2021/04/01
――『窓より外には移動式遊園地』という作品は、上演と展示が入り混じった特異な作品でした。まず、あの空間を立ち上げるにあたって、藤田さんが舞台監督の原口佳子さんや照明の南香織さんとどんなやりとりをしたのかというところから伺えたらと思います。
藤田 マームとジプシーが2020年度にできた公演って、『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。 そのなかに、つまっている、いくつもの。 ことなった、世界。および、ひかりについて。』と、『かがみ まど とびら』と、『窓より外には移動式遊園地』しかないんです。その『てんとてん〜』は原口さんが舞台監督で、『かがみ まど とびら』は南さんがついてくれてたんですけど、原口さんにはツアー先でも「12月にヤバい企画やろうと思ってるんですけど、こんど相談していいですか?」って、ちらちら話はしてたんです。マームのキャスティングって独特で、役者さんを決めることには誰もが慎重になると思うんですけど、それとまったく同じ次元で「舞台監督は誰にお願いしたいか?」とか「南さんとはどのタイミングで一緒にやろうか?」とかってことを話し合っているんですね。『窓より〜』については、今年だから発想できた企画でもあったから、やっぱりふたりとやりたいなって考えたところから始まった気がします。
原口 印象に残っているのは、「LUMINE 0はショッピングをする場所だけど、物を買って帰るように、演劇を持って帰れないか」ってことを藤田君が言っていたことで。それをはたしてうまくできるのかってこととはまったく別の問題として、そうか、と思ったんですね。
藤田 原口さんはずっと、「私ひとりで足りるの?」って言ってましたよね。
原口 そうそう(笑)。最初に思ったのは、コロナ禍にお客さん同士が混じることのリスクを下げるにはどうすればいいかなってことで。でも、人数に関してはマームの場合、“ひび”(マームとジプシーの活動に共感し、興味のあるメンバーたちが集い、作品を発表するプロジェクト)の人たちや、その作品には出演していないマームの人たちが手伝ってくれるんですよね。だから、舞台監督は私ひとりだとしても、そういう人たちが手伝ってくれるんだろうなと思ってました。
――『窓より〜』は、その回ごとに異なる、20分程度の3演目が上演されていて、そのあいだの時間に来場客は展示を見るという、回遊型に近い作品でしたね。上演が行われるスペースと、展示を設営するスペースの配置は、わりと早い段階で決まったんですか?
藤田 具体的な配置はかなり変えたけど、全体のイメージとしては最初に話した通りになった気がします。最初は新宿のカフェで南さんと話したんですよね?
南 うんうん、話した。「倉庫の中みたいにしたい」って言われたのはすごいおぼえてる。
藤田 なんか、どうやってマームが作品を作っているのかってこと自体も見せたかったんですよね。あと、1時間半とか2時間の作品を上演するってだけじゃなくて、僕がこの状況で何を考えてるかってことも正直に見せたいってことを、南さんには話した気がします。だから、「あんまり綺麗じゃなくていい」みたいなことも言いましたよね?
南 「雑然とした感じが」って言ってたかな。
藤田 そうそう。ひとつひとつの演目の中では意外と細かいことやってたけど、全体としてはざっくばらんでいいというか。つくられ過ぎた照明だと、境界線がはっきりしちゃうんですよね。展示がおこなわれていて、その中で偶然上演もおこなわれる空間をただ灯してくれている――その曖昧さみたいなものをあかりでやってくれたから、空間に垣根がなくなった気がするんですよね。
――打ち合わせで「雑然とした感じが」って言われたとき、南さんはどんな印象を持ったんですか?
南 素直にそのまま受け取りましたね。「わかりました」って。いつもそうですけどね。どの作品をやるときも、ちょっとした言葉をちょっとずつストックしておいて、今回はこういう感じなんだっていうのを追っていくんです。
藤田 そうか、そうなんですね。たしかに、南さんとはっきりした話をしたことがないですよね?(笑)
南 うん、あんまりしたことがない(笑)
藤田 「こういう間接照明ってありませんかね?」とかはありますけど、でも、普通はどうやって話していくんですか。僕はいろんな現場を知らないから、演出家って普通がわかんない職業でもあるんですよね。
南 「このタイミングでこうなって欲しい」とか、「雰囲気はこういう感じ」とか、「ここはシルエットで」とか、具体的に言ってくる人もいますけど、私が付き合ってる人たちは「お任せします」って人が多いですね。だから、全体の雰囲気だけ話し合って、細かいところは“場当たり”で見てくださいっていうのが多いかな。
――原口さんから見ると、マームとジプシーの現場はどうですか?
原口 私はそもそも、演劇の現場が少ないので、台本があることが珍しいんです。それは私が選んでるわけじゃなくて、知り合いにダンス畑が多いからなんですね。だから、発話される言葉があるっていうのは大きいですね。
藤田 原口さんとやってると、自分たちは結局演劇をやってるんだなってことを感じるんですよね。僕らは普通の演劇じゃないって意識はあったけど、この10年ちょっと、なんとなく演劇的なノウハウの中でやってたんだな、って。僕のまわりには舞台監督が5、6人いるんだけど、最初の打ち合わせのとき、「あ、今回も台本ないんだね?」って言われるんですよ。そうやってちょっと反省会みたいなところから始まるんだけど、原口さんからはまったくそういう話が出てこなくて。それは原口さんのやさしさだと全員が思ってたと思う(笑)
原口 だって、私がかかわる作品だと、皆何もくれなくて(笑)。ダンスには、台本というものはほとんどないんです。最終的に断片的な言葉をもらうことや作品の中に言葉がある場合、原作としてテキストがある場合もたまにあるんですけど、スタートの時点では発話されるために書かれた言葉というものはほぼなくて、図面も私が書くことが多いので、だからそれは全然大丈夫です。
藤田 そこも毎回言われるんですよね。「あ、今回も私が図面を描くんだ?」って。演劇は舞台美術家がいる現場がほとんどだと思うけど、マームは舞台美術家もいないし、稽古が始まった段階では台本もないから、その特殊さを知ってもらうところから多くの舞台監督とはやっていかなきゃいけないんだけど、原口さんはまったくそういうことないから、逆にのんびりしちゃうんですよね(笑)
原口 じゃ、「台本はいつ上がるんですか?」とか、もっと言っていったほうがいいのかな(笑)。いつも「私の分は印刷しなくて大丈夫です」って言っちゃうけど――。
藤田 そうそう。僕は稽古中に書き上げたところまで紙に出力して皆に配るんだけど、原口さんはいつもそう言ってますよね?
原口 だって、紙がもったいないでしょう?(笑)だから、「台本は最終稿で大丈夫です」って言っちゃうんですよね。あと、私がやっているマームの作品は、本番中に台詞できっかけをとることがないから言えるのもあると思います。台詞できっかけをとらなきゃいけなかったら「ください」って言うと思うんですけど、役者さんは一度楽屋から出ちゃうと、もう帰ってこないから。
藤田 そう、マームは上演中に俳優が楽屋に戻らないんですよね。
原口 それも“ダンスあるある”で、ダンサーは一度舞台に出たら楽屋に帰ってこないことも多いから、中身は追い追い把握していければいいやって思っちゃうんですよね。でも、照明はやっぱそうもいかないよね?
南 照明がっていうよりも、演劇をやっている人の台本に対する――。
藤田 リスペクトもあるんだろうね。
南 美術をどう立ち上げるかとかってところも、やっぱり脚本から全部始まるのが今までの常識でやってきてるから、だから皆「台本は?」ってなっちゃうんだと思います。
藤田 でも、南さんから台本を急かされているって感じたことはないんですよね。南さんとは『てんとてん〜』で初めてフィレンツェに行ったときから10年近くやってるけど、南さんとの関係って不思議で、ただの座布団の話とかにも入ってきてくれるんですよ。
――ただの座布団の話?
藤田 『かがみ まど とびら』のとき、グループLINEで「座布団を集めなきゃ」って話し合ってたとき、「こういうのもあるよ」って、そんな話にも入ってきてくれて。そういう小道具の話とか、あかりのすごい手前のところから話してくれて、それがいいなと思うんですよね。普通はそうじゃない気がしてるから。特に『窓より〜』は、そういう意識がない人って楽しめないだろうなと思うから。だって、客席をどう配置するのがいいのか、初日があけてもわからなくて、皆で客席の形状を探っていく状態だったんですよ。それを楽しんでくれたかどうかはわからないけど、その時間に付き合ってくれるかどうかって重要なんです。
青柳いづみ その稽古が一番長かったよね?
原口 長かった(笑)
藤田 客席の場面転換が最後まで揉めたよね?
南 「これじゃ距離が取れない!」とかね。
藤田 舞台面と客席に2メートルのディスタンスと取らなきゃいけないとなったときに、客席が決まってないってキツくて。でも、原口さんと出会って、あの規模のスペースの使い方も変わったし、南さんとは何ヵ所まわったのかわかんないぐらいまわってきて、「この劇場だったらこうだよね」って、ずっと空間のことを話してきたから、だからこの企画を一緒にやれたんだろうなと思います。原口さんに至っては、ツアーに出ると、僕が料理する時間とかもタイムスケジュールに組み込んでくれるんですよ?
原口 いやいや、ごはんってすごく大切で。これはかなり個人的な感覚ですけど、美味しいごはんを食べれるか、ちゃんとそういう時間を取れるかって大切だと思うんです。休憩とれなくて、ごはんが食べられないと、皆荒んでいくじゃないですか。
藤田 あそこ、絶対端折りますよね。もしも僕が料理してて遅れたら、怒られる現場のほうが多いと思うんですけど、原口さんとはそういうことが話せるんですよね。
――これはどちらがいいということではなく、もっと「自分の職分はここからここまで」と境界線をハッキリしておきたい人もいると思うんですよね。マームの現場はその境界線が薄いってことだと思うんですけど、そのことにストレスを感じることはないんですか?
南 あんまり境界線を感じてないっていうのはありますね。美術家という存在がいないと、空間をつくることに対してあかりの重要性が大きいんですよね。飾ったものに対して「ここを明るくすればいい」とかじゃなくなってきてるから、それで早いうちからいろいろ聞いちゃうんですよね。どういう経緯でこうなったのか気になっちゃって、知っておきたいというのがあるんです。
藤田 舞台美術家がいると「このパネルはこういうコンセプトで」って、脚本家とか演出家とは別の説明があるんだ?――これってかなり高度な話で、いわゆる演劇だと、たとえば中華街を模したパネルがあったとしたら、そのパネル当ての照明のつくりかたとかを大学で勉強したりするんです。“地明かり”の作り方とか、「テーブルはうっすら明るく照らしておく」とか。マームは舞台上にすげえ独特なモノが置かれていて、たとえば『窓より〜』だと変なぬいぐるみがいっぱい置かれてるけど、普通は「このぬいぐるみひとつひとつが観客に見えるように照明を当てたほうがいいのかな?」ってなっちゃうと思うんです。でも、南さんは微妙なシュートで絶妙に当ててくれて、それがすごくセンスが良くて。
そこにそのノウハウに従って照明を当てると変なことになるから、そのノウハウを全部放棄してるんですよね。それってお店とかと一緒で、天井から吊るされてるヘリコプターに、ドヤ顔で照明当ててるカフェとか行きたくないじゃないですか。「そこは自然光にちょっと照らされてるぐらいがいいんだよ」って。あかりひとつでその場が持つ意味が変わってくるし、その役割のレベルが高いんですよね。南さんと一緒にやってると、そこにいつも感心させられるというか。南さんに対して、「この人とは話せるな」と思ったのは、フィレンツェから帰ってくるとき、フェラーリの本をずっと読んでたんですよ。
南 帰りの飛行機で、フェラーリの写真集をずっと読んでました。
原口 イタリアで買ったんだ?
南 一時期、F-1にハマってた時期があって、フェラーリショップに行ったんです。そこでなにか買いたいと思って、このぐらい分厚い本をウキウキしながら買っちゃって。
藤田 車って、人工物じゃないですか。僕もミニカーとか好きだし、土着的なものより人工物がいいなって感覚があるんですよね。その感覚について、南さんとはいつも話し合ってる気がします。
南 そう。だから劇場に入ったときも、「ここが見えたほうがいい」とか、「ここは見えないほうがいい」とかって話ができるのかもしれない。
藤田 それも話が尽きないんですよね。南さんとはいろんな海外にも行ってるけど、「ここもさあ」って指差しながら話している先に、ひとつも自然がないんですよ(笑)。「ここのパイプがさあ」とか、中華とか食べてても「これってどういうキャスターで動いてるんだろうね?」とか、そういう話を日常的にしてるから話せることってあるなと思うんですよね。
――これまでの作品で重ねてきた時間があったとしても、今回のようにお客さんが移動しながら鑑賞する作品を成立させるのは大変だったんじゃないかという気がします。
原口 難しかったのは、感染対策のことだけかな。それ以外は、さっきも言ったように演劇畑でもないから、そのこと自体はすごい難しいって思うことでもなかったですね。
藤田 でも、原口さんだから「難しいって思うことでもなかった」ってところに立てたんだと思います。これが演劇畑のいわゆる舞台監督だったら、「じゃあ何時何分に観客を誘導しよう」とか、「上演が終わったらこういう動線で移動させよう」とかって話になっちゃうんです。だけど、原口さんってそういう話をまったくしなくて。
原口 ……駄目かな?(笑)
藤田 いや、今回の作品については、観劇ってよりも鑑賞ってイメージだったから、そこの自由度をあげてくれた感じがあって。わかりやすく言うと、いきなり制作が出てきてアナウンスするとかっていう演劇の形式に当てはめちゃうと、鬱陶しいじゃないですか。そこを絶妙なバランスでやんなきゃいけないところを、舞台監督的なノウハウに当てはめようとすると難しいだろうなと思ったから、それでツアー先とかで原口さんに「大変なことになりそう」と伝えてたんですよね。でも、原口さんは全然ストレスじゃなさそうで、それがよかったんだろうなと思います。でも、とはいえ、展示スペースの設営はめっちゃ大変じゃなかったですか?
原口 あ、大変でした。
藤田 いやいや、それを話してよ!(笑)
原口 あれは大変でした。何をどうすればいいのかわからないのが大変なのと、“ひび”のチームに任せてみたけどできなかったっていうのと。そこはもうちょっと、今後頑張るべきかもねってことは実子さんと話しました。これは別に、私たちと同じようにできるようになるってことではなくて、たとえば高所に登って作業ができる人を作るとか、ああいう展示をやるときは事前に話せたらいいのかなってことは思いましたね。
藤田 原口さんが連れてきてくれた“増員さん”がいて、その人たちをひとり雇うだけで予算が発生するから、めちゃくちゃ貴重なわけですよ。でも、その人たちが“ひび”の展示物をテグスで吊るしただけで一日が終わるって、めちゃくちゃもったいない使い方ですよね。
原口 そこを一気にできるようになるのは無理だけど、少しずつ、たとえば「仕込みは無理だけど、撤去のときは脚立に上がって作業ができる」とかになってくると、やれることの幅が広がるし、展示で何をしたいのかってことももう一歩先で考えられたりするのかなと思いました。
藤田 あの“増員さん”たちには、全然本職じゃない仕事をさせちゃってたんです。あの人たちは家に帰ったあと、自分ちの天井を見つめながら、「今日一日、何やってたんだろう?」ってなるだろうなと思って、申し訳ない気持ちになっていて。でも、そのなかの一人の女性が、仕事終わった瞬間にtrippenのブースに駆け寄って、興味津々で靴を見てくれてたのが嬉しかったんですよね。
原口 あれは面白かった(笑)。でもね、私がこういう感じだから、私のまわりの人たちも、ああいう作業自体は苦じゃないんですよ。それはね、全然気にしなくて大丈夫です。
――南さんとしては、今回の作品で大変だったところはありますか?
南 「こういうことになったらいいんだろうな」っていうのは想像ついてたので、大変だなとか、難しいなと思ったことはないです。
藤田 南さんで感動したのが、「ここにパフォーマンスエリアがあって、ここらへんになんとなく客席にしようと思ってる」ってイメージを稽古場で伝えたときに、僕らが“おばけランプ”って呼んでるランプがあるんだけど、「あのランプを3つ並べて、同じ高さで吊るせばいいんじゃないかな」って、南さんが一言、言ったんです。それを聞いたときに、ああそうだ、って。ほんとはもっといろんな照明を吊るすつもりだったんだけど、あのランプだけを3つ並べることで、そこが集合場所みたいになるんだってことに気づけたタイミングがあったんです。
南 そう。「ここだよ」っていう。
藤田 スタバで言うところの、「あのランプのところでコーヒーを渡します」みたいな感じというか。ランプを一直線に並べて、ちょっと低めに設定すれば、「ああ、ここに座るんだな」ってわかるでしょってことを言ってくれたんですよね。
――この作品が単に上演だけを見せるのとは異なるアプローチだったということは、2020年の状況と切っても切り離せない部分があるかと思います。この一年、皆さんがどんなことを感じて過ごしていたのか、最後に伺えますか?
藤田 『窓より〜』というタイトルの下で関わった人たちと対談したいと思った理由もそこにあるんですけど、やっぱり大変な一年だったなと思うんです。自分たちの生業を失いかけた一年でもあったから。表現はあくまで結果の世界で、表現の良さっていうのも結果を観客に見せるところにあると思っているから、ワーク・イン・プログレスとか、作っている経緯も含めて面白いみたいな企画って、20代の頃は正直ちゃんちゃらおかしいと思っていて。僕らは上演時間に対して支払われるチケット代で生きているわけだから、自分たちのプライドも上演時間ってものの中にしかないと思ってたんです。でも、今年は南さんや原口さんと予定していた演目もめちゃくちゃ潰れてるし、ある意味崩れかかった状態にあるんだけど、そんな状態の中でもなにかを企画している、こういう状態の身体があるとかっていう、ちょっと準備段階なのか、未来を想定しているのか、上演時間以外の余白のところを見せたいなと思ったんです。それを見せるってことは、南さんや原口さんの仕事も見にきてほしいなって思ったんですよね。0から1をつくり出すところの、0.いくつのところを見せていくことが、2020年の年末としては妙にリアリティがあるんじゃないか、って。すごく作り込まれたものを見せるより、華奢な部分を見せていくことをやりたかったのもあって、だから原口さんにもお客さんに見える場所にいてもらって、ヘルメットをかぶって過ごしてもらってたんです。
原口 初日はヘルメットをかぶらず、すみません(笑)。
藤田 スタッフって、見なくていいものになってるじゃないですか。あの空間ではそういう編集がおこなわれていなくて、だから音響ブースや照明ブースの前も装飾して、全部見ていいものにすることが、より響くんじゃないかと思ったんですよね。
南 今回は、久しぶりにちゃんといたんですよね(普段は照明プランを南さんが立て、オペレーションは別の人が担当)。思い返してみたら、『CITY』(2019年)ぶりだったので、マームは今何をしようとしてるのか、現在地が見えたなって感じましたね。普段はほとんど演劇しかやってないので、考え方とか方法論もそうですけど、凝り固まっちゃう部分ってあると思うんですよね。この作品のおかげでそこをフラットにできたかなと思いました。
――南さんが感じた現在地というのは、どんなものですか?
南 まわりの演劇人たちも、公演をやるかやらないかですごい悩んでいたり、やるにしてもどういう内容をやるのか、結構制約だらけだったじゃないですか。それを踏まえつつ、マームらしさを失わない印象があったので、すごく安心したんですよね。それを求めていたお客さんをいっぱいいたんだろうなっていう感じもするし。でも、だからといって今までやってきたものだけじゃなくて、ちゃんと未来志向だったなと思いました。そこに私もちゃんと入れたから、それまで考えていたちょっとネガティブなこととかも、一回リセットされた気がします。
藤田 僕はTwitterで「何タイトルも中止になった」とかって、自分が一番大変みたいな雰囲気のことを言っちゃうけど、原口さんや南さんって、なくなった作品の数は僕の比じゃないですよね?
南 数は、まあ、ねえ。なんか、慣れたぐらいの感じはありますよね。
原口 「ははは」みたいな(笑)。ドミノ倒しみたいに公演がなくなっていった時期があって、あれは脅威でした。くる連絡がすべて中止の連絡で、どこまで行くんだみたいな感じでしたね。だから、公演をやるときに、お客さんがどういう感じでくるのか、そもそもきてくれるのかっていうことは、公演が再開されるようになってからもずっと思っていることで。この状況になるまでは、本番中客席の後ろに行くことも多かったんです。でも、コロナ禍以降はゾーン分けがあって、気楽に客席に行けないところもあるから、観客は今、一体どういう感じなのかなと思いながらやっていて。でも、『窓より〜』では私もお客さんに混じって誘導したり、ちょっとしたお声がけをしながら過ごせたし、そこに変な緊張感が必要以上になかった感じがあって、それはよかったのかなと思います。公演がドミノ倒しに中止になったときには、今みたいな状況にすら戻れるかどうか想像ができなかったんですよね。こんなに早く公演がおこなえる状況になるとは思えなかったので、観にきてくれる方がいて、私たちも気をつけながら上演する方法があるんだなっていうことを再確認できたかなと思いました。変な言い方ですけど、上演をやる意味はあるし、考えられることをやっていったほうがいいよなってことを改めて思いましたね。
藤田 今の話を聞いてて、原口さんでよかったなと思ってるんだけど、観客のことなんて気にしてなかったスタッフさんって、余裕でいたと思うんですよね。でも、原口さんはコロナ禍になる前から、観客のことを気にしてたんですね。
原口 舞台監督って、本番を表から見られないじゃないですか。オペラの現場とかになると、チーフは表にいて、サブ以下がランニングを担当することもあるんですけど、私がやってる規模だと舞台監督は裏にいて、表から見れないんです。そもそもダンスが好きでスタッフを始めたのに、正面から見れなくなって、すごくねじれた欲求が生まれるんですね。だから、きっかけないときは、客席の後ろにまわって盗み見してるんです。ひどいですよね(笑)。本番はゲネとは全然違うし、そこに生身の観客がいると全然別物なんですよね。すごく乱暴な言い方をすれば、そこにしか答えはないんです。答えは袖から見た光景にはなくて、正面から見る観客越しの舞台に、私たちが目指して行った結果が出てるはずなんです。それを見れないことへのねじれた感情があって、演出部で手がまわるときは表にまわって、表からキューを出すこともあります。いろんな都合でそうはいかないときも多いんですけど、そうできたほうが絶対いいんですよね。
藤田 これってコロナ禍とは関係なく、ずっとテーマではあったと思うんです。特に海外ツアーとかになってくると、「ちょっとした時間でも技術スタッフの時間にしたい!」とか、「この忙しさでは、表のことは制作に任せるしかない!」みたいなことなるじゃないですか。そこでゆとりを作るために、マームはツアー中の制作もふたり体制にしていたり、原口さんみたいな人と出会ったりしてきたと思うんですよね。そういう見えてないところの余裕が、表から見る作品のクオリティに繋がる部分があって。やっぱり、「メンタルが下がってる」とか、あとは「寒い」とか、そういう体感をきちんと話せない人とは一緒にやれないなってところがあるんです。忙しさや規模に比例して忘れがちなところを、誰かが忘れないでいるポイントを作っておかないと、演劇は集団でやるものだから、なし崩し的に悪い雰囲気になるときがありますもんね。
南 そういう日常のちょっとしたことが、全部作品に反映されちゃうから、怖いですよね。でも、マームはそれが良いふうに作用してるから、すごくいいなと思います。
藤田 だけど、マームは極限のツアーが多いですよね?(笑)
南 忘れられないエピソードだらけだからね(笑)。そのエピソードだけでも、一晩語れるぐらいはありますね。