってるのか全然わからなくて。稽古が終わって家に帰ったあと、これまでだったら頭の中でイメージを進行させて、それが公演のディティールに繋がってたんだけど、それが微妙にできなくなってくる。それが結構な恐怖だったし、劇場で過ごせなくなったことで日のひかりを浴び過ぎて、気が狂いそうになったというか、本来の自分ではなくなっていく感じがありましたね。やぎはやぎで、舞台に立っている自分のことを想像できなくなっていて、「声って出るんだっけ?」みたいなことを突然言い出したんです。そういう不安定な状態で、急な坂スタジオまで稽古に通っていた気がします。だって、『窓より〜』は、やぎ的には半年以上ぶりの舞台だったもんね?

青柳 半年以上。こんなに空いたこと、なかったのかな。空いたとしても次への意識が常にあったけど、今回は次に何もなくて、このまま何もなくて死ぬかもしれない、って。春ぐらいからは、「ああ、役者ってもう要らないんじゃないかな?」と思ったんだった。映像作品は別ですけど、舞台に立つ人間はもう存在しなくてもいいという世界に変わっていくんじゃないか?と。

藤田 「舞台役者なんていなくても、この世界は普通にやってんじゃん」みたいなことを言っていて、それは切なかった。この社会はそう思わせてるんだな、って。

青柳 「この職業、もう要らないじゃん」と思った人は、役者に限らずたくさんいるかもしれないですけどね。

――その言葉を聞いていると、よくぞ『窓より〜』という作品が……。

青柳 「実現できましたね」? 私もそう思います。

藤田 だけど、やってる最中も不安定なところはありましたね。今回、「冬の扉」と「治療、家の名はコスモス」を上演することに決めたのは、川上未映子さんのこのふたつの作品は、今の状況にかなりハマるなと思ったからなんですけど、未映子さんの言葉を扱うのは3年ぶりだったんです。

――「まえのひ」というタイトルでのツアーが2014年の春で、「みえるわ」というタイトルでツアーに出たのが2018年の春でしたね。

藤田 「まえのひ」ツアーのとき、たとえば大阪の味園ユニバースで上演するときになったときに、結構でかい会場だなと感じていたんです。でも、あの頃から芸劇の「プレイハウス」(客席数832席の中ホール)で上演することが当たり前になってきてたから、「みえるわ」のときは音響の田鹿(充)さんとも話し合って、音圧のことについてもすごく計算高くなって。それにともなって、やぎにも強さを求めるようになってたところはあって。その結果として、強くなったやぎが怪優的に扱われて、「長い台詞でもすぐに暗記できる青柳さん」みたいに受け取られるようになって、正直そこじゃないのになと思っていたんです。でも――たとえば穂村さんがよく言うかつての「孤独な少女像」に戻ったと言う風に言いたいわけではないんだけど――『窓より〜』のときのやぎの姿は今にも死にそうだなと思って、それがめっちゃよかったですね。

――今にも死にそうだったんですか?

青柳 不安に押しつぶされそうな感覚はあったと思いますよ。一演目終えて舞台裏に戻るたびに、ヘアメイクの池田さんに「ねぇ、私大丈夫だった?」といちいち確認してました。お客さんが楽しんでるかどうか、あのときはすごく気になったんです。お客さんの数も絞られているというのもあって、やっぱりちょっと静かで寂しいって気持ちも起こるんですよね。マスクをしてるから、表情もわかんないし、「楽しいですか?!」ってすごく気になってました。

藤田 そんなことを気にするやぎじゃなかったと思うんだよね。
それで言うと、僕は昔、客席を観る気がなかったんですよ。『てんとてん〜』のツアーを含めて、2020年になってからは客席がすべてだなと思い始めていて。たぶん昔は、客席にいる人たちは何かが足りてないと思っていたんです。ほとんどの人たちが気づいていないことを、今から言うからちゃんと聞いててって感じだったと思うんです、昔は。でも、そんな意識がなくなって、「僕が考えていることなんて、ほとんどの人が考えてることだよな」って思うようになって。

青柳 『窓より〜』のときにもその話をしてて、「これは言い過ぎだな」ってテキストを削ることはよくありました。

藤田 引き算する意識がかなり大きくなって、やぎの口を借りて強い言葉を言わなくても、大体わかってる部分はあるよねってところが増えたんですよね。

――さっき「強さ」の話もありましたけど、青柳さんはずっと、決定的に強い一言を言う役割だったと思うんです。「未来はあるか?」にしても、「生きることにした」にしても、何をどうすればそんな言葉が言えるんだろうってことを、この人なら説得力を持って発語できるっていうことが求められるというか。それが、藤田さんが「そんなに強い言葉を言わなくても」となったときに、青柳さんはどう感じたんですか?

青柳 私も一度ゼロになってしまったので、発語能力がなくなったというか、はじめはテキストに書いてある言葉だけがビカーっと光ってるように見えてまぶしかったですね。

藤田 これまではやぎを舞台上に、ある意味で観客の前に君臨させちゃってたというか。彼女の姿を通して「これぐらいいろんな傷や痛みを抱えている身体が目の前にあるんだけど?」みたいな見せ方をしていたと思うんです。でも、傷とか痛みとかって、皆それぞれ抱えているわけだし、だからこそ今こんな状況なのにあえて劇場に足を運ぶってことを選んでいる人たちがいるんだと思うんですよね。そういう人たちに対して、さらに追い討ちをかけるような言葉を発しても、打ち消しあっちゃって響かないんじゃないか、って。強めることはいくらだってできるんだけど、強めちゃうとよくないことも生まれてきたな、と。

――今の話って、悪意を持って受け取ろうとすると、「あんなに強い言葉を書いていた藤田貴大が、あんなに強い言葉を発語していた青柳いづみが、丸くなっちゃったんだね」とも受け取れると思うんですよね。ただ、藤田さんや青柳さんの変化の裏には、演劇は同時代の観客を相手にしか存在できないって問題もあると思うんですけど、自分はどういった言葉を言わせられるのか、言っていけるのかということについて、今はどんなことを考えていますか?

青柳 また電車だけど、こないだ電車で話したときに、今は「そこまで言わなくてもいいんじゃないか?」というモードがありつつも、「やっぱり言わなきゃいけないんじゃないか?」ってところに戻ってきつつある。

藤田 ほんとに最近、そのことを考えてたんだけど、まわりまわって、「言うことは言ってかないとね」ってモードになりつつあるんです。『窓より〜』の様子を見ていても、やっぱり僕にしかわかってないことってあると思うんですよね。これは別に、「自分は観客に見せる側だから、自分だけがわかっている」みたいな偉そうなことを言ってるわけじゃなくて、僕が感じているこの曖昧さを伝えるために、今っていう時間に人を集めて、演劇っていう手段で表現をしてるんだと思うんです。それに、どれだけ言ってもわかんない人がいるからこの社会だし、この世界なんだよなとも思っていて。ニュースを見ていても、こんなに言葉を尽くしてもわかんないやつがいるんだってことが、わかってきてますよね。だから、まわりまわって「言わなきゃな」って気持ちになってきてます。

――青柳さんはどうですか。「舞台に立つ俳優って仕事はもう必要ないんじゃないか?」と思ったという話もありましたけど、それは青柳さんが被害妄想的に感じたってことではなくて、去年の春に、俳優にそう感じさせてしまった世の中があったのは紛れもない事実だと思うんです。その時間を経たあとに、どうやって舞台に立って言葉を発することができるのか。

青柳 まだそんなに戻れてる感じはないですけど、(原口)佳子さんが鼎談の中で言っていた、「客席の後ろから舞台を見ると、ほんとの結果が見える」ということで言うと、私は一生そこから舞台を見ることはできなくて。私からは客席しか見えないんだけど、でも、良い光景だなと思うんです。『窓より〜』はいわゆる劇場での上演じゃなかったから、あんまり気づけなかったけど、こないだ久々に劇場に入って舞台から客席を見たときに、ああ、やっぱりこの光景が私の生きて死んでいく場所だと思いました。その光景を見るためには、そこにいる人たちに言葉をしゃべらないと、そこに立っている意味がないからね。

藤田 今の話で言うと、やぎとか明明に、『cocoon』の沖縄公演を客席側から見せてあげたかったなって欲はあるんです。それを伝えると、「たかちゃんにも舞台から見た客席を見せてあげたかったよ」って言われるんだけど。

青柳 ああでも、こないだの『窓より〜』のときは、自分もちょっと鑑賞者の側にいるみたいな感覚だった。いわゆる劇場ではないということも大きいと思うんだけど、どの演目をやってるときも、「お、どうして今こんなところにひかりが射してるの?」って思ったんですよ。これまでそんなふうに感じたことはなかったんだけど、上演中にも、朝なのか昼なのか窓より外から陽が射してるみたいに感じる瞬間があって。それはもう、南さんの力だと思うんですけど。

藤田 その話は面白いね。やぎは鑑賞させる側だと思ってたけど、観客も俳優も、僕が仕掛けた時間にリアクションしていくしかない立場だと思うんです。究極的に言うと、役者もその時間を干渉している側なんだと思うんです。

青柳 そのひかりを感じたときに、観客とちょっとだけ同じものを見てるかもって気持ちになった。

藤田 それはもう、同じ月を見ているように、同じものを見ているはずなんだよ。

青柳 位置は皆違うけど?

藤田 位置は違うけど、そのひかりの下に皆いるだけじゃん。そういうことを、パフォーマンス中のその瞬間に受信してるかどうかっていうのはあると思うし、何も受信してない俳優って多いじゃん。パフォーマンス中になんの感受性も働かせないで、相手役なのか客席なのかにただ矢印を振っているだけっていう。マームに関わってる人たちは受信し続けてる人だと思うけど――でも、今の話は面白いね。「なにこのひかり?」って思ったってこと?

青柳 そう。いつもなら照明が当たっているところがあると、「ラッキー、ここ入ろ」みたいな感じなわけ。ここに入ったほうが、鑑賞者からきれいに見えるだろう、って。でも、そのときはほんとうに太陽と感じ間違えたし、客席にいる皆もそう感じたんじゃないかなって、初めて思えたんです。

©2018 mum&gypsy