mum&gypsy

藤田貴大 インタビュー

藤田貴大インタビュー「書を捨てよ町へ出よう」パリ公演を終えて

2019/01/30


――10月7日に東京芸術劇場で初日を迎えた『書を捨てよ町へ出よう』は、上田、三沢、札幌と巡り、パリで千秋楽を迎えました。藤田さんにとっては初めてのパリ公演でもありましたけど、パリでの日々を振り返るとどんな印象がありますか?

藤田 やっぱり、ヨーロッパに行くことは重要だなと思いましたね。最近はアジアでの海外公演が続いていて、ヨーロッパは久しぶりだったんですよね。アジアだと、なんとなく日本人が描くものをわかっているような感じがするというか、日本の歌謡曲やJ-POPを聴いている可能性がある人たちも多いと思うんだけど、ここまで移動してくるとそういうのが全然なくて、すごく試されると思うんです。それで上田公演のあたりからフランスに向けた稽古を始めて、いくつか変更も加えたんですよね。ただ、公演を終えてみて思うのは、初めての海外公演のときみたいに突撃した感じはなくて。「海外で上演したことない自分たちが、海外でやることを想像しながら作品を持っていく」みたいな感じじゃなくて、もっと熟成されたものを持ってこれたと思うんですよね。だから当たって砕けろ感はないんだけど、終わってみて感じるのは、やっぱり「ここでつくったらどう違っただろう?」ってことで。チャプター7のファッションショーのシーンとかは、日本で上演するときはあれぐらいの尺が限界かもしれないけど、こっちでやるとしたらもうちょっと見せれるなと思ったし、日本の風景の中でつくっていても描けないものを感じるから、ここでつくったら楽しそうだなと思いましたね。

――パリではいろんな風景を目にしましたけど、その中にはデモの痕跡もありました。そういう場面に出くわしたときに、それを目の当たりにしたということを特権化して語る人もいれば、そんなふうには語らない人もいます。藤田さんは後者だなという感じがしますけど、その態度というのは、世界をどう見ているのかってことに関わることだと思うんです。

藤田 最近すごく考えるのは、「自分は風景のことを見てないんじゃないか?」ってことなんですよね。もちろん自分がつくった作品の出来上がった風景は見ているつもりだけど、どんな現実を目の当たりにしても、それが自分の中を激しくかけめぐることがなくなってきた気がする。午前中にモンマルトルを歩いて、お昼過ぎにシャンゼリゼ通りに行って――シャンゼリゼ通りは面白かったけど、風景の中を歩いても、「綺麗」も「汚い」も思わなくなってきたというか。自分の見たいものが作品の中に転がっているならそこで満足だから、何かを目の当たりにしても「まじか」ぐらいしか思わないんです。焼かれたクルマを見ても、それが自分の中で永遠に焼きついたものにはならなくて、それを変にこじつけたくないんですよね。「現実のほうが現実感がない」みたいに思っている自分の感触を、自分がほんとうだと思っている「嘘」の世界に変にこじつけたくないんです。もちろん作品を観てくれた人が「この日にこういう出来事があった」と書くのは当たり前だし、それを読んだときに初めて「ああ、そうだったな」と思うんです。『イタリア再訪日記』のときもそうだけど、橋本さんはもうちょっと現実感があって、現実と結びつけて書いてくれるけど、そのドキュメントを読んでやっと実感するんですよね。自分が目の当たりにしているときはわけがわかんなくて、ショーウィンドウが割られてるのを見ても、「これは本当に割れてるの?」みたいな感じでしたね。


――パリ公演のとき、藤田さんの楽屋には蜷川幸雄さんの写真が置かれてました。あれはずっと持ち歩いてたんですか?

藤田 そうですね。『書を捨てよ町へ出よう』のツアーで初めて持ち歩いてたんですけど、蜷川さんのことばっか考えてたんです。蜷川さんはアングラに対するコンプレックスや、憧れが強かったような気がするから、この写真を見たらそのことを思い出すかなって。

――劇場とホテルのあいだにクスクスを食べさせてくれるアルジェリア料理屋さんがあって、藤田さんも二回召し上がってましたけど、あの店もパリにくると蜷川さんが行ってた店なんですよね?

藤田 そう、蜷川さんが行ってた店らしいです。アルジェリア料理だけじゃなくて、いろんな国の料理を出す店があって、すごくハイブリッドな町だなと思ったんですよね。たとえばチリに行ったときも日本食を出すレストランがありましたけど、それは「あえて」みたいな感じの日本食だったじゃないですか。でも、フランスにはしっかり美味しい店があって、劇場で手配してくれたお弁当も日本食で、「一応ここで住めるんだな」と思ったんですよね。

――同じヨーロッパでも、やっぱりイタリアとは違う感じがありますね。

藤田 それが結構謎だなと思ったんですよね。観客の反応にしても、感想を詩みたいな言葉で伝えてくれる人が多くて、それはフランスならではだと思うんですよ。イタリアはもうちょっと物理的で、「あのシーンが良かった」とか伝えてくれるんだけど、フランスは「この劇を観た自分の言語を試されてる」みたいな感じで、いろんな表現で感想を伝えてくれるんですよね。これまでは正直、僕の芝居はフランスで嫌われてると思ってたんです。「フランスでは熱っぽい芝居やパワープレイは好かない」と言われたこともあるし――その感じは実際あると思うけど――観客の頭の中で詩が起こる状態をつくるのは結構得意かもなと思ったんですよね。僕は戯曲のことを詩だとも思ってるから、そういう意味でもオリジナル作品できたときにはもっといろんな闘い方ができるなと思いました。

 

 

――藤田さんが『書を捨てよ町へ出よう』をつくる前に発表した新作『BOAT』は、「除け者」や「余所者」といった登場人物が出てくる作品でしたけど、移民の多いパリの町を歩いていると、あの作品のことを思い出したんです。それで言うと、今回の『書を捨てよ町へ出よう』は『BOAT』以降の作品だという印象が強くあって、たとえば今回新たに加えられたテキストに、寺山修司の詩「スクスク」がありますね。

 スクスクはひとりぼっちでした。もしいたずらして、
 血のついたナイフを食卓の上でおいてもみんなは知らんふりをしているでしょう。
 スクスクはやがて、いつか自分ひとりだけすることがちがっている、という理由で発見され、
 気狂いだと言われるだろう、と予感しました。
 もしかしたら、世の中の気狂いとはみんなこのようなものなのかもしれない。
 気狂いとは真似するのがいやな人たちなんだ。

この詩が再演で加わえられたというのは、結構大きなポイントだなという気がします。

藤田 あの詩を加えたのは、詩として優れてるから選んだっていうより、「気狂い」って部分なんですよね。すごく根に持ってる感じになっちゃうけど、2016年に台湾で『カタチノチガウ』を上演したときに、「クレイジーだ」と言われたんですよね。でも、僕はあの作品をクレイジーだと思ってなくて、実際に起こっていることだと思ってるから、「クレイジーだ」と言われてもわからないんです。最近は僕のことを褒められてもピンとこなくなってきてて、大きい劇場を使えるようになったことや構成のことは褒めてもらっても構わないんですけど――いや、別にそれも嬉しくないんですけど――内容について「これは新しい」とか言われても、「いや、俺、普通のことを言ってない?」と思っちゃうんですよね。スクスクの詩に「気狂いとは真似するのがいやな人たちなんだ」って言葉があるけど、その言葉が良いっていうより、「何でそれだけのことで気狂い扱いされるんだろう?」ってことを、“せつこ”っていう登場人物を通じて思えるんです。“せつこ”は普通に生きてるだけなのに気狂い扱いされて、飼っているうさぎまで殺される。それはだいぶ切ないなと思うんですよね。最近、自分のことをアーティストとか思ってなくて、普通にモヤモヤしながら生きてるだけなのになって思うんです。それなのに、一方では「すごいものを生み出した」みたいに褒められたり、もう一方では「この作品は受け入れられない」と批判されたりするけど、「え、普通に生きてたらそう思いませんか?」ってことしかなくなってきてますね。

――この『書を捨てよ町へ出よう』の初演は2015年で、初演に向けて稽古を進めているとき、パリの劇場で銃が乱射される事件がありました。その事件とは無関係ではありますけど、『書を捨てよ町へ出よう』には主人公の“わたし”が客席に向けてライフルを構えるシーンがあって、「これをパリでやるとどう受け取られるのか」ということを想像しながら稽古を進めていたのではないかと思います。パリ公演の会場はエッフェル塔のすぐ近くにあって、移民であろう人たちが路上で土産物を売っていたり、物乞いをしている人がいたり、どこか社会の端っこに置かれている人たちを目の当たりにする場面も多かったですよね。今回、観劇後にテロのことについて語っている観客もいましたけど、パリ公演の反響はどう感じましたか?

藤田 ロビーで感想を聞いていると、五月革命のことを言っている人も結構いたんですよね。パリではちょうどストライキが行われていて、あちこちで煙が上がっていて、そういう土地で自分の作品をやるのはシンプルに面白いなと思いました。その一方で、『BOAT』のときに「除け者」とか「余所者」とかって言葉を使ったけど、あれはちょっと極端だったなと思い直したんです。あのときもヨーロッパの移民の問題は考えてたし、北朝鮮の問題についても考えてたけど、頭で考え過ぎてたなと反省しました。ああやって露店を出している人もいれば、「スリが多いから気をつけろ」みたいなことも言われたけど、その人たちはその人たちで普通に生きていて、「除け者」とか「余所者」とかってことを考えられないぐらい必死に生きている可能性もある。この町を歩いていると普通にそういうことを考えるから、『BOAT』のときは表現のレベルで言い過ぎたなとちょっと反省してるんですよね。パリで町を歩いてみたら、除け者とか余所者とか言ってるどころじゃなくて、「今日食べるためのお金を稼ぐのに必死だから」って人もいて。それはまなざしを向けるところで全然違ってくるんだな、と。

 

――東京公演のゲネプロのあとに、藤田さんが書き加えたテキストがありますよね。それがこの作品で一番最後に書き込まれたテキストで、それは「無かったことにはさせない、、、、、、/あなたがつぎ生まれてくるまで、、、、、、」という言葉でした。

藤田 あれはもう、ちょっと感想なんですよね。感想とか書き込んじゃ駄目だとわかってるんですけど、「無かったことにされてるな」とほんとに思ったんです。だけど、「無かったことにはさせない」っていうのは、再演っていうことの機能も言っていると思うんですよね。なんで再演するのかっていうと、「無かったことにはさせない」ためで、その一言に集約されてるな、と。それは『ロミオとジュリエット』をやってたときにも考えてたことなんですけどね。

――今の「あれはもう、ちょっと感想なんですよね」という言葉にもあらわれてますけど、ここ最近、藤田さんにとって演劇をつくることのありようが変わってきた部分もあるんじゃないですか?

藤田 昔は「演劇をつくる」とか「作品をつくる」って思ってたんだけど、最近は生活っぽくなってきていて。作品の中でいろんな事件のことを扱ったりもするんだけど、観ていたニュース番組を消すように、それをいきなり手放してもいいんだよなとも思うんです。『BOAT』のときも、ラストでいきなり「物語は終わった」と言い出して、そこまでやってきたことを全部手放して「未来はあるか」と言って終わるわけですよね。それはもう、自分が家にいるときの感覚に近くなってるなと思います。朝のニュース番組を観てると、「今からそのスタジオに行って殴ってやりたい」と思うぐらいヤバいことを発言している人がいて、それで「もうやだ」と思ってチャンネルを変えてNetflixを観るんです。人ってそうやって目の前の問題や感情を手放すことができるじゃないですか。そうなってくると、物語みたいなものってどこにあるかというと、ちょっとわかんないんですよね。もちろん物語っていう枠は構えておくんだけど、「それをいつだって割ったって構わないんだよな」というのが自分の中で自由になってきて。

――今回の作品も、ある意味ではラストのほうで物語が割れるわけですよね。佐藤緋美さんが「よく見るために目を閉じて/書を捨てよ町へ出よう」と言い切ったところで客席も含めて照明がついて、そこからちょっと違うモードの時間になります。

藤田 そうそう。さっきの話と矛盾してるように思われるかもしれないけど、そこから違う次元で話しだす感じが、ほとんど人だなって思うんです。さっき「生活」って言ったのもそれで、それまで全然違うことをしゃべってたのに、唐突に「え、でもこれ美味いね」とかってことを話せちゃうじゃないですか。自分の作品がどんどんそれに近づいてる感じがするんですよね。台湾でクレイジーだと言われた自分が、どこまで崖の淵に立てるかみたいな状態だと思うんです。アングラ時代に生きた人たちと言葉を交わせるのは、そこに尽きる気がしてるんですよね。『書を捨てよ町へ出よう』の中でも、近江が祖国のことを語ったりコミューンのことを語ったりするけど、あれはどこまで世界と近づけるかってことだと思うんです。言葉で語るだけだと、今起こっている切迫した状況には近づけないとなったときに、その言葉の先に行こうとすることはもう、表現だと思うんですよね。だからもう、学生運動とかも表現のレベルにあったと思うんです。僕がやっていることも、ただ作品を成立させるというより、いろんな役者の身体を通じて自分が今ほんとうに思っているところにどこまで近づけるのかって作業だと思うんです。その作業は年々厳しくなっていて、どういう言い方をするか、家ですごい考えてるかもしれないです。

 

――『書を捨てよ町へ出よう』という作品は、最後は青柳いづみさんが「パチン」という音を口にして終わります。この「パチン」という音に至るまでの流れは、初演のときはクライマックスになっていたように思うんですけど、今年の再演ではクライマックスとかそういうことではなくなっていたように思うんです。この3年のあいだに、藤田さんは『ロミオとジュリエット』を演出されましたけど、あの作品は世界中の誰もが知っていると言えるくらいに有名なクライマックスがあって、それをどう自分の作品として扱うかと苦心されて、あのときは逆再生するという演出を選ばれたわけですよね。あの作品に限らず、藤田さんの作品におけるクライマックスのありようが変わってきたような気がします。

藤田 そうですね。やっぱり今は「クライマックスなんてないな」ってモードなんですよね。『cocoon』の再演あたりまではエピローグが長かったんだけど、それ以降の作品に関しては、ほんとに最後の数秒間しかエピローグがないイメージになってきて。最後の最後までフィクションを走らせておくのが僕のつくった世界の中で持ちうる現実感なのかなと思っていて、そこを仰々しく、10分とか20分かけてクライマックスみたいに語り出してしまうと今じゃないのかなって思うんです。

それで言うと、ここ数年で思い知らされたことがあって。昔はもうちょっと青臭く、「どうしたら世界が変わるのか」ってことを考えてたんです。せっかく演劇をやっているんだから、観る前と観た後で世界を変えてやろうと考えていたし、そのときの自分は格好良かったなと思うんだけど、最近はそこがわかんなくなってきて。やっぱり、自分が何をやったところで変わらない世界が外の世界にある。「せっかく演劇を上演するんだから」とは常々思っているけど、だからといって観客をクライマックスに付き合わせるのはどういうことなんだろうっていうことが、最近はすごく違和感なんです。クライマックスなんてないような底抜けの暗闇のような時代に生きていて――いや、クライマックスがあってくれたら嬉しいなと思うんですよ。でもクライマックスなんてないし、この演劇が終わったところで誰も終わらないわけですよね。その終わらなさっていうのはクライマックスとは違う気がして、最近は「最後の一言ぐらいでいいかな」と思ってるんですよね。

――今のクライマックスの話とも繋がることだと思うんですけど、「観客が何を持ち帰るのか」ということに関して、藤田さんの中で変わってきた部分もあるんじゃないかと思います。再演された『書を捨てよ町へ出よう』には、「地平線」という言葉が登場します。それは寺山さんのエッセイ「映子をみつめる」からの引用で、「だれでも一本ずつ地平線を持っているんだ」「ね、そうだろ? だからだれの立っているところでも地平線は見えるんだ」と語る“わたし”に、“せつこ”が「みんなにせものよ」「ほんとの地平線は一つしかないの」と言い返すシーンになっています。この「地平線」の話は、観客は何を観ているのかという話に通じる気がします。

藤田 演劇には客席があって、そこに座っている観客ひとりひとりが全員違う角度で舞台を見つめているわけだから、何百という視点があるわけですよね。その何百という視点が一個の作品を観るというのは、全部違う地平を見ているとも言える。そのことに対して、これまでは「そうなんだね」って思えてなかったんです。たとえば安倍総理に対して「それは違うでしょ」ってことばかり思っていたけど、一回「そうなんだね」って言えるかどうかは大きいよなと思うんです。完全に反発しているばかりだと、表現がそこまでになってしまう。「あなたはそういう選択をするんだね」っていう現実を受け止めたうえで、「だったら僕はこういうものを作るよ」と言えるかどうかが大きい気がするんです。それは『書を捨てよ町へ出よう』をやっていて学んだことでもあるし、『てんとてん』のときにはそれが出来ていた気もして。『てんとてん』の中で、町を出るって決断をした“さとこ”が「こんな町にのこったってさあ、、、、、、」って言ったときに、“あゆみ”は「さとこちゃんにとっては、、、、、、そうなんだろうね、、、、、、」って相手の言っていることを受け入れた上で、「自分はこの町に残る」ってことを言うシーンがあったじゃないですか。ああいう議論の仕方って、他の作品の中にあったかなと思い返したんです。あれ以降、つっぱねてばかりだった気がして、もう少し違う言い方ができないか、今はそれを考えてますね。

――藤田さんの演劇というのは、作品ごとにまったく異なっているというよりも、大きな流れがあるように思います。『てんとてん』という作品で2014年にイタリアツアーを行って、そこで目にした風景から執筆を始めた『カタチノチガウ』という作品があって、それが『sheep sleep sharp』、『BOAT』という新作の系譜に至るわけですよね。この3つの新作をつくるなかで藤田さんの考えも変わってきたと思いますけど、その変化というのは大きかったなと思うんです。

藤田 いや、大きいですね。たとえば『sheep sleep sharp』だと、いろんな形で人を殺すシーンを描いたわけですよね。これは2011年に『あ、ストレンジャー』をやったときにも思ったことだけど、「殺すっていう表現があるのもおかしくないよな」と思ったんです。殺人っていうのは、ある種表現だと思うんですよね。別に僕が人を殺したいって話をしてるわけじゃないんだけど、殺人っていうのはやっぱり自己表現でしかないと思うんですよね。つまり、殺人というのは「人を変えてやろう」と思うってことですよね。優れた殺人ほど社会に影響を及ぼすし、殺人者は殺人が社会に影響を与えることを考えているのかもしれない。それは表現だと思うんです。それでいうと、戦争も表現だと思います。戦争をすることで相手を変えさせようとして、相手の国に影響を及ぼそうとする。そうなってくると、壮大なアンサンブルですよね。そういうことを考えたときに――『てんとてん』をつくった頃はそのタイトルに込められたものを信じていた部分があったし、色々な受け取られ方をするであろう言葉っていうのがちょうど良かったんだけど、もうちょっと鋭く言っていかないと、ほんとうに届きたいところまで届かないんじゃないかってことは、ここ数年葛藤してますね。

――ここ数年、藤田さんの中で「どうすれば世界を変えることができるのか?」という意識が強まっているように感じます。

藤田 そうですね。それは『cocoon』を再演したときに強く感じたことで。『cocoon』は戦争を描いた作品ですけど、それを観にきてくれる観客がいて、2時間くらいの時間を劇場で過ごして帰ってくれるわけですよね。観客がある程度のものを受け取って帰ってくれる――その実感があって全国ツアーを進めたあとも、何にも世界が変わらなかったなと思うんですよね。これは川上未映子さんもよく話していることで、未映子さんは一回一回の対談に対しても「この対談が出れば世界が変わるんじゃないか」と思っているのに、朝起きても世界は何も変わっていなかったと感じるらしいんですけど、僕も「何をやっても世界は変わらないな」と思ってしまうんですよね。ただ、その一方で、『書を捨てよ町へ出よう』をやっているときに思ったのは、「劇場に足を運ぶぐらいの意識を持っている人たちを変えようとしたって世界は変わらないよな」ってことで。

――劇場にやってくる人たちというのは、何かしら問題意識を持っているはずの人たちですからね。

藤田 劇場に足を運ぶ時点で変わりつつあるかもしれない人たちに向かって「変わってくれ」と言うのは、すごく説教くさいことなのかなと思ったりもするんですよ。本当に変えたいのは、演劇を観る選択肢もないような人たちかもしれなくて。『書を捨てよ町へ出よう』を上演する前に、札幌の紀伊国屋書店でトークイベントがあったんです。それは無料のイベントで、一階の出入り口のそばにあるスペースでトークしたんです。そのスペースにいる人の半分くらいは、ミナ ペルホネンのお洋服を着ていたり、「マームを観たことがある人?」って質問したら手を挙げたりしてくれる人たちで。でも、あとの半分ぐらいは、作業服を着た人たちが仮眠を取りにきてたんですよ。

――ああ、トークを聞きにやってきたわけじゃなくて、無料で過ごせるスペースがあるからたまたまそこにいたわけですね

藤田 そうそう。そこでトークをしていると、「どうやったらその人たちに一回ぐらい笑ってもらえるか」みたいなことを考えたりもしたんだけど、「本当はこういう人にこそ届けなきゃいけないのかもな」と思ったんです。マームはこれまでいろんな人たちとコラボレーションしてきたけど、それに反応してくれる人たちって、アンテナを張っている人たちだと思うんですよね。それで言うと、コンビニに並ぶ漫画ってあるじゃないですか。単行本じゃなくて、コンビニ用に改変された漫画。単行本を買わない人でも、ああいう漫画は買ったりするし、『本当にあった怖い話』みたいな本とかを買ったりすると思うんです。ああいう本のことを、昔はちょっとバカにしてしまっていた気がするんですけど、「ああいう届き方もありなんじゃない?」と思うようになってきて。ああいう漫画を買って読んでいるホストのお兄さんとかが、4千円とか5千円払って僕の劇を観にきてくれる世の中になってくれたらなと思います。

 

――今年の5月には、『BOAT』以来の新作となる『CITY』が上演されます。まず、「CITY」というタイトルを選んだ理由から伺えますか?

藤田 タイトルは結構悩んだんですよね。海外公演に出かけると、いつも空港のおもちゃ売り場に行くんですけど、LEGOを売っている空港があったんです。前々から「いつかLEGOを始めたい」と話していたんだけど、僕らの世代だと「お城シリーズ」とか「街シリーズ」ってあったじゃないですか。その「街シリーズ」が今は「CITY」っていうタイトルになってるんです。それを見たときに、「TOWNじゃなくてCITYなんだ?」と思ったんですけど、それと同時に「広い意味でのCITYっていう言葉は考え甲斐があるんじゃないか」と思ったんですよね。

――藤田さんはある時期までは故郷の伊達という町をモチーフに作品を描いてきましたよね。ここ最近の新作でも、都会というよりは片田舎のような場所が舞台になってきたように思います。その藤田さんが『CITY』というタイトルで作品をつくろうと思ったのはなぜですか?

藤田 僕が『sheep sleep sharp』や『BOAT』で描いてきた世界は、おとぎ話のように牧歌的な質感のある世界だったと思うんです。おとぎ話って、たとえば飢餓があった時代の話から『ヘンゼルとグレーテル』が生まれたわけですよね。それと同じように、おとぎ話っておとぎ話であるがゆえに、いろんなことに繋がりやすいと思うんです。人は「これって実は政権批判だよね」みたいな話が好きだけど、そういう語り方じゃなくて、もうちょっと直接的に、ほんとうにこの町で起こっていることを描けないかなと思っているんです。これは別に、おとぎ話を否定するってことじゃなくて、2019年の東京の町を舞台にしながらも、「そんなこと現実にはありえない」ってことを描いてもいい気がしてるんですよね。たとえば『CITY』には青柳いづみが出演しますけど、青柳はコンテナに積まれて輸入されると想像しているんですよ。

――……?

藤田 鎖とかでガチガチに縛られて輸入されて。しかもそれは人身売買とかじゃなくて、人体兵器なんですよ。それを描くとどこにも戻れなくなるようで怖いけど、それができたら面白いなと思うんですよね。ヒーローものってジャンルが許している構造ってあるじゃないですか。「本当は日本のどこかに核が持ち込まれているんじゃないか」みたいな問題を、キャラ化させることで描くことができる。僕なりにヒーローものってフォーマットを使うことで、現実的な東京を描いていくことが必要な気がしたんです。

――「本当は日本のどこかに核が持ち込まれているんじゃないか」というのは、この町に生きていてもみることができない部分ですよね。去年の春に『みえるわ』という作品を上演したとき、藤田さんはみえることとみえないことについて考えていたように思います。そのことについて、『CITY』であらためて考えることになるんじゃないかという気がします。

藤田 そうですね。極論を言うと、「誰かを救う」みたいなことって、現実世界では不可能だと思っていて。じゃあ何が可能にするかと言うと、やっぱり表現しかなくて、表現にしか手を伸ばせないことってあると思うんです。青臭いことを言うようだけど、ぼやかされていることや隠蔽されていることって、世の中にたくさんあるじゃないですか。それを問いただしても、口を閉ざしている人たちは口を閉ざしたままだから、それを乗り越えることができるのは表現しかないんじゃないかと思うんです。表現の中では理想郷みたいなことも描けちゃうから、現実的な人からは「ただの綺麗事だ」と跳ねのけられるかもしれないけど、表現の中に充満している想像力でしか現実と戦えないんじゃないか。そこに希望を抱いているし、そこに希望が持てないのであれば、僕は生きている意味がないと思うんですよね。自分の想像力がどこまで届くか、試していきたいと思っています。

聞き手:橋本倫史

©2018 mum&gypsy