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「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY1-DAY7

DAY 2

2020/09/18

2020.9.16

朝、ホテルの前に大型タクシーが4台並んでいた。ここから劇場まではタクシーで移動することになった。同じタクシーに乗り合わせた俳優の荻原綾さんと成田亜佑美さんが、小さな声で言葉を交わしている。

「アートセンターからバスで10分ぐらいのところに、竜宮城があるんだって」

「竜宮城?」

「そう。あと、バスで1時間ぐらいのところに城下町があるんだって。城下町、行ってみたいね」

「そうだね。海も行きたいね」

「それって竜宮城ってこと? 竜宮城は海岸にあるんだよ。バスで10分って言ってたから、自転車なら25分くらい?」

「どうだろう。もうちょっとかかるかもね」

ふたりの話を聴きながら、『てんとてん』のツアーで訪れたアンコーナという町を思い出す。それはイタリアの東海岸にある港町で、宿泊施設と劇場とが離れた場所にあるということだけ知らされていた。「離れてるっていうのは、どれぐらい離れてるんだろうね」。「なんとか歩いて移動できるかな」。そんな会話を交わしながら、アンコーナ駅まで迎えにきてくれていたスタッフの車に乗り込んだ。山道を進んでゆくにつれて、歩いて移動できるどころではなかったのだと全員が悟ったのだった。あれはもう、6年も前のことだ。

タクシーは川沿いを進んでゆく。川の向こうには山がある。「なんか日本昔話の山みたいだね」と成田さんが言う。

「海と山、どっちが好き?」

「どっちも好き」

「どっちか選べって怒られたら?」

「海かなあ。どっちが好き?」

「ううん、ちょっと選べないね。どっちだろう。ずっと海って思ってたんだけどさ、山ってやっぱ、すごいよね。迫力がすごいよ。あの木一本一本さ、すごい長い時間かけて伸びてきたわけでしょう。その時間を想像すると、山は迫力がすごいって思うように――あ、温泉街だ」

道路が川沿いを離れると、城崎温泉駅があり、そこから先は一気に温泉街に切り替わる。旅館や土産物屋が軒を連ねる道を抜けた先に、城崎国際アートセンターはあった。

出迎えてくれた劇場のスタッフの方が、ひとりひとりを検温する。手指をアルコール消毒して館内に入り、それぞれが滞在する部屋の鍵を受け取って、部屋に荷物を置く。公演に携わるメンバーが一堂に会し、簡単に自己紹介をしたのち、いくつか注意事項が伝えられる。その中に、舞台上の消毒はカンパニー側で、客席側は劇場側で消毒するようにしましょうという話があった。感染拡大を防ぎながら上演を目指すということは、こうしたひとつひとつの項目をきっちり詰めていく作業なのだろう。

挨拶を終えると、レジデンス施設を案内してもらう。キッチンは広く、ぴかぴかで、コンロが13口もある。鍋やフライパン、食器もかなりの数が用意されている。シンクごとに洗剤とハンドソープが置かれていて、花も飾られている。そこに昨日買っておいた調味料と食材を運びこんだ。

続々と荷物が届く。箱買いしたペットボトル入りの水やお茶、東京から運んでおいた宅急便、お昼のお弁当。旅に出て演劇を上演するということは、作品のことだけ考えて過ごせるわけではなく、滞在期間中の生活を整える必要がある。

テクニカルチームが仕込みをしているあいだ、藤田君と俳優の「皆」(俳優であり映像担当でもある召田実子さんは除く)で、劇場から自転車を借り、駅の近くにあるスーパーに出かけた。今日は平日だけれども、街には浴衣でそぞろ歩く観光客の姿がある。これまでと同じようには海外に出かけられなくなった今、近場の観光地に足を運ぶ人が増えたとニュースで報じられていたけれど、ここにも少し観光客が戻りつつあるのだろうか。

「はあ、緊張するね」

「え、石拾うだけだよ?」

「違うよ、ここから始まるんだよ」

日が傾きかけたころになって、俳優の「皆」がふたたび出かけてゆく。『てんとてん』には舞台上にテントが置かれていて、それを固定するための石や、そのまわりに配置する落ち葉や小枝を、上演のたびに劇場のまわりを歩き、探してくるのだ。

「いつか褒められたらどうする? 『マームの葉っぱの感じがよかった』って」

「山のプロみたいな人から、『これはどこどこの山の風景のようだ』ってね」

「でもさ、このあたりはかなり山が多いだろうから、皆さんの想像はつながるだろうね」

山裾を歩いていると、原っぱのような場所に出た。そこには鹿のフンがあちこちに落ちていた。このあたりの山には鹿だけでなく、猪や猿、それに熊も棲息しているらしかった。

落ち葉と小枝を抱えて劇場に引き返すと、カレーの匂いがした。藤田君は買い出しを終えてからずっと、キーマカレーを作っていた。12人ぶんのカレーが完成すると、藤田君はすぐに料理本を開き、明日の朝ごはんの付け合わせを考えている。「やっぱり麺つゆも買ってこよう」と、ふたたび自転車をこいで買い出しに出かけてゆく。

この半年間、藤田君は頻繁に料理をするようになった。それは、コロナ禍で暇を持て余し、趣味で料理を始めたということではなく、本当なら今年の秋に予定されていた『IL MIO TEMPO』に向けて練習していたのだ。

『IL MIO TEMPO』は、『てんとてん』でイタリアを旅したとき、ワークショップで出会ったイタリア人の俳優と一緒に、日本とイタリアをお互いに往復しながら制作した作品だ。今回上演される演目は、『てんとてん』ではなく『IL MIO TEMPO』となるはずだった。でも、イタリアから俳優の皆を招いて上演することはどうしても難しく、『てんとてん』が上演されることになったのだ。

出演者のひとりに、カミッラがいる。彼女にグルテン・アレルギーがあると判明したころ、まだグルテン・アレルギーの存在はあまり知られておらず、今のようにグルテン・フリーの食材はほとんど流通していなかった。だから、ピザやパスタを食べることができず、「自分はどうしてこの国に生まれたんだろう」と思ったこともあると話してくれた。

「料理はずっと、カミッラのために頑張ってきたことだから、盛り上がりきれない部分も正直あるんですよね」。キッチンでひとり、玉ねぎを何個もみじん切りにしながら、藤田君はそうつぶやいていた。外はすっかり暗くなっていて、暗闇の中、虫の音が響いている。日が落ちるとすっかり秋の気配だ。ポンテデーラという小さな町に滞在しながら、『IL MIO TEMPO』のクリエイションを始めたのもちょうどこんな季節、夏が終わって秋が始まるころだった。劇場の裏庭のような場所から、ポンテデーラで花火を見上げたことを思い出す。あのころは世界中どこにだっていけるような気がしていた。コロナ禍の中で、移動は感染を拡大させる元凶と見做されるようになった。ロックダウンという言葉も知った。時間を巻き戻して、以前のように過ごすことはできないけれど、あのころの自分の考えが間違っていたとは思わない。わたしたちはこことは違う世界を想像することができるし、ここではないどこかに移動することができる。誰もいなくなったダイニングルームで、真っ暗な窓の外を眺めながら、ポンテデーラのキッチンを想いうかべてみる。

テキスト・撮影:橋本倫史

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