2020/09/24
2020.9.22
。朝。キッチンで成田さんが冷蔵庫の中身を整理している。次の滞在する誰かに引き継げそうなものは残すことにして、あとは今朝のうちに食べるか、香川まで持っていけるようにしておく。ほとんど空になった冷蔵庫に、成田さんはメモを添えた包みを忍ばせている。それは、環境整備のスタッフとして毎日きれいに掃除をしてくれた方へのお礼のプリンだ。
。滞在初日から、このスタッフさんの話題で持ちきりだった。背筋がぴんと伸びていて、朝から隅々まできれいに掃除をしてくれる。それも、「わたしは毎日、この順番で掃除をすることに決めています」といった態度で清掃作業を進めるのではなくて、こちらの行動を察知しながら掃除してくれていた。
「このお仕事をする上で、皆さんの邪魔をしないようにというのが一番にあります」。お仕事のあいまに話を聞かせてもらうと、スタッフさんはそう答えてくれた。「もしも清掃に100点があったとして、もちろん100点を目指すんですけど、もしも80点になってしまったとしても、皆さんの邪魔をせず、皆さんのご滞在がいかに有意義なものになるか、ストレスなく快適に過ごしていただくかということに気にかけています。だから、なるべく皆さんの様子を窺って、一日のタイム表を拝見しながら、『今はこちらで過ごされているから、キッチンが空いているな』と、邪魔にならないようにと仕事をやっております」
。このスタッフさんは、2014年の春、城崎国際アートセンターがオープンしたときからここで働いているそうだ。環境整備の仕事は未経験だったものの、「お手洗いをきれいに清掃し、気持ちよく利用してもらえるよう環境整備の仕事をしたい」と思っていたところに求人を見かけ、ここで働くことに決めたのだという。それまで舞台芸術はほとんど観たことがなかったけれど、ここで働くようになってから、観劇が好きになったと聞かせてくれた。
。ぼくは誰かと接するとき、言葉の選び方に人柄を感じ取る。もしもぼくが理容師だったら、身嗜みに人柄を感じるかもしれない。環境整備の仕事をしていると、キッチンの使い方やその汚れに、人柄のようなものを感じることはあるのだろうか?
「皆さん、すごくきれいに使ってくださいました」。マームとジプシーの印象はどうでしたかと尋ねると、スタッフさんはそう答えてくれた。「あと、皆さんがこちらを気遣ってくださって、とても素晴らしいカンパニーだと感じました。あと、制作の方が二人いらっしゃるところが素晴らしいなと感じました」
。皆が出発の準備を終え、ダイニングルームに集まってくるころには、環境整備のスタッフさんの姿は見えなくなっていた。今はもう、どこか別の場所を清掃されているのだろう。冷蔵庫の中に入れておくと気づいてもらえないのではと、成田さんは付箋を取り出し、「まんなかのれいぞうこもみてネ」とキッチンに書き置きを残している。劇場の皆さんに見送られて、城崎国際アートセンターを発つ。タクシーの後部座席から振り返ると、姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
。城崎温泉駅に到着したのは11時半だ。ここからまずは山陰本線に乗り、鳥取を目指す。売店には駅弁が売られていて、蟹の入った弁当も並んでいる。どうしようかと、しばし悩む。こんな状況になってしまった今、車内でマスクを外し、弁当を食べてよいのだろうか。いや、こんな状況でなくたって、特急や新幹線ならともかく、鈍行で駅弁を食べるのは少し憚られる。でも、ここで躊躇してしまうと、駅弁というものの需要が下がり、お弁当屋さんがなくなってしまうのではないか。それは、困る。旅の楽しみのひとつは駅弁だ。迷った挙句、蟹の絵の包み紙が印象的な米田茶店のかに寿しと缶ビールを買って、駅のベンチでかき込んだ。
。お弁当ガラは捨てて、包み紙だけ鞄にしまい込み、山陰本線に乗り込む。電車が動き出すまで、包み紙を取り出し、食品表示のところを見返す。酢飯(国産米使用)、かに身酢漬、錦糸玉子、ごま昆布佃煮、椎茸煮、奈良漬――この奈良漬はうまかったと、食べ終えたばかりの弁当の味を文字から反芻する。食品表示の「製造者」の欄には、米田茶店の名前ではなく、神戸市東灘区にある淡路屋の名が記されていた。不思議に思って調べてみると、その経緯が記された記事を見つけた。
。米田茶店は山陰本線の浜坂駅にあるお店だ。創業は明治44年だから、山陰本線の開通の2年後だ。鉄道が通ったことで、人が行き交うようになり、駅前でお店を始めることになったのだろう。だが、売り上げが減少したことで2019年1月に駅弁の製造をやめることになり、昨夏にはお店自体も閉じることになったのだという。そこに神戸の淡路屋が「駅弁の味を引き継ぎたい」と名乗りを挙げ、かに寿しが復活したのだそうだ。
。電車が動き出す。長いトンネルを抜けた先に城崎アートセンターがあり、さらに進むと海が見えてくる。皆が食い入るように海を眺めているのを、近くの座席のこどもが不思議そうに見ている。ここに暮らしている人たちからすれば、車窓の景色は見慣れたものなのだろう。山陰本線は何度もトンネルを抜け、そして海が見えてくる。それを繰り返しているうちに、皆もウトウトと眠りにつく。柴山、香住、それに米田茶店があった浜坂と、蟹の産地と知られる海が続く。どこか小さな駅のホームにたどり着くと、そこには3人の女性が立っていた。そのうちのひとりだけが乗り込んで、あとのふたりはホームから手を振っていた。電車が動き出すと、ホームに残ったふたりが、電車と一緒に走り出す。そんなに長いホームではないから、小走りくらいの走り方だったけれど、ホームの端まで手を振りながら見送っていた。
。鳥取でスーパーいなば6号に、岡山で南風17号に乗り換えて瀬戸内海を渡り、琴平にたどり着く。ひとつ手前の善通寺駅には、フェンス越しに電車を眺めているこどもたちがいた。琴平駅には、フェンスの向こうで井戸端会議をしながら電車を眺めているおばあちゃんたちの姿があった。改札を抜け、スーツケースを引きながら、今日から宿泊するホテルまで歩く。城崎に滞在しているときは、街に観光客があふれていた。この街には金比羅山があるとはいえ、そことは反対方向にホテルがあるせいか、観光客の姿はほとんど見かけなかった。
。歩道がない道路を、皆でスーツケースを引きながら歩いてゆく。14人の集団が、マスクをつけてスーツケースを引きながら歩く姿はめずらしいのか、すれ違う車の運転手から視線を感じる。今日移動してきた鳥取、岡山、香川では、昨日の新規感染者は0だった。その街に、どこか遠くからやってきたのであろう人の姿は、どんなふうに見られているのだろう。
。視線に敏感になってしまう。でも、そんなふうに感じるのは、こんな状況になったからではないはずだ。
。気をつけなければならないことが増えたけれど、知らない街に出かけるということは――誰かが暮らしている土地に足を踏み入れるということは――以前から慎重さが求められるふるまいだった。自分が生まれた街にだって、自分が生まれる前からそこに暮らしていた誰かの生活がある。そこを離れる人もいれば、残るという選択をする人もいる。ここ善通寺にも、自分の故郷から移動してきた人もいれば、ここで暮らし続けてきた人もいるのだろう。その人たちが『てんとてん』を観たら、どんな感想を抱くのだろう。
。ホテルの真向かいに大きなスーパーマーケットがあった。チェックインを済ませると、藤田君はまた買い出しにいくようだったので、一緒についていく。スーパーには「はけびき」という、見慣れぬカラフルなお菓子が並んでいた。「秋のお彼岸」と書いて売られているから、お供物なのだろう。そういえば今日は秋分の日だ。
「今回のツアーは、今までで一番緊張したんですよ」。食材を選びながら藤田君が笑う。「PCR検査をしたときも、誰かが陽性だと判定されてしまうんじゃないかと思ってたんですよね。だから皆に、『もしも陽性だと判定されても、それは悪いことではないから、傷つかないで欲しい』と伝えてたんだけど、それは自分に向けて言ってたような気がするんです。彩の国で2週間稽古をしているあいだも、誰かが陽性だと診断されてツアーに出られなかったときの心構えを、自分の中で稽古してたんですよね。だから、旅に出るときはぼくも緊張してたし、皆も緊張してたと思うんだけど、ちょっと皆の表情が緩んでよかったなと思うんですよね」
。明日小屋入りする劇場にもキッチンが併設されているらしく、藤田君は引き続き料理をするようだ。これまで旅に出るときは、藤田君は原稿の締め切りを抱えていることが多く、部屋にこもって原稿を書いて過ごす時間もあったけれど、今回は仕事を全部終わらせてから旅に出たようで、ずっと皆と一緒に過ごしている。藤田君がキッチンで料理を続けているおかげで、皆は食事の心配をせずに済むし、緊張感のあるリハーサルや本番の時間とオフの時間とがバランスよく過ごせているように感じる。
。買い物袋を抱えてホテルに引き返すと、空が赤く染まっていた。久しぶりに眺める夕焼けに立ちどまり、藤田君は写真に収めていた。
テキスト・撮影:橋本倫史