mum&gypsy

「てんとてん〜」2020年 ドキュメント DAY8-DAY 14

DAY 9

2020/09/25

2020.9.23

朝9時半、四国学院大学の西村和宏先生がホテルまで迎えにきてくれる。西村先生の運転する車で劇場に向かう。藤田君は5年前から四国学院大学で非常勤講師をしており、昨年2月には学内にあるノトススタジオでmum & gypsy×trippen『BEACH BOOTS』を上演し、そして去年の夏には学生たちと一緒に『mizugiwa/madogiwa』を発表している。

「×××は上京したんですか?」。藤田君は『mizugiwa/madogiwa』で一緒になった学生たちのことを先生に尋ねている。

「そう、上京して就職してます」と西村先生。

「え、△△△とかは?」

「△△△も上京して、劇団の研修生になってますね」

「あと、□□□ちゃんは?」

「ああ、□□□君はこのへんにいます。公演からもう1年経つのか」

「あっという間でしたね。何もしないまま、あっという間でした」

10時に四国学院大学にたどり着くと、スタジオに併設された「実習室」に向かう。そこはリノベーションされて、真新しい空間に生まれ変わっていた。今年の春に完成したばかりで、使うのはわたしたちが初めてだという。この半年間、スタジオでは演劇が上演されておらず、『てんとてん』が久しぶりの上演だ。

テクニカルチームはすぐに仕込みにとりかかり、俳優の「皆」は近所の散歩に出る。大学の向かいには護国神社がある。年に一度、非常勤講師として四国学院大学を訪れるたび、護国神社の境内でひとりビールを飲んでいたのだと藤田君が話していたことを思い出す。夜の境内には、誰かを亡くしてしまったのか、人形を抱えながら参拝にやってくる人の姿もあったのだ、と。

護国神社には、敷地を囲むように樹々が鬱蒼と茂っている。その中に、ぽっかり空洞のようになった場所があり、そこから道が続いている。その先に、もう一つ、別の神社があった。そこは四国乃木神社という、乃木希典を祀る神社で、「工兵隊碑」と刻まれた石碑があった。ここにはかつて工兵隊第十一聯隊があり、最初の師団長が乃木希典だったのだという。護国神社でも、四国乃木神社でも、亡くなってしまった誰かを追悼する石碑を目にした。

神社を通り抜け、善通寺にたどり着く。境内はがらんとしているけれど、お遍路さんなのか、白い装束姿の参拝客の姿も見かけた。善通寺の金堂には薬師如来像があり、「御供」「御礼」「奉献」といった熨斗つきの日本酒がずらりと並んでいる。観光客の姿はほとんど見かけなかったけれど、手ぶらでやってきたお年寄りが、お賽銭を投げ入れ、しばらく薬師如来像を拝み続けている。善通寺の先にある香色山の麓にたどり着いたところで、劇場に引き返す。途中に善通寺教会があった。今日はいろんな祈りの場に出くわす。「次週の説教」と書かれた掲示板には、「九月二七日(日)異邦人の光」と書き記されていた。

大学前の「麺麺亭」に立ち寄り、皆のお昼ごはんに中華丼をテイクアウトする。テクニカルチームも作業がひと段落したところでスタジオから実習室に帰ってきて、お昼休憩となる。ケータイを手にした舞台監督の原口さんが、「これでも見えないんだよね」と腕をのばす。

「でも、こないだめっちゃ遠くの文字も読めてませんでした?」と藤田君。

「いや、だから藤田君、遠くは見えるんだって」と原口さん。

「2.0って、その視力を4倍にしたらピクルと一緒ですよ」

藤田君の話についていけず、皆が黙ったままでいると、波佐谷さんが「『グラップラー刃牙』の話です」と補足してくれる。

「ピクルって、1億9000万年前の地層から発見された古代の人類なんですけど、そいつは恐竜とかに勝ってきてるから、めちゃくちゃ強いんですよ。刃牙はピクルと戦うことになって、最終的に刃牙が勝つんだけど、ピクルをもう一回地層に眠らせるか、それとも眠らせないかを全人類で投票することになって。その投票の結果が、1000票差で眠らせるほうが上回るんだけど、その瞬間にピクルは逃げるんです。だから、地球上のどこかにピクルはいるっていうね」

藤田君がピクルの話をしているうちに、皆は昼食を平らげ、スタジオに戻ってゆく。最後まで話を聞いていた制作の林さんと古閑さんも、ミーティングが始まるので実習室から姿を消す。藤田君はモノローグのように話を続けながら、キッチンで晩ごはんの支度に取りかかる。そこに学生がやってきて、「お疲れ様です!」と藤田君に挨拶する。『mizugiwa/madogiwa』に参加していた学生だ。

「ああ、久しぶり! 大丈夫?」玉ねぎを切りながら、藤田君が尋ねる。

「大丈夫? はい、大丈夫です」

「何、これから授業?」

「そうです。土曜日、観に行きます」

「そっか。大丈夫?」

「大丈夫? 玉ねぎがですか?」

「いや、違う、何でだよ。この期間、大丈夫だった?」

「ああ、私は全然大丈夫です」

「お父さんとお母さんも大丈夫だった? 父さんはまだバイク好きなの?」

「よくおぼえてますね」

「おぼえてるよ!」

授業に向かう学生を見送り、玉ねぎを切り終えると、今度はにんじんを切り始める。今日は何を作っているのだろう。

「こないだの城崎は、蟹がすごかったじゃないですか」。誰もいないキッチンで藤田君が語り出す。「ぼくは北海道出身だけど、母さんは北海道らしさが嫌いだったから、そういうの避けさせてたんだと思うんだけど、ぼくの記憶では一回しか蟹を食べに行ったことないんですよね。それで、月曜日になると学校の担任の先生が『日曜日に何食べた?』とか聞くんですよ。それで『蟹食べた!』とか言う子もいるんだけど、そのときぼくは、『何食べたって言えるほどのものを食べれない子もいるのにな』と思ってたんです。だから、先生がそういうことを言うたびにヒヤヒヤしたんだけど、今でも中高生の子たちと関わるときは緊張感があるんですよね。でも、こうやって大学にきたときは、ちょっと安心感があるというか、『いや、蟹ってうまいよね』とか言えるなと思うんです」

16時半、楽屋の支度が整ったところで、俳優の「皆」が石探しに出る。目的地はお昼に引き返した香色山だ。登山道の入り口には「山頂まで1,080M」と看板が出ている。どこかからメロディが聴こえてくる。「この音、誰か螺貝でも吹いてんのかと思ったけど、自衛隊だね」と波佐谷さんが言う。四国学院大学の裏手に自衛隊の駐屯地があり、そこからラッパの音が聴こえているのだった。

「あっちゃん、ドングリいる?」

「いる。ほんとだ、ドングリいっぱい落ちてる」

「ドングリ天国だね」

「いっぱい枝が落ちてるけど、なんか寂しい感じだね。悲しい感じの色」

「ちょっと冬っぽい感じがするね」

登山道を進んでゆくと、土が盛り上がっているところがあった。これ、もぐらの道じゃない?と誰かが言う。「わたし、小さい頃にもぐらを見たことがあって。もぐらって、目が見えないじゃない? 外に出てきたもぐらが、ぷるぷる震えてたんだよね」と。

30分ほどで山頂にたどり着く。そこからは街が一望できて、遠くに瀬戸大橋も見えた。しばらく山頂に佇んだのち、木の枝を拾いながら下山してゆく。山麓に引き返すころにはすっかり日が暮れて、あたりに「夕焼け小焼け」が鳴り響く。

実習室に帰ると、藤田君の料理が完成していた。今晩はビーフシチューだ。19時から夕食をとり、仕込みは続く。21時半に今日の作業が終わり、帰り支度をしているところに、俳優の山内健司さんが顔を出してくれた。今日はここ四国学院大学に仕事で訪れていて、帰り際に立ち寄ってくれたのだ。藤田君が山内さんにビーフシチューをすすめると、「じゃあ、味見だけね」と山内さんが応じる。「うま。何これ」と山内さんが感想を漏らすと、藤田君はほっとした様子で缶ビールを開ける。

お酒をやめたという山内さんに、「またぐでぐでに酔っぱらった山内さん、見たいですけどね」「あんなに酒連れてってくれたのに、いきなりここにきてやめられてもさあ」と、皆が口々に言う。「ほんと、ひどいよね。あんだけ人に迷惑かけといて、てめえの都合でやめてんじゃねえよって話だよな」と山内さんが笑う。

藤田君たちが桜美林大学の学生だったころ、山内さんは桜美林大学の教員も務めており、皆とは10年以上の付き合いだ。

「山内さんちで、めちゃくちゃ料理食わせてもらったよね」「漬け込んだローストビーフみたいなのを食べさせてもらったよね」「かつおのたたきみたいなのを食べさせてもらったこともなかったっけ」。皆が口々に語っていると、「いや、かつおのたたきはそんなに作ったことなかったと思うんだけど」と山内さんが言う。「料理の話でいうと――志賀廣太郎さんが亡くなりましたな。いや、志賀さんはずっと料理してたからさ。それこそ、かつおのたたきを自分で作っちゃうような人だったから」

「それ、食べたことあったな」と藤田君が言う。「志賀さんとさ、淵野辺の庄屋で飲んだことがあるんだけど、ほんとに漠然とした不安をぶつけたことがあったんだよ。そのころは情緒も不安定で、大学にも行けなくて、『演劇なんかやってて、何なんですかね』みたいな不安をめちゃくちゃとげとげした感じで言っちゃったことがあって。そしたら志賀さんが、『好きだったら続くし、好きじゃなかったら続かないよ』ってことだけ告げて、日本酒飲んでたんですよね。それはめちゃくちゃおぼえてる」

ゆっくり話す時間もなく、退館時刻の22時を迎えてしまう。「山内さんと話したいこといっぱいあるんだけど、こんな限られた時間なんだ?」と言いながらスタジオをあとにして、先生が運転してくれる車に乗り込んだ。

「あのころのぼくは、あんなに好きだったはずの演劇のこと、全然好きじゃなくなってたんです」。車の中で藤田君は、山内さんに話そびれた話を反芻するように語り出す。「伊達を出て上京するときに、その理由が演劇だったっていうことを、自分の中でプレッシャーに感じてたんです。伊達にいたころって、部活に打ち込んでいれば演劇ができちゃってたわけですよ。でも、上京するとそうもいかなくなって、18からは『演劇が好き』ってことだけじゃどうにもならない問題があるんだろうなと思ってたんですよね。全然好きな言葉じゃないけど、才能とかセンスとか、コロンブスの卵的な発明を見つけ出さないと、演劇を続けていけないんだろうな、と。そこで漠然とした不安に押しつぶされるし、生活もうまくいかないし――どうにもならない気持ちでいたときに、『好きだったら続くし、好きじゃなかったら続かないよ』って言葉だけを言われたのは、結構ぐっときたんですよね。

だから、今日のお昼に『大学だと安心感がある』とか言っちゃって、たしかに『蟹ってうまいよね』みたいなことを言えるってところでは安心感があるんだけど、もう一方ではめちゃくちゃ緊張するんです。大学時代なんて、すごいプレッシャーを感じてる時代じゃないですか。ぼくは、くだらない先生の授業を履修しちゃった場合、家でゴダール観てたんですよね。ゴダールのほうが教えてくれることがあるから。大学時代って、すごいプレッシャーを感じてる時代もあるから、こうやって大学で学生たちに公演するってことは、城崎とはちょっと違う緊張感があるんです。今日の話を遡るようだけど、上演時間のあいだに、家で『刃牙』読んでたっていいわけじゃないですか。家で『刃牙』を読んでる時間のほうが、その子が表現を続けるきっかけになるかもしれない。そんな子たちが観にきてくれるからこそ、『こういう作品をつくったけど、どう?』『家でゴダール観てるより、ちょっとよくなかった?』と言いたくて。その子たちは時間というものが無限にあるように感じてるかもしれないけれど、振り返ってみるとあの時間ってかなり限られた事案だったなと思うから、そんな時間を費やしてぼくの作品を観にきてくれることに対して侮れないというか、緊張するんですよね」

自分の学生時代を振り返るように、藤田君は話を続けた。先生が運転する車は、街灯の少ない道を走ってゆく。この街に暮らしている学生たちは、どんなふうに夜を過ごしているのだろう。

テキスト・撮影:橋本倫史

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