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窓より外には移動式遊園地2

藤澤ゆき(YUKI FUJISAWA デザイナー)×藤田貴大 対談

2021/05/26

「窓より外には移動式遊園地」
藤澤ゆき(YUKI FUJISAWA デザイナー)×藤田貴大
聞き手:橋本倫史 撮影:井上佐由紀

 

――『窓より〜』の作業を始めるにあたって、最初にふたりが会ったのはいつごろですか?

藤田 ゆきさんとは、去年の夏、trippenの事務所に一緒に行ったよね?

藤澤 その前に、初めてマームの事務所に初めて行ったよ?

藤田 ああ、それ、8月だ。マームは『CYCLE』って作品を3月に上演するはずだったんだけど、『CYCLE』の中止が決まって。そのあとも定期的に作業が続いているところに、ゆきさんが事務所にきたんだよね。あのとき、「人に会うのは久しぶり」って言ってましたよね?

藤澤 そうなんです。藤田君が言ってた、ラムネの話がすっごい頭に残ってる。

藤田 ラムネじゃなくて、桃の天然水ね(笑)

藤澤 そうだ、桃の天然水だ。その話がすごく面白くて。その日のハイライト。

――……桃の天然水の話って何ですか?

藤田 その話、する?(笑)ざっくり言うと、うちはペットボトルの飲み物とかすぐに買ってくれるような家じゃなかったんだけど、中学校1年生の林間学校のとき、皆がペットボトルの飲み物を持ってきてたんです。そこがまず衝撃だったんだけど、同じクラスのシンゴ君って子がすごく美味そうなのを飲んでて。それ何?って聞いたら、「藤田、“桃天”知らないの?」って飲ませてくれて、ひとくち飲んだら頭が弾け飛ぶぐらい美味かったんですよね。皆は火起こしとかで楽しんでるのに、僕はもう桃の天然水で頭が一杯になっちゃって。夜、テントで寝るときにシンゴ君の足元に桃の天然水があって、僕はそれを一晩かけてちびちび飲んで。結構残ってた桃の天然水を、朝までにほとんど飲んじゃったんです。起きたら怒られるだろうなと思ってドキドキしてたんだけど、シンゴ君は何も気づかずに、ちょっと残ってた桃の天然水を起き抜けに飲み干したんですよ。シンゴ君にとっては桃の天然水が減ってることなんて屁でもないんだろうなと思って、ちょっとそれも寂しくなったっていう。

藤澤 中学生の藤田君が桃の天然水を隠れてちびちびと飲む姿を想像して、そのいじらしさが印象的だったんです。

――緊急事態宣言が出て、「不要不急の外出自粛」という言葉をあちこちで耳にするようになった日々に、ゆきさんはどんなことを感じながら過ごしていましたか?

藤澤 それまではアルバイトにきてくれるスタッフが数名いたんですけど、電車で通うのは危ないよねって話になって。私は自転車でアトリエに通うようになって、ひとりになる時間が増えたんです。ゆっくり考える時間も長くなって、肩の力が抜けたところもありました。私がやっているのはファッションブランドの活動に近しいのだけど、周りの人たちは展示会を年に2回やって、ショーもやって――すごく精力的に活動してる人が多くて、そこに焦りを感じてた部分もあったんです。今まで周りが速過ぎて焦っていたぶん、皆の活動がゆっくりになって、ホッとした気持ちがありました。自分の場合、これまで一点物を中心にすごく少ない数に情熱をかけてきたから、それをゆっくり説明することもできて。一点物以外にも、ニットやお洋服の本格的な量産をスタートして、オンライン予約会を去年の5月に開催したんです。量産と言えどこれまでと変わらず手仕事を大切にしているので、どんな言葉や写真にして伝えようか、いつもよりゆっくり考えることができましたね。

藤田 ここ数年の様子を見ていると、ゆきさんは時間みたいなものに抗ってるんだろうなと思っていたんです。僕は行けなかったけど、原美術館の企画(2020年3月に開催された「“1000 Memories of” 記憶のWorkshop」)とか、「アランニット制作日記」とか――すごく独特な規模でゆきさんが言葉の作業をし始めたなと思ったんです。ファッションのことだけを考えるんだったら、言葉のことなんて考えなくてもいいかもしれないのに、そこを無視できないのは異様だな、と。だから、コロナ禍になる前から「ゆきさんとはもう一回ちゃんと関わりたいね」ってことは“やぎ”とも話してたんです。話したいなと思ってた人だから、8月にマームの事務所にきてくれたとき結構緊張したんだけど、結局“桃天”の話で終わっちゃって(笑)

藤澤 藤田君とちゃんとしゃべるの、これが初めてです。

藤田 対談としてしゃべるのは初めてだし、会うといつもくだらない話をしちゃうんだよね(笑)。でも、ゆきさんってすごく気になるタイミングで現れる人だったんですよ。最初にゆきさんの名前を知ったのは、『まえのひ』(2014年)で京都に行って、蘆田裕史さんが運営に携わってる「コトバトフク」ってお洋服屋さんに入ったときに、「ヴィンテージのTシャツに箔プリントをしてる人がいるんだ」ってことを蘆田さんに教えてもらって。そのとき、たしか実子が買ってたよね?

藤澤 そう、そのとき買ってくれたらしく、数年後に箔のお直しもしました。

藤田 その2年後に、僕が京都に2ヶ月ぐらい滞在して『A-S』と『0123』って作品を作り込んでたときに、大森伃佑子さんも「DOUBLE MAISON」の期間限定ショップを京都で展開してたから、川べりにある良い感じのレストランで大森さんと『ロミジュリ』に向けて打ち合わせをしたんです。そのとき大森さんが「京都にきて思うんだけど、ゆきちゃんにも関わってもらったらいいかも」みたいに言って、「ああ、ゆきさんですよね」って話になったんです。それで、東京に戻って『ロミジュリ』の稽古が始まって、初めて衣装のフィッティングをする日に、なんかいきなりゆきさんが現れたんだよね。

藤澤 それまで私、マームの噂は聞いてたんだけど、まだ観たことがなくて。演劇の人と関わる機会もなかったから、どんな人たちなんだろうなとドキドキしながら芸劇に行ったら、制作の(林)香菜さんがエスカレーターのところまで迎えにきてくれて、「どうもどうも!」って大声で挨拶されて。わ、すごい元気な人たちだと思って、すごく印象的でした。

藤田 あの日のゆきさん、めっちゃ怖かったんだよな。一ミリも笑わずに、すげえ強い目をしてて。

藤澤 ほんと? 緊張してたんです、それは。

藤田 しかも大森さんにタメ口だから、「この人、どんな感じ?!」ってなったんだよね。『ロミジュリ』で大森さんとしっかり関わりながら、一着一着作っていくやりとりも見てたから、『まえのひ』から『みえるわ』(2018年)になったときに、その中の一つの演目ではゆきさんと関わりたいよねって話になったんです。それで、『まえのひ』の中でも「治療、家の名はコスモス」は京都の元・立誠小学校の教室で初めてやった記憶があって、思い入れが深い演目ではあるんだけど、その演目だけ未映子さんが見れてなかったり、自分たちの中ではまだ発展途上というか、もうちょっと行けるって感覚があったりして。でも、ゆきさんとだったら独特な世界を立ち上げられるような気がして、「コスモスの衣装はゆきさんがいいんじゃないかな」って“やぎ”と話して、やりとりしてもらったんですよね。

――少し話が前後しますけど、ゆきさんはそれまであまり演劇を観てこなかったところから、初めてマームを観たときはどんな印象を抱いたんですか?

藤澤 『ロミジュリ』の本番で初めてマームを観て、感動したんです。今まで観てなかったのは惜しいことしたなっていうのが第一印象でした。自分はテキスタイルを扱っていて、そこに箔や染めで質感を重ねていくけど、藤田君がやっているのはもっと大きなことで。世界が無限に広がって、観ている自分を違うところに連れて行ってくれる。その演劇の力に、圧倒されました。

藤田 楽屋にきてくれたときのことをはっきりおぼえていて――これは特定の誰かのことを言っているわけではないんだけど――観終わったあとにがつがつ感想を言ってくる人のことを信じられないところがあるんです。でも、『ロミジュリ』を観てくれたあと、ゆきさんは「ムッとしてんのかな?」と心配になるぐらい、終始笑顔がなかったんですよね(笑)。観終わったあともまだ考え中みたいな雰囲気があって、「この人とちゃんと話してみたいな」と。それに『ロミジュリ』のときは、言い方は悪いけど大森さんの世界を成立させる一員だった感じがあったけど、ゆきさんをメインに関わってみたいなと思って、時間をかけて関わりを考えていた気がします。

――そうして時間を重ねて、『みえるわ』で衣装をお願いするときって、ミーティングの場を設けたんですか?

藤田 いや、まったくそうじゃないんです。作品が演出家だけのものっていうふうになるのが嫌だったし、僕が出向いて行って「こういう衣装にして欲しい」とお願いすると、すごく窮屈にさせてしまうんじゃないかと思ったんですよね。僕が言葉で説明すると、想像力がそこで止まっちゃうような気がして、あんまり接点を持とうとしてなかったですね。

藤澤 だから、最初はすごく心配でした(笑)。いづみちゃんは衣装のスタートを一緒に考えてくれて『不思議の国のアリス』のキーワードを出してくれたんですけど、藤田君はまったくノータッチで、「どう思われてるんだろう?」って心配だった。

藤田 ゆきさんが心配になってたんだとしたら、あの頃の自分は駄目だったなって反省してるんだけど、「治療、家の名はコスモス」の衣装プランを聞いたとき、めちゃくちゃ感動したんだよね。20分ぐらいの演目の中で、途中でモードを変えるってことを考えてくれて、それで一気にイメージが広がって。ドーナツ型の衣装を途中で外すんだけど、それを外すってことでモードを変えることができたし、あの詩に出てくる「出口」ってもののありかたが描けるような気がして、結構驚いたというか。

2018年「みえるわツアー/治療、家の名はコスモス」

――『みえるわ』のときは、ドーナツのような衣装を途中で外してましたけど、『窓より〜』で「治療、家の名はコスモス」が上演されたときに、そういうプランにはなっていなかったかと思います。それはどういうやりとりを経て決まったんですか?

藤田 最初の話に戻るけど、衣装の靴を作ってもらうために、ゆきさんと一緒にtrippenの倉庫に行ったんです。そのとき、ゆきさんと初めてに近い感じで作品について話をして。

藤澤 そうかも、そうかも。おぼえてます。

藤田 そのときゆきさんが、「やっぱり皆、外に出ないもんね」ってことを言ってたんです。『みえるわ』のときって、「治療、家の名はコスモス」って女性が外に出る話だと思ってたんですね。でも、あの詩に出てくるコスモスって女性は窓を開けるんだけど、それを閉じて中に戻っちゃうから、結局一歩も外に出てなくて。そういうことをtrippenの事務所で話した記憶がありますね。

藤澤 衣装を変えたいと先に言われていたので、どうしようかなと考えていて。2回目の演目ということだけど、未映子さんの言葉は同じ。舞台ではどう解釈が変わるんだろうと思っていたのですが、「今だと皆の読み方も違うよね」って言われてハッとしたんです。あらためて読み返してみたら、藤田君と同じように「これ、全然違う話だ!」と気づいて、それがヒントになりました。

藤田 稽古が始まって、稽古場にもきてもらってやりとりしてたんだけど、あの「ドーナツ」を外さないってプランにゆきさんがしていったんだよね?

藤澤 あれ? 「ドーナツ、どうする?」みたいな話をしてるときに、「外さなくてもいいのかもね」って藤田君に言われた気がするよ?

藤田 僕の記憶では、ゆきさんが言ったような気がして、「そうか、外さないってことか、そうだよね」ってなった気がする。

「窓より外には移動式遊園地/治療、家の名はコスモス」 撮影:小西楓 宮田真理子

――話し合いを重ねているなかで、お互いがお互いに影響しながら、今回のプランになったわけですね。今の話にあったように、コロナ禍の中で読むと響きが変わるということもあったと思うんですけど、それ以前に再演するということによって生まれることもあったと思うんです。一度時間をかけて向き合った川上未映子さんの詩と、数年経って再び向き合ったときに、どんなことを感じましたか?

藤田 「治療、家の名はコスモス」って、最上級にかわいい作品だと思うんです。こんなにも少女性のようなものが満ち足りている演目って、僕の他の作品にはないだろうなと思って、『みえるわ』ツアーのときは観てても楽しかったんですよね。ひとりの女性が妄想の中で遊んでいるみたいで、劇中劇をしているような感じがして、すごい楽しくて。でも、今回『窓より〜』で取り組んでみると、ゆきさんのスタイリングは変わったにせよ、曲のセットリストもほとんど変えてないし、僕の中では変わってないはずなのに、すごく切ないものになったのは不思議で。コロナ禍がどうとかっていうより、それ以前からこの人はずっと誰にも会わずに、家族とも疎遠で、自分を閉じたままでいる人なんじゃないかと思って、切なくなったんです。言葉にするとチープになってしまうけど、ゆきさんの服ってある意味すごくイノセンスなところがあって、いきなり箔がきらめく感じとか、レースの感じとか、それが一層切なさを際立たせていて。『みえるわ』のときは「装置を作ってくれたな」と思ったんだけど、今回は装置だと思えなくて。あと、今回は天蓋やベッドカバーにも手を入れてくれたり、舞台美術にも絡んでくれたんですよね。

藤澤 リカちゃん人形もね。

藤田 そうそう、小道具で使うリカちゃん人形の服にも箔を施してくれて。僕は昔から「この人がこれを選んだってことは、どういうドラマがあったんだろう?」ってことをいちいち想像しちゃって切なくなるんですけど、ゆきさんの手によって選ばれたものたちを見て、グッときたんです。ひとつの詩と向き合い続けてよかったなって感じが、「冬の扉」とはまた違った感覚としてありましたね。

藤澤 初演のときこの作品はコメディだと思っていたんです。だけど、いま読み返すと悲しい話に感じました。本当は外に出たいのに、出ることができない女の子、コスモス。だから、衣装は悲し過ぎるイメージにしたくないなと。ブラウスの生地はヴィンテージのキッチンクロスを使用していて、詩が刺繍してあるんです。ドイツ語で――trippenと関連させるためにドイツ語で――「燕が宿る家は幸福な家」って、コスモスの住んでいる場所を祝福するデザインにしました。

「窓より外には移動式遊園地/治療、家の名はコスモス」 撮影:小西楓 宮田真理子

――そうやってひとつひとつ選んだものが、衣装になっているんですね。さっき藤田さんは「人がこれを選んだってことを想像して切なくなる」と言ってましたけど、このアトリエではオーダー会も開催されていて、いろんな人がこの場所に足を運んで服を選んで、箔の色や箔を押す場所を選ぶわけだから、ここで過ごしていたら切なくなりっぱなしでしょうね。

藤田 ゆきさんの作業を見るとざわっとくるのはそこかもしれないです。また変な小咄みたいになるけど(笑)、小学校2年生のとき、お父さんと二人暮らししてる同級生の女の子がいたんです。日曜日になると、他の子たちは北海道で言うと「マリンパーク」っていう水族館に連れてってもらったりしてるんだけど、うちはそういうところに連れてってくれる感じじゃなくて。で、その子のおうちは、うちとはまた違った感じで、日曜日になっても遊園地とか水族館とかに連れてってもらえてなくて。ぼろぼろの服を着てて、周りから「くさい」とか言われてるような子だったんだけど、その子がある月曜日、ぴかぴかのシャチのぬいぐるみをランドセルのサイドにつけてて、登校中に後ろからそれを見たときに、僕はもう泣きそうになって。よかったじゃん、マリンパークに連れてってもらったんだ、僕は行ったことないよみたいな感じで嬉しくて。でも、登校した途端、クラスの男子に順位をつけてるような感じのイケイケの女子たちが、「何、あのシャチのぬいぐるみ?」って言ってるのが聞こえてきて、お前ら全員ぶん殴ってやろうかと思いながら泣いたんです。それぐらい、人がものを買うってことに――たとえばこの犬、名前何でしたっけ?

藤澤 “お茶犬”?

藤田 最初にお茶を出してくれたとき、このペットボトルに印刷されてるキャラクターを見て「お茶犬、いいよね」ってゆきさんが言ってたけど、そういう言葉ひとつとってもちょっと切ないんです。それを言葉にするゆきさんって美しいなと思うんだけど、人が何を選ぶとか、何をいいと思うかとか、何を手に取るかとか、誰にも馬鹿にされちゃいけないものだって思っていて。それはたぶん、普通の人より高いレベルでそう思っていて、その気持ちがなかったら演劇もやってないと思うんですよね。僕の演劇を観にきてくれる時間っていうのも、ひとりひとりが買ってくれた時間だから、「俺が作った時間に立ち会え」みたいな態度ではいられなくて。ゆきさんの作品を見ていると、かつて人が手にしていたヴィンテージの一点物が、また別の誰かの手に渡っていくってことをすごく考えてるのが伝わってくるから、すごい営みだなと思うんですよね。

藤澤 そう感じてもらえてうれしいです。ブランドを始めたのは学生の頃で、それまで私、古着を着たことがなかったんです。匂いとかシミの痕跡が怖かったのだけど、それを染め替えたり箔を押すことで見違えたようにきらきらと生まれ変わって、まずはその姿に感動したんですね。だから最初は素材への興味で、「これ、面白いよね!」って気持ちで作っていて、ターゲットは考えていませんでした。でも、受け取ってくれる人が増えるにつれて、箔は脆いものだから、その弱さをポジティブに感じられるように、考え方も変わっていきました。もともとプリントがあるTシャツの上に箔を重ねることで、少しずつヴィンテージ本来の絵が現れるようにしたり、箔の下地に鮮やかな顔料を混ぜて、かすれた時にも新しい色の表情が生まれるとか。アトリエではオーダーリペアを承ったり、時間ともに変わることを前向きに捉えてもらえるようにしたんです。そういう形で、次の人に手渡したあとの時間を、より想像するようになりました。

藤田 ゆきさんの仕事って、もともとあったものに新しい価値を生み出すことでもあると思うんです。言い方を変えると、ゆきさんの目で再評価していく。ヴィンテージの古着って、それを着ていた人の日常の中で評価されていたものだったのが、その人の中で価値がなくなったのか、あるいはその人がいなくなってしまったのか、手放されることになって。その抜け殻みたいなものを、ゆきさんの目でリバイバルするというか、甦らせていくことでもあるんだろうな、と。
これは『ロミジュリ』のときにも意識したんだけど、ゆきさんがやってるのはただ衣装を作るってことだけじゃなくて、詩に対する再評価でもあると思うんですよね。演出の仕事は言葉や役者を現在って時間に甦らせる行為でもあると思うんだけど、それをゆきさんも完璧にやってくれてるな、と。言葉というものもやっぱり廃れていって、誰かの家の片隅の本棚に入れられたまま、何十年も人の目に触れてない文字っていっぱいあると思うんだけど、そういうところにまでゆきさんは手を伸ばそうとしてるというか。さっきの「燕が宿る家は幸福な家」って言葉とかも、よくこれを引っ張ってきたなと思ってびっくりしたんです。

「窓より外には移動式遊園地/治療、家の名はコスモス」 撮影:小西楓 宮田真理子

藤澤 でも、私の中では、橋本さんに「アランニット制作日記」(2019年7月-2020年3月)を書いてもらうまで、言葉に対してずっと苦手意識があったんです。特に書き言葉に苦手意識があって、書き記された時点で見え方が一元化される感じが、いつも苦しくて。手にとってもらえたあとの物語の続きは、相手に託したいので、言葉にすることをずっと避けてたんです。でも、「アランニット制作日記」を書いてもらったことで、これまで筋を通してきたことが言葉として立ち現れてきて。自分自身こんなふうに思ってきたんだなとか、これを信じて続けてきたんだなとか――うまく言えないですけど、「よかったね、自分」と褒めることができて、それから苦手意識がうすれてきました。

藤田 ゆきさんのここ数年の活動って、ひとつひとつ言葉が見えるじゃないですか。たしかに言葉がないほうが美しいものってあるし、言葉にすると一元化されてしまうこともあると思うんだけど、ゆきさんの言葉に対する感じがここ数年で変わったような気がしていて。ゆきさんの手の伸ばし方って、すごく詩の世界だなって感じがするんです。つまり、散文的にすべて理屈が通ったものではなくて、詩的な部分でいろんなことに手を伸ばしてるな、と。それって別に、手を伸ばさなくてもいいことかもしれないじゃないですか。ファッションの世界にも、ビジュアルだけを作ろうとしてる人もいっぱいいるであろう中で、なんでそこまで執拗に言葉に向かうんだろうって、すごく面白いなと思いながら見てました。

――この数年って、ゆきさんの中ではどんな時間でしたか?

藤澤 このアトリエを借りるまで、実はしばらく休んでいた時期があったんです。その頃はoverlaceというブランドのディレクションや、外部の仕事だけ受けてました。前はデザイナーズビレッジというシェアアトリエにいて、3年間だけ借りられる創業支援の施設なんですね。そこを卒業するときに、次の進む道が見えなくなってしまって。
ほかの皆は、卒業後に大きいアトリエを借りて、スタッフを増やしてビジネスを拡大する流れになるのだけど、私はどうしたいかがかわからなくて、立ち止まってしまって。ものづくり以外の面で決断を迫られる場面が増えて、自分が心から好きなものや、やりたいことが朧げになってしまう瞬間が多くなってしまい、一度休憩しようと思ったんです。集めてきたヴィンテージ素材は全部実家に送って、外部の仕事はやるけど、自分の手で作るのはやめようと。家に引きこもっちゃって、しばらく近所のスーパーしか行かないような生活だったんです。

藤田 そうなんだ。それは初めて聞いた。

藤澤 そのときに、ある人に「実は今、作るのをやめてる」って話をしたら、「インスピレーションの旅なんて行かないでよね」って言われたんです。「自分が日常の中で感じたことを反映にしないといけないんだから、外にインスピレーションを求めなくていいんだよ」って言われて、はっとなったんですよね。だから半年ほど、スーパーに行ったり、ごはんを炊いたり、にんじん切ったり、そういう日々の営みを続けてたらちょっとずつ復活してきて。自分が最初に楽しいと感じていた、古着に残された痕跡とか、そこに眠っている記憶の輝きが、もう一度確かに感じられて。そのタイミングで原美術館でプレゼンテーションを開催できることになったんです。じゃあ急いでアトリエ探さなきゃってことで今のアトリエを借りて、実家から箔のプレス機を送り直して、制作を再開しました。それからちょうど2、3年経って、まだこの数年のことを、そんなに俯瞰はできていないんですけど、今はもうすっかり復活したなと感じます。

――さっきの話で、言葉に対して苦手意識があったという話がすごく印象的で。でも、そこから苦手意識がなくなって、自分の仕事を言葉にしようと取り組んできた時間を経て、今回あらためて川上未映子さんの詩に取り組んで、感覚が違ったところはありますか?

藤澤 『みえるわ』のときは藤田君の答え合わせがなかったから、「これ、合ってる?」って不安でしたけど、今回は最初からいづみちゃんが「私はこうだと思う」って提案してくれて、すごく安心した記憶があります。

青柳 「みえるわ」のときはちょうど藤田君がセリーナ・ウィリアムズにハマってたから、それで「テニスのスコートみたいな感じ」みたいな話ばっかりしてた気がする。

藤澤 そうだった。「テニスのスコート?」って、ちょっと混乱しました(笑)

藤田 ごめんごめん、ほんと意味わかんないことばっか言ってたな。『みえるわ』のとき、ゆきさんと直接やりとりしなかったっていうのは、未映子さんの詩の世界を扱うときに、それを成立させるのは僕だけなのかな?って思ってたんです。僕だけじゃなくて、“やぎ”だって成立させてるし、ゆきさんだって成立させてるはずで。今はちょっと考えが変わってるところもあるんだけど、そうやって作家が集まってるだけって状態を極端に作りたかったんだと思います。

――それで言うと、『窓より〜』という企画ってまさにそういう現場でしたね。こんなふうに携わった「作家」たちと振り返り対談をしているというのもそのあらわれだと思いますけど、あの現場はいろんな「作家」が集って成立していた場所で。人が集まることが難しくなった2020年だったから、あんなふうに人が再会して、ひとつの場所に集まって、また自分の場所に帰っていくって現場を目の当たりにして、ちょっと感動したんです。

藤田 ぶっちゃけて言うと、僕はそれが楽しくて演劇やってるようなところもあるんですよね。作品をつくってるとか、「でかい劇場で演出しました」みたいなことには全然誇りを感じられなくて。僕がつくっているのは、誰かと誰かがクロスオーバーする点でしかないんです。僕やゆきさんが集ってまた離散するように、観客の人たちが集って離散する点を作る仕事だと思ってるから、変な口出しをしたくなくて。衣装のこととかに何か言うのって、ちょっと恥ずかしくなるんですよね。

藤澤 そうなんだね。

藤田 だって、僕の何万倍も服を見てきた人に向かって、「この人はこういう衣装がいいと思うんです」とか、どの口が言えるんだろうって思っちゃうんですよね。こんなナイキの服を着てる僕が言っても、「お前よりこの人たちのほうがおしゃれだぞ」って恥ずかしくなるというか(笑)。それに、この登場人物はブラウスで、色はこういう感じでとかって言い出しちゃうと、それを作ってもらうだけの作業になってくるというか。演出家って、ヒエラルキーの上っぽくなっちゃうときがあるんだけど、それを行使したくなくて。これは風通しの話になってくるんだけど、ファッションのことが好きな人が作品を観にきてくれたときに、「ああこれ、藤田さんには絶対わからないレベルのことを、ゆきさんが考えてやってるんだな」ってことが作品の中に細かく配置されてると、抜けがよくなると思うんです。一つの目で作られてないっていう、マームが好きなテイストはそこだな、と。
僕は昔、「藤田君は前髪がある女子が好きなんだね」とよく言われてたんだけど、それを言われてすごい悔しかったんですよ。ほんと酷くて、「前髪さえ切れば藤田君のオーディションに受かるよ」とか言ってるやつもいたらしくて、ほんとに馬鹿にされてるなと思ったけど、演出家ってそれぐらい力を持ってしまうポジションでもあるんだろうなと思うんです。それをいかにかわすか。これは作品のことだけじゃなくて、今はたくさんの人が多様化を望んでいる社会になってきてるけど、そこに抜けの良さというか、いろんな人が集まる一瞬の場を作るのが演出だよなと思うんです。

藤澤 私、藤田君のこと勘違いしてたかも。いづみ情報とか、インタビューとかを読んで思い描いていた藤田君像って、演出家のすべての権利を行使して、めちゃくちゃ役者を走らせたりするイメージだった。

藤田 そこは――そこはそうだよ(笑)。めちゃくちゃ走らせてるのは、めちゃくちゃ走らせてるけど。

藤澤 役者の動きから、舞台装置、音楽にいたるまで、すべてのことに藤田君の手が及んでいると思っていて。でも、衣装のことは全然言わないから、どうしたんだろう、忙しいのかなと思ってたけど、そういうことだったんだね。

藤田 そう。全然忙しくはないです(笑)

――ゆきさんも、このアトリエでアランセーターのオーダー会を開催してるっていうのは、そうやって人と人とが集う場を作っているということでもありますよね。それと、藤田君が今「多様性」って言葉を口にしましたけど、2020年の夏に会ったときに、ゆきさんもその言葉について考えてましたよね?

藤澤 そうなんです。去年は人権問題だったりと、SNS上で自分の意見を問われる時期があって、何も言わないでいることも状況を無視しているし、意見を表明したら何かを言われるだろうし、自分はどういう立場なんだろうと、ずっと考えていて。ブランドの立ち上げから継続しているヴィンテージのアランセーターは、年によって染めの色や技術を変えているんです。2020年はどうしようかと考えたときに、何色にも捉えれるグレーのセーターにしようと。いろんな考えが存在することを享受したい思いは自分の中にあるから、「移り変わり」を表現したくて、重なり合って生まれる色を表現しました。今でもずっと思っている大事なことで、YUKI FUJISAWAは基本的にユニセックスとして提案しているんです。今年作ったお花模様のニット帽も、性別問わず愛用できるサイズになっています。どんな人がどういう格好をしてもいいと信じてます。さっき藤田君が言った「この人がこれを選んだってことは、誰にも馬鹿にされちゃいけないと思う」という言葉にすごく共感できるし、私もそれを肯定したいと心から思っています。

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