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「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY1-DAY7

DAY 4

2020/09/20

2020.9.18

朝。キッチンに降りると、今日も朝ごはんが用意されている。藤田君はちゃんと眠れているのだろうか。まずは手指を消毒し、ダイニングルームの片隅に置かれた非接触型体温計で検温する。こんな体温計があることすら、半年前まで知らなかった。誰かに非接触型体温計をおでこに向けられるたび、銃社会に暮らしていたら感覚が違うのだろうかとぼんやり思い浮かべる。こうやって自分自身に非接触型体温計を向けるときは、どうだろう。体温は今日も36.8℃だ。ツアー期間中は全員が毎日検温し、記録を残すことになっているので、用紙に記入しておく。もう一度手指を消毒して、ごはんと味噌汁をよそって平らげる。朝市で買ってきた卵まで用意されていて、たまごかけごはんにしてかき込んだ。

食事を終えると、ランドリールームに向かう。ここはホテルではなくレジデンス施設なので、タオルなども各自用意することになっている。着替えはまだあるけれど、バスタオルが少し臭うので、今日のうちに洗濯しておく。皆で使えるように、制作の古閑さんが買っておいてくれた洗剤をお借りする。その洗剤は花王のナノックスで、ぼくが普段使っているのとは別のものだ。

ぼくは普段、ずっと同じメーカーの洗剤を使っている。それはこだわりがあるというよりも、違う洗剤を試すのが不安だからだ。もしも買ってみたときに、洗い上がりに満足できなかったら、どうしよう。満足できなかったとしても、残り何十回と洗える量が残っている。その状況を考えると不安で、同じ洗剤を使い続けている。だから、こうして違う洗剤を使ってみるというのはまたとないチャンスだ。

エレベーター前に置かれた消毒液で消毒し、ランドリールームのあるフロアに移動し、洗濯機をまわす。小一時間経ったところで、もう一度手指を消毒し、洗濯物を乾燥機に移す。洗濯物から、洗剤の匂いが漂ってくる。この匂いにはおぼえがある。今度から、この匂いを漂わせている人とすれ違うと、この人の家はスーパーナノックスを使っているのだなと想像してしまう気がする。

ある程度乾燥させたところで乾燥機をとめて、部屋に干しておく。気づけば場当たりの始まる11時が近づいている。入り口で手指を消毒し、劇場に急ぐ。去年に入るまでこんな習慣は存在しなかったのに、もうほとんど習慣のように、消毒液を見かけるたびに消毒している。これらのすべてが、やがて億劫になってしまう日がくるのだろうか。これは消毒のことを言っているわけではなく、朝がくればごはんを平らげて、洗濯物を洗って、部屋を掃除するという動作を、何の疑問を抱くこともなく、面倒に思うこともなく繰り返しているけれど、そんなふうに生活を続けようとすることが億劫になってしまう日が、やがて訪れるのだろうか。こうして洗濯をしているということは、少なくともあと数日は生き延びるつもりでいるのだろう。

午前11時から場当たりが始まり、お昼休憩を挟んで、15時からはゲネプロが始まる。ゲネプロとは、本番と同じように舞台を最初から最後まで通すことを指す。

「思ってたよりも、ゲネとしてはよかったです」。ゲネプロを終えたあと、藤田君はそう切り出した。「もっとドタバタするかなと思ってたんだけど、結構よかった。場当たりもゲネも、ぼくとしては久々な作業だけど、今、この作品があきらかに去年とは違うことになり始めてるなってことを、昨日の場当たりから思っているので、そこが引き延ばされていくとかなりすごい作品になるんじゃないかと思う。この作品は、ぼくがコントロールしていないところに手を伸ばせているような気がしていて、そこが着々と出来てきてるから、観てよかったなと思える時間ではあった。ただ、ほんとに細かいタイミングとか、照明の明るさや音量感を微調整していくだけで、もっと違ってくると想う。思えば『てんとてん』は久々に国内公演で、その意味でも去年までの作業とは違うなと思ってるんだよね」

今回のテクニカル・スタッフは、舞台監督の原口佳子さんも、照明の小谷中直美さんも、音響の竹内和弥さんも、初めて『てんとてん』にたずさわる座組だ。それはメンバーを一新しようとしたわけではなくて、去年の烏鎮公演で一緒だった舞台監督の熊木進さんや、照明の南香織さん、音響の星野大輔さんは、スケジュールの問題で参加できなかったのだ。でも、こうして新しいメンバーで一緒にできることを、藤田君はポジティブに捉えているようで、場当たりのときにも俳優の皆に「出来上がってるものを再現しようとしないで欲しい」と注意していた。こうやって新しい座組で作品に取り組むことができているのだから、出来上がっちゃってた箱をひっくり返して、「この作品ってどういう作品だったんだろう?」と考え直しながらやって欲しい、と。

劇場ではこまかな修正作業が重ねられていたけれど、ぼくはゲネプロを観終えたあとにたまらない気持ちになってビールを飲んでしまったので、ロビーでゲネプロのことを反芻する。ゲネプロはあくまでリハーサルであり、完成形ではないとわかってはいるけれど、最初から最後まで通すところを観たのは、ずいぶん久しぶりだという感じがする。

ロビーにある壁や柱は、サインで埋め尽くされている。これまで城崎国際アートセンターに滞在した人たちのサインだ。その中に、「悪魔のしるし」の文字を見つけた。2013年にフィレンツェで『てんとてん』が上演されたとき、クロアチア帰りの危口統之さんが観劇にやってきたことを思い出す。あのとき、危口さんから「缶コーヒー何本か買ってきて貰えないだろうか」と頼まれて、藤田君は日本を出発するときに缶コーヒーを数本買い込んでいた。

危口さんが倉敷の病院に入院していたとき、帰省のついでにと理由をつけて、危口さんに会いに行ったことを思い出す。あの日、せっかくだから談話室に行きましょうかと誘われて、車椅子の危口さんと一緒にエレベーターに乗り込んだ。

「思ってることを整理がてら話しますけど、基本的に無力なんですよ」。エレベーターの中で、危口さんはそう切り出した。「自分が入院して初めて気づきましたけど、入院した相手への処し方というものを、われわれはわかっていないんです。病がある程度重いと、病院に任せるしかないんです。でも、それでも何かやりたいという気持ちが皆にあるから、『そういえばあの人は絵を描くのが好きだった』とか、『あの人は本を読むのが好きだった』とか考えて、スケッチブックや本を送ってきてくれる人もいるんです。でも、この状態で難しい本なんか読めないわけですよ。スケッチブックにしたって、俺にも好みがあるってことを察してくれっていう。われわれは愚かにも、被災地に古くなったこども服を送りつける、あれを反復してしまっているわけです」

危口さんはあの日、「今はもう、『ヤンマガ』でさえ重くて、読む気力が起きなくなった」と笑っていた。そして、談話室から窓の外を見渡しながら、「冬型の気圧配置、強めの寒気」と口ずさんでいたことを思い出す。

強めの酒が飲みたくなって、街に繰り出す。すっかり日が沈んでいて、街灯の下を浴衣姿の人たちが行き交う。カランコロンと下駄が鳴く。危口さんもフィレンツェで下駄を履いていたけれど、どんな音を響かせていただろう。

柳通りにサントリーの古い看板を掲げた酒屋があった。聞けば明治43年創業の老舗だという。そこでサントリーの角瓶を買って帰り、ダイニングルームでそれを飲みながら、ラジカセでキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を再生する。最後の曲が流れ始めたところに藤田君が降りてきて、すぐに「『ケルン・コンサート』だ」と反応する。「うちの父さんも母さんも『ケルン・コンサート』が好きだったから、家でよく流れてたんですよね。弟の恭平君はこの最後の曲が好きだったから、この曲から流そうとするんだけど、そうすると父さんが怒るんですよね。流れがある、って」

返し稽古は夜休憩に入ったらしく、皆が劇場から降りてくる。今夜は手短に食事を済ませられるようにと、制作の古閑さんや林さんが素麺を容器に小分けし、すぐに食べられるように用意していた。好みの具材をそれぞれ盛りつけ、10分足らずで平らげると、皆劇場に戻ってゆく。過去の記憶を思い出してばかりいるけれど、目の前にいる皆の姿を見つめながら、ウィスキーをちびちび飲んだ。

テキスト・撮影:橋本倫史

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