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「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY1-DAY7

DAY 7

2020/09/23

2020.9.21

今日も朝がやってきて、8時50分のラジオ体操で一日が始まる。劇場がオープンし、客席が埋まってゆくなか、藤田君は今日もキッチンにいた。

「小学生のころ、ぼくはずっと、しげちゃんとひでちゃんの家に遊びに行ってたんです」。きのこをソテーしながら、藤田君が言う。「ほんと、週7で遊びに行ってたんですよ。ぼくが小1のとき、しげちゃんは小6で、漫画も音楽も悪いことも全部、しげちゃんちで教えられたんですよね。しげちゃんの部屋って、こう、壁一面がクワガタだったんです。壁が埋まるくらいにクワガタを飼ってる虫かごが並んでいて、大人になったらそういうふうになるんだと思ってたんですよね。それで、しげちゃんのお母さんはたえこさんって人で、ぼくや弟が遊びに行ったときには、いつもごはんとかお菓子を食べさせてくれてたんですよね」

開演5分前まで料理を続けながら、藤田君はそんな話を聴かせてくれた。どうして急にそんな記憶がよみがえってきたのだろう。「どうして?」と質問することはできるけれど、その答えを聞いたところで、ほんとうに理解することはできないだろう。

『てんとてん』を観るたびに、そんなことを考えさせられる。ぼくはずっとこの作品を観続けてきたから、どこにどんなシーンが配置されているのか、どんな台詞が語られるのか、すべておぼえている。でも、それで理解したと言い切ることができなくて、こうして何度となく作品を観返している。

13時過ぎに上演が終わると、すぐにバラシが始まる。大勢のスタッフの方が手伝ってくれたこともあり、15時半には作業が終わり、クロネコヤマトの集荷を待つ。23口の荷物たちが、次に『てんとてん』が上演される香川に運ばれてゆく。

キッチンにはフランス・ローヌ地方の赤ワインが置かれている。城崎国際アートセンターの館長・田口幹也さんが「マームとジプシーをイメージして」と、差し入れてくれたものだ。以前のように乾杯はできなくなってしまったけれど、皆でそれを飲んだ。俳優の尾野島慎太朗さんは、近くの酒屋で見つけたのだという竹鶴のピュアモルトを飲んでいる。マスク越しにも、嬉しそうな気配が伝わってくる。マスクで口元が覆われていたって、表情は伝わってくるものだと知る。ぼくもキッチンまでお猪口を取りにいき、御相伴にあずかることにする。ちびりとウィスキーを口に含んで、ふたたびマスクを装着すると、普通に飲むとき以上に香りが広がる。スタッフの吉田雄一郎さんが差し入れてくれた甘いお菓子が、ウィスキーによく合う。

21時になると、皆でパソコンの前に座り、グループLINEのビデオ通話を繋ぐ。画面上に、『IL MIO TEMPO』に出演するアンドレア、ジャコモ、サラ、カミッラ、川崎ゆり子さん、イタリアで制作を担当するルイーサ、翻訳でたずさわる門田美和さんの姿が表示されている。皆、口々に「チャオ!」と挨拶を交わす。画面上に並ぶ皆の姿に、「プリクラみたいだね」と成田さんが言う。

「今、ぼくらは城崎ってとこにいます。コロナの前とはちょっと違うけど、日本は再開し始めました。イタリアはどうですか?」

藤田君の言葉を、門田さんが通訳してくれる。イタリアでも演劇は再開されているけれど、観客はセーフティ・ディスタンス”を保たなきゃいけないし、観客の数は“ドラスティック”に減らさないと公演できなくなったのだと、ルイーサが教えてくれる。上演するためには検査を受けて陰性かどうかを確認しなきゃいけなくなったし、カンパニーによってはあえてマスクを取り込んだ作品を上演しているところもあるのだという。そして、今は多くの作品が屋外で上演されていて、劇場という閉ざされた空間に行くことを多くの人は怖がっているんじゃないかと思うから、これから先のことはわからない、と。

ルイーサの話に、藤田君は「日本と同じだね」とつぶやく。「来年になればまた違う状況になってると思うんだけど、ただ、良くも悪くもこの状況に終わりはないと思ってるんですよね。これがずっと続いて、こまめに消毒するとか、マスクをつけるとか、そういうことが普通になっていくと思う。ただ、そんな今っていう状況の中で『IL MIO TEMPO』を上演することが、必要なことだと思ってるんだよね。『IL MIO TEMPO』は『わたしの時間』って意味だけど、その言葉の意味合いは変わってきてると思うから、今上演することは意味があると思う。だから、日本で『IL MIO TEMPO』を上演したいなってことと、日本以外でも上演できたらっていう気持ちは、ぼくの中ではまったく変わってないです。政府のルールとか、渡航のルールとかが整ったら、上演に向けて準備をしていきたいなと考えてます。この作品はいろんなラインを越えようとする作品で、日本語とイタリア語、それぞれの言葉で会話しているんだけど、それが同じ言語であるかのように言葉が交わされている作品というのは、どの国でやっても観客に響くと思うんですよね」

藤田君の言葉を門田さんが通訳すると、アンドレアは「グレイト!」と笑顔を浮かべる。「ありがとう」と、カミッラは日本語で語りかけてくれる。『IL MIO TEMPO』という作品は、何度も日本とイタリアを往復してきたけれど、皆のイタリア語が格段に上達したわけでもなく、英語もそんなにわからないから、簡単な言葉ぐらいでしかコミュニケーションをとることができない。でも、それでもこうして画面越しに言葉を交わしている。

日本が夜の9時だということは、イタリアは昼の2時だ。「今日は料理をする時間がなかったから、ちょっとしたサプライズをジャコモにした」とアンドレアが切り出す。画面の中で、ジャコモは何やら箸を手にしている。もう片方の手で持っていたものを、ジャコモがカメラに向ける。そこに映し出されたのは納豆だった。

「え、納豆だ!」

「ジャコモ、納豆食べれるの?」

「いや、絶対食べれないでしょ」

日本の皆が口々に言っていると、「ウィー・イート・ナットー、ビコーズ・ウィー・ミス・ユー」とアンドレアが言う。『IL MIO TEMPO』では、イタリアの皆と日本の皆がお互いの国の食材について語り合う場面があり、そこで納豆の話も登場するのだ。

画面に映る姿と、その画面を食い入るように見つめる後ろ姿を見ていると、胸がいっぱいになってしまう。ぼくはこの状況になっても、オンラインで誰かと話すことを避けてきた。ぼくがこれまでどこかに足を運んだり、一緒に過ごしたりするというのは、そんなもので代替できることではないのだと、心のどこかで馬鹿にしてきた。でも、こんな光景を前にすると、とても素朴な言葉が浮かんでくる。どんな状況になったとしても、わたしたちは場所を越えてつながることができる。そんなこと、誰かに言われたら絶対に馬鹿にしてしまうはずなのに、浮かんでくるのはそんな言葉だった。

「それ、めっちゃわかるわ」。通話が終わったあと、ぼくが感想を漏らすと、藤田君はそう言って笑った。「ほんっとに馬鹿にしてたわ。その話、めっちゃわかって笑えるわ。人ってさ、ほんとに人ってさ、他人事なんだよね。今までいろんなことを馬鹿にしてきたけどさ、それをさ、ぼくらのことになるとわかるって、ほんと酷いですよね。ZOOM飲みのこととかも、『そんなの飲んだことにならないんだよ』とか言ってきたけど、マジで何様だよって話だよね。それがその人にとってすごく大切な時間だったらどうするの?っていう。だって、あんな表情が並んでるのを見たらさ――もう、やんなっちゃうな」

黙っていると、とめどなく感情が溢れ出てしまいそうだから、藤田君と大笑いしながらしばらく話し続けた。そうして城崎滞在最後の夜は更けてゆく。

テキスト・撮影:橋本倫史

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