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穂村弘×マームとジプシー×名久井直子

ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜 東京公演 終演後トークイベント(2回目)

2020/12/12

穂村弘(歌人)×名久井直子(ブックデザイナー)×藤田貴大(マームとジプシー)
東京公演 アフタートーク
2019年 12月29日/キチム

藤田 今年もありがとうございました。

穂村 ありがとうございました。

名久井 お世話になりました。

藤田 今日が今年最後の公演です。

名久井 そうですね。

藤田 今年最後の仕事でしたねー。

名久井 だといいね。

藤田 名久井さんはまだ仕事があるって言ってましたね……。

名久井 まだ納まってなくて。

藤田 そりゃそうですよね。

名久井 どうでしたか、今年を振り返って。

藤田 今年またこの作品取り組めてよかったと思ってます。二年前に原宿のVACANTでの公演が終わって、ずっと再演したいと思っていました。今年は、会場を初めて公募して、たくさんの応募があって、行けるところに行ってみようという企画だったのですが、やれてよかったです。

名久井 昨日のトークでも言いましたが、私が東京の前に見たのが長崎だったのですが、そこから東京までにまた少しリニューアルしていて、ずっと変化し続けているなあと思っています。

藤田 そうですね。二人といると言葉の発見が毎日あります。こんなに連日トークするのも初めてです。

名久井 そうですね。昨日もトークしましたが、今日も急遽トークをやることにしましたね。

藤田 昨日もすごく勉強になったし、とても楽しかったです。

穂村 今日もかっこよかったね、青柳さん。最後に「ここには海が、、、、、、名前のない、、、、、、海が、、、、、、」って最後に言っていたけれど、こんなに近い距離であの波動を浴びると……

名久井 そうですね。もう、直に。

穂村 一時間あの波動を浴び続けると、頭がおかしくなるね。青柳さんの声が震えるのは、何か秘密があるんですか? あの声の震えで、強制的に感動の方にぐうっと引っ張られるよね。

藤田 なんですかね、普段の青柳はそんなことないのにね。

名久井 そうですね。台本がないと本当にそんなに喋らない人ですよね。

藤田 演出としては、一回も震えろとか泣けとかは言ったことないんです。

名久井 藤田さんがどこまで演出していて、どこから青柳さんのオリジナルなのか昨日のトークで話をしていたんですよね。

藤田 昨日のトークではあんまりうまく話せなかったと反省したのですが、今日はすこし整理してきました。そういう内面的なことはほとんど言ってなくて、けっこう任せているところは多いと思います。

名久井 藤田さんはよく他の舞台でのインタビューなどでも、「僕がしていることは配置だから」という言葉をよく使いますよね。舞台装置の配置だったり、俳優さんの配置だったり、例えば言葉の配置もそうだと思うのですが、この演目にも配置という考え方があるんですか?

藤田 そうですね。この演目はとくに「配置」がテーマだと思っています。それはもちろん物の配置だけじゃなくて、どのタイミングで、どのテキストを使って、どのエピソード挿入するか、言葉の配置ですね。

穂村 時間や空間も含んでいるよね。

藤田 そうですね、はい。僕が配置した言葉の点と点を俳優さんが結んでいくんですよね。その、結んでいった時に、さっき言ったように声が震え出すのかもしれない。そのことも含めてなんとなく僕の中では計算のようなものがあります。この並びはけっこう僕はグッとくるけど、グッとこない俳優さんもいる。僕以上にグッときちゃう俳優さんがいた時に、それをやめるかどうかとか。だからそういう駆け引きでもあるので、敢えて「感情」についての話はしたことないんです。

穂村 毎日見たり、何回か連続で観たりするから分かるレベルだけれど、微妙にタイミングが違う時があったりするじゃないですか。例えば、青柳さんが「そのとき、わたしはこんな風にするね。」っていって(人差し指を顔の前に立てて)「しーっ。」って言った時、ティモシーがカメラのシャッターを押すタイミングとか、日によって微妙に違ったりして、それによってずいぶん印象が違うけど、そういうことも指示をしたりしてるんですか?

藤田 「しーっ。」というタイミングでシャッターが切れない時もあるんですよ。そこは、僕が指示した通りにいかなくてもいいかなっていうポイントではあります……

穂村 切れなくてもいいということ?

藤田 もちろん、ちゃんと指示した通りに切れたほうがいいけど、切れないことだってあり得るよねーみたいな、緩い部分は残しておくように、20代の頃よりはしてると思います。

穂村 映像にでてくるのは私の父なんですけど。

藤田 何回もいうけど、あれが他の誰かの父だったら……(笑)。

穂村 胸にマイクがついてるのに胸を叩くから、ボンボンという胸を叩く音が映像には残っていて。あれ多分編集で消せると思うんだよね、消そうと思えば。実際もいくつか消している音もあるし、なぜか残している音もあるんですよね。それがすごく良く見えるんだよね、あのボンボンっていう音が。で、青柳さんが父を演じている時も、こう胸を叩いているんだよね。そういうノイズみたいなものも含めて配置を考えているんですか?

藤田 そうですね。青柳の「穂村さん」や「名久井さん」、「お父さん」のコピーはどんどん緻密になっている気がする。名久井さんのパートであるChapter 3.5も一見、台詞を噛んだとか思われるかもしれないけれど噛んでいなくて、インタビューした時の名久井さんの微妙な言いよどみも青柳は一語一句間違えずにコピーしています。その「間違えない」という作業がやれてしまうから、今回についてはむしろ、もうちょっと緩くてもいいのでは? 配置も、ぎちぎちに決めてかからなくてもよくない? みたいなことを、話していた気はします。

穂村 逆にじゃあ厳密じゃなきゃいけない要素というのは何なんですか?

藤田 そうですね。具体的には言えないですけど、絶対に間違ってはいけないことはたくさんあります。そこを間違ってしまうといろんなところが、ガタガタってなっちゃうので。

名久井 藤田さんの作品はタイミングの扱い方が神業的で、音楽や映像のきっかけも相当シビアですよね。

藤田 そうですね。タイミングは大切です。

穂村 あとは、藤田さんの作品って決まったコンテンツに当てはまらない感というのがすごくあって。僕、昔からいろんなものを見てきたけど、急速に「コンテンツ」という言葉が普及した後、ネタバレとかに対する禁忌がすごく強くなったんだよね。その時に、伏線の回収の義務度がとても上がった。昔は伏線を回収しないことに対して今より許容されていたし、もっというと夢落ちとかに対してももっと緩かった。

名久井藤田 ああ、そうですね。

穂村 今は、もう絶対だめという感じですよね。

名久井 本当厳しいですよね、いろんな分野で警察がいる。

穂村 その「コンテンツ」って本当に最近の概念で、その概念が一般的になった背後には資本主義の社会システムが固定されたっていうことが、みんなの認識に根付いたことにあると思う。だからもうこの時代では表現革命は起きにくいよね。すでに、コンテンツとして最高のものが最上という一般的な合意ができているから、必然的にユーザーフレンドリー、分かりやすさがすごく要求されると思う。でも、寺山修司とかの時代は、半分を出力側がつくり、もう半分を観たり聞いたりする側がつくるのが「表現」だった、そのことは寺山修司も言っていて。その時代は、表現革命がまだ信じられていたんだよね。藤田さんの作品は、最後にものすごく感動するけど、その感動は伏線が回収されたり、「物語」に感動するわけじゃない。そして、今の時代に評価される「分かりやすさ」を持ったコンテンツではない完成度、というか突き抜け方がある。それって、どうやって成立させているの?

藤田 どうですかね。演劇界においても評価基準が「物語」という部分は未だに大きいと思います。伏線がきれいに回収されているか、とか。でも純粋に「演劇」の可能性を追求していくと、そこだけじゃないというか。「物語」以外を楽しんでくれてもいるはずだとも思いますね。穂村さんの話を聞いていて思うんですけど、不完全なものが楽しいということってあるじゃないですか。たとえば、よくできた「物語」を読んだあと、つぎの瞬間にまったく違うものを楽しみたくなるときとか。ありませんか?食とかも、ものすごいおいしいものを食べ続けていると、そんなにおいしくないものを食べたくならない?

名久井 分かる分かる。

藤田 そういう不完全なものよさって、ありますよね。観客の皆さんだって、今日ここまで来る間にも多分いろんな過ちをおかしているかもしれない。過ちっておかしいですけど、道間違えたとか寝坊したとか、完璧な人なんているわけないんだから、そういういろんな不完全さを抱えた人たちがここに集まっているはずだから、最初から最後までギチギチに緊張する時間で埋めるよりも、作品に隙のようなものがあった方が、現実的だし楽しめるんじゃないかと思ってます。

穂村 名久井さんとベトナムに行ったことがあって、そこで僕たちバインミーというサンドイッチにすごくはまって。

名久井 フランスパンみたいなパリパリしたパンにいっぱい具が入っているんですよね。

穂村 なんてうまいんだろうって思って、日本に帰ってきてほぼ忠実に再現したバインミーを食べても何かが違うんだよね。これだけ高精度に再現しているのに、何が違うのか考えた時に、多分現地で食べたのは3%くらい腐っていたものが入っていたような気がするんだよ。でも、それがたまらなくうまかった。日本では、97%を再現できたとしても、100%にするために腐ったものは入れられない。

名久井 そうねえ、ちょっと言葉にもしにくいですね。

穂村 ほんとに腐ってるのかは分からないけど。

名久井 うんうん。

穂村 お菓子とかでもすごい、日本では極度に精度の低い甘みってないじゃん、雑味っていうの?

名久井 うんうん。

穂村 なんか海外のお菓子って食べ物じゃないもの入ってるよね、みたいな。でもそれがすごいエキゾチックに思えて魅力的なお菓子ってあるじゃない。

名久井 うん、ある。雑味という点でいうと、私はつい印刷のことを思っちゃうんだけど、ちょっと粗悪なというか、ざらっとした昔の印刷が美しく見えたりする。だから本当にそういう美しさってありますよね。洗練されているものより、そっちのほうがいいみたいなもの。

藤田 僕、『HUNTER×HUNTER』好きじゃないですか。

名久井 うん。

藤田 『HUNTER×HUNTER』を単行本で読むのが好きなのだけど、穂村さんには常に最新刊を渡しているんですね。

名久井 あ、ねー。

藤田 というのは、僕ジャンプを買ったら『HUNTER×HUNTER』のページだけ断裁して、残しているんです。それで、穂村さん家にそれを持っていくんですよね。

穂村 そうそう手作りの最新刊。忙しいはずなのに、こんなことしている時間はあるんだぁこの人って思う。

藤田 (笑) ジャンプのページってすごくいいんですよね。インクが消えかかっていたりもするじゃないですか。

名久井 ああ、するする。輪転の印刷がちょっとあまかったりするとね。

藤田 独特な紙を使ってますよね。

名久井 あ、そうそうそうそう。そうだね、ざらざらしている紙を使ってるね。

藤田 ああいうものの良さも、さっき話した「不完全さ」と同じ気がする。

名久井 でもきっとその不完全さも、何も考えられていないただの不完全じゃだめじゃないですか。要素一つ一つが不完全だったとしても、他の不完全なものと合わさった時にそれぞれが完全になるというか。

藤田 そうなんですよね。

名久井 そして、その不完全さをどこで止めるかっていうのが難しいですね。

穂村 短歌なんて、言葉が少ししかないのに一音の字余り字足らずとか、欠音とか増音が全体に大きい影響をもってしまうのね。それに比べると演劇の要素って、音楽もあるし映像もあるし比較にならないほど掛け算になっている。どの部分がノイズで、どの部分が味で、どの部分が伏線にあたるものなのか、藤田さん的にはその地図が見えているの?

藤田 そうですね。ここ数日、穂村さんにトークで毎日質問をされて、上手に答えられなくて反省するのだけど、翌日また新しい質問がくるから、また答えられなくて、今日も反省すると思うのですが……。「こだわってない」ことがあたかもかっこいい風に言う人っているじゃないですか。でも、それって「こだわってない」っていうこだわりのデザインをしていると思うんですよ。

名久井 うーん。

藤田 「衣装はこだわってません、俳優の私服でてきとうにやってます」とかいう演劇って多いし、おしゃれや、おめかしをすることを否定するかのように言う人、いるけど。私服が衣装なのだとしても、敢えて「こだわってない」というこだわりをしているんですよね。だれかを招いて舞台上にて演劇をしている時点で「こだわっていない」は無頓着とイコールでは結ばれないと思うんです。というか、「こだわってない」はいちばんむつかしいかもしれないですよ。衣装の話だけじゃなくて、言葉も。敢えてやっているかんじを出さないでデザインするのって。

 

穂村 そういう細かなことって俳優には説明するの?

藤田 しないですね。うまくできないから、そのままにしてしまうひともいるし。青柳の場合はどんどんシャープになってかっこよくなりすぎちゃうときもあるから。いろんなタイプの俳優さんのトーンをその作品に合わせていくモードを対話しながら決めていきます。

穂村 昔の作品を再演することもあると思うけど、そんな時、過去の自分はどんな感じに見えるの?

藤田 最近やっぱり、過去の自分との対話は増えてきたかもしれないです。昔はこういうことを考えてたんだとか、この言葉は残してたんだとか。

名久井 自分はそうなのだけど、過去の仕事を見るとすこし恥ずかしい気持ちが混ざるような、今だったらこうしないのにみたいな。その感情は自分が成長しているから生まれるんだと思うのだけれど、今の自分が過去の仕事をみて、劣っているというとあれなんですけど、そういう風に少し見てしまう。そういう意味では自分の仕事ってどうなんですか? 藤田さんは。

藤田 恥ずかしいこともいっぱいしてきたなと思いますね。演劇って僕だけの作業じゃないから、俳優やスタッフも全員の時間が蓄積されているので、恥ずかしいというだけでは馬鹿にはできなくて。その時はその時の真面目さでやっていたんだなって今は思えていますね。

穂村 劇中でも話されていましたが、僕の本(『ラインマーカーズ』)の装丁を名久井さんにお願いして、挿画を大竹伸朗さんに書いて頂いたんだけれど、当時、名久井さんは大竹さんの絵に字を載せたり、トリミングしたりができなかったと話していましたが、今だったら大竹さんの挿画に字を載せてたり、切れたりできる?

名久井 それはどうかなあ、今のほうが悩むかもな、分からないけど。今だったら余計なひとことを大竹さんに言ってしまうかもしれないですね。

穂村 ああ。

名久井 ひどい言い方をすると大竹さんに丸投げだった。だけど、今思い返すと私が介入せず、大竹さんが穂村さんの本に出会ってどんな物が出て来るか、とにかく全部託したいという気持ちが純粋にあったのかもしれないです。

穂村 詩や短歌の歴史では、若書きの第一詩集や第一歌集を、与謝野晶子や西脇順三郎、斎藤茂吉は、全員後年嫌がって否定しているんだよね。それで、定本という形で「本当はこうなるはずだった」という本をみんな出すの。『あむばるわりあ』とか『みだれ髪』とか。でも、本人以外は若書きのほうが全然良く思うわけです。

名久井 へえ。前のほうが。

穂村 そうです。今の自分がやれば、完璧だって思っているのは本人だけで、だからみんな迷惑なわけ。定本といわれても、全然だめですから先生みたいな感じ。画家のジョルジョ・デ・キリコとかも、我々がイメージするあのキリコのタッチを確か後年自分で否定していて、でもあれでしかないじゃない?

名久井 そうね、確かに。

藤田 演劇も「再演」という謎の言葉があります。再演って、不思議な言葉で。演劇って絶対全く同じように再演することなんて無理だから。一年後だとしても、みんな一年歳とっているし。できるだけ再現しようとしても本当にただの再現になってしまうから、再演するっていうのと、再上映するとでは、また全然意味合いが違うわけですよね。

名久井 まず、出力装置である藤田さんも同じじゃないですよね。

藤田 そう。だから、シェイクスピアの作品なんて、ずっと繰り返されていることなのかもしれないし、それも演劇の変なところですよね。僕も再演するたびに、今上演するために何か加えたり、減らしたりということを必ずしています。だけど、再演と言った時に観客の皆さんは前回のあの感動を求めているひともいるから、どうにか、ちょっと、がんばって再現性も、とは思うけれど、やっぱりそうはいかないものもありますね。一番は時代が変わるからね、初演当時そうじゃなかったことが、そうなっていたり、社会や世界の状況だって、何もかも変わり続けるじゃないですか。だから、観るひとへの響きかたも変わるから、その辺も演劇は面白いなと思うんですけどね。

穂村 完璧な演出、「これでもう定本」みたいに自分の中で納得したら、それはもう再演とかしなくなるのかな?それとも、その形でずっと再演し続けるのかな?

藤田 そうなんですよね。

穂村 藤田さんの作品は必ず変わるよね?

藤田 変わっちゃうんですよね。

名久井 あと、例えば藤田さんが、もう定本ができたと思っても、再生装置の俳優さんたちは日々年齢を重ねて過ごしていくし、同じにはならないですよね。その、30年後に同じ演出で同じ場所でやっても違うものになると思う。

穂村 そうだよね。歌を歌うひとのヒット曲を、何十年後かに歌うと絶対ためるじゃない?

名久井 分かる。

穂村 ためるんですよ。そして、ずらす。

名久井 そのひと自身のはずなのに、もの真似みたいになる。

穂村 そうそう。なんでああしてしまうんだろう。

名久井 分からない。

穂村 こっちの脳内で流れているのは30年前の、ためない、清純な歌い方なのにね。

藤田 恋の歌とかも難しそうですよね。やっぱり当時の感じがあるんだけど、ミュージシャンの皆さんはそれをまた再演するわけじゃないですか。それはそれで大変そうだなと思って。

名久井 そうね。

藤田 中島みゆきさんとかは、崖の上に登って龍に乗って飛んで行ってしまったり、どんどん上へ上へのイメージを強くなっていますよね。モチーフがこう、どんどん大きくなる。

名久井 分かる、うん。

藤田 僕らもそういう風になっていくのかなと思って。青柳さんが、もうどんどん上へ上へと行き始めるとどういうことになるのかなあ。

名久井 なるかなあ。

穂村 ずっと一緒にやっていて、青柳さんの変化とかを分かったり感じたりするんですか? 十年単位でみると、こういう方向にきているとか。

藤田 強くなっているなあと思うところは声の芯とかですかね。現にトレーニングをしているのもあるけど。青柳のこと、18歳の時から知ってるんですけど、変わらないところが多いですね。ひとは変わるのが当たり前なんだと思うけど、青柳はずっと「あの感じ」というのがありすぎて。変わらなすぎて分からないですね。分からないから、俳優と演出家として付き合い続けられているんだと思います。

穂村 青柳さんからみたらどうなんだろう、藤田さんは?

藤田 大変なんじゃないですかね、僕のそばにいるほうが。僕は多分変わるというか、企画ごとに多分表情とか違うんだと思うので。

穂村 そういうの憧れるよね、18歳で二つの才能が出会うという状況。バンドとかで、幼稚園の同級生でしたみたいなバンドあるじゃないですか。X JAPANなんか。すごくかっこいいなあって。それで、一人死んで、その息子を入れて、一晩限りの再結成っていう。

名久井 (笑) マームの人達は結構大学の同級生ですよね。

藤田 そうですね、みんな。

穂村 桜美林のね、かっこいいですよね。

名久井 もう無理ですもんね、私とか穂村さんではこれからその関係性になれないもんね。

穂村 そうね。その関係性を作るならば、せめて学生の間に出会わないとね。

名久井 わりと知り合って長いけど、大人になってましたもんね。最後は、マームのみんなが羨ましいという話になってしまいましたね(笑)

藤田 (笑) 今日もありがとうございました!引き続きよろしくお願いします。

 

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