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穂村弘×マームとジプシー×名久井直子

ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜 三重公演 終演後トークイベント

2020/12/10

穂村弘(歌人)×藤田貴大(マームとジプシー)
三重公演 アフタートーク
2019年 6月28日/三重県文化会館 第2リハーサル室

藤田 早速ですが、このツアーめちゃくちゃハードです(笑)。4日前に京都入りしたのに、すでに京都だけでも2つの会場で公演していて、今朝三重に移動して、本当に開場ギリギリ、さっきまで仕込んでました。それなのに、このあとまたすぐ片付けて、明日の朝にはもう東京に帰るんです。めちゃくちゃ辛かった……。

穂村 何が1番辛かった?

藤田 早起きだし、スタッフも本当に少ないからこのあと僕も片付け参加しなきゃいけないし(笑)、普通の演劇のツアーって、スタッフさんがたくさんいて、仕込みや会場でのリハーサルもそれなりの時間があるんです。でも、マームでの公演ではスタッフは最小限だし、会場入りした日のうちに本番することが当たり前になってきてます……。

穂村 僕は電車で三重に入りましたが、みんなはハイエースで移動してるし、本当にバンドみたいですよね。

藤田 今年のバージョンを今日初めて見て頂きましたが、いかがでしたか?

穂村 この作品は特に思うことなんだけれど、ストーリー展開や時間軸があるような、いわゆる「演劇」を見るつもりでいると、びっくりしますよね。最初は何を見せられているのか分からないから、ドキドキするんです。でも、劇が進むうちに、様々な要素が絶妙な形で完璧に組み合わされてるいくんですよね。その一つ一つの要素はかっこいいものでなくても、藤田さんの手にかかると全てがいい感じにまとまっていくんです。

藤田 ありがとうございます。この作品は2年前に原宿のVACANTというスペースで上演しました。その後、穂村さんが17年ぶりに歌集を出版されたので、新たに取り組むにあたり、少しずつ変更を加えました。……ちなみに、映像に写っている男性は穂村さんのお父さんなんですよ。

穂村 それはお客さんも分かりましたよね?(笑) あれが本当の俳優さんだったら信じられない名優だね。映像に映るからって、収録日に父はいつもよりちょっといい服着てました。

藤田 そうなんですか(笑)。黄緑のニットを着てましたね。

穂村 ちなみに、僕と青柳さん二人の映像は僕の自宅で撮影したのですが、窓の日光がすごくキラキラしていて、とても綺麗に写っているけれど、実際あんな綺麗じゃないですからね(笑)。

藤田 穂村さんの自宅の窓が好きというか、「窓」というフレームに外の景色がすごく綺麗にフレーミングされているな、と以前から思っていたので、その前で撮影させてもらいました。

穂村 それと、藤田さんは「偶然」ということもすごくうまく取り入れますよね。僕と父の映像があったと思うのですが、あの映像って藤田さんに演出をつけられたわけではないんですよ。僕は父に呼ばれたから父のほうに歩いて行っただけで、本当にただの偶然なんです。だけど、劇中であの映像を藤田さんが配置することで、とても感動的で象徴的なシーンになりますもんね。

藤田 あの時、お父さんはベランダから見える新幹線の話を穂村さんにするために呼んだんですよね(笑)。

穂村 撮影の時も父はいつも通りでしたね。僕自身は撮られてるという意識がすごいあったから緊張してたんだけど(笑)。

藤田 お父さんは全然緊張されてなかったですよね。ご自分のことをたくさん話してくださいました。

穂村 僕もそうだけど、こんな風になるなんてあの時は全然分かってなかったからね。ましてや父はマームとジプシーについてだってあんまり知らないわけだし(笑)もちろん、僕からも父に説明したけど、でも説明するのって難しいじゃないですか。

藤田 (笑) この企画が始まるずっと前に、小さな会場で作品を発表した時にお父さんを連れて僕の舞台を見に来てくださいましたよね。

穂村 最初にリフレイン(繰り返し)が舞台上で起きた時、父がビクッとして「お前の友達間違ってる!」という顔をして僕を見たの(笑)。1回日のリフレインは間違いだと思ったみたいなんだけど、2回目からはさすがに分かったみたい。観劇を終えたあと、父は「あれはこれを象徴してるいるんだな」とか色々と感想を言っていたので、相当刺激になってたんじゃないかな。

穂村 作品の中で、青柳さんは一人で「僕」と「父」と「名久井さん」と「青柳さん本人」を演じ分けてるじゃない? なんの説明もなく、くるくると切り替わっていく。観ていると確かに分かるけど、でもそれも初めて作品を観た人は驚くと思うんです。

藤田 そうですね。僕は自分の言葉の出口は「俳優」であると考えています。今回のような一人で複数の人物を演じ分けるのは難しいだろうなぁと思うんだけど、言葉の「出口」という考え方が穂村さんにも名久井さんにも身近にあると感じたので、今回のように一人で何役にも演じ分けることになっていったように思います。青柳は、作品の中でそれぞれの役を演じ分けてるけど、なんかものすごく大きな一つの塊のようなこともやれてるなって。

穂村 名久井さんのシーンは感動するよね。青柳さんが自分を演じるシーンで「これは、、、、、、わたしの言葉ではありません、、、、、、」って告白みたいなセリフがはいったあとに、ちょっと語尾を上げて「でも、、、書かれた言葉たちの、、、描かれた言葉たちの、、、、、、出口でもある、、、、、、」っていうところが、すごく好きなんです。

藤田 青柳が語尾を上げるのは何なんでしょうね。僕は指示だしてないんですけど。

穂村 あれはやっぱり、自分自身を演じるシーンだからなのかな。

藤田 ツアーで京都、三重と巡ってきて、最近色んな方言を聞くじゃないですか。昔は「関西」というと自分の中では大きくひとくくりにしちゃっていました。でも、「関西」と言えど、各地域の方言が全然違う。実は東京もそうで、東京出身の俳優も育った環境や地域によって、本人は自覚していないですが、独特ななまりがあるような気がします。青柳も東京出身者なのですが、結構なまっていて、そこが面白くて観察してるんですけど。

穂村 すごい上手だよね。なぜ、青柳さんが父を表現することができるのか。青柳さんが父を演じてる時、「あぁ、お父さんだぁ」って思う。

藤田 青柳がお父さんを演じているどのシーンも、映像に映るお父さんをそのまま彼女がコピーしています。作品の中だからまだ見れるんですが、普通に見たらただのものまねですからね(笑)。

穂村 藤田さんが作品を仕上げていく時に、これだけたくさん要素がある中で、重要なポイントはどうやって思いついていくの? 例えば、このシーンでティモシー(映画『ダンボ』に出てくるキャラクター)に写真を撮らせようとか。

藤田 そうですね。舞台上で使っているダンボのぬいぐるみは、青柳が小さい頃から持っていたものです。ぬいぐるみに付いているタグを触ってしゃわしゃわにするのが好きだったらしいんですよ。そのぬいぐるみ自体ではなく、ぬいぐるみのタグが好きだったらしいんです。そのことを聞いて、ダンボというモチーフが思いついたんだと思います。それと、僕のイメージする「ダンボ」って映画の『ダンボ』なんですが、僕の記憶の中では全然喋ってなくて、ほとんどティモシーが喋ってるんですよね。だから、ティモシーが出てきたほうが良いかと思いました。

穂村 ほとんど無意識的なこと、例えば青柳さんがタグをしゃわしゃわにするとか、そういうところから作品の断片を引っ張ってくるじゃない?僕がシュウマイ弁当食べる順番の話をしたら、じゃあその食べ方みんなでやってみようってなったし。藤田さんの前でうっかり何かをいうと、全部それが演劇の断片になっちゃうんだよな。

藤田 そうかもしれませんね(笑)。最後のシーンで流れている歌声、実は穂村さんのお父さんの声なんですよ。あの歌も2年前のクリスマスにこの作品を観劇に来た時に歌ってくれたんですよね。

穂村 そうそう。最初はあの歌がなかったんだよね。前回、父がこの作品を観劇したんですけど、とても嬉しかったみたいで、その打ち上げで誰も求めてないのに、突然お礼に歌を歌うと言い出したんですよね。しかもドイツ語で(笑)、若い頃ドイツの炭鉱で働いていた時に覚えた「皆さんご無事で働きましょう!」みたいな意味の歌を歌い出しました。それで、藤田さんはどんな時も全身演出家だからさ、スタッフの(召田)実子ちゃんに向けて「録れ!」という指示を出していて(笑)。次の回からその歌が劇中で使われていました。

藤田 (笑) 演劇ってそれが可能なんですよね。上演するギリギリまで作業ができるし、「今」という時間に作品を合わせることができる。

穂村 でも一方で藤田さんはアドリブを一切許容しないんだよね?

藤田 そうですね。

穂村 つまりライブはダメで、直前までの時間は送りこむ。そのジャッジはどこからくるの?

藤田 お客さんには僕が準備したものを見せたいと思うし、俳優やスタッフには準備してきた通りにやってもらいたいんですよね。それは、俳優も僕もスタッフも上演時間という同じ時間に立つわけじゃないですか。観客のみなさんだって、開演時間に合わせて足を運んでくれて、同じ時間に会場で立ち会ってくれるわけですよね。僕たちがどんなに準備に時間をかけて、作品が僕らの手の中にあったとしても、開演したらその準備の時間なんかは一切関係なく、あるのはお客さんと作品との関係性だけじゃないですか。演劇においてのその関係に「ライブ」っていう言葉を言い訳にしたアドリブは、僕にとっては全然面白くないんですよね。

穂村 観客がそれぞれの家から出てきてここまでに来る、その時間は演劇的に支配しようみたいな考えはないの?

藤田 寺山修司さんみたいに、家を出てからの時間が全部演劇だ! とお客さんを支配することについてはもちろん理解はできるんですが、その時間がどんな時間か決めるのはお客さんだし、こちらから強要するのはよくないと思っています。それぞれの過ごし方をしながら、この会場までたどり着いた人たちの前で、自分たちが何ができるかということに興味がありますね。

穂村 マームのダイレクトメールやパンフレットって凄い凝っていて、時にはドライフラワーや貝殻が中に入ってたり、自分たちで手作りした飴も入ってたりすることもあるじゃない。僕としては、それが送られて自宅に届いた時点から、もう演劇空間というか、藤田さんの演出が始まっている感じがちょっとあると思ってる。

藤田 そうですね。お洋服のブランドとかの新作コレクションのインビテーションはそのコレクションに合わせて、デザイナーによって考えられているものが届くじゃないですか。それも1つの演出だと思っています。でも演劇のダイレクトメールはかなり無機質に事務的に送られることが多いようです。だから、僕たちはダイレクトメールがお客さんの入り口だと思って大切に作っていますね。お客さんの家に届くものは、足を運んでくれることに大きく関係するとも思っているので。

穂村 藤田さんは、本番ギリギリ前まで作品に手を加えたり、作品に微調整を重ねたりしていると思うのだけれど、作品の「最終形」や「完成形」という概念はあるの? 完成したと思っている演目はあるの?

藤田 これ以上何も思い浮かばないという作品はあります。この演目に関しては、この演目を発表した2017年以降に、穂村さんが新しい歌集の中で新作の短歌を発表されていたり、その中でお母さんのことを短歌にしていたり、当時より穂村さん自身、進んでいる時間があるじゃないですか。その穂村さんの進んだ時間を言葉のレベルで反映できたらこの作品はものすごく更新されるような気がするんです。

穂村 例えば今回の演目みたいに、過去上演した作品を改めて取り組む時はどのような作業をしていくの?

藤田 そうですね。僕の場合はカットするとかテキストを加えるっていうよりも、テキストを入れ替えることが多いです。今回でいうと、最後の「時間、あるよ〜」っていうテキスト、初演の時は中盤にあったのですが、今回ラストに持ってきました。そうすると前回とは全然響き方が違うんです。それもある種の編集だと思うんですけど、順番を入れ替えるだけで言葉が持つ力が変わったりするんですよね。その作業は、本当に楽しいです。

穂村 それは実際にやらなくても、台本上でなんとなく分かるんですか?

藤田 そうですね。分かりますね。僕としては前回「時間、あるよ〜」いうテキストは恋人との二者間での話しに聞こえていたのですが、今回ラストに持ってきたことで、全然そう聞こえなくなりました。お父さんとお母さんの時間だったり、一人の一生の時間だったり、時間という言葉の印象や規模がとても拡張した気がします。このことは、今回改めて取り組むにあたり、台本のレベルで分かりましたね。でも2年前は分かっていなかった。自分や世界も変わり続けているから、2年前に思いついてなかったことが今は思いつける。さっきも言いましたが、そのことを演劇は反映し続けられるんですよね。

穂村 今回、時間がテーマという感じがしたよね。うちの父もまだ生きているんですが(笑) 今日映像の中の父を観てちょっと老けたなぁと思った。

藤田 そうですか。今年もお父さん、富士山登るっておっしゃってましたよね。

穂村 そうだね。でも今年、僕は断った。

穂村 今回の衣装は? いつもお洒落なマームだけど、今回はかわいいようでダサいのと、ダサいようでかわいいのが混ぜている気がするけど。

藤田 そうですね(笑) ほとんど僕の私服です。穂村さんに影響を受けて、穂村さんがエッセイの表紙で着ていた青いジャージを高校時代買ったんですよ(笑) それが衣装だったりしてます。と思いきや、いきなりTシャツがグッチだったり。

穂村 青柳さんが、最後までジャージが嫌だったのかな?

藤田 青柳が脱いだらグッチということをやりたかったのかな? ちなみに、名久井さんのシーンで青柳が着ているトレーナーは画家のヒグチユウコさんが描いた名久井さん家の(愛猫の)小春ちゃんの絵なんです。これもグッチですが。

穂村 それは藤田さんの指示?

藤田 指示じゃないですね。僕が指示したのは、あの青いジャージは着て欲しいと言ったぐらいです。あと、青柳が舞台上でかけているメガネですかね。あのメガネは穂村さんの私物をお借りしてるんですけど。その二つ以外の指示はだしてないです。

穂村 青柳さんは、どんなことを考えながらここに1時間以上もいるんだろうね。今舞台上にいて、改めて本当にすごいなって思って。

藤田 そうですね。あんなにたくさんのセリフ量を覚えられるとすごいっていうか、怖いですよね。京都公演の時、一軒家にみんなで泊まったんですよ。みんなで、川の字で寝るしかなくて、2つ横が青柳だったんですが、明け方5時くらいになんかボソボソ言ってるんですよね。何言ってたのって聞いたら、最初から最後までその日の朝にセリフを覚えたらしいですよ。そこまでは台本を持ちながら稽古していただけだったので、朝の数時間で全部覚えたらしいです。ちょっと変なんですよね、やっぱり。

穂村 すごい話だね。ただ覚えているだけじゃないもんね。

藤田 そうですね。丸暗記じゃないんですよね。

穂村 終盤にかけて感極まっていく感じも、ただ泣いてるのとは違うんだよね。こちらのテンションがすごくひっぱられる。

藤田 穂村さんの歌集を読んで、改めて短歌って重いなって青柳とも話していたんです。詩とか小説や演劇ってたくさんの言葉の繋がりや物語で大きな一つの作品になると思うんですけど、短歌って限られた言葉や本当に1行だけで一つの作品にするから、限られた言葉に費やされる「体力」を感じます。すごくミニマルな詩であり、小説ですもんね。この作品でいうと、そんな厳選された言葉で作られている短歌を青柳が連呼してくるわけじゃないですか、だから観客の皆さんも本当疲れるだろうなと思います。

 

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