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窓より外には移動式遊園地2

橋本倫史(ライター)×藤田貴大 対談

2021/06/01

「窓より外には移動式遊園地」

橋本倫史(ライター)×藤田貴大
撮影:井上佐由紀

 

橋本 ビール、何本か買ってきました。

藤田 やった。一本もらっていいですか。

橋本 どうぞどうぞ。お疲れ様でした。

藤田 お疲れ様です。

橋本 ここまで皆に話を聞いてきましたけど、いや、何の話をしましょうかね?

藤田 去年の春から『路上』の企画が始まって、それがコロナ禍の中で唯一外に出るきっかけになってたんですよね。最初は3月から始めるつもりだったのが、家から出ちゃ駄目な感じがあって、ずるずる延期になりましたよね。初回の橋本さんのドキュメントも、僕と一緒に歩いてる感じじゃなくて、ぼやかして書いてくれたじゃないですか。

橋本 1回目については、3月31日に僕がひとりで歩いて、そのあと4月に藤田さんと一緒に歩き直したんですよね。あのとき、どうやって情報を出そうかって、歩きながら話しましたよね。ふたりで一緒に街を歩いてる映像を撮ろうかって話もあったけど、やっぱりやめといたほうがいいんじゃないか、って。

藤田 そうそう。でも、色んな企画を延期する話し合いをしてたけど、『路上』をやめるって選択肢はなかったよね。去年の4月から3月のあいだって、去年の秋の『てんとてん〜』と、今年に入っていわきでワークショップをした以外、東京から出てなくて。こんなに東京から出なかったことってなかったから、この企画が東京の企画でよかったなと思うんですよね。東京以外で『路上』をやることは不可能だったと思うし、自分の中でも東京にフォーカスが当たってるタイミングだったから、いろんなことがちゃんとバッティングしたなと思うんですよね。それがよくて。『窓より〜』で、窓の内側のことは未映子さんのテキストや穂村さんのテキストがやってくれてると思ったんですけど、窓の外側のことも考えたくて。ひびの『P』って企画で東池袋にある公園を皆で歩いてみたり、trippenの靴も外に出るためのツールだったり――展示する作品に関しては、きわめて外を想像させるようなことをやりたかったから、『路上』の展示もやりたいなってことを制作と話したんですよね。

「窓より外には移動式遊園地/路上」 撮影:小西楓 宮田真理子

橋本 今振り返ってみると、ほんとに4月と5月は外に出ることに勇気が要りましたよね。もちろん今だって緊張してますけど、こんな時期に外に出ていいんだろうかって、かなり緊張していた記憶があります。あのときはあまり意識していなかったけど、かなりダメージを受けてた気もして。今まであちこち出掛けていたような人たちが、「今は行くことができないから」って言い回しとともに商品をお取り寄せしたり、今は近場の店に目を向けようとか言ったりしてるのを見るたびに、今まであなたがやってきたことは何だったんですかって、問い詰めたいような気持ちになってたんです。

藤田 でも僕もあの時期、地元からチーズやジンギスカンをお取り寄せしたり、コロナ禍になったから近所を散歩できて、見つけることができたお店がありましたけどね。そのことに、そこそこ喜びを感じていましたし。その“気持ち”ってなんなんでしょうね?

橋本 もちろんやたらと出歩くことが正しいわけではないけれど、「今は遠くに行けない」って言い方がなされることに対して、すごく過敏になっていて。「今は遠くに行きづらい」ならわかるんです。でも、行けないって言い方がなされてしまうことに対して、すごく苛立っていた気がします。

藤田 橋本さんはほんとに憤ってるだろうなってことはずっと感じてたんだよね。「不要不急」って言葉は演劇に降りかかる言葉でもあるんだけど、橋本さんは移動を生業としてるから、それが途絶えると何も書けなくなるよなっていう。演劇ってやっぱり抽象的で、どこかに足を運んだことをダイレクトに表現するわけじゃなくて、自分の想像力で構築したファンタジーを描いてるんですよね。でも、橋本さんの仕事は移動しないことにはどうにもならないよねっていうことがあるなかで、それを言われた人のことを誰か考えてますかってことはかなり思ってましたね。

橋本 もちろん僕の仕事は移動しないことには書けないってこともありますけど、仕事云々以前に、「県をまたいだ移動の自粛を」みたいに言われ始めたときに、一体それはどういうつもりで言ってるんだろうと思ったんです。そこで急速に境界線が敷かれていくけど、問題なのはその境界線なのか、っていう。境界線で言うと、日付で線が引かれたことに対しても、すごく違和感が――って、日付のことをやたらと気にする僕が言えた話でもないんですけどね。

藤田 そうですね(笑)。日付っていうのは、どういう?

橋本 去年の5月25日に、緊急事態宣言が取り下げられるのに際して、総理大臣が自民党の役員会で「6月19日からは県をまたいだ移動を可能とする」と伝達したんですね。それを受けて、メディアがそのまま「来月19日より“県をまたく移動”可能に」って、速報としてテロップを出して報じたんです。「可能に」って、それまでだって自粛が求められてただけで、一切禁じられていなかったのに、なんとなくの空気の中で「可能に」って言葉がまかり通ってしまって。それに、ひとつの日付を境にして、何も気にせず移動していいのかっていうと、そんなことあり得るわけないのに、日付が境界線のようになってしまうことに違和感があったんです。これはコロナ禍になるずっと前から感じていたことですけど、僕にとっては近所のスーパーまで出かけることも、新幹線でどこかに出かけることも、家を出るって意味ではほとんど同レベルで。何だったらチケットの手配が必要じゃないぶん、近所のスーパーに出かけるほうが腰が重いくらいなんです。もしもこの世の中が「しばらく誰も家の外に出ない時間を過ごすことに決めました」と言うのであれば従いますけど、そんな決断がなされているわけでもなくて。ただ――こうやって話しているうちに思い出しましたけど、去年の4月はほんとにすごかったですよね。4月の平日の早朝に、藤田さんと品川駅で待ち合わせて、そこから新橋まで歩いて――新橋駅に到着したのが7時半ぐらいでしたけど、あの時期は今以上にコロナに怯えてたから、嫌な時間になっちゃったなと思ってたんです。通勤ラッシュの電車には乗りたくないから、混んでいたら歩いて帰ろうと思ってホームに上がってみると、平日のそんな時間なのにほとんど乗客がいなくて。今となっては信じられないくらいですけど、あのときは社会がほとんど立ち止まってましたね。

藤田 ほんとにそうですよね。あのときの新橋はめちゃくちゃ閑散としてましたけど、『路上』の企画とともに、人出が復活していく様子も見ましたね。

橋本 去年の4月とかだと、ひと席空けてしか座りたくないって乗客が多かったじゃないですか。そんな感じだから、座らず立ったまま電車に乗ってたときに、窓に反射して座ってる乗客の姿が見えてたんですね。電車が駅にとまるたび、席に座ってる全員が、乗り込んでくる乗客に視線を向けてたんです。マスクをしてるか、どう動くのか、全員が目で追っていて。あれだけ緊張感があったのに、8月15日に新宿三丁目からみなとみらいまで移動したとき、電車が混んでてびっくりしたんですよね。普段あんまり電車に乗らないから余計に、あの緊張感はいつのまに消えたんだろうって。

藤田 でも、あの日はめちゃくちゃ暑くて、みなとみらいで電車を降りた途端、すごい自然なビールを買いに行く僕らがいましたよね。そういうのも楽しかったな。

橋本 僕は6月ごろから取材仕事も再開し始めましたけど、基本的にはひとりで移動して、一人で過ごしてる時間が多いんですね。だから、『路上』で一緒に街を歩いたり、あとは『てんとてん〜』でツアーに同行するっていうのはすごく不思議な時間で、ああ、こうやってまた誰かと一緒にツアーに出るなんてことができるんだなって、ずっとびっくりしながら過ごしてる感じでした。

「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。
ことなった、世界。および、ひかりについて。」香川公演 公演日の様子
(「てんとてん〜」2020年 ドキュメントより 撮影:橋本倫史)

藤田 こないだの年末年始に、今年の『てんとてん〜』で橋本さんが書いてくれたドキュメントを読み返したんですけど、あれは特別なものになる気がしていて。あれに限らず、『てんとてん〜』にまつわるドキュメントは絶対どこかの出版社が買ったほうがいいと思うけど、ほんとに素晴らしくて。今年のツアーは特に、かなり緊張感があって。温泉町でも上演したんだけど、なんかマスクせずに出歩いてる人たちが多かった記憶があって。さすがにそんなことはなかったんでしたっけ?

橋本 いや、観光客はマスクしてない人も多かったですね。浴衣姿で、マスクをせず、川べりをそぞろ歩いてて。

藤田 この状況の中で、浴衣姿のカップルがマスクもせずに歩いてるって、変じゃん。こっちは怯えながら過ごしているのに、温泉町はめちゃくちゃ賑わっていて、ほんとにからんころん鳴ってて。そういう状況の中で、マームとしてどう行動するべきか判断しながらその日のことをやっていくしかないって状況のことを、橋本さんはめちゃくちゃ記録できてるな、と。

橋本 あのとき、全員がPCR検査を受けてからツアーに出ましたけど、PCR検査ってものを受けるのも初めてのことで、自分は陰性なのかどうかってことにまず怯える時間がありましたよね。それで、ツアーに出てみると、劇場に付随したキッチン付きの宿泊施設に寝泊まりすることになって、「外食は控えてください、この宿泊施設に誰かを招き入れることも控えてください、そうすればこの施設内は安全です」と言われて。その言葉も、それはそれですごいことだなと思ったんですよね。

城崎公演中滞在した宿泊施設(「てんとてん〜」2020年 ドキュメントより 撮影:橋本倫史)

藤田 僕は正直、あのツアーは料理に逃げてましたね(笑)。あのときのことを思い出して、いつか僕と古閑ちゃん(制作の古閑詩織)は泣くかもしれない。あのとき、なんか知らないけど徹夜で皆の朝ごはん作ったよね、って(笑)。あのツアーはあのツアーで、自分たちがやれる精一杯ではあったけど、それが合っているのかどうかもわからないし、大変ではありました。

橋本 「面白かった」というのは不適切な気もしますけど、自分ひとりのスケジュールで生きてたら、「ちょっとこの電車は混んでるから、一本見送ろう」とかって好きに行動できますけど、集団で移動するってことを経験できたのも、この時代において印象深い経験だった気がします。

藤田 なんか、橋本さんがドキュメントに書いてくれたこともあるけど、ほんとにとんでもない時代を生きてますよね。

橋本 そんなこと、書きましたっけ?

藤田 あの、『書を捨てよ町へ出よう』のパリ公演のドキュメントのときに――。

橋本 ああ、暴動が起きてたときのことですね。

藤田 あのとき橋本さんが書いてくれた文言のことを言ってるんですけど、人ってやっぱり、なんとなく「大丈夫なはずだ」って思いたいじゃないですか。それって防衛本能だと思うんですけど、あの状況って変だったと思うんです。燃やされた車が転がってて、「うわ、やべえな」みたいな感じで近づいて写真撮ってたけど、あれって危なかったなと思うんですよね。そこに日本人が佇んでて――しかもあの日は「PARIS」って書かれたパーカーとか買ってて――そんなふうに観光してるってことはお金があるってことだし、デモに巻き込まれた場合、僕もヘイト的に暴力を受けるかもしれなくて。そういうときにパリにいたりすることって、すごいことだなと思うんですよね。これは別に、僕らが特別”持ってる”みたいなことを言いたいわけじゃなくて、生きている限り、多かれ少なかれこういう状況に行きあたるんだなって思ったというか。今のこの状況下で東京にいることを選んでるのも、数年後に思い返してみたら、「え、なんで実家に帰らなかったの?」と思う可能性もあると思うんです。そのぐらい、この時期の東京にいることは異様なことかもしれないな、と。……なんか今、何を話してるのかわかんなくなってきたけど、それぐらい虚無感があるんですよね。数年後の自分がそんなふうに思うんだとすれば、そんな今を生きてる自分は切ないな、って。こないだ言いそびれたけど、穂村さんと橋本さんに出会ったのは同時期で、『あ、ストレンジャー』(2011年4月)のあたりなんですよね。2011年のことを思い返すと、よく震災から1ヶ月も経ってない時期に、計画停電をやってるなかで『ストレンジャー』をやったなと思うんだよね。それと同じように思う日がくるんじゃないかって、『路上』をやっているあいだ、未来からの視点がずっとあったんです。

「窓より外には移動式遊園地/路上」 撮影:小西楓 宮田真理子

橋本 この企画が不思議なのは、今日のこの対談もそうですけど、普段なら絶対に言わないことまで言葉にしているところで。マームの公演を観た感想を書くときとか、ツアーのドキュメントを書くときには絶対に書かないことまで言葉にしていたし、言葉にしなきゃ駄目だと思っていて。だから、すごく不思議な一年でしたね。

藤田 いや、その話、めっちゃアツいな(笑)。いや、橋本さんのこと、皆知ってる? 俺はあんまり知らなかったなと思ったんだよね。この企画でも、さっきの回まで橋本さんはインタビュアーだし、どの土地についてきてくれるときも取材してくれる側じゃん。でも、この企画では意外と橋本さんの幼少期の話とかもちょっと聞いてたり、この企画では作家同士で関わってるなと思うんですよね。

橋本 普段のかかわりの中では、僕が直接会話で何かを伝えるってことに、あまり意味があると思ってないんですよね。これはマームとのかかわりに限らず、ドキュメントを綴るときでも、「あなたたちはこんな場所に立っていて、こちらからはこんなふうに見えてますよ」ってことを返しているだけというか。でも、わざわざ『路上』って企画を立てて声をかけられたからには、それとは違うことを書かないと意味がないんだろうなと思ったんです。自分がいろんな本を通して触れてきた東京の過去のことだとか、あるいは今この街で過ごしながら感じている違和感を書かないことには成立しないんだろうな、と。だから、「あれ、自分がこんなことを言葉にしてよかったんだっけ?」と思いながら過ごしている、不思議な一年でした。

藤田 2019年の秋に、上海の空港で橋本さんと話したときから、僕はその気持ちだったんですよね。僕の視点からすると、2019年って、橋本さんのそれまでとこれからを分ける年だった気がするというか。『ドライブイン探訪』と『市場界隈』、2冊の本が出て、それって作品を世に残したってことだと思うんですよね。これは「本を出した人は偉い」みたいな話じゃ全然なくて、作品を世に残している人と関わるわけだから、橋本さんに取材してもらうってことに対しても、モードを変えていかなきゃいけないなと思ったんです。その上で、あらためて『路上』って企画をやってよかったなと思うのは、橋本さんの主観というか、橋本さん主導で書かれた文章になっているところで、なんかちょっとアツいんですよね。橋本さんの文章としては、もうちょっと達観した感じの文章を読み慣れてたけど、たとえば上野から靖国まで歩いた回にしても、最後はまとまってるようでまとまってないと思うんですよね。その状態で終わっているのはすごく作家的だな、と。

橋本 今回の対談企画の中で、穂村さんとの回を収録したときに、異形の存在の話の流れで、穂村さんが僕のことを例に話してくれたじゃないですか。「久しぶりに橋本さんに会って、『あれ、橋本さんが坊主になってる』って言っても、橋本さんは『そうなんです』みたいな目をするだけで、何も教えてくれない」って。あの話をされたときに、すごく驚いたんですよね。穂村さんに限らず、誰かに「あれ、坊主にしたんだ?」って言われても、ただ感想を伝えられてるだけで、自分が質問されてるって意識はゼロだったんです。そういうことに限らず、誰かと接するときに、自分がリアクションを求められてるとか、何かしら説明することを求められてるとかって思えてなくて。将棋とかって持ち時間が決められてますけど、会話というものにも持ち時間があるんだとすれば、僕の持ち時間は常に0秒みたいな気持ちがあって。

藤田 橋本さんが坊主にした日も、一緒にいましたよね。二日連続で『路上』を歩くってときに、昨日は生えていたはずの髪の毛がなくなってて。品川から新橋を歩いた次の日に、上野公園で待ち合わせたら、橋本さんがいきなり坊主になってたんです。「え、橋本さん、坊主にしたんですか」って聞いても、橋本さんは「はい」としか言わなくて、それ以上聞いていいのかどうかわかんない空気になって。そのまま歩き始めたら、鳩に餌をあげてた女性が悲鳴をあげて、振り返ったら鳩をカラスが襲ってたっていう。あのとき橋本さん、くさくさしてましたよね。

橋本 くさくさしてましたかね。でも、この対談企画でいろんな人に去年の春のことを聞いたから余計に思うことですけど、見落としていたことだとか、気づかずにいたことってたくさんあるなとつくづく思いました。『窓より〜』の公演に対しても、ああ、そんな作業を経てあの上演に至っていたのかとか、そんな考えをもとにああいう設計になされていたのかとか、あとになって気づかされることが多くて。もちろん、観客がそんなに裏側のことまで把握する必要もないとは思うんですけど。でも、上演のことに限らず、たとえば青柳いづみさんとの対談回で、僕が「去年の4月から5月にかけて、青柳さんはどんなふうに過ごしてましたか?」と質問したとき、「思い出したくない」と青柳さんが言ってたじゃないですか。あの答えを聞いて、そりゃそうだよなと思ったんです。もしも去年の4月や5月に会って、今どんなことを感じてますかと聞けば言葉として受け取ることができたかもしれないけど、話してもらうのにもタイムリミットがあるよな、と。

藤田 4月とか5月とかって、ほんとに変だったなと思いますね。公演が中止や延期になることって、ウイルスがどうとかってレベルでは納得が行ってるんです。動物的なレベルで言うなら、ウイルスは怖いから中止にするのもしょうがないと思うんだけど、人間が作り上げた社会というものによって僕の言語が遮られて、中止や延期にされるのはすごく不毛だなと感じていて。この12ヶ月、舞台上で言いたいことは月ごとにあったのに、口を塞がれた感じがする。話しているようで、話してないんですよ、ずっと。そもそも、自分自身が言語を持って、誰かに何かを伝えるって何なんでしょうね?

橋本 すごく不思議なことですよね。だって、挨拶とか業務連絡とか、そういうこと以上の言葉って、持とうとしなくたって死なないわけですからね。

藤田 たとえば恋愛をするとか、たとえば家族と話しをすることで処理できるんだったら、言葉なんて持とうとしなくていい気がするんです。ああそうだ、それで言うと、父がこの1年のあいだに職を手放したっていうのは僕の中で大きくて。父さんって自分のことを家族に何も語ったりしないし、彼の体の中のどこに言葉があるんだろうって小さい頃から思ってたんだけど、最近の彼の表情はなんというか、仕事をしていた頃よりもなんだか幸せそうなんだよね。「人間って本来、こういうもんだよな」と思うし、人のどこにほんとうの言語があるんだろうなって、そういうことを考えますね。

橋本 難しいですよね。本音とかってことでもなく、ほんとうの言葉って。人に話を聞く仕事をしているのにどうかと思うんですけど、人と語り合える瞬間なんて存在しないんじゃないかって、日常生活のレベルでは思ってるんです。でも、その一方で、もしかしてこの人とならほんとうのことを語り合うことができるんじゃないかってことにすごく期待し続けてもいて。取材っていう場を設定することで、ほんとうの言葉に触れられると思っているからこの仕事をしてるんだと思うんですけど、もしも相手がほんとうの言葉をしゃべってくれたとしても、それをどう書き言葉にするかっていうのはすごく責任が大きくて。話したことが文字に起こされて、それを編集してまとめられた状態になったときに、「これはたしかに自分の言葉だ」と思ってもらえるのかどうか。

藤田 この話って、記事になったときに不思議に思われる気がするんですよね。こんなこと話しても、「でも藤田君、インタビューでちゃんと答えてるじゃん」とか、「自分のことしゃべってるじゃん」とか言われるだろうなって思うんだけど、ほんとうのことをしゃべって、果たしてそれが“ほんとう”になるのかって、僕はわかんないんだよね。自分の現実は“ほんとう”ではない、と思ってしまうというか。これってたとえば、どうしてひめゆりの人たちが戦争下であんな思いをしたあとに「生きる」って決めることができたのかとも繋がってくるんですが、自分の目の前にある現実が“ほんとう”なんだとしたら、もう生きてられないよなって思ってしまうような現実もあって、そこで人は違う“スペース”を求めると思うんです。“スペース”っていうのは、具体的な空間っていうより、頭の中に違うスペースを持とうとする。そこに自分のほんとうの言葉があると思ってるし、そのスペースを作るから表現なんだと思うんですよね。そこでほんとうの言葉を表現するときにも、「ほんとうに俺は今悲しい」と言い切るのか、それとも別の言い方で表現しようとするのか――僕は演劇に出会って言葉を知ったから、だから演劇をやってるんです。小学校のときはずっとクラスのみんなに馴染めなくて、ここに居場所なんてないと感じていたんだけど、演劇と出会って台本を見たときに、初めて人との話しかたを知ったんですよね。(同席している青柳さんに向かって)そういうタイミング、ないんですか?

青柳 前もそういう質問してきたよね。

藤田 僕は演劇を介してしか、それを知れなかったんだよ。こどもってさあ、言葉をおぼえた時点で一回ゴールになっちゃうから、その言葉をめちゃくちゃ雑に扱っちゃうじゃん。「死ね」とか「殺す」みたいな言葉って、大人たちが「そんな言葉は使っちゃ駄目だ」って言ってくる迫力だけで言わずにいるだけで、言っちゃ駄目な理由を知らないんですよ。だから僕は「死ね」とか「殺す」とかって言葉を使って――それはもう、教室の中で孤立するだけだよね。でも、演劇と出会って影山先生と出会ったときに――影山先生は唯一「恩師」と言い切れるんだけど――台本ってものに触れたんです。台本の世界では言葉が右から左に文字列になっていて、それも衝撃だったし、なんか書き込むスペースもあったんですよ。で、先輩たちの台本を見たら、「ここでこの台詞があるから、この登場人物はあとでこういうことを言う」とか、メモを書いたり付箋を貼ったりしてて。こんな繊細なものだったんだって、10歳の僕は思うわけ。「ここにこの言葉があるから、この言葉を言ってよくなるんだ?」とか、「これを言ったことで、この人はこうなるんだ」とか、台本は全部のことを図解してくれて。そこでやっと、人ってこうやって話すんだと思って、思いやりめいたものが生まれたんです。今、台本ってことで話しちゃったけど、橋本さんにもありませんか? 橋本さんも取材で言葉を扱いながら、考えてるわけじゃないですか。

橋本 どうだろう。自分が言葉を今のように意識するようになったのは、上京したあとのことだから、それ以前のことはもう思い出せないんですよね。

藤田 それまでは人じゃなかった?

橋本 いや、さっきの藤田さんのお父さんの話の流れで言うと、それまでが人だったのかもしれない。演劇もある観点から言うとそうかもしれないですけど、取材するときって、すごくおかしなことをやってるなと思うんです。相手との会話を録音して、あとで聞き返して文字に起こして、それを読み返して反芻しながら考える。そんなこと、人ってやらなくていいはずじゃないですか。でも、その作業を通じて人のことを考えてるから、取材の現場では言葉を聞き出すことがすべてで。対談を収録しているときでも、「このテーマについてはもう、言葉は吐き出され切った感じがするな」とか、「今は沈黙が続いてるけど、まだこの人の中には言葉が残ってる感じがする」とか、そんなことを考えて過ごしていて。その言葉を受け取るためにも、サバサバした感じで「え、そこってどうなんですか」と聞いたほうがそれが出てきやすいのか、こちらも軽く頷きながら言葉を待っている状態でいたほうが出てきやすいのか。僕は別に、自分の取材が上手だとも思ってませんけど、自分が考えうる範囲では常にそのことを考えていて、自分の素の状態で過ごしてるというわけではなくて、常に演技をしているような状態なんですね。だから、今回の対談企画にはすべて青柳さんが同席してましたけど、そうやって観客みたいな立場の人がいると、「お、橋本さん、今ここでそういう感じで振る舞うんだ?」ってバレちゃうから、緊張するんですよね。

藤田 ゲーム感覚ではないけど、人対人でインタビューするってより、もうちょっと素材として考えていくしかないですもんね。僕もワークショップをしているときは完全にそうですもん。聞いた話が作品として面白いかどうかってことでしか判断しないから、そこはかなりドライだと思う。

橋本 ああでも、そこに対してはたぶん真逆で。藤田さんはさっき「作家」って言葉を使ってくれたけど、自分のことを「ノンフィクション作家」だとは思ってないんですよね。僕が書いているのは自分の作品ではなくて、基本的には誰かの言葉や誰かの人生だから、語ってくれる本人が「これで私は語りきれた気がする」ってところの言葉を拾うのかどうかがすべてなんです。

藤田 そっか、そうですね。ワークショップで話を聞いてても、僕の作業は取材じゃなくて創作だから、僕の領域に関係ない話は切りますもん。でも、橋本さんはもちろんそうではなくて、創作なようで創作じゃないからってことですよね。

橋本 藤田さんのほんとうの言葉は演劇作品の中にしか存在しないんだとすれば、上演を観に出かけていって、「これが今の藤田さんの言葉なんだな」と思って劇場をあとにして、直接会う必要もないっちゃないと思うんですね。でも、その演目を読み解くための手がかりみたいなこととはまったく別の話として、今の温度とか質感とか感触がどういうものであるのか、触れたいって気持ちが圧倒的にあるんです。なんか、こんなふうに言葉にすると人懐っこい感じになっちゃって、そういうことでは全然ないんですけど、その人と顔を合わせて、その感触を書き残しておきたいって気持ちがあるから、こんなことやってるんでしょうね。

藤田 それが仕事なんだとしたら、やっぱり外に出るしかないですね。

橋本 その人がふいに漏らした一言とか、ふとした瞬間の表情とか、今のってほんとうの声だったんだろうなってものに出会う瞬間があるんです。もちろんそれは、僕が勝手に「ほんとうの声だったんだろうな」と思い込んでるだけではありますけど、そんな言葉と出会うためには家から外に出て、その声が聴こえてくる瞬間まで、じっと待っているしかないんだと思ってます。

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